第211話:幸せを願っていた
「ダメだ。許す訳にはいかない」
聞こえて来た声に、少女はハッとした。
そして、自分の居る場所を見回す。
目の前には難しい顔をした男性。その隣には反対にニコニコと笑みを浮かべている男性の初老。
キョロキョロと周りを見た時に、自分に微笑みかけて来た優しい雰囲気の眼鏡のお兄さん。
「ミャウ」と自分の足元には、小さくとも力強く泣いている黒い子猫が居た。
「もう。別に良いと思うんだけど? 麗奈が育たいと言うんだから」
そして、各地に麦茶を用意し黒い子猫と戯れる女性。
家族……と考えて良いのだろう。そして、連れて来たのは何よりも自分と言う、麗奈なのだから。
前にも見たような、不思議な感覚。
しかし、そんな彼女に構う事無く周りは会話を再開せていた。
「由佳里。それで、猫だけじゃなくて犬やら鳥やら来たらどうするんだ」
「ん~~。頑張って育てる?」
「限度があるだろうに……」
由佳里と呼ばれた女性の発言に、険しい顔をしていた男性は呆れた様に息を吐く。
隣は「まぁ、そう言うよな」と分かったの様に麦茶を飲んでいる。
ずっとキョロキョロとしている麗奈に、眼鏡のお兄さんは小さく声を掛けた。
「麗奈ちゃん。どうしたの? 今、その子を飼える様に皆で家族会議をしてるんだけど」
「かぞく、かいぎ……?」
「麗奈ちゃんがその子を拾ったからね。懐きぶりが凄いからどうしようか、って話」
「フニャ」
見れば子猫はじっと麗奈を見つめていた。
先程まで、母親と戯れていたのに麗奈が他の人と話しているのを感じ取るとすぐに駆け寄ってくる。
尻尾を左右に振り、キョトンと見つめ返す姿が何とも可愛らしい。やがて、その子猫は麗奈のお腹に包まる様にして体を丸めた。
すぐにスリスリと顔を押し付け、何度か鳴かれる。
動かないぞ、という意思が伝わるのがよく分かる。
「……これだけ懐かれて、無理なんて言えないでしょ」
『嬢ちゃんからほぼ離れてないしっ』
『まぁ、この子からしたら命の恩人だもんねぇ~』
凄い懐きようの麗奈を見て、母親である由佳里がしみじみと言う。
その麗奈の頭上では九尾がふてくされた様に言い、清は仕方なしとばかりに扇を扇ぐ。
子猫を抱き上げれば嬉しそうに鳴かれ、またもスリスリと顔を寄せて来る。
「麗奈の事、好きなのね」
「ミャウ」
「よし、誠一さん。飼おう。反対するのは諦めよう!!」
「何でそうなる!!」
黒猫は大きく頷いたばかりか、更に麗奈との距離を縮めていく。
誠一は止めてくれるとばかり思っていたが、簡単に手の平を返してきた。しかも、諦めようとまで言い出す始末。
ここは、父親である武彦の出番だ。
そう思い誠一は、断ってくるだろうと思っていたのだが――。
「こら、お父さん。あんまりしつこいと嫌われるよ」
「ちょっともダメか。……麗奈以外には、とことん気に入らないんだな」
「そうでもないわ。裕二君はそれなりに心許してるでしょ?」
「そ、それが、そうもいかなくて。最初はぐったりしてたから、大人しいんですが……ゆっくり休んでいる内に、元気になってご飯も食べて。すっかり嫌われました」
まずそこまでして、何で嫌われるんだと九尾が不思議に思う。
その疑問は清も同じだったようで、隣で激しく同意するように頷いていた。
麗奈はもう1度、黒い子猫を見る。
じっと彼女を見返す子猫は、元気そのもの。最初に見つけた時、かなり体が弱っていた。声も弱々しかったが、今ではその影もない。
裕二の言うように、しっかりと寝てご飯を食べるようになってからは瞬く間に体力を回復。しかも、近くの動物病院で健康なのかどうかも調べてある。
予防接種も受けた。対策はバッチリであり、そこまで話し終えると誠一は「飼うの前提か」と乾いた笑いをしていた。
「はぁ。そこまで用意周到で、じゃあ外に戻していけなんて言えるか」
「やったね、お父さん。作戦勝ち!!」
「そうだな。誠一君もそこまで鬼じゃないし」
(厄介な親子だな……)
一家の大黒柱である誠一がそう言えば、周りは凄く喜んでいる。
それを他人の様に見ている麗奈はふと思う。
これは、記憶を見ているのだろうか……?
「ミャア~」
ペロペロと麗奈の顔を舐める子猫は、自分を見て欲しいのかずっと鳴いている。
見ると凄く嬉しそうに尻尾を振り、甘えてくる。これが現実なのか、夢なのか。分からないでいる麗奈に、しかし子猫は自分を見るようにと必死だ。
「じゃあ、面倒は麗奈が見るのは確定。でも、皆も協力するのは当たり前。……何が好きなのかな」
『由佳里様。貴方が一番楽しんでますよ。程々にお願いします』
暴走しそうな由佳里にすぐにピシャリと言ったのは風魔だ。
いつもは大きな狛犬として彼女のサポートをする霊獣。いつまでもその姿で居るのは麗奈が怖がるからと、清と同じように変身が出来るようにと練習してきた。
なので、彼は子犬、子供、青年へと姿を変えられるように習得した。
今は青年の姿でいるので、由佳里の暴走を止める側としてその姿でいる。
「……ふう、ま?」
『何でしょうか、麗奈様』
自分の知っている風魔と何かが違う。
思わずそう思って、名前を呼べば風魔は彼女の傍まで行き優しく微笑んだ。
じっと見ると、青年の風魔はいつもと変わらない。
白い耳と尻尾があり、白い着物を着ている霊獣。優し気な瞳はいつもの知る風魔と被る。
「あ、えっと……」
「ミー」
言葉に詰まっていると、すぐに子猫が声を発する。自分を無視しないで欲しいのだと言わんばかりのアピール。頭を撫でると嬉しそうにされてしまうので、暫くはそれを続けていた。
『ごめんね。どうやら、僕は邪魔だって言われているみたいだ。麗奈様。用があればまた』
「あ、うん」
子猫を微笑みながらそう言った風魔はすぐに離れる。
言いたかった事、伝えないといけない事があったのだが構う内に忘れてしまった。
なんだが、子猫に邪魔をされているようで「めっ」と叱るも子猫はキョトンとしたままずっと鳴いていた。
その後、麗奈が面倒を見ながら周りの人達がサポートをする。父親である誠一は、最初に飼うのを反対したからかかなり警戒されている。
そして、新たな家族となった黒い子猫。その名前を麗奈はザジと名付けた。
嬉しそうに尻尾を振り、これまで以上に彼女の傍を離れない事からも気に入っているのが分かる。最近では、ようやく誠一に対して警戒を解き始めた。
日頃、彼はザジに対して餌を上げたり遊んだりして成るべく過ごす様にしている。
最初は仕方ないとばかりに付き合っていたザジも、段々と楽しくなり始め――最初に反対していた筈の誠一が、ザジに夢中になった。
『主人が……。嬢ちゃんだけでなく主人まで、あの猫に取られたぁ!!!』
ショックを受けているのは、誠一と契約をしている赤毛の狐である九尾。
今日も悔しそうに体を丸め、ザジの事を睨み付けている。
今では裕二が九尾の相手をしており、誠一にも構って欲しいと思っているのに、その役目をザジに奪われた。
九尾としては、いきなりのライバルの出現。気分が悪くなる一方だった。
そして、九尾の機嫌が悪くなる事が重なってしまった。
それは由佳里が連れて来た子供。金髪に水色の瞳の男の子。ハーフだけならまだ良かったが、九尾は即座に気付いた。
嫌な奴の気だ、と。
「麗奈。ハルヒ君に中を案内したあげて」
「はーい!! こっちに来てー」
「え、あ……うん」
戸惑いながら麗奈の手に引っ張られるハルヒ。
九尾が嫌うのは自分を封印した気が、ハルヒに宿っているからだ。名前は土御門 ハルヒ。
例えハーフだったとしても、九尾には関係ない。
大昔、自身を妖怪へと変貌させ討伐した奴の気を……九尾は忘れずにいた。
だから土御門と言う名前にも、嫌悪感が渦巻く。仲良くする気はない。例え、麗奈が彼に構っていたとしても九尾は歩み寄る気は最後までない。
そして、それはザジも同じだった。
子猫であった彼も、今ではすくすくと育った。今まで構い続けて来た麗奈が、知らない人物と行動を共にする。
これはザジにとっては邪魔でしかない。
九尾もザジも、麗奈を大事に想う者同士。彼女の幸せを第一に考えるので、途中から来たハルヒに対してはとことん嫌った。
「れいちゃん。あの、ね。僕、絶対にれいちゃんの事を迎えに行くから!!!」
そしてそんな嫌いな人物との共同生活が始まって、1年ちょっと。
ザジと九尾は未だに敵意を向けていた。しかし、麗奈の前ではあくまで仲良くしている風。
その徹底した姿勢に、清からは『そこだけ仲が良いな』としみじみと言われた。
しかし、本人達は互いにそっぽを向いている。
「ん。じゃあ、ハルちゃんにもこれ。お守りあげる!!!」
ハルヒが大事に持っていたオニキスの勾玉。大事にしていたのを、麗奈は知っているからこそ彼女も大事にしている勾玉を渡す。
それは、麗奈の霊力が込められた特別製。
ハルヒも同じ陰陽師で、霊力の扱いには慣れている。彼は嬉しそうにしており、いつまでも勾玉を見ている。
そして、交わされる再会の時。
それをザジは黙っている。睨んだまま、2度と来るなという風に――。
ハルヒはその視線に気付き軽く睨み返す。彼も、麗奈の前ではザジと仲良くしているが本来は嫌いだ。
麗奈を大事に想うからこそのライバル。そこに、動物も人間も無かった。
そして、訪れる別れの時。
いつまでも仲良く出来ると思っていた。
自分が死ぬまで、麗奈の成長を見守り幸せを見届ける。
この時のザジは、それを信じて疑わない。
誰だってこの先は分からない。未来は分からないのに、ゆっくりと足音を立てずに忍び寄る。
それは、由佳里が遠征に出て2年後の事。
彼女の遺体を抱え、悲し気にしていた黒髪の青年。彼との遭遇で、ザジの運命もまた大きく変わっていく。




