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「───はい。おつりだよ」


 ふくよかな四十代半ばほどの女性がゆびさきにつまんだ銅貨をカウンター越しに目の前の人物に差し出す。


「ありがと」


 右手に銅貨一枚を受け取ったその人物は財布にしている小袋に貨幣をしまい、続けて差し出されるそれほど大きくはない紙袋を受け取る。温かく香ばしい香りのするその紙袋の中にはいくつかのパンが詰められている。


「見かけない顔だねえ。マントも着てるし、えらく若いみたいだけど、旅人さんかい?」


 やっと二十を超えるか超えないかぐらいの中性的な顔立ちにあまり見かけない黒い髪を白い髪紐で結い上げ、やや長めの前髪からのぞく双眸は水底を連想させる、深い深い青色。

 男性にしてはやや低めの、女性にしてはやや高めの背丈と、紙袋を抱える腕や動くたびにマントの向こうから見え隠れする細い体つきが一見では男女どちらともつかぬその外見と雰囲気を助長するようだ。


「ああ。ちょっと人を探しててね。《カイナ・ベスティロット》って人を知らないかな?わりと顔は良くて、白髪はくはつ紅眼あかめに、オレよりも背の高い優男なんだけど」


 このぐらいかなと右手を自身の頭の上にかざして問いかける。

 この店の、パン屋の女主人は難しい顔でしばし唸りながら記憶の中をさまよった末に、ふるふると首を振った。


「悪いけど、見てないねえ。お兄さんかい?」

「いや、武術の師匠だよ。ありがとう。もう行くね」

「まいど! また来ておくれよ!」

「うん! また!」


 扉を開けて店から出る。

 さっそく右手の紙袋を開け、ついさっき買ったばかりのクロワッサンを食べながら、リオトは老若男女、住人商人、様々な人で賑わう街の大通りを歩き出す。

 アーヴェイド帝国、帝都レイガーバーゼン。地図で見ると西の大陸の左上辺りに位置するこの街は大陸から沖に突き出るようにして存在し、街の三分の二は海の上に出来ているため街のあちこちを水路が縫うように通っている。北には西一帯と南西の大陸を統治する現皇帝ルフォンド・クレン・アーヴェイドの居城、セントエルモ城が、隣にはアーヴェイド帝国軍の本部が、西には大きな大聖堂が、中央には大広場があり、約五十万の人々を懐に抱える世界で二番目に大きな街である。

 恩師カイナ・ベスティロットの捜索を始めて世界を放浪すること早三年。多くの人が行き交う大きな街なら、なにか有力な手掛かりが掴めると思っていたのだが、現実はそう甘くないらしい。

 サクリとクロワッサンをかじり、ため息。


「どこに、いんのかな……、師匠…」


 青い空を見上げて呟く。

 だが、この街についたのはついさっきの話だ。諦めるには早すぎる。

 まだまだこれから商人を中心に聞き込みを続ければ一つぐらいは有力な手掛かりが見つかるはずだ。

 諦めるものか。必ず見つけ出して、


───一発ぶん殴ってやる。


「…しかしこのクロワッサン、なかなか美味だな…」


 こんがりきつね色に焼けた外側の生地はパイのようにサクサクしている。かと思えば中の生地はふわふわのもちもちだった。

 聞き込みは今日中には終わらないだろう。二、三日はこの街に滞在するつもりだし、その間は通うことにしよう。


「───は、放してください!!」


 ずいぶん慌てたような、そしてベタな女性の悲鳴だった。

 リオトはクロワッサンにかじりついた状態で足を止め、きょろきょろとその発声源を探す。周囲では商人や街民など街ゆく人々が同じように不思議そうな顔をしてきょろきょろと首を振っている。

 間もなくして、その元凶らしきものを見つけた。すぐ近くで少数だが人だかりができており、その奥で一人の少女が数人の男たちに腕を掴まれ、細い路地に連れ込まれそうになっているのが見えた。

 薄桃色の長い髪を振り乱し懸命に抵抗する女性は華奢な体に膝下丈のシンプルな白いオフショルダーワンピースを着た、歳の頃はリオトとあまり変わらないであろう十代後半あたりといったところか。

 それをニヤニヤと気色の悪い笑みを浮かべて半ば引きずるようにしてか細い腕を引っ張る男たちの身なりはお世辞にも立派なものであるとは言えないものばかりだ。無骨で簡素な胸当てや、無駄にヒラヒラしてだらしない着崩し方をされた年季の入ったシャツ。手首やら耳元やらに引っかけられたジャラジャラと耳障りな金属音を立てる派手な装飾品。おまけにどの顔立ちからも人としての最低限の品すら感じない。

 どう見ても、誰が見てもただの誘拐現場だ。


「おら、おとなしくしてりゃあ痛くしねえからよ!」

「いやです! 放して!」


 華奢な体躯の少女に対し、男たちは三人。数でも体つきでも少女に勝ち目はない。

 彼女を助けようという勇気を持つ者もこの場にはいないようだし、見てしまったからには仕方ないとリオトは頭を掻き、歩み出す。


「おい、」

「あ?」


 声をかけ、こちらを向いた瞬間、まず少女の腕を掴んでいる男の腕を掴みあげて引き剥がし、そのみぞおちを思い切り蹴っ飛ばしてやる。


「──ぐほぉっ!?」


 おもしろいように路地の奥へ吹っ飛ぶ男。リオトの動きに合わせてはためくマント。唖然とする残り二人の誘拐犯と、少女。

 少女ははっと我に返り拘束が解けたことを認識すると、すかさずリオトの背中に隠れる。てっきり逃げると思っていたリオトは目を丸くした。


「あんだァてめえ!?」

「ガキはすっこんでな!」


 無論標的は割って入ったリオトにすり変わる。

唾と共に怒号を飛ばす男たちに対し、リオトは無言でクロワッサンをかじって、


「これ君の知り合い?」


 首を後ろに回して問いかけてみれば、少女は不安げな表情でこちらを見上げ、やはり首を横に振った。


「だろうね。身なりのいいキミと小汚いこいつらではどう考えても結びつかない」

「んだとゴルァ!!」


 わかりやすく挑発してやれば、予想通り彼らの導火線《気》は短いようだ。


「持ってて。落とすなよ」

「わっ!?」


 小さくなったクロワッサンを口に押し込み、右手の紙袋は背後の少女に押し付けて巻き込まぬよう後ろへ下がらせる。


「このガキィ!!」


 残り二人のうち右にいる男の拳が一矢のごとくまっすぐに降ってくる。

 それが男たちの本来の性根であったのならよかったのだが、生憎と彼らの性根は見ず知らずの少女相手に鬱憤を晴らそうと考える程度にはひん曲がっている。

 そんな連中に容赦する気はさらさらない。

 身をかがめて避けると、まだ動いていない左の男の懐に飛び込むと同時にリオトは掌底で顎を打ち上げる。


「がっ!?」


 まともにくらった男は体を仰け反らせる。がら空きで差し出された体には回し蹴りをくれてやった。それが地に伏すまでを見届ける気はない。


「おらああっ!」


 残りの片方が当たらなかった拳をもう一度振りかざしてくる。

 腕を掴んで受け止め、ギョッとする男の足を払う。おまけでみぞおちにエルボーを入れて脇の壁に叩きつけてやれば、頭から背中にかけてを強打し、声もあげずに意識を失った。


「すごい……」


 男たちを瞬く間に捻りあげ、やれやれとため息をつくリオトに、少女は圧倒された。目を見開き、釘付けになるその背中や体格はさして自分と変わりないのに、それでも目の前で一瞬のうちに三人もの男を地に伏せさせた。

 それを見ていた人だかりの中の何人かは感心したような目でリオトを見たり、拍手を送っている。


「帝都っつっても、やっぱ虫は涌くもんだな」


 ぴくぴくと痙攣する男たちにもう立ち上がる気力が無いことを確認していると、遠くからガシャガシャと騒がしい足音が多数、こちらへ向かってくるのが聞こえた。


「帝都じゃこんな小さないさかいにも軍が出てくんのか。お節介な連中だな」


 建物の壁から最小限に顔を覗かせたリオトが舌打ちをする。

 気づいた少女が隣に並び、同じ方向に目を向ける。その先には、腰に剣を、あるいは手に槍を持ち、白い甲冑とアーヴェイド帝国軍の象徴である水色のドラデュネスが描かれた浅葱色の衣を身にまとった者達が十人足らずと、それを引き連れてこちらへ歩いてくる、浅葱色の軍服を着た一人の青年。

 それほど大きな騒ぎにはなっていないはずだが、この人だかりに気付き駆けつけてきたのだろう。


「あれは……」


 先頭を歩く青年の顔を見た途端、少女の顔色が変わった。

 それは恐怖の色ではなかったが、あきらかに動揺している。兵達とともにこちらへ近づいてくる彼らから逃れようとするように、少女は細い足で一歩後ろへ下がった。

 リオトの探るような視線に気づく余裕はない。


「まあとりあえず、めんどくさいから逃げるか」

「え───きゃっ!?」


 リオトへ顔を向けるや否や、不意に腕を掴まれ、気づけば手に持っていた紙袋が取り上げられ、薄暗い裏路地の奥へ走り出していた。


「アリウェシア様!!」


 二人を視界に捉えた青年が裏路地の入口まで駆けてきて、人の名前らしきものを叫ぶ。

 追いかけようにも小さくなった二つの背中はすぐに角を左へ曲がって消えてしまった。

 青年は眉間にシワを寄せると体を反転させ、ざわざわと騒ぎたてる街民を尻目に連れてきた兵達に指示を飛ばした。


「倒れている男達は連行して話を聞いておけ。手が空いているものは引き続き皇女殿下を探せ」

「はっ!」


 兵の一人が敬礼を返し、うち四人が倒れている男達に肩を貸し、軍本部へ戻っていく。

残りの兵達はガシャガシャと鎧を鳴らしながら散って行った。


「神影は上から先行して捜索を頼む」


 そう声を投げた先は目の前。しかしそこには誰の姿もない。

 だが返事の代わりに、目の前を風が過ぎ去り、軍服の裾と青年の髪を揺らした。




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