第213話:異世界から来た青年
朝霧 由佳里は亡くなっていた。
その事実をいきなり突き付けられた武彦は、呆然とし知らせに来た誠一に対し「本当、か」と信じたくない様子でいた。
「確認しました。……妻は。由佳里は亡くなっています」
苦し気に顔を歪めながらも報告を続けた。
今は屋敷の中、由佳里の部屋に彼女を安置している。フラリと倒れそうになるのを支えたのは武彦が契約を交わしている清。
彼女はいつもの白い着物に、耳をしょんぼりと垂れている。
九尾とは力を分けた親子関係。なので、彼女も九尾と同じく狐だ。金色の瞳も、悲しいとばかりに目を伏せた。
だが、武彦が悲しみにくれたのはそれまで。次には立ち上がり誠一の方を向く。武彦の訴えかける瞳を見て誠一も、同意をするように無言で頷いた。
「……こうも早いとはな。先に死ぬのは私かと思ったが」
『主様……』
「いかんな。すまない、少し弱気になっていた」
悲しそうに見上げる清を、武彦は優しく撫でる。それこそ、娘に触れ合うかのように。
誠一からの報告を受けながら、由佳里を連れて来た青年の事を考えていた。
見慣れない服。黒い髪に黒い瞳の青年は、今は九尾と裕二が対応している。裕二の暴走を止める為に九尾自身が言い出したのだ。
裕二を浄化師として育てたのは武彦だが、術の構成や立ち回りを教わったのは由佳里。彼は彼女を慕っていた。だからこそ九尾は自分が見張るのだと言った。
その想いが強すぎて、憎い相手に何をしでかすは分からないからと。
「まだ彼は若い。由佳里を連れて来た青年とさほど年も変わらないだろ」
「はい。同じ位の……19歳程かと」
「なら、この空白の2年に何があったのか。彼から聞く必要があるな」
「えぇ、それと術の連発した経緯も知る必要があります」
確認した時に気付いた。
彼女の指先は血で汚れていた。自分の血を使い敵を封じる、血染めの結界を使ったのだと分かる。問題なのはその回数。普段であれば2発が限界だったと記憶していた。
その秘術を使う時、彼女は自分の指先を傷付ける。その箇所がその術を扱った回数なのだと聞いていた。
だから、すぐに指先を見て驚いた。
人差し指と中指が傷付けられているが、よく見れば軽いものではない。何度か傷をつけたからか、指先は真っ赤に染まっていた。
「自分の限界を超えて5回は使っている。逆に言えば、それだけの強敵と戦った事になるが」
「風魔が居ないのもその影響か」
「恐らくは」
歩きながら考える。
怨霊相手にそれだけの術を使う事は滅多にない。それは、共に出ている誠一も知っているし父親である武彦も分かっていた。
「……誠一君。前に言った約束は覚えているね?」
「はい。麗奈には才能がない。陰陽師には向いていないと嘘をつきます」
ピクリと清の耳が動き、途端にしょんぼりとなる。
彼女の様子に気付いた武彦は抱き寄せると「すまんな」と一言。その一言で、清はグッと我慢する。
『大丈夫。……麗奈ちゃんの為だもの。妾も頑張って嘘をつく』
「期待しているよ」
3人はそう言い、急いで居間へと向かうのだった。
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「……寝れない」
一方で麗奈はゆきとザジに挟まれて、同じ布団に入っていた。
父親である誠一から「今日はもう寝ろ」と言われ、無理矢理に閉じ込めたと言って良い。反抗する麗奈だったが、頑なにゆきが離れない上にザジも足元から離れないでいた。
身動きが取れないままだったが、不意に誰かの視線を感じた。
目を動かすとフワリと目の前に現れたのは母親である由佳里だ。穏やかで、優しい瞳はいつも知っている。ただ、ずっと微笑んでいるのが気になった。
「お母さん」
静かに起き上がり、部屋から出て「あっ」と思わず声が漏れる。
足が地面についていない。正しくは見えなくなっている。この状態を、麗奈は嫌でも知っている。
「……お母さん」
か細く。だけど、つい母親の後を追いかけてしまうのは今までの寂しい気持ちの現れか。
不意に振り返られ、悲しそうに微笑んだ時に分かってしまった。
母親は亡くなっているのだ。
なのに、こうして自分に会いに来てくれた。同時にゆきとザジが自分を止めた意味、裕二の怖い顔。父親の焦った様な声に、自分が悟れなかった事が悔やまれる。
「ごめん、なさい……」
自分だけが気付けなくて。
何度も謝った。しかし、母親は声を発さず首を振る。大丈夫だとでも言っているように。そして、不意に包まれる感覚に麗奈は目を見開いた。
「っ……」
麗奈の頭を風が撫でる。それは、目の前の母親が撫でているのだと分かる。
包まれているのは、抱きしめられているのだと分かる。いつも、いつも大事にしてくれているのが分かる。
だからこそ、辛かった。
もう、それが出来ない。
叶う事がない。
見上げれば、由佳里も涙を流していた。
麗奈も同じように、むしろ2人分は泣いている位に視界がぼやける。
「うっ、ううっ……。お母さん、お母さんっ」
「ミャー」
「麗奈ちゃん!!」
背中に伝わる温かい温もり。
ザジが肩に乗り、ゆきが背中から抱きしめる。でも、目の前の母親にはその体温がない。
その差が分かってしまい、麗奈は爆発したように泣いた。
「うあ……うあわああああんっ。お母さん、お母さん!!!」
声を掛けても応じてくれない。
涙を流す由佳里も苦しそうにしていた。それでも、彼女は抱きしめた。
掴めない我が子の未来を願って。ザジとゆきに麗奈を託して――彼女は目の前から、光の粒子となって消えた。
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「今、何と言った」
「私は……。こことは違う世界から来ました。由佳里さんとは2年、ラーグルング国で保護をしていたんです」
一方で居間に連れて来られたヘルスは、誠一と武彦が揃ったのを見て挨拶をした。
自分がこの世界とは違う所から来た事。
行き来出来たのが魔法であり、自分のいた国は魔法国家と呼ばれどこよりも魔法に関しては詳しいのだと。
そして、自分はその国にはもう2度と戻れないのだと。
「突然、そんな事を言われて誰が信用出来ると」
「シャー――!!!」
訝しむ裕二の言葉と重なるように、黒い影がヘルスに目掛けて飛び込んでくる。
咄嗟に手でガードしたヘルス。手の甲が横一線に傷付けられ、血がポタポタと垂れていく。
「ザジ!?」
『待て、落ち着け!!!』
「フニュ!?」
噛みつこうとしたザジに、赤毛の尾が割り込む。目標を噛む事が叶わず、ザジは強く尾を噛み続けた。
『おーし、それで良い。俺のを好きなだけ噛んでいい。別に痛くないしな』
その後も暴れるザジを、九尾が上手く抑える。疲れて来たのか大人しくなるザジだったが、目だけはヘルスを睨み続けている。しかし、ヘルスは「これで証明になる」と言い傷付けられた手の甲に小さな光を灯した。
変化はすぐに現れた。
徐々に傷が塞がり、数秒もすれば完全になくなっている。
これには誠一達も目を見張り、同時に教えられた"魔法"と呼ばれるもの。今、彼が見せているのはそれなのだと誰もが分かった。
「何で……。そんな力があるなら、何で由佳里さんを助けなかったんだ!!!」
掴みかかってきた裕二に、ヘルスはされるまま。抵抗がなかった事が余計に苛立たせた。だから言いたくもない事が次々と出て来る。
「アンタ、助ける気はなかったんじゃないの。謝れば済むと思ってるの。アンタは……麗奈ちゃんから母親を奪ったんだぞ!!!」
「っ」
「事情を説明すれば良いと思ったのか。何で由佳里さんなんだよ。何で、何であの人が……」
どうしてと繰り返す裕二は、段々と崩れ落ちる。涙を流す裕二に、武彦がそっと立たせて抱きしめた。落ち着かせるように。普段の裕二では言わない言葉だが、大事な人を亡くしたのであれば正常な判断は出来ない。
落ち着かせる行為は裕二に対しても、そして武彦自身に対しても有効だった。
それをただヘルスは受け止める。こうなるのは予想していた。
自分が悪く言われるのも分かって彼はここに来たのだ。それもこれも、由佳里の最後の言葉を果たす為。ただ、それだけの為に彼はここに来たのだから。
「由佳里さんの傷をすぐにでも治そうとしました。でも、そうなれば魔王サスクールに体を乗っ取られる危険もあって……。彼女自身に、止められました」
「……そうか。術の連発も、その魔王とやらが原因か。それで、君はこれからどうする気でいる」
「えっ」
「一方通行でこちらに来たのは聞いた。戻れないと言うのなら、君はその事を知人や家族に教えたのか?」
「いえ……」
思わずキョトンとしてしまった。
何故そんな事を聞かれるのか分からずにいると、誠一の表情が変わり溜め息を吐かれたのだ。ますます分からないでいるヘルスに対し、誠一が口を開こうとした時だ。
「お兄さんのお世話、する!!!」
「するーー」
思わずヘルスも含めた全員が「えっ」と言い、乱入者の声を確かめる。
見れば泣いた痕がある麗奈とゆき。戸惑うヘルスの両脇に2人がピタリとくっつく。離れないという意思が伝わり、九尾は密かにニヤリとしていた。
「お兄さん、帰る所がないならここに住んで!!!」
「お母さんなら絶対にそう言う!!!」
「え、えっ……えっ?」
助けを求めるヘルスだが、困惑したようにしているのは誠一達の方だった。
だが、麗奈もゆきも意思が固いのか譲る気はない。
別の世界から来た青年を、彼女達が保護すると言い放ったのだ。




