第273話:気付いてくれる人
「アウラ様、祈りの時間はとうに過ぎています。これ以上は、お体に障りますので。ハルヒ様も心配なされますよ」
「分かりました。今、向かいます」
身を清め、神に祈りを捧げていたアウラはそう答えると急いで陸へと上がる。
(そんなに時間が経っていたのか。……いけない。ハルヒ様に心配をかける訳にもいかないし、何よりここは私が任せて欲しいと言ったのです。弱気になるな!!)
気合を入れる為にと自分の頬を叩く。
パチン、と思いの外大きな音だった。だからだろう。その音を聞き、慌てて入って来たのは世話係であるウィルと女官達だ。
「あ……」
「アウラ様!? 蛇か獣でも居たのですか」
「あ、わーー!! ご、ごめん、アウラ。見てない、何にも見てないからね!!!」
ウィルはそう言って出て行き、女官達は新しい服と周囲を警戒する。
身を清める為にと今のアウラは半裸の状態であり、男性であるウィルは慌てて出て行く。そして、そんな彼を無言で睨んでいるのは義兄であるディルベルト。
アウラの着替えを済ませ急いで、ウィルの所へと向かう。
「ディル、違うの」
「分かってますよ」
「す、すみません……」
ワザとでない。そう説明しようしたが、既にウィルはディルに説教を受けた後。
侵入者でもなければ、獣が居たらからという訳でもない。気合を入れる為にと、自分に活を入れたら大きな音でビックリしただけ。
ディルベルトとウィルは、そう説明され一応の納得はした。
傍に控える女官達には1度引いて貰い、3人だけになった時――ディルベルトが聞いた。
「アウラ。ハッキリ言って下さい。……我々に、何か隠している事がありますよね?」
「ありません」
即答するアウラに、ディルベルトは更に眉を潜めた。
それは怒りではなく、彼女は隠し事をしているという何よりの証拠。過ごしてきた時間の中で、アウラの変化に気付かないという事はない。
ウィルもアウラが1人でやろうとしている事に、そしてその訳を自分達に話さない事に少しばかりショックを受けていた。
「ハルヒに話せて、我々には言えない事ですか」
「今のディル達に言ってもダメだから……。今の、何も覚えていないディル達じゃあダメなの」
「何もって……」
悲しみ揺れる瞳に、ディルは何も言えない。
アウラはそう言うと2人の間をすり抜け、朝食を食べる為にと父の所へと向かう。
「……」
今までにない拒絶。
そして、アウラの言う何も覚えてないとはどういう事なのか。
ウィルは心配そうにディルベルトを見る。そこには悔し気に唇を噛み、何も力になれない自身の憤りを表わす義兄がいた。
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「アウラ。今日も、祈りを捧げていたのか?」
「はい」
「……しかしな。戦いは終わったのだ。なのに、何故ハルヒもアウラもそんなに奔走する」
「何も終わっていませんから。私達は、何一つ終わっていない。何も取り戻せていないんです」
食事を済ませたアウラは、そのまま部屋を出て行った。
王であるベルスナントは娘の様子を気にしつつ、壁があるのを感じ取れる。だが、どんなに考えても答えが見付からない。
「……リッケル」
「はっ。姫様は、ハルヒと別れてからはずっと祈りを捧げています。その後は、兵の訓練を見たりいつものように書庫にこもっています」
「だが、理由は分からずか?」
宰相のリッケルは無言で頷いた。
アウラに付けている護衛は義兄のディルベルト以外では、ハルヒを部隊長とした小隊のメンバー。世話係のウィルや女官達にも、アウラの些細な事でも良いので報告を続けている。
だが、それでもやはり分からない。
ハルヒが何故ラーグルング国に行っているのかも分からず、部下も連れずに長期間居るという。宰相のイーナスは滞在を認めている。
魔法国家が寛大であるのは前から知っている事。
ハルヒの無茶を難なく受け止めた事から、彼等には慣れがあるのだと分かる。だが、その慣れはどこから来ているのか。
そして分からない事はまだある。ハルヒが最初にラーグルング国に行った理由が分からない。
アウラは家出をして、無理にハルヒと付いて行ったと思ったが他にも目的があったように思う。はっきりしない記憶が多くあるからこそ、娘のアウラとは微妙な仲なのかと考える。
「誠一達の方はどうしている」
「彼等はラーグルング国で日々を過ごしているかと」
「そう、だよな。その筈……なんだよな」
異世界人の誠一と話す機会が多くなったのはいつ頃だったか。
何か共通がなければ、彼とはあそこまで仲良く出来ない。だが、その共通しているものはなんだと思い浮かべる。
母親は早くに亡くなっており、娘1人を残した。
ベルスナントと誠一が似ている所はそこなのだろうが、そこで思い浮かべる。
誠一に娘は居たのか、と。
(ゆきという子は、娘ではなく義娘だった。とはいえ、共通しているのはそこか?)
考えられる共通はある。だが、やはり釈然としない気持ち悪さがある。
悩むベルスナントに、リッケルは報告を続けた。
最近のアウラは書庫にこもっているが、その場所は決まって王族が入れる場所だという事。歴代の神子しか入れない、王のベルスナントでも未知の場所だ。
「あそこは我々も入れない。以前、小さいアウラと入ろうとしたら弾き返された」
「そう言えばそうでしたね。それで姫様は、一緒に来ていた筈なのに居ないからと泣いていました。が、私達も騒動を聞いて来ましたが……入れた試しはなかったですね」
その時は、泣きながら歩き回っていたからかアウラは運よく出られた。
それ以降、ギルスナントもアウラは近付く事はしなかった。だが、今アウラはその書庫に向かい籠っているという。
神子にしか入れない場所は、構造も含めて分からない。
こればかりは、父親であろうと王であろうと関係がなかった。
「アウラが話してくれるまで待つしかないな」
「ディルベルトも同じ事を言っていました。隠している事はあれど、今の我々に話す意味はないと」
「今の……? 前と違うというがどこが違うのだ?」
「こればかりは予想と言うか、感覚的なものですが……。姫様とハルヒと我々で、記憶が違う部分があるのではと」
その後、食後の緑茶を飲みながら考える。
記憶が違うと言うが、そんなに違わないのではないかと考える。しかも、2人と自分達とではハッキリとしか差がある。
そんな特定の人物の記憶や存在すら、消す様な真似を人間が行うのは無理だ。それは恐らく、どんな種族であろうとも無理な気がする。
「個人の記憶を、我々全員から失くす……。そんな事、出来たとして目的はなんだ」
「分かりかねます」
「はぁ……。神の仕業とでも言いたいのか、アウラとハルヒは」
そんな馬鹿なと決める付けるギルスナント。
しかし、彼等は知らない。これらを実行したのはその神である事。そして、アウラとハルヒはその神に対抗する為に今も奮闘している事に。
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(今日は、ここから読んでみますか)
今日もアウラは神子にしか入れない書庫で本を探しては読む。
ハルヒはラーグルング国で、状況を調べてくると言いアウラはニチリで何か手掛かりがないかと探している。
相手は神。それも、この世界を作った存在だ。
だとすれば情報は少ないながらも、自分達も神の存在は知っておくべきだろう。この世界を作り、原初の大精霊と天空の大精霊を作った強大な存在。
そして、ハルヒ達のような異世界人を招き入れている。
「……ハルヒ様は、どうしているでしょうか」
ふと考える。
手分けして探すと言ったのはアウラだ。2人で探すより、別々で探し情報を合わせていく方が良い。ニチリで見付けられた事、ラーグルング国で見付けられた事を合わせれば少しは神に近付けるかもしれない。
これが自分1人だけなら、早々に断念していた。
自分が麗奈とユリウスを覚えているのに、周りは綺麗に忘れている。2人の存在と記憶だけを抜き取り、あたかも別の人物が居たかのような不自然な記憶。
それを今のディルベルト達は、疑問に思わない。それが正しいものだと思っている。
「いけない……。弱気にならないって決めたのに」
ハルヒは最後まで別れるのを拒否していた。
彼はアウラが1人で行動を起こす事に反対したのではない。1人で無理をしてしまうんだと思っている。
危ういのだと言われた。
「ホント、ハルヒ様には敵いませんね……。隠していたのに」
その時、懐に入れていた札が淡く光る。
ハルヒからの定期連絡だと思い、アウラは札を取る。応答する前に、呼吸を整え涙を堪える。
「アウラ。今、平気? ちゃんとご飯食べてる?」
「はい。大丈夫ですよ、ハルヒ様」
定期連絡を入れると言ったのはハルヒの方だ。
本当なら情報が分かり次第に連絡を入れると言ったが、彼がそれを受け入れた事はない。朝、昼、夜と3回に分けて必ず連絡を入れるというのだ。
情報交換かと思ったが、他愛ない話が殆どだ。
成果があるか。ないかと含めてなのに、何故だかアウラは定期連絡が心の拠り所になっていた。
「こっちはアルベルトさんと合流出来た。彼等も、れいちゃん達の事を覚えているしランセさんが起きるまではハーフエルフの里に居て貰う事にした。向こうも神について記述がないか調べてくれる。そう約束したんだ」
「そうですか……。流石ですね、ハルヒ様は」
ハルヒはちゃんと成果を上げている。だが自分はどうだろうか。
神の声を聞ける神子なのに、向こうからは何もない上に聞こえてこない。本当に一方通行なのに、自分は何か出来ると勘違いしていたのだろう。
そう卑屈になるアウラの心情を察してか、ハルヒは1度ニチリに帰ると言った。
「でも……」
「今、決めた。伝えたい事はあるけど、やっぱり直接が良いよ。僕、アウラに会いたいしね。じゃ、また夜に連絡する」
「あ」
ハルヒはそう言うと、札の光が小さくなっていく。
通信が出来なくなったと思いながら、同時にアウラは隠せなかった事への後悔が募った。
(私……私……)
会えない寂しさも、何の成果も上げられない自分も嫌になる。
静かに嗚咽を漏らすアウラは、いつの間にか寝ていた。彼女が寝ていたと気付いたのは、連絡すると言ったハルヒの呼ぶ声で分かった。
通信が終わった彼女は慌てて出ると、世話係のウィルが変わらずに出迎え「今日もお疲れ様」と労わってくれる。
なんだかそれが申し訳なくて仕方がない。そう思った彼女は、徐々に意識を失う様に倒れ熱を出してしまった。




