第218話:気付かないフリ
ヘルスが来てから3週間が経った。
その間、家事や洗濯をこなすヘルスにゆきは対抗心を燃やしている。
祐二もヘルスが気に入らないので、2人は協力しているという図が日常がなりつつあった。
そんな中、麗奈は体調が良くない日が続く。
「風邪ですね。お母さんを亡くなられ、気丈に振る舞っていたのでしょう。よく休んでしっかり寝る。大変かと思われますが」
「いえ。ありがとうございました」
玄関先では父親の誠一と医者が話をしていた。
日曜日の昼に麗奈が倒れ、病院も休みで診察が出来ない。だがかかりつけ医であり、浄化師を引退した彼は誠一の急な願いにすぐに応じてくれた。
「怨霊の可能性もない。だが……」
「何か不審な点でも?」
つい小声で話すのは敷地内であり、この場にゆきが居ないのもあった。
医師は周りに人が居ないのを確認し、誠一に思った事を話した。
麗奈が倒れたのは風邪なのは間違いない。
だが、それとは別に生気が少しずつ抜かれているような気もするの言うのだ。
怨霊が狙うのは生気。
羨ましいと思うのは、生きているからだ。理不尽に死んだ者の中には、それが恨みに積もり積もった事で危害を加える。その事例は幾つか報告があったし、陰陽師が積極的に倒している理由だ。
「怨霊じゃない気配が纏わりついている感じがする。だが、それも一瞬だけで気のせいかも知れないが」
「……そうですか。武彦さんと気を付けて様子を見ます」
「それで。前々から決めていた事を行うんだろ? 大丈夫か」
「えぇ」
この医者は誠一達のやろうとしている事を知っている。
なんせ彼も麗奈の霊力を封じるのに協力しているからだ。事情も含め、彼女の今後を思えば難しいが少しでも希望を失う訳にはいかない。
実際、成長していく過程で霊力が衰えていくと言うのも珍しくない。
麗奈がこのまま成長を続けるのか、衰えていくのかは正直に言えば賭けに近い。
「ま、お互いに協会に気を付けておかないとな。……君の所の家も、色々とあるだろ」
「来るなと言って殴っておきました」
「おいおい……」
呆れつつも、誠一ならやりそうだと思ったと言い笑われる。
別れ際に封印用の札を渡し、足りなくなれば遠慮なく言うようにと帰っていった。誠一は、彼の姿が見えなくなるまで頭を下げた姿勢のまま見送った。
(……霊力とは違う、何か。そう言えば、前よりも疲れている感じ見えたな)
母が亡くなってから、麗奈もゆきも気を張っていた。
自分は平気だと言わんばかりの態度に、誠一だけでなく九尾達も気になっていた。清は分かりやすく、耳をシュンと折り曲げ『ぎゅーっとしてくる』と言い何度も2人を抱きしめていた。
2人はそんな清の気遣いを不思議に思う。だが、よく寂しいと清か九尾と共に寝る事が多くなる。
「誠一さん。お医者さんは何と言っていましたか?」
「ん。あぁ……」
ヘルスにそう質問され、誠一はすぐに気を取り直す。
生気以外の何かを奪われているかも知れない。そんな不可思議な事に、ヘルスを巻き込むわけにはいかない。彼は自然とそう動いていた。
「風邪だから、今日はゆっくりと休んでおくようにと言う事だ。夜に確認して、難しければ明日の学校は休ませるさ」
「そう、ですか……。お手伝いする事とかありますか?」
「大丈夫だ。もしもの時には言うから、ヘルス君もあまり無理しないでくれ」
そう言って誠一は玄関を出る。
風邪と言ったが嘘ではない。だが、彼はヘルスを巻き込むのは何かが違うと思っていた。
慣れない世界に来て、普段しない事をする。言葉も習慣も文化も違う。自分の常識が通じない世界に来たヘルスの負担を、少しでも減らそうと考える。
(今日の怨霊退治は俺だけで行き、武彦さんにはもしもの場合に備えて待機して貰った方が良いな)
そう考えていた誠一の前にすっと姿を現した九尾。
じっと見つめて来る視線に、誠一は「どうした」と聞くもずっと黙ったままだ。
「九尾?」
『主人、あんまり抱えるなよ』
「あぁ。無理する訳にもいかないしな」
『なら良いけど……』
言葉でそう言いつつも、九尾の尻尾は拗ねたようにクネクネと動かしている。
その態度に苦笑しつつ頭を撫でる。その後、九尾に今の話をしている時にヘルスが追って来るのが見えた。
すぐに会話を打ち切る誠一に、九尾はすぐに察し『どうした~』とワザと気の抜けた質問をした。
「えっと、やっぱり落ち着かないので……」
「そう言うがな。ヘルス君も色々とした準備をして疲れただろう。休んでいて良いんだよ」
この世界に来てからヘルスは魔法を行使していない。
自身の魔力の残りを把握したいからか、あるいはあの時に使えたのは奇跡なのかも知れない。もしかしたら、再び使えるように練習している可能性もある。
そうでなくても、慣れない世界であり彼にとっては初めての体験ばかり。
気付かない間に疲れが蓄積している場合もある。病人である麗奈の世話をして、ヘルスまで病気にかかる可能性もあった。
だから、今は彼に負担になるような事は避けよう。誠一はそう思い、ヘルスに休むように言う。しかし、本人は休んでいる言っており何か出来ないかと聞いてくる。
「んーー。なら怨霊退治にでも来るか? いつもは武彦さんとで組んでいるが、たまに外に出ないと息が詰まるだろ」
「え、でも」
予想外だと言わんばかりのヘルスに九尾も同じ反応をした。
しかし、そこは長年パートナーを組んできた彼だ。すぐに誠一の言いたい事が分かり、静かに頷きながら『俺もいるし気にするな』と乗り気だ。
「……裕二さんに怒られますよ?」
「別に怒りませんよ。行ったら良いじゃないですか」
「えっ」
そこには呆れ顔の裕二が居た。ヘルスは彼から嫌われているのを知っているし、そうされる理由も理解していた。
だからこそ普段から挨拶はしても、裕二からは返された事はない。しかし、麗奈に言われてしまった事がある。
いつまで拗ねているのか、と。
(分かってる。僕の態度が子供っぽいのは。麗奈ちゃんは母親の死を乗り越えようとしているのに、僕は一向に態度が悪いまま。このままではダメなのは分かってるんだ……)
自分が麗奈の年齢だった時、そこまで強くあれただろうか。
本当なら泣いて良いし、無理に笑う必要もない。だが、麗奈は言っていた。悲しいけれど、世の中には自分のように早くから親を亡くしている人も居る。
理由は様々だ。
だがその中でゆきや裕二のように、怨霊の所為で親を亡くす人もいる。そんな悲しみを少しでも少なくしたい。だから、ここで自分が立ち止まる訳にはいかないのだと言っていたのを思い出す。
「はい。これは誠一さんの竹刀に、浄化が出来る術式を組みました。剣が得意なんだから、これで誠一さんを守って下さいよ」
「え、あ……どうも」
殆ど押し付けるように竹刀を渡す。戸惑いながらも受け取るヘルスは、未だにキョトンとしている。思わず助けを求めるように、誠一へと視線を向ける。しかし、彼はその様子を見守るだけで助ける気はない。
「ほら、麗奈ちゃんの事はこっちでちゃんと見ています。貴方はさっさと怨霊を退治して、早く戻ってきてくださいよ。向こうで魔物とか言う化け物と戦ってたんでしょ? 誠一さんに怪我をさせたら許しませんから」
『おいおい裕二。俺が居るのに怪我させると思うのか?』
「何事も一応ですよ、九尾さん。それに誠一さんと手合わせも出来てるんだから、鈍ってはいないと思うんです。その辺はどうなんです、誠一さん」
ヘルスは自身の居た世界で、魔物と呼ばれる異形と戦ってきた。
剣術も自国の宰相や騎士団と何度も手合わせをしている。確かにヘルスはそう説明をしたし、実際に誠一の相手もしている。
誠一が扱う刀に見立てた竹刀。最初は扱いづらかったが、それも何度も手合わせをしている内に慣れて来る。そうなるとお互いの剣筋の違いも気付けるし、ヘルスの立ち回りも知る事が出来た。
裕二も何度か誠一と手合わせをしたが、容赦がなく一方的に負けていた。が、ヘルスの場合は違った。彼は最初こそ慣れていなかった。元々、飲み込みも早いヘルスだ。王族としての仕事も含め、時には魔物退治をしてきた。
そうした経験から、早い段階で誠一を相手に隙を突けるようになった。
そして誠一の方も張り合いがあるからと、割と本気で手合わせをしているのも日課になりつつある。
「実力があるのはハッキリしてるんです。安心して任せられますよ」
「……わ、分かりました。ありがとうございます」
そっぽを向く裕二に誠一は心の中で照れくさいのだろうと思った。現に九尾が『くくっ……。面白れぇ~』とニヤついている。この分なら、仲良く出来るのも時間の問題だろう。そう誠一は判断し、ヘルスと共に怨霊退治へと出掛けて行った。
その日、麗奈は軽くうなされていた。
武彦が水枕を変えている間、ザジはそっと麗奈へと近付いている。こうして見守る事しか出来ない。それがどんなに歯がゆく、どうしようもない位に悔しいのだ。
「ザジ……? 居るの?」
「ニャー」
うなされていた麗奈はそっと目を開ける。
天井が見え、次に声がした方へと動かそうとする。だが、思った以上に体が重くて苦しい。心配しているザジに申し訳なく思うと、肩の辺りに気配があるのを感じた。
すぐに分かった。
ザジが寄り添っているのだと。
「ごめんね。怒ってるよね……。一緒にいれなくて」
「……」
「でも大丈夫。もうすぐ、もうすぐ……ヘルスお兄ちゃんの事、帰せるから。だから……」
そうしたらまたずっと一緒だよ。
そう言った麗奈にザジは思わず目を見開く。彼女に気付かれているとは思わなかったのだ。ヘルスが来てから、構うようになった麗奈にザジはずっと怒っていた。
麗奈の「大丈夫」と言う言葉に、ザジは心の底から安堵した。
気に入らない奴がもうすぐ帰る。それは彼にとっては嬉しい事であり、また穏やかな日常がやってくる。
だから気付かなかった。
ザジは本能でそれは危険だと分かっていたのに、彼は麗奈と居れるからと気付かないフリをしたのだ。
彼女を苦しめているのが、ある夜に関わった得体の知れない存在である事。
サスクールと名乗った存在であるのだと。




