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いつも感じていたものよりも、空気が冷たく、体に当たっているものが硬い。だとすれば、ここはあの鳥籠に似た自室ではないと、アリアは寝ぼけた意識のなかでぼんやり悟った。
霞む視界は薄暗くてよく見えない。目をこすろうとした手はまるで貼り付けられてしまったかのように背中から離れず、体にはキツく何かが巻きついている。それはつまり、拘束されているということ。
寝起きで締まりのなかったアリアの顔が一気に覚醒し、緊張が走る。
そうだ。確か、城に連れ戻されて兄を待っている間にルミドリフが部屋に来て、見知らぬ男達が押し寄せてきて、それから、連れ去られた……?
ゆっくりと体を起こして埃っぽく薄暗い見知らぬ部屋の中を窓から差す月明かりを頼りに見回す。本来の用途はわからないがちょっとした舞踏会を開ける程度には広い室内の壁際に置かれた調度品には汚れ避けか白い布が被せてある。
自分はこの広い室内のおおよそ中心に転がされていて、部屋の入口の脇には装束を着た男が二人、門番のように扉を挟んで立っている。
「気が付かれましたかな?」
間違いない。ルミドリフの声だ。
顔を向けると、この建物にあったものをわざわざ移動させたのか、一人掛け用のソファーにゆったりと座っているルミドリフが、こちらを見下ろしていた。
その後ろには扉の脇にいる男たちと同じ装束を着た男たちが控えているが、薄暗い中では正確な人数まではわからない。
「まずは強引にここへお連れ致しましたこと、心よりお詫び致します」
ソファーから腰をあげたルミドリフが、恭しく頭を下げる。が、その態度が上辺だけの嘘偽りであるとわかっている人間には嫌味としか捉えられない。
「ここはどこです……! すぐに解放しなさい……!」
睨みあげながらもがくが、括られた縄は太く硬く、緩む気配は無い。くわえて服装は豪奢なドレスのままであるため、輪をかけて動きづらい。それを悟って、こちらを嘲っているのか、彼は口端を上げる。
連れ去られる前、ルミドリフはアリアを大事な供物と称していた。いったい何を企んでいるのか。
「ご存知ありませんかな? ここは貴方方皇族が所有する別荘ですよ。かつて帝都の城に住む皇族に危機が迫った際の避難先として建てられ、地下に掘られた洞窟で繋がっているのですが、幸か不幸か活用の機会はなく、半ば放置されていたのです。そして、」
一度言葉を切ってルミドリフはゆっくりとアリアに歩み寄り、すぐ目の前に膝をついてしゃがみこんだ。
「三百年余りの歴史を紡いだ数多の皇族のなかでも、貴方がその体に有する力はその辺のちゃちな術士とはわけが違う。なにせ世界中を探し回ってやっと五人見つかるかどうかというほどですからな。貴方を差し出せば、対価として十分成立するでしょう」
二ィ、と口端を歪ませて笑う。
「彼の大精霊ラプラスを召喚し、そして契約するための対価として!」
アリアの夕焼け色の双眸が見開かれる。
大精霊ラプラス。地水火風の四大精霊をはじめとする精霊たちの長とされるものの、その存在自体に謎が多いが全知全能を司ると云われており、中には精霊であるラプラスを神格化し、崇拝する者たちもいると聞く。
以前に読み耽った本には呼び出す方法や契約の仕方すら不明のままだと記してあったはずだ。それを、何のために、どうやって……?
驚きと疑問と、それから恐怖に思考が止まり、悠然と椅子に座り直すルミドリフをただ呆然と見ていると、不意にこの室内の扉が開き、中に人が飛び込んできた。
「報告! 外の森に侵入者有り! 数は三人! うち一人は見張りの者たちと交戦中! うち二人はこちらへ向かっており、現在追跡中です!」
「来たか。たった三人を寄越すとは。よほどの強者を送り込んできたか。それとも手柄目当てに飛び出してきたただの愚か者か」
ルミドリフは長いローブの下に隠れた足を持ち上げ、先ほどと同じようにふてぶてしく足を組む。その姿は自分こそが本当の統べる者だと主張するようだ。
「まあよい。さっさと見つけて捻りつぶ───」
なにかが割れる甲高い音が彼の言葉を遮る。外から何かが月明かりのさす窓を叩き割って入ってきたのだ。
破片をまき散らして着地し、その場にいる全員の注目を集めたそれは、体を包んでいた布を勢いよく脱ぎ捨てると同時に床を強く蹴る。
「え? ───きゃっ!?」
ひと瞬きの間にドレス姿のまま座り込んでいるアリアに近づくなり、彼女をいとも簡単に肩に担ぎ上げる。手を縛られたままのアリアは為す術なくされるがままだ。
「ナニモンだてめえ!」
扉の脇に控えていた男二人と、報告をしに居合わせていた男が一斉に拳を振り上げて襲いかかるも、それはアリアを担いだまま男たちの拳を難なく避け、急所を納刀したままの刀で殴打して意識を奪い取っていく。
「おおおっ!!」
二人沈めたところで、最後の一人に背後を取られた。固く握りこまれた石のように大きい拳に捉えられるも、再び割れた窓から飛び込んできた影が男を背負い投げて沈めた。
「よお、悪代官。悪いがオレの今後の人生がかかってるんでな。お姫サマは返してもらうぜ?」
突然のことに目を白黒させて硬直していたアリアは、背後から聞こえた覚えのある声に首を回して振り返る。肩越しに見えた黒い頭には一つに結わえられた髪が垂れていた。
その後ろ姿が、昼間に見た光景と重なる。
「り、リオトさん……!?」
「無事なようで何よりだ。とりあえず、これで死刑は免れたな」
誰が死刑を免れたのか、アリアは知る由もないが、それよりもてっきり牢に繋がれていると思っていた彼がこうして助けに来てくれたことにただただ驚くばかりだった。
「ど、どうして貴方が……」
「もちろん助けに来たんだが、積もる話はあとでな。すぐに片をつけるから、ここで待っていてくれ」
部屋の隅にアリアをおろし、縄を解いてやる。
睨視によりあちらを牽制する神影の隣に並び、リオトが言うと、しかしルミドリフは未だソファーに腰掛けたまま悠然とした姿勢を崩さない。
「お前達がどれだけ腕に覚えがあるか知らないが、この数にたった二人で適うなどと、本気で思っているのか」
「じゃなきゃ乗り込んできてねぇっつーの。抵抗するならそれなりに痛い目見てもらうことになるが、文句は聞かんぞ」
神影は隣に立つリオトの様子を盗み見る。確かに彼の腰には一振りの刀と一丁のリボルバー銃がぶら下がっているが、それにしたって寄せた眉に押されるように目を細めてルミドリフたちを睨むリオトの、マントを脱ぎ捨てたためにあらわになっている七分袖のシャツに覆われたやや細めの体躯を見ると、そう強そうには見えないというのは神影も同意見だ。
闇の中に目を凝らして見ると、遠目でもルミドリフの周りに深淵より出るものの一味の残りがまだ十人弱はいる。増援が到着するまではそれをたった二人で抑えなくてはいけないのだ。
確かに昼間に裏路地で刃をかわしたときは一目で彼が只者ではないことはわかったが、それとこれとは話が別だ。
「り、リオト殿。本気であの数を相手取る気なのですか……?」
耳に届いた小さな声は引け腰だったが、リオトは声色を変えずに答える。
「怖いならアリアと一緒に見学していても構わんが?」
その自信はどこから湧いてくるのかと問いかけたかったが、神影は何も返さなかった。
こんなところで死にたくはないし、ここまで来てしまったからには、戦わざるを得まい。彼ほどの自信は無く、どこまでできるかわからないが、相手をするしかなさそうだ。
「そうか。ではお前達、身の程知らずのガキどもに分をわきまえさせなさい!」
ルミドリフが指を鳴らしたのを合図に、周りに控えていた一味の男たちが一斉にリオトたちに飛びかかる。
焦りか恐怖か、若干青い顔で構える神影とは正反対に、リオトの表情はまるで友達との遊びや競争に燃える幼子のそれだ。
手始めに、最初に飛びかかってきた男がリオトを捕まえようと伸ばす腕を納刀したままの刀でぶん殴っていなし、痛みに動きを鈍らせた男の脇腹にさらに刀を食い込ませて吹っ飛ばす。
脇に姿を消していく男の影からナイフが飛んできた。鋭いそれを認知するや否やリオトは素早く抜刀した刀を振るう。甲高い金属音を響かせながら、全てのナイフを弾き落とすと同時に、二人目の男が握った剣を振りかぶりながら飛び込んでくる。
リオトは即座に身を屈めて転がり、男の背後を取った。男は剣を振るうも標的は既に後ろにいる。しまったと焦りに歪んだ表情のまま、隙だらけの背中を容赦なく踏み倒されて顔面から床に沈んでくぐもった呻き声をあげたのち、うつ伏せのまま動かなくなった。
刹那、今度はリオトの背後を捉え、その背中に逆手に持ったナイフを突き立てんとする一味の一人がいた。
「もらったぜぇ!!?」
「ちぃっ……!」
「リオトさん!」
リオトの舌打ちとアリアの声が被り、振り向きざまに腰の真後ろに下げたリボルバー銃を引き抜く。間に合うかは、わからない。
が、ナイフがリオトの背中に食い込むよりも早く、銃口が男に向き合うよりも早く、その間に割って入る、影。
「あがっ!?」
打撃が、二つ。男の鳩尾に、そして間髪入れずに首に打ち込まれ、意識を根こそぎ刈り取られた男はドサリとその場に倒れ込む。
沈んだ男から目線を外し、目の前の背中を仰ぎ見る。立っていたのは神影だった。標的を失った銃口は下を向くほか無い。
「お怪我は……!?」
「ないよ。礼を言う」
少し焦ったような表情で肩越しにこちらを見下ろす神影に、リオトが笑みを返すと、彼は安心したように肩を下ろして安堵していた。
それを見ていたアリアも、ほっと胸を撫で下ろした。
「君になら、背中を預けられそうだ!」
「油断なさりませぬよう!」
二人が同時に走り出して、残りの男たちも負けじと応戦する。だが、男たち全員が二人の足元に転がるのに五分とかからなかった。
ふう、と体内の空気を入れ替える二人の体に大した怪我は無く、座りっぱなしのルミドリフはギリギリと歯を鳴らし、額には青筋が立っていた。
「おのれ……! 約立たずどもが!」
「まあ待てよダンナ。まだ俺がいんだろ?」
一様に死屍累々と床に転がる一味の男たちを恨めしげに睨むルミドリフの肩に手が乗る。彼を諌めた軽い口調の正体が、闇夜の影から足音をたててゆっくりと出てくる。
伏している男たちとやはり同じ装束姿だが、その男はなにか纏う雰囲気が、男の周りを漂う空気が違うことを、手練であるということを、リオトと神影は武術を極める者の一人として、本能的に感じ取った。
おそらくは、一味の頭目といったところか。
「そう固くなるなよ。心配しなくても、」
翳した両手には鋭利な刃が取り付けられたメリケンサックが嵌められていた。
「すぐに殺してやるからよォッ!!!」
威勢よく拳を振り上げてかかってくる男を、リオトと神影はそれぞれ左右に散って避ける。どういう意図かはわからないが、頭目の男は神影に狙いを定め、追撃する。
神影を的に定めた男の拳は再びかわされたが、代わりとばかりにその拳は部屋の床を破壊する。少しの埃とともにハデに飛び散る木片が、火の粉のごとく神影を襲う。
「うわっ!?」
「神影!」
加勢しようと、リオトはすぐさま刀を構える。そうして踏み出そうとした彼の行く手を、横から過ぎ去る白い光が遮った。
顔を向けると、ソファーに座ったままご立腹だったルミドリフが立ち上がり、両手で何かを持っている。
───鏡……?
薄暗闇の中に翳しているせいかその写し目は黒に塗りつぶされ、一見何も写していないように見えるが、よく見ればその表面はわずかに月光による筋を乗せ、丸い輪郭を浮かび上がらせている。
その正体を見極めようと目を凝らしている間に、その鏡から二発目の白い光がこちらに向けて放たれていることに気づき、リオトは慌てて塵埃を被って古ぼけた木製の床を転がる。
「くっ! 忌々しいネズミ共が!」
脚を振った勢いを使って体勢を整える。すぐにルミドリフを振り仰ぐと、彼は眉間に濃い皺を寄せて忌々しげにリオトを睨みつけていた。
あの鏡はなんらかの魔力を帯びた術具か。なんて面倒なものを持ち込んでくれたんだ。
神影と頭目の男は。振り向くと、男の力任せの拳撃を確実に見切り、的確にかわし続ける神影の姿が視界に入る。負ける心配はなさそうだが、しかし男の拳撃に圧倒され神影は反撃に出ることが出来ないでいるようだ。
彼の援護を。跳ねるようにリオトは古い床を蹴って駆け寄ろうとするが、またも光が、しかし今度は四発も連続で放たれ、後退るを得ない。
焦りと怒りに顔を歪ませていたルミドリフは、眉間のシワはそのままに、口端をあげる。
「鬱陶しいな……!」
「リオト殿!」
視界の端で何度もこちらに駆け寄ろうとしてくれているリオトを見た神影は腰の小太刀でメリケンサックの刃を受け流しながら続ける。
「僕は大丈夫です! 貴方はルミドリフ議員を!」
耳障りな鋼の音に塗れながら、神影が叫ぶように言う。
仕方が無いかと、リオトはルミドリフに体を向け、対峙する。
「今すぐにその頭を下げるなら、まだ許してやるぞ? その代わり、永遠に私の下僕として生きてもらうがな!」
「死んでもお断りだクソ野郎が」
「姫様ほどではないが、コ綺麗な顔して、口は下賎極まりないガキだ」
「そうかよ。こちとら根っからの田舎モンなんでね!」
床を踏み抜く勢いで蹴りつけ、ルミドリフに迫る。しかし、間合いを詰め切るより早く、彼の手元の鏡が閃く。
刹那。曇りの無い鏡面から赤い光が生まれ、放たれた無数の光の矢が横殴りの雨のようにリオトに降り注ぐ。額から汗が滴るが、退くわけにはいかない。
意識を集中し、刀で十字に空を斬ると、青い気を纏った十字の衝撃波が降り注ぐ矢の雨を斬り裂いていく。が、全ての矢を凌ぐことはできなかった。残りの矢を壁際を走って避ける。
過ぎていく壁に矢が刺さる音が止むと、リオトは立ち止まりながら腰のリボルバー銃を振り抜き、銃口を鏡に定める。気を銃に装填し、迷いなく引き金を引く。
「ぐっ!?」
光の尾を引く彗星のように、発射した弾丸は青い光をなびかせて飛ぶ。ガラスが弾けるような音がしたが、消し飛ばしたのは次の矢の雨の準備をする赤い光だけだった。光を貫通して鏡まで砕くには威力が足りなかったようだ。
再びルミドリフの顔から余裕が消え、リオトもしくじったと舌打ちをする。
「死ね小僧!」
怒り狂うルミドリフの意志に反応するように、鏡は今度は青い光を纏い、リオトが放った弾丸よりもさらに大きな光の玉を弾丸のように連続で放つ。
再び壁際を駆け抜け、光の弾丸を壁にぶつけて躱し、残りの数発はリボルバー銃で相殺する。全ての弾丸を凌ぎ、リオトは高く飛び上がる。ルミドリフの頭上を飛び越え、彼の背後に着地。
「くっ……!?」
「とった……!」
追いつけていないルミドリフが長いローブを翻して振り返るも、
「遅い───!」
手の中で刀を回し、峰でルミドリフを怯ませようとする。
その刹那、
「ぐあっ!? リオト殿逃げて!」
背後の神影の声に重なって、肉を貫く生々しい音と、強烈な痛みが走る。
「ぐ、う……!?」
刺されたのだ。背後から。
いったい誰だと肩越しに後ろをみやると神影と戦っていたはずの、暗殺集団の頭目の男が笑っていて、神影は離れた場所に膝をついていた。隙をついて神影を突き飛ばし、近くに来たリオトを狙ったのだ。
「隙だらけだな」
流れ出る血が着ている白いワイシャツを赤に初め、刺された背中の傷口がじわじわと熱を持ち、痛みが全身を侵す。追い打ちに、頭目の男はメリケンサックの刃を捻りながら抜き取る。リオトの口と傷口から赤々とした血が吹き出た。
「く……っそ……!」
「リオトさんっ!!」
悲鳴をあげるようにアリアが叫ぶ。その声に応えてやりたいが、裏腹に体は下へと沈んでいく。力を入れるも、震えるばかりで言うことを聞かない。
ついに倒れ伏したリオトの頭を、ルミドリフが踏みつけた。
「少し武器が扱える程度のガキが、邪魔をするからだ!」
すり潰すように足を動かしながら、ルミドリフはぐふぐふと笑い声をあげて悦に入る。
「止めろ!」
ルミドリフに飛びかかる神影の行く手を、頭目の男が遮る。神影は向かってきた拳を避けて間合いをとるが、頭目の男は神影にぴったりとくっついてくる。
「残るはお前だ! とっととくたばりなァ!!!」
拳撃が雨と降る。視界の端に映るリオトは伏せたままピクリとも動かないままだ。急いで連れ帰らなければ彼が死んでしまう。
大きく飛び退り、小太刀を引き抜こうと腰に手をやる。そのとき、頭上から光の玉が三つ降って来るのが見えて、慌てて神影は転がりながら避けた。
受身を取って起き上がると、頭目の男の肩越しに、術具の鏡をこちらに向け構えているルミドリフが見えた。
腕に自信はあまり無いが、唯一の持ち前の素早さがあれば術も拳撃もかわせる。だが同時にいよいよ反撃に出られなくなる。
「み……、かげ……!」
動かす手は満足に刀を握らず、霞み始めた視界で神影が追い詰められていく。
ああ……。目的を果たすことも出来ずに、こんな、ところで……。
霞む視界にいつかの、どこかの光景が重なる。
すぐ近くに誰かが立っている。よく見えないけど、無意識のうちに手が伸びる。だって、それはきっと……。
───……リオト。
「っ!」
呼び起こされたように、沈みかけていた意識が強く引っ張りあげられた。
見開いた目が映す視界はさっきよりもハッキリとしていて、そして淡い光に包まれている。咄嗟に下を向くと、そこにはリオトを中心に展開する円形の陣があった。
「癒しの光、今ここに集いて彼の者を癒せ───」
詠唱していたのは部屋の隅に避難させたアリアだった。リオトの下にあるものと同じ図形が、座ったままの彼女の下にもまた展開しており、祈るように両手を組み合わせ、目を閉じるその姿は敬虔な修道女を思わせる。
「し、しまった……!?」
頭上からルミドリフの焦ったような声が降ってくる。
「メディス!」
陣から小さな光がいくつも浮き上がり、それはリオトの真上に収束すると、一際強い輝きを放ち、花びらが降るようにして彼に降り注ぐ。ひらひらと舞うそれが体に触れると、光を散らして消えていく。
途端に、リオトは感覚を鈍らせていた痛みが引いていくように感じた。
───体が軽くなった……? まさか、これは……。
傷口の熱が引き、右手がしっかりと刀の柄を握り込む。体が持ち上がる。無理はきかないかもしれないが、これならまだ動ける。
「この、死に損ないがっ……!」
前に突き出して構えた鏡が力をためるのがわかった。しかし、それを放つだけの猶予は与えるつもりない。
両腕に力を込めて跳ねるように起き上がり、瞬時に狙いすました的に向けて、リオトは固く握った刀を振る。
一閃。
「ぐおおおっ!!?」
狙い通り、寸分違わず刀はルミドリフの手中の鏡を両断した。しかし勢い余って彼の手指や腕にも鋒がかすっている。
鏡は彼の手からすり抜けて落下し、耳障りな音を立てて割れ、破片を散らす。そしてその隣に腕や手から血を流すルミドリフが浅いはずの傷の痛みに呻きながら膝をついて倒れ込む。
鏡が割れた音にか、ルミドリフの呻き声にか、頭目の男が咄嗟に振り返る。無様に倒れ伏していたはずが刀を手に立つリオトの背中と、対し屈したように膝をついているルミドリフの姿を見るや否や男が舌打ちをする。
注意が逸れた今を逃すまいと、神影が繰り出した回転蹴りがきまった。
嘔吐く男の顎をさらに掌底で打ち上げ、とどめに頬を思い切り殴り倒してやった。渾身の怒涛の連撃にはさすがに耐えられなかったようだ。床に体をうちつけた男が沈黙したのを確認して、神影はリオトを見やる。すると同じようにこちらを見ていたリオトと笑みをかわした。危なかったが、ようやく鎮圧完了だ。
「リオトさん!」
その場を満たした静寂に一連の騒動が終わったことを告げられ、アリアはたまらずリオトに駆け寄り抱きしめる。ドレスに血が付くなんて知ったことではない。
「もう大丈夫だから」
「うん……! うん……!」
疲れと出血でほとんど力が入らないが、左手で彼女の背中をぽんぽんと撫でてやる。
しかしアリアを宥めるリオトの足元で、ルミドリフが懐からナイフを取り出す。
せめてこいつだけでも道連れに!
「死ね小僧!」
冷たい夜風を払うようにナイフを振り上げた。気づいたリオトはアリアを胸に抱き込む。だが、その腕は振り下ろされない。
「ぐっ!?」
「御免!」
掴んだ腕からナイフを叩き落とし、神影は素早く慣れた手つきでルミドリフの意識を奪う。念の為男たち共々縛りあげておこう。
「まったく、懲りないやつ……だ、な……」
神影によりワイヤーで拘束されるルミドリフを見下ろしながら、リオトがため息をついた。すると、一緒に体の力も張り詰めていた気も抜けてしまったのか、途端に視界が歪み、足元がふらつき始める。
一時的に傷口が塞がっているだけで傷自体が治ったわけではないことを忘れていた。
「あ、げんかい……」
体が傾くのがわかったが、支える力などもう体中のどこにも残っていない。目眩がする。蓋をされたように思考が遮られ、世界が閉じていく。
「り、リオトさん!?」
「リオト殿!」
二人が呼ぶ声も届かないほど、リオトの意識は深く深く落ちた。