第259話:異空間での戦闘
体が重く何かに引きずり込まれている感覚はあった。
だが、動けない。抵抗するという思考すら、今の麗奈には出てこない。
「……」
それでも、僅かに記憶を辿る。
自分の傍に居た大精霊フェンリル。あの毛並みの美しい狼も一緒の筈だと思った。
「諦めろ。奴なら居ない」
「……!!」
すぐ目の前に聞こえる男性の声。
そして、見覚えのある朱色の瞳に相手が誰なのかを知る。魔王サスクール――朝霧家を苦しめ、先祖でもある優菜を傷付けた元凶。
母親を死に追いやり、麗奈を器としつて狙い続けている。
ユリウスと同時に放った魔法だけでは倒せなかった。
アルベルトがギリギリまで抑えてくれたというのにだ。悔しい気持ちで一杯の筈なのに、その思考すらも今の麗奈には厳しいものになっている。
「答えたくても答えられまい? 本来なら使いたくないものだが、確実に手に入れる為だ。あぁ、本当に忌々しい――デューオめ」
自分ではない何かを睨んでいる。
そう分かっているのに、意識と思考が段々と失われていく。
「邪魔が入る前に急ぐか」
「!?」
視界に映るのは黒の世界。
しかし、目の前に居たとされる男性が突然の気化。同時にゾクリとした嫌悪感が、言い表せない何かが麗奈の体へと這う。
(い、嫌……!!)
自分が自分でなくなる。その感覚を麗奈は1度味わっている。
殻に閉じこもり、それでも意識をギリギリまで削り抵抗したのは、サスクールに乗っ取られない為の自己防衛。
だが、1度味わった時とは違う嫌な気分が麗奈を襲う。
どうにか抜け出せないか。必死で思考を巡らし、意識を保とうとする。その頑張りを嘲笑うかのように思考を削ぎ、意識を削ぎ、抵抗を次々と削いでいかれる。
「う……あ……」
思わず目を閉じたいと思った。
この気持ち悪い光景を目に焼き付けたくはない。
そう思ったからか、または全てを飲み込もうとしたからか青白い炎が麗奈から発火する。
「ぐっ、それは……その力は!!!」
「あれ……」
その炎から逃れるサスクールは距離を置かれ、今まで喋れなかった筈の麗奈は普通に喋れている。その変化に驚いているが、同時に何が自分を守っていたのかが分かった。
(サスティスさんの……彼の力だ)
――頑張ってね?
そう言って死神サスティスは、麗奈に力を託して消えた。
彼の力は、この中でも通用する。そう実感すると、神様の使者と言われれば納得だ。
「麗奈!!」
《フキュウ!!》
彼女の目の前に虹の柱が割り込む。
同時に支えられた体に、声に安心し思わず涙ぐんだ。
「ユリィ……」
「大丈夫か!? すぐに追ったんだけど、見失って。ザジが案内してくれなきゃ、もっと時間が掛かってた――って」
説明をするユリウスは、遅れた事への謝罪もしてたが麗奈が抱き着いた事で中断する。
そして、強く抱きしめられるのと同時に感じた。
(震えてる……?)
麗奈は弱さを見せない。
母親が亡くなったからか、我慢も多くなった。しかし今の彼女は、ユリウスが思っているよりも弱かった。
自分が生まれなければ良かったと言ったあの時。
麗奈は味方でいると言った。その言葉で、どれだけ助けられ、力をくれたのか。
「大丈夫だ。俺も居るから」
「うんっ……うんっ……!!」
ただ強く抱きしめ返す。自分にしてくれたように、あやすように背中を叩く。
「悪い。いつも遅れて……」
「ううん、そんな事ない」
「怖かったんだろ。乗っ取られそうになったんだよな」
「……うん」
どう答えるか迷ったが、麗奈は正直に答えた。
あと一歩。あと一歩遅れてしまえば、自分は完全にサスクールに乗っ取られていた。その事実に恐怖し、ユリウスが助け出した事で安堵した。
《……キュウ~》
「ん。君もありがとう」
スリスリと麗奈の頬を擦るのは、白い子供のドラゴンだ。
心配そうに泣き、麗奈の周りを旋回しては不安げに見つめられる。お礼も込めて頭を撫でるも、いつものように嬉しそうには鳴かない。
それだけ心配していた、と言うのが分かり申し訳なくなる。
と、そこで気付いた。自分が燃えている事実を思い出し慌ててユリウスに聞くも彼はケロリとしている。
「だ、大丈夫?」
「平気だ。多分、その死神の力は麗奈を守る為に発動したんだろ。敵意がない相手には効かないと思う」
「そ、そっか……。良かった」
麗奈と共に引きずり込まれたフェンリルの姿がない。
不安げに周りを見るも、ユリウスが放った虹の光はあくまで2人を包める範囲にしかない。その先は黒に染まった世界が広がるだけだ。
「フェンリルさん……」
《……ぐ……》
その時、苦し気にしながらもヨタヨタと歩いてくる影が見えてきた。
警戒するユリウスに声をかけたのは、大精霊ガロウ。今の彼は、黒い狼ではなく結晶体から声を発した。
《あれはフェンリルだな。……けど》
「あぁ。様子が違うな」
麗奈を引き寄せ、離さないでいるユリウス。
ガロウの言う様に影の正体はフェンリルだ。しかし、彼の体は半分が既に黒く染め上げられ牙を剥き出しに目が血走っていた。
《ぐ……くぅ……》
「フェンリルさんっ」
「ダメだっ。様子が違い過ぎる」
《にげ……ろ……》
「フェンリルさん?」
意識はあるが、先程までヨタヨタと歩いていた体からすっと立ち直る。
その不気味さにユリウスの中で危険だと判断。黙って精剣を向けていると、フェンリルはニヤリとした。
《ガアアアアアッ!!!》
「ダメっ、フェンリルさん」
真っすぐに襲い掛かるフェンリルに麗奈は制止を試みる。
しかし、そんな彼女の行動を前にユリウスは迷わずに剣先を向けた。放たれる氷の魔法を受け止め、巨体となって襲い掛かる。
「ぐっ、なんだこれ……」
受け止める中で、氷の刃がユリウスの頬に掠る。
全身から魔力と体力が抜かれていく感じに必死で抵抗し意識を保とうと、自身の腕を軽く傷付けた。その痛みとは別に、強烈な激痛が彼を襲う。
《おかしい。フェンリルから闇の魔力だと……!? いや、浸食か》
「ぐ、ブルーム!!」
《許せよフェンリル!!!》
ガロウがフェンリルの変化に気付き、ユリウスはすぐにブルームを呼び出す。
一方でサスクールの攻撃がない事に不思議に思う麗奈は、ザジが必死で止めているのを見付ける。
「ザジ!!!」
「こっちは止めておく。先に精霊の方を止めろ!!!」
《キュ》
虹の光から出ないように白いドラゴンに言われ思わず止まる。ユリウスの方を見れば、彼の周りには虹の光が纏い鎧のように守っている。
「もしかしてユリィを、守ってるの?」
《フキュキュ》
頷きユリウスの方へと飛んでいく。
ブルームが自身の巨体を生かし、フェンリルを抑えつけている。暴れる力が強いのか、抑えられるのも時間の問題だと言う。
《小僧、止めを刺せ》
「分かった!!」
悪いと心の中で謝りつつ、フェンリルへと刃を向ける。
そして一瞬だけ、暴れるフェンリルの動きが止まる。ハッとしたユリウスは、彼の最後の抵抗だと読み苦しまずにしようとした。
「あ」
《キュウイ!!》
首をはねられる瞬間を見たくなくて、麗奈は手で目を覆う。
少しした後、恐る恐る手をどける。と、そこにはユリウスと同じく虹の光に包まれたフェンリルの姿があった。
《な、に……? これは一体》
「だ、大丈夫ですか? 気分とか調子とか……」
《平気だ。しかし、何でこんな事が》
ポスン、とフェンリルの頭の上に降りて来たのはあのドラゴンだ。
そしてユリウスに向けてドヤ顔を披露し、全身で褒めろと言わんばかりのオーラを出す。
「……すぐに調子に乗るから嫌なんだが」
《キュアッ!? キュ、キュウ~》
「わ、分かった。今回だけぞ?」
やらなければ、しつこそうだと思ったのか軽く撫でるだけにした。
それだけだというのに、凄く嬉しそうに羽をパタパタと広げ大喜び。調子が狂うと思いつつ、急いで麗奈の元へと戻る。
「良かった……。フェンリルさんが無事で」
《咲に任されたのにすまない……。だが、今ので限界だったな》
悪いと謝るフェンリルは、ガロウと同じく結晶体へと変化。そのまま、麗奈の元へと向かい彼女の中へと入っていく。
「今の……」
《召喚士は麗奈だけたからな。ついで抵抗力を上げてんだ。ここは、ただの異空間って訳じゃなさそうだし》
「異空間……?」
「精霊の作る領域の感じでもないしな。けど、この感じは」
「呪いの空間だ。お前はその柱の光から出るな。絶対にだ」
ユリウスの疑問に答える形で、ザジが2人の傍まで戻る。
黒く染められた空間は、先程のサスクールが言うように特別製。だが、ザジはそれとは別に異質な力も同時に感じ取れていた。
「……お前、誰と組んでいる。何でこの中に異界の神の力がある」
「え」
「異界の神?」
ザジの確信を突いた質問に、サスクールは舌打ちをする。
麗奈とユリウスが、虹の柱に留まっていると周りからヒタヒタと何かが近付いてくる音が聞えた。警戒を強めたユリウスは双剣を握る手を強くし周囲に目を配る。
見えるのは塗り潰された黒い空間。
だが、うめき声が聞こえたかと思った瞬間――泥を被った人型が張りついてきた。ドロドロとした手足を持ち、目があると思われる所は真っ黒で見えない。
黒い人型は、柱を壊そうと次々と迫りくる。
その勢いにギョッとしたユリウスと麗奈。2人の不安を消す様に、白いドラゴンの子供が咆哮をし、それらを白へと塗り替えて浄化していった。




