第216話:分かり合えない兄弟
嫌な感じが纏わりつくからか、ヘルスは落ち着かないでいる。無意味に家の中を歩き回り、時計を確認してはあとどの位で誠一達が戻るのだろうと考えてしまう。
見られたかも知れない。
知り合いだとしても、誠一達が招いた記憶はない。ヘルスが来てからなのか。もっと以前からそうなのか分からないが、この家には他人を招いたような事はなかった。
(どうしよう。もし、私が見られた事がきっかけで……)
焦る気持ちが湧き上がり、居ても立っても居られない。
往復すればする程にザジが一緒に付いて回る。時々、鳴いてきてはいたが麗奈のように甘える様な声ではない。
ただ、無視するなと訴えかけているような気もした。
深く考えていたからなのか、随分と時間が経っていた。玄関から「ただいまー」と元気な声が聞こえ、ハッとしたヘルスは慌てて出迎えた。
「誠一さんっ!!!」
「ヘルス君。一体、どうしたんだ」
「あ、その……。えっと」
すぐに伝えたかったが、まだ麗奈とゆきが居る。2人が居る前で話せない事でグッと我慢する。そんなヘルスの様子に誠一は「ちょっと待て」と言い、手を洗ってからすぐにいつもの着物に着替えている。
そうしている間、麗奈もゆきも家の中で着る服に着替えザジに構う。だが、彼はそれを回避しヘルスの傍を離れようとしない。
「あ、ザジ……」
「ヘルスお兄さんの事、気に入ったんだね」
「ウミャミャ」
違うと声を上げるも、それすらも気に入られたんだと勘違いされる。自分はこの男を見張っている。変な事をしたらすぐに対処をする。
そう訴えるも、麗奈とゆきに分かる筈もない。ちょっとふてくされる2人に、裕二が相手をするように奥へと促した。
居間に行けば既に武彦も着物を着ており、傍には清がおり軽く手を振っている。
麗奈とゆきが来ないのを確認し、ヘルスは誠一と武彦に少し前の事を話した。
家の中に入ろうとしている人がおり、強硬策として霊獣を用いた事。そして、帰り際に自分の姿と目を合わせた可能性もあるのだと話した。
「……そうか。既に動いていた、か」
「すみません。外を見たばかりに……」
「いや、むしろ知らせてくれてありがとうね。結界を前もって強くしておいて正解だ。居ない間に入られたらそれこそ危ないんだし」
「外を見て来ます。アイツが来たら追い返す」
「うん。頼むね」
怖い顔をしたままの誠一はそう言い残して足早に出て行く。
その様子が気になったヘルスは心当たりがあるのだろうかと聞いた。最初はどう答えようか迷う武彦だったが、すぐに話してくれた。
誠一の名字は井波と言う。
霊力が強かったのはもう昔の話。彼には兄がおり、当主として選ばれるのは兄と決まっている。
親族達の期待は、兄に向けられる。それに、対し誠一は特に悔しいとも怒る事もなく、自分の出来る事を探しては修行をしてた。
そんな兄弟に亀裂が入ったのは、霊獣との契約だった。
誠一は九尾を。兄の成明は牛鬼と契約を交わした時はまだ気付いていなかった。弟の契約した九尾がとんでもない力を持っていたのを。
「成長している、って事?」
『ん? あー、別に成長じゃねぇよ。契約当初の時、俺は気分が悪いかったんだよ。嫌な奴に封印さてたし、そのイライラもあって主人の事は様子見だったんだ。同じであれば、従う必要なないなって感じで』
「話しを聞いただけだが、その時の九尾はかなり警戒心が強くてね。力も殆ど使っていないに等しいんだ」
「……不思議な感じですね」
ヘルスはそう言い、すっと手を出しては九尾を撫でる。
優しく触れ、今の自分には見えている事と不思議な手触りがある。フワフワとしているのに、実際に触れているような感じには思えない。
彼は魔法を扱うからか、霊力とはまた違う力を持っている。そういった関係性なのか、九尾にも清にも触れても目の前にいるが、どこか居ない感じに思えるのだ。
『ふんっ、撫で方が甘いな。嬢ちゃんに教わって来いよ!!』
「あはは。かなり手厳しいね」
『当たり前よ、ヘルス君。九尾は麗奈ちゃんの事が好きすぎるのよ。だから判定が甘いのは麗奈ちゃんだけ。あとは厳しいもの』
『なんでそうなる!!』
言い合いを始めた2人にヘルスも、ふっと気が抜けていく。
自分の失態で迷惑が掛かったのかとも思い、隣を促す武彦に従い座る。そして、彼は喧嘩を始めた2人を見ながら小声で続けた。
「本人の言うように、警戒していたし全ての陰陽師は同じだと思っていた。だが、誠一君は真摯に九尾と向き合い、無視されてもずっと話しかけ続けて来た」
そうした諦めない誠一に、九尾は観察していく中で気付いた。
コイツは自分を封印した陰陽師と違うのかも知れない。全て同じと言うには、まだその決断は早すぎたのではないのか、と。
その間、兄の成明は契約した牛鬼と怨霊退治に行き成果を上げて来る。
誠一も九尾とそれなりに怨霊を退治してきているが、周りの評価は兄へと向けられる。だが、怨霊が大量発生し続けた時があった。
媒体にされたのが同業者の陰陽師であり、既に死んでいる。だが、怨霊達はその体を使い無尽蔵に近い霊力を放出し続けた。
「基本的に、霊力は怨霊にとっては食料なんだ。だから、霊感が強くて死んだ者の霊が見える人が狙われやすい。簡単に力を上げられるし、陰陽師の様に警戒心が強くない。聞いた所によれば、その陰陽師は禁術に失敗した成れの果てだ」
生への渇望と陰陽師への憎しみ。
溢れて来る怨霊に成明も、誠一も太刀打ちが出来ない。諦めかけた時、九尾の真の力が発揮された。
普通の狐の大きさだったのに、みるみる内に体が巨大化し乗っ取られた陰陽師もろとも葬り去ったのだ。同時に発生していた怨霊も消し飛ばし、暗闇で満たしていた空が一瞬の内に綺麗な夜空へと変わる。
「信用をしなかった陰陽師だが、誠一君には信頼を寄せていたんだろう。九尾はやられるかも知れないと思った時には、自分の力が爆発的になったと言っていた」
「もしかして、それが原因で……」
「そうだ。九尾が良かれと思って起こした行動が、兄弟の間に溝を入れるきっかけになったんだ。何故、巨大な力を持った九尾を兄ではなく弟が持ったのか。当主は長男、長女が継ぐものという古い考えがあるからね」
期待をされていたのに、実際には弟の方がその可能性を秘めていた。
誠一は怖くなったのだと言う。手のひらを返したように、周りから期待を求められる事に。削れていく精神の中、彼が出会ったのは自分に一目惚れをしたと言う女性――由佳里だった。
「娘はほら……。1度、決めた事にはやり抜くし結構強引でね。お見合いをしたその日に、誠一君を連れて来て、お父さんこの人と結婚する!!! と言った日には、驚きすぎて転んだものだよ」
「……それ、は、その……。想像がつきます」
そうではないと答えられればいいのだが、実際にヘルスは由佳里の元気でに振り回された経験がある。武彦も気分を悪くするでもなく、逆にそうだろうと言う位に予想がついていた。お見合いで由佳里と会い、翻弄されていく中で段々と好きになっていく。
婿養子として行けば、井波家から出て行ける。
誠一には、兄からのプレッシャーと変に期待を押し付けて来る両親に対して嫌々になっていた。少しでも環境を変える行動として、誠一の決断するのに時間は掛からない。
「だから誠一君は警戒している。自分の娘に、誠一君の家族が関わっていく事にね」
「……。話し合いでは解決出来ない程に、拗れているんですね」
「争わいならそれに越した事はない。いずれこうなるのは予想していた。君も必要以上に自分を責めるなよ」
「はい。ありがとうございます」
ヘルスがそう返したのをザジはじっと見ていた。
そして、ふと誠一の事が気にかかり外を見て来ると言っていたのを思い出す。今、追えば間に合うかもしれない。
ヘルスの監視はまだ続けたいが、あの時の誠一の目はかなり怖かった。それが気になったザジは、そっと抜け出して後を追う。
夜になる少し前。
茜色が段々と暗くなり、時間帯は夜へと移行する。家の外を周り、異常がないのを確認した誠一は戻ろうとしてピタリと止まる。
「いつまで隠れているつもりだ」
「隠れているつもりなどないがな」
瞬間、2人の間に火花が散る。
お互いに作り出した霊力での刀。相手の急所を突くように、足を止めようと鋭く放たれる斬撃。周りに人は居ないのは、人払いの結界を張っているからだ。
無用な人を遠ざけ、お互いに術を行使する。
誠一は雷を、もう1人も同じ雷を同時に放ち黒煙が周囲に立ち込めた。
「出て行った後も、術を磨くのを欠かさないか。どこまでも忌々しい……」
「相変わらず、人の事を見下して霊獣は道具扱いか。バカ兄貴」
睨み合うのは血を分けた兄弟は、お互いに術を行使する札を持ち出し瞬時に霊力を込める。
兄が来た目的とはなにか。そんな2人の戦いをザジは、門構えの方からジッと見守る。雲行きが怪しくなるように、空が夜から雨雲へと変わっていく。
井波家が扱う術の系統は雷。自然と闘いが激化していくのは、当然の結果となる。




