第214話:育てるということ
「何を言ってるんだ、2人共」
呆れる誠一に対し、ヘルスにピタリとくっつく麗奈とゆき。
離さないとばかりに、ぎゅうぎゅうにされヘルスは戸惑いの視線を向ける。
「何でそうなる」
「だって!!!」
そこから麗奈は話す。
家が無いなら、住む所がないと言う事。お金もないのなら買い物だって、出来ないしホテルでの泊まるも当然無理。
児童養護施設にしろ、警察にしろ証明を明かさなければいけない。だが、ヘルスはこの世界とは違う所から来た異世界の人間。
当然、自身の身分を証明出来る事が出来ない。
説明をしても信じて貰える事は出来ないだろう。かといって、魔法を使えば奇異な目で見られる。ネットの拡散が早い事からも、面白半分でヘルスを追う者は居るだろう。
彼はネットの恐ろしさを知らない。
それなら、ここで暮らして貰う方が良い。精一杯の言葉を繋げ、どうにかしてヘルスをここに留まらせようとしている。
「……」
麗奈の提示した可能性や理由は、誠一達にも予想がついていた。
ネットはまだ発展する。奇異な目で見られるのも含め、そんな能力があると知れればいいように利用されるだろう。
彼はまだこの世界に馴染んでいない。
それはつまり、現代の常識を知らない事になる。王族の振る舞いをしてきたヘルスは、常識を知り慣れていく事だろう。
だがそれにも、その時間と場所は必要だ。
「ま、お金もなく自身の証明も出来ない若者を放り出すのは違うよな」
「っ、誠一さん!? まさか」
裕二はダメだと首を振った。
彼は朝霧家の全てを知っている訳ではない。でも、彼等の優しさと懐の広さは知っている。
妻の由佳里は、朝霧家の当主であり行動力がある女性だ。
彼女の行動はいつも予想が出来ない。そして、必ずといって振り回されるのは夫の誠一と彼女の父親である武彦。
誠一は常々言っていた。由佳里の性格を娘の麗奈が引き継いでいないか、と。
九尾を使って調べているのも、互いの信頼もある上に九尾は察するのが早い。そして、彼も心配している所は誠一と同じ所。
だから分かる。
この人達なら、相手がだれであろうが見極めるまではしっかりと世話をする。
土御門 ハルヒを連れて来た由佳里。彼女から詳しい事情を聞けば、土御門家には一方的に「世話をする」と言って勝手に連れて出してきたのだと。
その後、本家の土御門も合わせて分家に居たハルヒの所からも特に苦情らしい苦情は来なかった。
そして、気付けば1年ちょっと共に暮らしていた。
今ではハルヒは遠縁の土御門家に育てられている。今の彼には心穏やかに、自分なりに能力をどう使うかをじっくりと考える必要がある。
今は一時的にハルヒと別れているが、それは今の土御門家の環境から離れている為。
彼の決心がついた時には再び分家として戻る。そして、陰陽師として相応しい力を付けてる。その為の後ろ盾になって欲しいのだと聞いた時に、裕二は(あぁ、またか)と思った。
「だが裕二。現実問題、彼の事を言っても信じて貰える人は居ないだろ。私達だって、彼の力を見ていないと信じられなかったしな」
「……普通は、異世界から来たなんて言われてすぐには信じられませんよ」
まだすんなりと受け入れられているのは、陰陽師が他とは違う力を扱う事。
ヘルスの服装を見てそう判断した。他の人達から言わせれば、コスプレと言われそうなものだ。
彼は裾の長いローブを羽織っていた。
今はそのローブを椅子に置き中の服装が見える。誠一も気になっていた部分であり、彼の服装は綺麗とは言えない。
服が泥などで汚れているのも含め、血が付いている箇所もある。
先程の魔法を見たが、傷が綺麗になくなっても流れていた血はなくならない。ザジに傷付けられた時に出た血も自分の服で拭っていた。
彼が着の身着のままなのだろう。
汚れた衣服から見える血と泥の後。魔王と言う単語から、向こうの世界で激しい戦いがあったのは明白だ。
「とにかくお風呂に入ってきなさい。服と下着類はこちらで用意して置く。温かな湯に浸かって、今後どうするのかよく考えなさい」
その瞳には、今後の自分の事も含めて何か別の意味を含んでいる。そう捉えたヘルスだったが、汚れた衣服のままなのは気が引けて来た。誠一の言葉に頷き、立ちあがったと同時に裕二が「もう寝ます」と言って足早に出て行かれる。
「……」
案内されたお風呂場に、自身の服を置き少し考える。
だが、バタバタと駆け寄る足音を聞き慌てて前を隠した。
「お兄さん、お風呂の使い方教える~」
「教える~」
「わあああっ。だ、大丈夫!!! 平気だからっ」
お風呂場に来た麗奈とゆきに、慌ててヘルスは戻る様に言う。しかし、何故か2人の顔はむっとしている。不機嫌なのは分かるが、ヘルスの方だって落ち着かない。
「え、でも」
「お兄さん、お風呂の使い方分かるの?」
「だ、大丈夫だよ。向こうで湯に入るのは普通だったし……」
ラーグルング国の周辺は水が豊かな土地というのもあり、村でも王都から離れた所でもお湯が沸くように魔法で設置している。数が膨大で、本来なら難しい所だがそこは魔法国家。領地も含めて、皆が平等にお風呂を使える習慣にもなってかなり長い。
そう説明すると何故だが、もっと不機嫌さを露わにした。
「うぅ、そう言えばハルちゃんもすっごく嫌がってたなぁ」
「私よりも前に来た子?」
「うん。一緒に暮らしていた男の子なんだけど、何故か顔を真っ赤にして断られちゃった」
(お、男ならそうかも知れないな。私だって恥ずかしいし……)
『嬢ちゃん達、寝ろよなぁ。それとも今日は添い寝してやろうか?』
ひょい、と彼女達を持ち上げたのは赤毛の狐である九尾。
9つもある尾はとてもフサフサとしている。触れば太陽に当たったように、温かな体温と安心感がある。
途中で目を覚ましたから、少しずつウトウトし始める麗奈とゆき。
『っと、ヨシヨシ。このまま寝ておいてくれ。……悪いな、アンタも災難だろ』
「あ、えと……」
あはは、と乾いた笑いをしつつ踵を返す九尾。
そんな彼はヘルスを見て『苦労してんな』と言った。
『戻れないのが分かってて、危険を冒すとはアンタはバカだな。……だが、主人の最愛の人を連れて来てくれてありがとうな。こっちは不自由な思いはさせないようにするが、何か窮屈なら俺に遠慮なく言えよ』
「ありがとう、ございます……」
ヘルスの答えに満足したのか、九尾はすぐに部屋と戻る。
不自由な思いはさせないと聞き、何故だかズキリと胸が痛んだ。気のせいだと思い、すぐにお風呂へと入る。
ラーグルング国のと違い広さは狭い。
王族であるヘルスが使う浴室の広さと比べれば当然だが、彼は別に狭いとは思わない。
温められた湯を浴びホッとしてしまった。
今までの緊張も含め、まだ全てを話しきれていないと言うのにだ。
「……ユリィ」
言わないと決めていたが、つい出て来てしまった弟の名前。
誠一に聞かれた事を思い出す。一方通行で来たのも含め、自分が再び同じ世界に戻れるとは思っていない。
あの時はただ、由佳里の願いを叶えたいからと言う思いに突き動かされた。
せめて彼女が会いたがっていた家族に会わせよう。どんなに罵倒されても良い。それだけの事をしてきたのだと分かっていたからだ。
思っていた反応はあった。
裕二と飼い猫であるザジがそうだ。彼等は、ヘルスのいる世界に由佳里を呼んだ事。そして、彼女を死に追いやった責任や恨みがぶつけられる。
だが――娘の麗奈はどうだろうか。
彼女は、ヘルスの事を世話をするのだと言った。
戸惑ったのは何も彼だけではない。誠一達は反対してくるに決まっている。なのに、あろうことは自分は身体を洗い湯に入っている。
それが出来る様な事など何もしていない。
自分は恨まれて当然の事をしている。だからこそ思った反応と違うだけで、かなり戸惑った。
「あれ……」
ふと何かの視線を感じた。
見ると黒い小さな影がじっと待っているのが見える。飼い猫であるザジが見張っているのだと分かり、思わずフッと笑う。
「君はそのままでいてくれよ。私が……私が犯した罪なんだ。歓迎される事なんてないし、ましてや泊めてもらう事なんて、あり得ないのに」
湯に上がり、着て来た服に着替えようとして気付く。
彼が服を入れた籠には、真新しい服と下着が用意されていた。戸惑いながらも着て浴場から出ると、待っていたのか壁の背に体を預けていた誠一と視線がぶつかる。
「ありがとうございました。それでは」
「無一文で放り出す真似をすると思うのか。この世界のお金の事も分からず、野宿すれば住民が騒ぎ出す。この世界に居るのなら、常識を学ぶ必要があるだろう。それに君の事も知らないといけないしな」
「ですが」
「自分を責めるのは勝手だ。それで君の気が済むならそれで良い。だがな、そんな事を由佳里が望んでいるとは思えない。彼女なら笑っていて欲しいと言うさ」
言葉に迷うヘルスに、誠一は使われていない部屋へと案内する。
既に布団が敷いてあり、枕の傍には別の服が置かれていた。思わず誠一へと視線を向けると「翌朝の服だ」と簡潔に言われてしまう。
「あぁ、布団を知らないのか。こうすれば良いんだ」
そう言ってどう眠るのかと説明を受け、また明日なと言われる。
明日と言う言葉に戸惑うが、教わった通りに布団に入る。見上げる天井は知らなくて、シンと静まる空間に段々と違う世界に来たのだという実感が出て来る。
足元に何か温かいものが当たり、掛け布団を持ち上げればザジがじっと見ていた。
「……見張るなら、こっちに来るかい?」
「ニャ」
コクリと頷かれ、枕の傍でじっとするザジ。
見張られているのが分かるのに、瞼がどんどん重くなる。思っていた以上に疲れていたのだと分かり、気付いた時にはヘルスは眠っていた。
そうした状況を見ていたのは、記憶を見せられているユリウスと大精霊ツヴァイ。これが、麗奈が思い出せていない記憶であり、知りたがっていた事。
時おり聞く「お兄ちゃん」が自分の兄なのかも知れない。
これが、彼女達の悲劇の始まりであり日常などないのだと思い知るのは――この後の事だった。




