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***


 冷たくカビ臭い地下牢にいくつかの足音と気配を感じ、リオトは目を開けた。殺気は感じられなかったので、木でできた低いベッドフレームにかなり使い古したような薄いマットレスを敷いただけの、簡素というよりかなり粗雑な寝床に寝転がったまま起き上がることはしなかった。

 その複数の気配たちはちょうどリオトがいる牢屋の前で足を止め、なにやらカチャカチャと金属を触る音を響かせる。そして間もなく錠が解かれ、鉄格子の扉が軋みながら開く音がした。


「お前たちはここで待て。牢は狭いからな」


 冗談交じりに笑うその声には覚えがある。捕まったときに兵達に指示を出していた青年の声だ。

 その青年の足音と気配が、リオトの傍に近づいてくる。


「オレの疑いは晴れたかい。軍人さん?」


 後頭部に両手を回して頭を支え、寝転がったまま彼を見上げると、静かに首を左右に振られてしまった。さらさらと揺れた彼の青い髪は薄暗い地下牢のなかでは黒毛に見えた。


「そら残念」


 こちらを見上げていたややつり上がった瞳を瞼の奥に隠し、リオトは肩をすくめる。横たえた体を動かす様子は見せない。


「いやに冷静だな」


 牢の前には兵たちが控えているとはいえ、今なら牢の扉は開いている。逃亡は可能だ。だが目の前の彼はむしろ牢にいる事こそが自然なことだというように、しかし勝手知ったる自室のように悠々と寛いでいる。


「暴れたって出してくれないんだろうし、ましてや脱獄なんてして逃亡犯になる気は無いよ」


 ま、本当にやばくなったら逃げるけどね。と付け足して暢気に欠伸を噛み殺す。まるで猫のような彼のこのマイペースな雰囲気に、シュヴァルツは毒気を抜かれるような、呆気に取られるような思いだった。

 気を取り直して、本題を告げる。


「皇女殿下が攫われた」

「はぁ?」


 途端にリオトは目を見開き、怪訝な表情になる。

 まだいまいちピンときていないが、彼らの言う通り本当にアリウェシアが皇女殿下だったとして、さっきは本人が城から脱走して、わざわざ軍の兵達まで動員して連れ戻したかと思えば、今度は誘拐されたと言う。

 城の警備はそんなにザルなのか。


「なにか知っていることは?」

「あるわけねーでしょーが」


 青年の声に嫌悪は無く、疑っているというよりは念のため話を聞きに来たというような様子だ。しかしこの様子では誘拐犯としての疑いは未だ晴れていないらしい。辟易しながらリオトが続ける。


「もしオレがその誘拐犯の仲間なら、とっくに手を借りてか自力かで脱獄して合流してるし、第一街でお前らに捕まる前にアリウェシア連れてさっさと逃げてるっつーの。オレはお前らに濡れ衣着せられて捕まってから、ずっとここでおとなしくしてたよ。……つったって信じるわけねぇよな……」


 上体を起こし、やれやれと肩をすくめる。手首に嵌められている手枷の鎖が鳴いた。


「お前、名はなんという?」

「軍人のクセに人に名前を尋ねる時はまず自分から名乗るのが礼儀だって知らねぇのかコラ」


 ジト目で青年を睨み上げると、牢の外で待機している兵達が殺気付き、手にしている武器を構える。右手を軽く挙げて兵達を制した青年が小さく笑った気がした。どういうつもりか目線を合わせようとするように彼はその場に膝をつく。


「俺はシュヴァルツ・オーデメルヴィル。お前は?」

「……リオト」


 意外にも素直に名乗ったので、少し肩透かしを食らったリオトはそっぽを向きながら呟くように答えた。


「ではリオト。一緒に来い。話がある」


 言いながら腰を上げた彼に向かって腕を持ち上げ、両手の自由を奪っている手枷を突きつけて外せと訴える。だが彼が懐から鍵を取り出すことはなく、代わりにリオトの腕を掴んで引っ張り立たせる。


「悪いが、まだ外してやることは出来ない。もうしばらくおとなしくしていた方が、身のためだ」


 身を翻して、彼は牢を出て行く。従うのは癪だが、このままここにいるわけにもいかない。ため息をつきながら、リオトは青年のあとを追った。

 牢の前にある通路を歩いてすぐに行きあたる、上へと伸びる石で出来た長い螺旋階段を上がると、どうやら軍の敷地内に出てきたらしい。陽は傾き、周囲の景色は橙色に染め上げられている。離れた棟の窓が夕陽を反射していて眩しい。

 正面に一つだけ伸びている本部へ繋がる明かりのついた渡り廊下を歩いていく青年のあとを追いかけながら、周りを盗み見る。青年の真後ろに続くリオトの背後には見張りのつもりか青年が連れていた兵達が行進するようにきっちりと足並みを揃えてついてきていた。地下牢がある棟から本部の棟に移り、廊下を進む青年やリオトたちの左右をバタバタと兵達が駆けていく。姫様は見つかったか、居場所の特定はまだかと騒ぐ声が聞こえた。

 ときおり、すれ違う兵達が青年に向かってお疲れさまです!メルヴィル少将!と頭を下げたり訓練された綺麗な動作で敬礼をしていく。それらを右手を挙げたり、ああ、という短い返事で返しながら、リオトの大雑把な体感で牢を出てから十五分ほどは歩いただろうか。角をいくつか曲がって、食堂のような場所の前を通り過ぎて、いくつもある扉のうちの一つの前で青年が静かに足を止めた。


「ここまででいい。お前たちは街の外にいる皇女殿下捜索班に合流しろ」

「はっ!」


 付いてきていた兵達が一斉に姿勢を正し、敬礼をして来た道を戻っていく。頭まで鎧を被っているため、ガシャガシャとやかましい金属音にリオトは眉をしかめた。

 慣れているのか、青年は無表情に近い顔色を変えることなく扉を叩いた。すぐに扉の向こうから短い返事が飛んでくる。


「失礼します」


 青年は扉を開けたまま固まった。どうしたのかと顔を見ると、先に入れと促された。ここまで来て逃げやせんがな。しぶしぶ、リオトは足を動かす。

 中は十五畳弱ほどの広い部屋で、周りの壁際にはいくつもの書類が詰め込まれたガラス棚が並び、部屋の中央にはローテーブルと、それを挟むようにゆったりとした二人掛けのソファーが向かい合わせて置いてある。そしてその奥に大きなデスクがあり、それに座っている中年ぐらいの男が一人。右手が忙しなく動いているところを見ると、どうやら書類にサインをしているようだ。

 とりあえず扉脇に立ったリオトは丁寧に扉を閉めた青年に後ろから肩を押されてデスクの前まで進む。デスクを挟んで男と向かい合い、青年はぴしっと背筋を正し、敬礼。


「皇女殿下誘拐により拘束した囚人を連れて参りました。フェイオンド大佐」


 手枷に縛られた両手を体の前に垂らしたまま、リオトが正面を見ると、すべての書類にサインを書き終えた男は視線に気づいたように、書類を揃えながらこちらを向いた。


「ご苦労さま。って、だからこれじゃ立場が逆だって言ってるじゃないですか。メルヴィル少将。いいかげん目下の僕に敬語を使うのはお止めになってはいかがですか?」


 困ったような笑みを浮かべて男が笑う。その様には、ふにゃ、という形容詞が似合っている。遠目には手触りの良さそうに見える黒のくせ毛に、穏やかな口調と目尻の下がったいわゆるタレ目が印象的で、さらにきっちりと着込んでいるシュヴァルツとは真逆に、軍服が少し着崩されていることから全体的に緩い印象を抱かせるが、しかし同時に初対面の人間に警戒心を抱かせない不思議な雰囲気があった。


「それより聞き捨てならない言葉が聞こえたんだけど? 誘拐なんかしてねぇし」

「ごめんね。姫様からの証言は既に聞いてるんだけど、君が姫様に自分を庇護するように脅してるんじゃないかって元老院がうたぐってて……。悪いけど、今の時点では君はまだ罪人のままだ」


 男は整えた書類を脇に置くと、デスクの上で手を組んで人当たりのいい笑みを浮かべる。柔らかい雰囲気のままだが、こちらを見据えるターコイズグリーンの瞳にはまっすぐな芯の強さが宿っている。


「とりあえず、僕はユリウス・ハインリヒ・ヴァン・フェイオンド。ちなみに階級は大佐。君の名前は?」

「リオトだ」

「いい名前だね。さて、早速本題だけどリオトくん。聞いたと思うが、アリウェシア皇女殿下が元老院議員の一人ガルヴァー二・ルミドリフに誘拐された」


 その場に居合わせるも気を失っていた使用人やお付きの人たちの話では、彼は悪どい傭兵団らしきもの達を雇っているらしいとの情報が上がっている。

 彼が悪意を持って今回の事件を起こしているのは明らかだ。


「君が本当に姫様の恩人だというなら、それを証明してほしい。武器を持っていたぐらいだからきっと君は戦えるんだろう。悪いけどもう一度、我が国のお姫様を助けてくれないかな。そうしてくれたら、皇女殿下と一緒に僕たちも元老院と皇帝に君の無罪を掛け合おう」


 わざわざ牢から連れ出されて何を言われるかと思えば、どう考えても怪しい。助け出したくらいで皇帝と元老院がはいありがとうございました濡れ衣であったことを認めますと素直に頭を下げるとは思えない。

 無事にアリウェシアを連れ帰ってもついに犯人が投降したと結局濡れ衣を着せられたまま斬首刑になるのがオチだ。いいように使われてたまるか。

 探るようなリオトの怪訝な表情に臆することなく、そしてその思考を読んだようにニコリと笑って言うことには、


「できないなら、たぶんこのあとすぐに君の斬首刑は確定だけど」


 拒否権が無い!あと笑って言うことじゃない!

 目を見開いて固まっているとユリウスが続ける。


「言っておくけど、これは一応、僕達なりの君への救済措置であり誠意だ。議員たちは認めていないが、少なくとも僕達は君を疑っていない。それにこれは、皇帝からのお達しでもある」

「皇帝の……?」

「そう」


 本名をアリウェシア・ルイン・アーヴェイドというの少女は、現皇帝ルフォンド・クレン・アーヴェイドと血を分けた兄妹。妹である。

 母は病弱で、アリウェシアを産んで間もなく還らぬ人となり、生前は執務にせわしなかった先代皇帝もとい父も流行病でこの世を去った。幼くして両親を失ったことで、無論長男であったルフォンドが皇帝としてったのは、彼が弱冠十五歳のときのことだった。

 若くして即位した彼はそれから地獄のような日々を送った。慣れないみかどの執務をこなす傍ら、帝王学や武術、馬術、様々な作法、エトセトラ。それらを文字通り頭に、体に叩き込む日々。アリウェシアを構ってやる時間など、彼にありはしなかった。すると健気にも賢く、そして聞き分けがよかった彼女は、おとなしく部屋で本を読み漁る毎日を送った。外に出ることなど、許されるはずがないのだから。

 そんな日々を過ごさせてしまったことに、兄であるルフォンドは少なからず後ろめたく思っているのだという。だから、今回の騒動の発端であるアリウェシア脱走事件に関しても、自分にも非はあるのだと。

 そんななか、リオトが運悪く誘拐犯と間違えられて投獄された。


「だから、間をとってオレがお姫さんを連れ戻したら許してやるって?」


 それにしちゃ随分な無茶振りをしてくださりやがるじゃねぇか、と立ちっぱなしでダレてきたリオトは繋がったままの両手を後頭部に回す。

 意地でも無条件で釈放する気は無いらしい。


「どうする。どのみち、選択肢は二つに一つだぞ」


 隣にいる青年、シュヴァルツが急かすように言う。


「……分かった。協力する。アリウェシアを助ける。助ければいいんだろ? そん代わり、ちゃんと掛け合ってくれよ? 頼むからあとでウソでーすとかやめてね?」


 真っ当に誤解を解き、罪を免れる方法はもはやそれ以外に無い。嫌々ではあるが、ため息とともに頷いたリオトにユリウスはうんうんと満足そうに笑い、ウインクを一つ。


「ちゃんと助けたら、ね。少将、お願いします」


 頷いたシュヴァルツが懐から鍵を取り出し、ようやくリオトの手首の手枷を解く。半日ぶりに外気に触れてひんやりとする手首をさすりながら、妙な解放感に安堵の息をついた。


「持ち物は我々が預かっておいた。異常はないはずだ」

「あってたまるかありがとう」


 シュヴァルツから荷物一式を受け取り、異常がないかを確認しながら身に付け直す。


「そうと決まれば、早速向かってもらうよ。敵地を探りに行かせた神影から場所を特定したと少し前に報告が来てるんだ」

「場所は?」


 シュヴァルツが聞くと、ユリウスは地図を取り出して立ち上がりながらデスクの上に広げた。手早く荷物を身に着け終えたリオトがマントを羽織りながらシュヴァルツの隣から覗き込むと、この辺り一帯の地図だよとユリウスが教える。


「神影からの報告では、敵はこの帝都から南西……」


 灰色の手袋に包まれた彼の指がスー、と地図をなぞり、レイガーバーゼンと書かれた街から少し離れた森を指先で二度、トントンと叩く。

 地図には、『クロルバルト』と記されている。


「なるほど。クロルバルトか」

「と、言うと?」


 納得したように頷いたシュヴァルツをリオトが見上げる。


「クロルバルトは影の森という意味で、広く深く、生い茂った森だ。迷いやすく、一般人はおろか帝国軍(我々)でさえ滅多に立ち入らない」

「身を隠すには格好の場所だね。本当なら精鋭を総動員して差し向けたいところだけど……」


 落ち着いた声色で呟くユリウスの口元は笑ったままだが、その表情は苦い。


「そんなとこに隠れるってことは、見つからない自信があって、森の構図の把握もカンペキってわけだ。なら行くのはオレと……」


 思案するリオトが急に黙り込んだので、ユリウスとシュヴァルツは揃って首を傾げる。


「なあ、アンタのことをシヴァって呼んでもいいか?」


 ようするに名前が長くて呼びづらい、ということだろうか。構わない。とシュヴァルツが返すと、リオトはありがとうと返事をする。


「んじゃあオレとシヴァと、……なんていったっけ? どっかで聞いた東の國の暗殺者の、モンジャ? みたいなやつ……。えっと、ヒカゲ……?」


 あまり聞かない名前を覚えてはいなかったのだろう。ユリウスは苦笑しながら訂正する。


神影みかげだよ。あとモンジャじゃなくて忍者ね……」

「そう、ニンジャの神影。この三人で行く。兵達は邪魔だ」


 敵の本拠地が迷いやすい森の中にあるなら、気づかれないよう少人数でいくのが確かに得策だろう。しかし、ユリウスは渋る。

 皇女殿下を連れ戻せとは言ったものの、実際のところリオトの実力がわからないのだ。気づかれて彼女を人質に取られればお終いであるし、たった三人で太刀打ちできるのか。


「神影の報告では、敵の数は少なくとも二桁だ。いけるのかい?」


 ついにユリウスの口元から笑みが消えた。眉間には軽くシワが寄っていて、緊張感が走る。

 対し、リオトの顔に焦りは無い。まるで結末を既に知っているかのように、いけるさと軽い口振りで返す。


「兵を率いているあたり、シヴァは師団長かなにかだろう? それも少将の階級を持っているなら、相当腕が立つはずだ。まさかその背中の剣はお飾りですなんて言わないよな。神影も、妙なヤツだけどアレが雑魚じゃないことはわかる。オレの腕は……、まあ直に見て納得してもらえばいいよ」


 蒸発した師を探して一人旅をすることかれこれ三年。これでもそれなりの修羅場はくぐってきたつもりだ。


「大佐、彼は神影の不意打ちを払い、かつ互角に戦えるほどの腕を持っています。武人としての腕は確かかと」


 拘束されたときの、裏路地でのことを言っているのだろう。さしものリオトもあれには本当に驚かされたものだと頷く。どういうカラクリか直前まで姿が見えなかったせいであと一秒反応が遅れていたら完全に伸されていた。

 シュヴァルツの進言にユリウスは顎に手を添えて少し思案する素振りを見せ、頷いた。


「分かった。君たちに敵の懐へ先行してもらう。折を見て、あとから増援部隊を向かわせよう。皇女殿下のこと、頼んだよ」

「ヤツらも馬鹿ではないだろう。夜に紛れて場所を移すかもしれない。急ぐぞ」

「ああ」


 なにせしくじれば罪人としての生活が待っているかもしれないのだ。師を見つけるのが本来の目的であるリオトからすれば冗談ではない。


 ある意味で今後の人生がかかった夜襲作戦が、幕を開ける。



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