第270話:義妹の存在
キールが無茶をする前の事。
ディルバーレル国のドーネル王は目を覚ます。しかしその表情に、いつもの覇気はない。
「……また、だな」
目を閉じれば誰かの声が聞こえる。
少女と青年の2人が、自分の名前を呼んでいる。だが、自分の妹と弟達は既にこの世に居ない。
「誰なんだ……君達は」
ポツリと零す声に答える者は居ない。
もうすぐ夜が明けようとしている頃、カーテンを開ければ見える空は虹。これを見ると無性に、探さないといけない気がしてくる。
その正体も、分からない筈なのに。言い表せない不安が彼を包んでいる。
「……」
彼は今日もある物を見る。
1枚の紙に書かれているのは、ドーネルとアサギリ レイナと言う名前。そして、レイナの後ろに続くのはディナ・バーレル。
それは、その者がドーネルの義妹だという証明のもの。
自身の筆跡である事は、書いているからこそ分かる。だが、その者の姿がはっきりしない。この気持ち悪さをドーネルは日々味わっている。
だからこそなのか、彼ははっきりとさせたい気持ちが強かった。
「またですか」
「……そうだよ。気になり過ぎて、執務もまともに出来ない」
「やらないのはいつもの事では? これ、追加ですのでお願いします」
容赦ないギルティスの追い打ちに、ドーネルは無言で睨む。
執務は確かに苦手だが、王となった以上はそうは言ってられない。しかも、幼馴染であるギルティスからは慣れるようにと運ばれてくる量が凄い。
たまに抜け出しては、騎士団長のグルムと木刀での打ち合いを始める。
口では「俺に面倒を押し付けないで下さい」と文句を言いつつも、ドーネルに付き合う辺り彼の性格の良さもある。
そして新人の騎士達と談笑をしながら、共に訓練なんかもしたりしている。
そうなると高確率で、ギルティスが怒鳴り込んでくる。
「何度言えば分かるんですか、このダメ王!!!」
「そこまで言う?」
「言いますよ。書類整理も含めて、なにかと逃げてはこうして体を動かして。息抜きも程々にお願いしますよ。正し、やり過ぎは注意して欲しいものです」
「……お前は私のお母さんか何かか?」
「貴方が、やらない仕事を誰が引き受けているんですか!? 言ってみてくださいよ」
「そりゃあ――お前だな」
昔から口で勝てた事はない。
笑って謝るも、首根っこを掴まれてそのまま引きずられていく。グルムが新人達に「また明日も来るだろうから」と相手を頼むような声まで聞こえて来る。
そして、再び缶詰にさせようと執務室の前に連れて来られ――中に居た人物がため息交じりで「またですか」と出迎える。ピンク色の髪に、水色の瞳の女性の名はスティ。
「スティ……」
「もう少し我慢を覚えて欲しいです」
「すまん。どうにも我慢が」
「ギルティスを困らせるのも程々に」
「はい……」
魔道隊に所属していた彼女は、今ではドーネルの妻であり王妃だ。
幼馴染みと言うのもあるが、彼女はギルティスと共にドーネルを支えて来たというのもある。その時の事を思い出すとふと、自分を呼ぶような声が聞こえたような気がした。
「ドーネルさん」
「うっ。お、お義兄様?……えっと、もう少し待って下さい。全然慣れないです……」
「む、無理ですっ。強制的に呼ばせようとしないで下さいっ。キールさんが睨んでくるんですよっ!? それだけじゃないです。ユリィも何だか怖いしっ」
その時、ドーネルの頭の中で声と姿がはっきりとしてきた。
彼女が呼んだユリィと言う人物は、ラーグルング国の王族でありヘルスの弟。そして、恥ずかしそうにドーネルの名を呼んだ少女は――異世界人で、ディルバーレル国を救ってくれた存在。
「そう、だ。思い出した……。何で、どうして今まで私はっ……いや、私達は」
「ドーネル?」
「スティ。朝霧 麗奈ちゃん。彼女の事、何も思い出さない!?」
「え、はい……?」
「ギル、君の方は!?」
「な、にを、言って……」
戸惑う2人は、ドーネルの言葉を聞いて互いの目を見る。
何かおかしな事を言っている。そう思うのに、2人は咄嗟にその言葉が出てこなかった。
指摘されたからではない。前から感じていた小さな違和感がありつつも、思考がぼやけてくる。考えるのを拒否している。だから、思い出すべきではないのではないか。
いつの間にか、そんな支配に置き換えられ――2人は無意識の内に、思い出そうとするのを拒否していた。
「「っ!?」」
ズキリ、と強烈な頭痛がスティとギルティスの2人を襲い思わず膝をつく。
ドーネルが反発によるものだと思い、咄嗟に麗奈から貰った魔道具を取り出した。
「頼む。麗奈ちゃんとユリウスを見付ける為に、必要な事なんだ。邪魔をしないでくれ!!!」
麗奈が込めた魔道具の願いは生き残る事。
試しに作った魔道具で、ドーネル達は命を救われた。また縋る形になって申し訳ないと思うが、それでも実行した。
相手は分からないが、何故だか自分達の記憶から麗奈とユリウスを隠そうとしている。
それが無性に腹が立ち、同時に思い出す。これまでのヘルスの行動を。
彼は誰かを探し続けている。
今も、虹の空がある場所へ。ドラゴン達も彼に協力しているのは、彼等はこの事態を知っているからなのか。
ドーネルが今思い出した麗奈とユリウスの2人と、ヘルスが探し出そうとしているのが誰なのかもはっきりと分かった。
――バキン、と。
麗奈が作りドーネルにお礼として渡した物が壊れ、スティとギルティスが意識を失くしたように倒れる。すぐに2人を運ぶ手配と他に変化が起きた者が居ないかなどの確認を急ぎ、ドーネルは城中を駆け回った。
「じゃあ、何とか思い出せたんだね?」
「あぁ……。だが、誰がこんな事を」
「大規模な魔法と言うには、あまりにも範囲が広すぎます」
「我々は、恩人である2人を忘れるなんて……。何がどうなっているんです」
ディルバーレル国の魔道隊は、ラーグルング国のキールにより鍛えられた。
だからこそ、彼等もこの欠如が魔法によるものだと分かる上に同時に思い出した。異世界人である麗奈とラーグルング国のユリウスは、この国を助けてくれた大恩人。
そんな人物の事を自分達は忘れた。いや、忘れ去られたといった方がいい。
個人の干渉ではなく、大人数の――それもこの国だけに起きたものではない。
この影響は、ラーグルング国と同盟を結んだニチリ、ディルバーレル国、ダリューセクに起きていると思っていい。そう判断したギルティスは、すぐに同盟国へと連絡を繋げ確認作業へと入る。
そして、その隙にとばかりにドーネルは国を出た。
(こうしちゃいられない。麗奈ちゃんとユリウスが居ないなら、探し出すしかない。ヘルスが起こしてた行動が2人の為なら協力するのは当たり前だしね)
ギルティスが戻った時には、ドーネルが居なくなっていたと国内で大騒ぎになった。
スティはこの行動に、麗奈の為に起こしたものだと分かり同時に諦めもついていた。
「彼は、あの子の為に行動を起こした。ギルティスもそれが分かっているでしょ?」
「だからって、国を出るバカが何処にいる!!! あのバカ、逃げられると思うなよ!? ラーグルング国しか頼れる所がないのは分かってるんだ」
鬼の形相で、指示を出すギルティスにスティとグルム団長は「抜け出すのは前から得意だし」と結論付け仕事に戻る。ドーネルの居ない穴をスティが埋め、グルム団長は国境の警備を含めた辺境伯への協力も合わせて行う。
ギルティスにより、ドーネルの居る国がラーグルング国である事はすぐにバレた。
連れ戻す様に頼んだ事を受け、ヘルスとイーナスは追い出そうとした。が――
「絶対に嫌だね!!! 義妹の幸せの為、ユリウスの為に行動をしてるんだ」
「は?」
「あ、ヘルス。待て!!」
イーナスが止めるよりも早く、ヘルスはドーネルの事を攻撃した。
キールがその事を知るのは、目が覚めてからな上にランセも何処か呆れた様に言っていた。
「ちょっと待てドーネル。今の発言、どういう事だい?」
「どうもこうも、麗奈ちゃんとは義兄弟の契りを交わしてて――」
「何でそうなんのさ」
「あの人、自力で破ってきたの? うわ、こわっ」
ドーネルは、キールの様な無茶はしていない。
だが、その突破口を想像したハルヒは心の中で(れいちゃん、逃げろ)と思わずにはいられない。密かに彼等の会話を聞いていた魔王ギリムは、静かに微笑んだ。
「予想外な出来事が続くとは……。それ程の影響を与えた人物を、消すのは簡単な事じゃないな。くくっ、今頃慌ててるだろうな」
「あまり遊ばれますと、こちらにも影響が出ますがいいのですか?」
ギリムの背後にすっと現れた男性はそう苦言する。
「これは遊びではない。恩返しだ」
「……あまり留守にされると、魔界も大変なのですが」
「右腕と言うおまえが居るだろう?」
「……」
つまりは、ギリムの居ない間はこなせという事か。
チラリと見ると何とも楽しそうな表情をするギリム。こんなに楽しそうにしているのは、何百年ぶりかと思いつつ諦める事にした。
「確認です。暫く戻らない、という事で?」
「あぁ。彼等が探している者達を見付ける手伝いをする」
「既に見当はついているのに、ですか?」
「場所は分かっても手が出せない。突破口を彼等が見つけてくれるか、向こうが自力でどうにかするかの違いだな」
「一応はこなします。ですが」
「分かっている。お前の好きなように動き、好きに過ごせばいい。お互いの干渉はしない契約だ」
念を押された言葉に、少しの間だけ思案する。
「こちらでも分かり次第、ご連絡はします。……どう使うかは、主様にお任せしますので。失礼します」
そう言うと、ギリムの影へと溶け込み姿を消した。
部下を困らせる気はなかったが、思いのほか楽しんでいる自分が居る。そう自覚したからか、ギリムは騒ぎ立てるヘルス達を聞いて昔の事を思い出す。
それは、彼がある女性と出会い、国を作った時の事。
まだ力がなかった自分が、助けられずに散った者の事を思い出す。止めを刺したのは、原初の大精霊アシュプ。
仕方がないとはいえ、あの時にもっと出来た事があったのではないか。
その時の事を思い出すも、今のギリムに出来ても昔は出来ないのを痛感してしまう。
「未来は繋げられる。……お前の子孫がやった偉業は凄いものだ。そうだろう、優菜?」
もう居ない女性を想う。最初に来た異世界人であり、世界を滅ぼしかけた者としてこの世に伝えられている朝霧。
ドーネルのやった義兄弟の契りを結んでおけば良かったか?
その選択を考えられない程、あの時の自分は視野が狭かったのだと後悔した。




