第190話:残酷だと分かっていても
真実は時に残酷だ。
心の中で、これは過去だと繰り返す。覆せないし、見ているだけで何も出来ない。分かっていた。分かっていた、筈なのに――麗奈の涙は止まらない。
「引っ掻き回して楽しいか? テメェが望んだ結果だとしても、やり方が汚すぎる!!!」
そう叫んで睨んだのは死神のザジ。
見ていた風景は一気に変わり、今度は何もない白い空間になる。母親の死はこの世界に来て分かっていたこと。その前に、自分は葬式にも出たし悲しみは乗り越えられたと思っていた。
術の連発で疲労していた所に、サスクールに体を乗っ取られたユリウスが致命傷を与えた。
兄のヘルスも、魔力が足りないばかりに助けられなかった事を悔やんでいた。その様子から、もしかしたら助けられたのかも知れない……。そんな事を、もしもと頭の中で何度も過っていく。
泣き泣き崩れている麗奈を抱き留め、ザジは変わらずにデューオを睨んだ。
「そうは言うが……。サスクールなら、もっと残酷なものを見せてくる」
「これはその予行練習って言いたいのか。だからって――」
「君だって知りたかっただろ?」
「っ!?」
途端に言葉を詰まらせたザジに、麗奈はノロノロとした様子で見上げた。
ぐっと何かを堪える様子であり、デューオの言葉に思い当たる節があるのだろう。悔し気に舌打ちしながらも、彼は反論を止めない。
「だとしても、だ。……やり方が汚い」
「ふっ。今まで守られる側だったのに、守る側になった途端に威勢が良いな」
「テメェ……」
イライラする気持ちを隠さないザジはそこではっとなる。
ちょうどデューオの後ろに、別の人物が居た事に初めて気付く。その人物は、ザジと麗奈に気付く事はなく膝から崩れ落ちていた。
聞こえて来た声は、とても痛々しく胸が締め付けられた。
「俺、が……全部、全部、傷付けて来た……のか」
やっぱり、生きるべきじゃなかった。
その言葉を聞いた麗奈は、焦点を合わせるよにしてデューオの後ろに居たユリウスを見る。
そして、気付いた時には走り出していた。
「ユリィ!!!」
「っ……」
ビクリと体を震わせ、走って来た麗奈に驚く。
逃げようとしても体は上手く動かず、地面に縫われたように言う事を聞かない。
兄が自分達の記憶を消した理由は分からない。
だけど、それとは別に麗奈に合わす顔がなかった。
母親である由佳里を傷付け、娘である麗奈も傷付けた。そのどちらもサスクールによるものだったとしても、だ。
疑問に思っていた事があった。
麗奈を傷付けたあの時に、まるであれが初めてではない感触があった。前にも1度、行ったのでは思う程のデジャヴ。その理由が今、はっきりとしたのだ。
(2度目、だったんだ……)
その事実が分かった今では、麗奈とどう接していいのか分からない。
なのに。彼女は必死で走って来た。
「お、俺……」
「ユリィ」
「わ、るい……。俺、その時の事……覚えてなくて……」
謝っても済む問題ではない。
それはユリウス自身も分かっていた。彼は自分が奪った命が、好きな人の母親である事。風魔が怒りだす理由も、自分の事を殺したいほど憎んでいたのも分かった。
「違う。違うよ……あれはユリィじゃないよ」
「っ!! 俺は周りを不幸にしてる。俺は――!!!」
とにかく自分を責めていないと、正気を保つのが難しい。
言葉を並べるユリウスは、次に戸惑いの声を上げた。麗奈に優しく抱き留められ、落ち着かせるように背中を何度もトン、トン、と叩く。
しばらくして、どうにか息を吐き何度かに分けて深呼吸を繰り返す。
ふっ、と気付いたら麗奈にもたれかかるようにして、体を預けている。
「……落ち着いた?」
「なん、とか」
「うん。良かった……。ユリィも、今のを見てたんだね」
「見たのは、俺が麗奈の母親を――由佳里さんを刺した所からで……」
震えながら答える声に、麗奈ははっとなる。
ユリウスが見た場面がトラウマになりかねない所。ワザと見せたにしろ、随分と悪趣味な事だと思いデューオを見る。
彼は麗奈に見られていると気付くと、笑顔で手を振る。
その隣ではザジが思い切り足を踏みつけ、背中をバシバシと叩いていた。
麗奈の代弁をしてくれているザジを見て、一先ずは彼に任せておこう。そう思った彼女が、次に向き合ったのはユリウスだ。
「ユリィ、聞いて。自分の事を、そんなに蔑んだらダメだよ」
「でもっ」
「ユリィがここに居なかったら、私達は会えてなかった。お母さんが守った命なんだから、投げ出すのもダメだよ」
「!!」
息を飲んだ。
恐る恐る麗奈を見たユリウスは、泣きそうで悔しさで一杯だ。
自分が操られなければ、兄も傷付けずに済んだ。麗奈が母親を失うような事もない。全ての原因は自分にある。
風魔のように憎しみをぶつければ良い。そう思ったのに、それでもギュッと強く抱きしめられて戸惑う。
「私達の仕事も、ユリィ達の仕事も危険がある仕事なんだよ。お父さんは話さないだけで、きっとお母さんとこうなる可能性はあったんだと思う。今、思うと……そうなる覚悟を持っていたのかも知れない」
陰陽師の仕事には危険がつきもの。
幼い麗奈は何度か縁側で、夫婦が真剣な表情をして話し合っている場面も何度も見た事がある。今にして思えば、お互いのどちらかが死んだ時の話をしていたのかも知れない。
麗奈を陰陽師家の当主ではなく、普通の一般の人として過ごさせようとしていた。
その意図は最初は分からなかったが、今なら分かる。子供には安全な世で生きていて欲しい、生き死にが関わる様な血生臭い所には、いさせたくなかった。
修行を厳しくて、陰陽師と言う職業を嫌にさせようとした。父親である誠一もはっきりと言わず、行動で分からせようとしてくる、そんな不器用な性格は今も変わらない。
「きっとお母さんは、ここでお世話になった人達に感謝しているよ。お父さんもよく言ってたんだ。お母さんも私と同じ位に、無茶するから安心できないって」
「れ、いな……」
「だから、私は感謝しているの。ユリィに会えた事、ラーグルング国の人達に会えた事。そして――ユリィの事を好きになった」
その全部に、感謝して人を好きになった事が嬉しいのだと言った。
それだけでなく多くの精霊、多くの国と人達との交流を得てこの世界にはまだ知らない事が多くある。それを、なによりも好きな人と共有して分かち合いたい。
だからと、麗奈はユリウスの手を握る。
「ユリィが自分の事を要らないなんて言わせない。それも含めて、大丈夫だって言わせたい」
「……恨まない、のか」
「さっきも言ったでしょ? ユリィであって、ユリィじゃない第三者が行った事。それに、ちゃんと抵抗してるのだって分かってる。お兄さんやお母さんが助けたかったのはユリィなんだから、それだけ大事にされていた証拠でしょ」
「っ……」
「大丈夫だよ。世界が否定しても、私はユリィの事を否定しない。私はなにがなんでも味方だよ」
その瞬間、ユリウスの中にあったモヤモヤが無くなった。
綺麗さっぱり。まるで洗い流されたような心が軽くなった。長年、悩み続けて来た。
ユリウスの母親は自分を生んですぐに亡くなり、父親も呪いによって亡くなっている。そして、憧れの対象である兄はあの戦いが終わってから居なくなった。
何度自分を責めていたか分からない。
無力感を感じ、自分が生まれた事で起きた負の連鎖。自分を否定されたと思ったのに、麗奈はそうではないと言った。
「う、うぅ……ありがとう。ありがとう、麗奈」
そこでユリウスは改めて、もう1度お礼を言った。
自分も、麗奈が好きでいる事に間違いはないのだと――。
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『っ、何……!?』
虹の光に包まれたその瞬間、風魔は弾かれた。
さっきまで風魔の怒る理由が分からず、ただ困惑を浮かべていた彼は居ない。ユリウスはゆっくりと立ち上がり、睨んでいる風魔を真っすぐに見た。
「悪い、風魔。……最初は殺されても文句は言えない。仕方ないって諦めてた。でも悪い。それは受け入れられない」
『黙れっ。お前がそんな事を言える立場だと思ってるのか』
「確かに。あの時、俺が由佳里さんの事を刺したのは事実だ。……サスクールに乗っ取られた、俺のミスだ」
『……だから許せと言うのか』
「そうじゃない。今は死ねないってだけだ。この戦いを、今度こそ終わらせる為に……俺が決着をつける」
全てが終わったら好きにして良い。
そう言ったユリウスの瞳には、強い決意と覚悟が宿っていた。
ほんの少し前までは、風魔の怒りの理由が分からず迷いを見せていた。そこに、弱気になっていた彼は居ない。
自分を好きだと言ってくれた人に応える為。
麗奈がユリウスを信じる限り、ユリウスに怖いものはない。彼の不安を祓ったのは、間違いなく麗奈であり――心強い。
それがこんなにも力をくれるものだとは知らなかった。
だからこそユリウスも感謝していた。麗奈と会えたことに、好きでいてくれる彼女の為ならばなにものでもなれるのだと。
そんな不思議な高揚感が包み込んでいた。




