第205話:偉大な存在
パキン、と。
確かなヒビが入った音を聞いた。
(ウォーム、さ……ん)
ゴボッ、ゴボッと声を出したくても、全て気泡に変わる。
言葉にしたくてもがく。足は重たくて這い上がれないし、腕も段々と上がれなくなる。
力が抜けていく。意識も段々と薄れていく。
必死で抵抗すればするほど。麗奈の体は重たく、抵抗すら許されない。
《すま、ない……》
守ってやれなくて。
共に過ごす事が出来なくて。
世界を案内出来なくて、すまない。
麗奈の耳に聞こえるのは全て謝罪の言葉。
やりきれない悔しさがにじみ出た、声。
(ウォーム、さんっ……)
それでも麗奈は抵抗した。
負けたくない。伝えたい思いがあるのに。
まだ色々な事を教えて欲しい。他の精霊達との事。ウォームが好きなこの世界の事。
全てまだ伝えきれていない。
《ワシが犯した罪に、巻き込んですまない。結局、優菜にもお嬢さんにも辛い事ばかりさせた。やはりワシは、何一つ守れない》
(そんな、事っ……)
《あの方が与えた力を上手く振るえず、大きな存在になった。見かけだけだ。こんな情けない父親が居るものか》
暗闇の中、ウォームの声は続く。
首元が熱い。いつも下げていた首飾りがある位置。
物はなくとも麗奈は必死で求めた。
そんな事を言わないで。そう強く、強く祈った。
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「あれはっ……!!」
ハルヒは白虎に跨がり、ウォームの体が小さくなるのを見た。
大人しくなったと思い近付こうとして、ノームが様子を見ると言い待機するように言った。
「白虎。何か、壊れるような音とかしなかった?」
『ん、聞こえたよ。ノームも警戒してるし』
ウォームの体にはぽっかりと穴が開いていた。
白虎のスピードに乗せた突き。一点突破を考えていたハルヒは、通常の刀より小さくしていた。
威力よりもスピードに重視。
だから狙いは初めから決めていた。体のど真ん中が空いているのは、狙い通りと見るべきだが疑問があった。
(攻撃する素振りもなかった。やったのはノームの魔法を消した位)
まさか討たれる覚悟を持っていた?
最後の最後のまで無抵抗のまま。それは自身の自我が失くなるまでの抵抗、異世界人と精霊に悟られる事無く。
『これは……』
そんな時、破軍はある物が落ちている事に気付く。
ウォームの傍に落ちていたのは、朝霧家の家宝である首飾り。赤、青、白、緑色の4つの宝石が中央に集まり、その上を透明なガラスが覆っている。
金色の鎖が見え、その美しさが保たれている。それが魔法によるものだというのは誰の目から見ても明らか。
ウォームと優菜が作り、彼女が元の世界へ戻った時にも身に付けていた。
2人にとっては何よりも大事なもの。それを最後の最後まで身に付けていた事に、破軍と黄龍は堪えるように唇を噛んだ。
『貴方は……最後まで、優菜の約束を守り続けて……』
黄龍だけでなく青龍達も思い出していた。
ラーグルング国を守る為に強固な結界が必要であること。青龍が自身の命を燃やし、作り上げた柱は今も維持し続けている。
初めてこの世界に足を踏み入れた時、最初に声を掛けて来たのはウォームだと言うこと。
知らない世界でも、魔法と言う言葉を聞き興味を持ったのも――楽しい日々を過ごせたのは彼のお陰だ。
『流石は偉大な精霊様だ。……私達が忘れていても、貴方だけはずっと……ずっと覚えていてくれた』
その柱にサスクールの呪いが付与されていなければ、今もこの国の王族は苦しまずに済んだ。
ユリウス1人に大きな負担をさせず、歴代の王達は短命で亡くなるような事はなかった。その呪いの所為で、黄龍達は記憶が定かでない部分が多かった。
ただ、自分は朝霧家の人間と言う事だけは覚えていた。
いつか来るであろう優菜や自分達と同じ陰陽師。そして、朝霧家の血を引いた誰か――。
《お父様……》
《私達の声が、聞こえてますか? お父様》
一方でポセイドンとノームは、動かなくなったウォームへと話しかけていた。
完全に油断は出来ないが、それでも彼等は優しく親に接するような気持ちで語り掛ける。
ピクリと。
動かなくなっていたウォームは、のろのろと顔を上げ小さく頷いた。
《聞こえている……》
「ポセイドン。まだ間に合う、早く治療を」
《止せっ》
ハルヒの提案をウォームは拒絶する。
何故だと繰り返し、自身が契約しているポセイドンにも告げた。だが、彼は無言で首を振る。それがもう間に合わないのだと分かる。
「っ。ダメだ!! 貴方はれいちゃんの精霊だ。貴方が倒れたら、この世界から魔法が消えてしまうんでしょ? ディルバーレル国の時にそう言っていたでしょ!!」
肩を掴み、治療を受けるように何度も言った。
だがウォームはそれは頑なに拒否し続けた。魔族に有効な手段である魔法が失われる。
それは、大精霊の父と呼ばれるウォームとブルームの生み出した魔力が世界中に満ちているから。
だからこそ、ディルバーレル国でその無効化の実験をしていた。実行した相手は、ハルヒと同じ土御門家の陰陽師。
片方が消えれば、魔法も消える。そう聞いていたからこそ、ハルヒは焦っていた。いくら討たれる覚悟をしていたとしても、手段がなくなるのでは意味がない。
《大丈夫だ。……あの方がそうはさせないだろう。それに》
言葉をそこで切った。
ウォームの視界には既にある人物が見えている。
エメラルドグリーンの髪に、朱色の瞳を持った死神であるサスティス。
彼はハルヒの真横におり、静かに消えゆくであろう精霊を見ていた。
「それに……なんなの。例え魔法が消えなかったとしても、れいちゃんはどうなるの? 彼女、絶対に寂しがるし悲しむよ。彼女の事、れいちゃんの事を……見捨てるの」
《見捨てる、か……。はは、それに近いな》
「だったら――」
《これも罰だ。優菜をその手にかけ、後悔し続けて来たワシへの罰。……結局、お嬢さんにも迷惑しかかけていないからな》
ここで退場するのも悪くない。
そんな含みのある言い方に、ポセイドンとノームは気を落とした。そこに駆け込んできたのはドワーフのアルベルトだ。
「クポポ!!」
《あぁ、すまんな。お前さんには酷い攻撃をして》
「フポフポ。……ポポーー」
「ほら。アルベルトだって寂しいって言うんだ。一緒にふざける相手が居ないのは寂しいんだって。……だから、お願いだから」
《悪いな。……時間だ》
《まっ……!!》
ノームの制止よりも早く、サスティスが手を下した。
彼の手にはランセに渡したのと違う大鎌が握られていた。デューオにより新たなに与えられた武器。
死神は死にゆく魂の回収を目的にしている。
それが精霊であれ、魔物であれ魔族であれ関係ない。彼等に強さでの階級は関係なく、平等に振るわれる力。
「今までお疲れ様。大精霊アシュプ……。いや、ここは彼女が付けた名前でないとダメだね。さよならウォーム。貴方の欠片は役立たせて貰う。ザジがサンクの力を貰ったように……ね」
ノームが咄嗟に発動させた防御の魔法を無視し、サスティスはウォームへとその刃を振り下ろした。
生命を切られたウォームは微笑む。最後に討たれるのが優菜と同じ陰陽師であった事。そして、それを麗奈に見られずに済んだ事が助かっている。
ハルヒの言うように、麗奈はきっと耐えられない。
最後に声を掛けた時にも思った。何かを伝えようとしている麗奈に、ウォームは耳を傾けず死を受け入れる。
「な、砂に……。ちょっ、ちょっと待って!!!」
「クポ、クポポ!?」
微笑んだウォームはいきなり砂へと変わっていく。
サラサラと流れる砂は、さっきまでいた筈の存在を消す様に形を成さない。突然の事に慌てるハルヒとアルベルトは、砂を止めようとするも間に合わない。
手から零れ落ちるそれらが、ウォームの命を語るようで。死を意味するものだと嫌でも感じさせられる。
《何故だ……。答えろ死神!!》
助けられないのだと悟り、ノームは思わず声を荒げる。
彼にはサスティスの行った事が見えていた。だから食い止めたかったのに、彼等の前ではそれすら通じない。
そんな怒りの声を聞きながら、サスティスは淡々と答えた。
「簡単な事だよ。彼女の為に死んでもらった。……ただ、それだけだ」
そう言い残し、彼はそのまま姿を消す。
完全に気配がなくなるのと同時、ウォームが張っていた領域が音を立てて壊れていく。虹色のオーロラが元の城へと変わっていく。
それはキールの目が酷く痛み出した事で彼も分かってしまった。ドラゴンも、彼によって生み出された大精霊達にも伝わる。
今、この瞬間――父と呼ばれた偉大な存在の消失を。




