第187話:虹色の瞳
『由佳里様!!!』
ドサリと倒れ、駆け寄った風魔は抱き起す。
血を止める為にもと自分の着物を破り、または術式を使う札をも利用して包帯の代わりとしている。
その間にも、ヘルスは魔王サスクールと魔法の応酬を始めている。
大事にしている弟の体を乗っ取る相手に、怒りがこみあげた。
「流石に弟を相手に本気は出せない、か」
「何故、由佳里さんを狙った!!!」
どうにか彼女との距離を離し、サスクールの行動を考える。
器と断言したからには理由がある。
もしやユリウスのように操るには、弱らせる必要があるのか。同時に生まれる疑問もあった。体を乗っ取るしか出来ないのか。
しかも異世界人というかなり限定的な存在に。
「お前の疑問に答えてやる。異世界人の中でも、必要としているのはあの女の……いや、一族というべきか」
「っ!!」
「そういう風に、適応された。厄介なことをしてくれたもんだ」
お陰で行動は狭まる一方で、自分の目的すら実行に移せない。
そんな苛立ちが、口調からそう伝わる。
だが、ヘルスに向けた言葉は――残酷だった。
「だが、お前があの異世界人を呼んだ。計画していた事を進められて嬉しいよ。これで――創造主を殺せるというものだ!!!」
「な、に……」
サスクールの言葉に衝撃を受けた。
今、彼は何を言った?
創造主と殺すと、そう言った……のか?
「っ、ぐうぅ」
ヘルスの視界の端から、もしくは影から襲い掛かる黒い刃。
それらを避けながら、自分の周囲に光の膜を張る。張ったと同時にとつもない質量の黒い刃が降りかかる。
大体の攻撃は防げたがポタリ、ポタリと血が流れていくのが分かった。
それが右肩だけてなく、自分の顔にも掠ったのを確認し、防御の甘さを痛感する。
(創造主……。今、そう言ったか……)
倒れている由佳里と傍に治療を始めている風魔にも光の魔法で、守りを固め自身にもその魔力を振る。
創造主。
サスクールの言葉が正しいのなら、それはあまりにも規格外すぎる。
この世界を作った神を殺す為に動いているサスクール。なら、それまでに起きていた大きな戦いは全て神とこの魔王が引き起こした結果となる。
人の体に乗り移り、操ることを攻撃手段としている筈だと思っていた。
もしかしたらそれ自体が間違いなのではないかと疑った。
「奴は姿を変える。何度もあと一歩と突き止めても、姿を消される。痕跡が見つけにくいんだ」
ランセはサスクールをそう評していた。
自分の国を壊し、最初に討たれた魔王のサスティスの国も同様にやられた。今までの経験から、サスクールは人の体に乗り移り自分から戦うような真似は見ていないという。
(もし、操る事しか出来ないのなら……)
今もユリウスを介しての攻撃は行われている。
弟の扱う闇とは違う、もっとドス黒くて息をするの苦しい感じ。これは魔王の魔力なのかと思ったが、何かが違うとも受け取れた。
ランセが魔王としての力を振るう力を見た事がある。
そして直にその魔力を見て、サスクールとのそれと違うと分かったからだ。
(自分の体がない……のか)
そう仮定すれば、ランセが何度も追い詰めても姿がないことも説明がつく。
サスクール自身が攻撃をしないのではなく、したくても出来ないのなら。
魂と言う概念はこの世界でも通じる。
なんせ死ぬと分かった者の前に現れる死神が、その魂を狩る。抜け殻のように、静かに息を引き取るのは人間でも魔物でも同じ事。
その魂を死神を集める理由は分からない。向こうの仕事だと言われればそれでおしまいだ。
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過去に1度だけ。
ヘルスとユリウスはその死神を見た事がある。片目が朱色の、この世の者とは明らかに違う雰囲気を発していた人物を。
「これも違った。奴にも困ったものだ。……いくら殺したいからと言っても」
そこでふと、彼は振り向き当然のように隠れていたヘルスとユリウスを発見した。
2人が居たのは父親の寝室。
母はユリウスを生んですぐに亡くなっており、それまでの間2人を懸命に育て国を仕切って来た国王だ。
「う、あ……」
「に、にいさま……」
今日は父の様子がおかしかった。
酷く疲れた上に、腕から伸びている黒い斑点。それがほぼ、全身にまで行き渡っていたこと。フリーゲとその父親であるリーファーも、この所ずっと厳しい表情が多かった。
だから薬師長であるリーファーに聞いた。
父に何があったのか。今、何が起きているのか。
それを上手くはぐらかされ、自分達に知らせないようにしているのは態度を見れば明らかだ。そして、決定的だったのはキールとエレナがその中に加わった事。まだ魔法隊も作らず、彼が師団長として働くよりも前。
当時13歳のキールに、エルフである彼女。
直感でもなく、予測でもない。ヘルスはすぐに察したのだ。
父親の、死が迫っているのだと――。
「あ、貴方……。貴方の所為なの!? 父の具合が悪くなるのも、皆が怖い顔をするのも」
「……」
「母も弟を生んですぐに亡くなった。お、弟は……大きくなったら、その事に苦しんでしまう。なのに、なのに父まで奪うのか!?」
震えながら訴えた。
ユリウスはまだ3歳で、ヘルスもまだ11歳。兄が庇おうとしているのは、自分の命でもなく弟の心配だった。ここで父まで奪われたのなら、自分はまだ平気でも弟が耐えきれない。将来、大きくなった時に心のどこかで母と父を殺してしまったんだと悔やむかも知れない。
周りは言わなくても弟は分かる。
現に今、幼いながらもユリウスは自分がこのまま大きくなっていいのかと少し迷っている節がある。
態度が行動が全てにおいて戸惑っているからだ。
そんな弟の気持ちを知らず、ただ普通に「あそぼー」、「かまってぇ」とヤクルとリーナが突撃してくるのが嬉しかった。
あの2人は変わらず、あのままユリウスと交流を続けて欲しい。
子供としての行動なら、ヤクルとリーナの方が合っている。自分を責めているユリウスをきっと助けてくれる。
その確信がヘルスにはあった。今、思えば自分の周りには助けてくれる人達が、無意識で助けている人達が多くいる。ユリウスにもその事に早く気付てい欲しい。
だから――ここで父を奪われる訳にはいかない。
そうれなれば、ユリウスは今度こそ自分の殻に閉じこもり外を見ようとしなくなる。そんな恐怖を兄であるヘルスは感じ取った。
「ふむ。人は自分の事ばかりと思うが、君のように例外で他人を生かそうとするのもあるね。……ねぇ、君は何でそんな風に自分を犠牲に他人を生かせるのかな」
「え……」
問われた内容に理解が追い付かず、ヘルスは間抜な声を上げた。
だが相手は――死神はそんな様子を気にしていない。むしろ、彼がどう答えるのかと今か今かと待っている。
「決まってる。大事な弟だからだ。自分が幸せになっても、弟がそうでないなら嫌だ。周りを不幸にしてまで自分が幸せになるのは間違っている。……そう、思ったらダメなのか」
「中には他人を蹴落として平気な奴がいるなかで、美しい心がけだね」
不安げに見上げるユリウスに、そっと手を置く。自分は大丈夫だと虚勢を張り、手を握り落ち着かせている。
しかし、ユリウスも気付いていた。自分を元気にさせる為に、握った手が震えていたのを。だから負けじと握り返す。その信頼関係を見てなのか、2人の事を見てなのかは分からないが死神は笑った。
「あぁ、成程。君等がそうなの……。ま、ここまで血が薄まれば可能性は低いと思ったが、私に似てしぶといのかも。だが君等の父親は死ぬ。その事実は変わらない」
「!!」
ビクリと体が震えた。放心状態に近い2人に、その死神は寝ている父親の前へと連れて行く。
「覚えておいて。今、苦しんでいる彼の姿はいずれば君達にも及ぶ。この国にある柱が、サスクールの呪いの影響を受けているからね。何代にも渡って、王族の男だけが苦しめられるのはその為だしその度に寿命は縮む」
息苦しい父親を見て、ユリウスは既に泣いている。そんな弟の様子を見ながら、ヘルスの心はどんどん冷えていく。そうでもしないと、自分が壊れそうで保てないと思ったからだ。
父親が苦しんでいる様は、いずれは自分達にも及ぶ。
何もしなければ柱としての機能が失われ、王族である自分達も死ねばそう遠くない未来にラーグルング国は消えるだろう。
決定事項のように、事務的に言われる内容にヘルスは悔し気に唇を噛むしかない。耐えるしかない。
「この国の柱を作ったのは異世界人である朝霧家だ。彼等もこの国を思っての行動だし、奴が呪いを付与したのだって単純にこの国が邪魔でしかないからね」
「……何故、そんなに毛嫌いされている」
「そんなの決まっている」
その死神はそこで瞳の色を変えた。
朱色の瞳から虹色へと変えた。その瞳の色を、その意味を知っていたヘルスは驚愕の表情を浮かべていた。
王族が管理する資料の中で、父親に教わっていた。
この国は、精霊との繋がりが強い場所であると同時に虹の精霊が守っている。精霊を作り出したのは、世界を作った創造主であり虹色の瞳を持っている事を。
「ま、さか……。貴方は……そんなことって」
「おや、もしかして知っていたのかい? ははっ、勉強熱心で偉いねぇ」
ヘルスの目線に合せるように彼は膝を折る。
優しすぎる笑みが、逆に恐ろしく見えた。自分の発言で、一体何が彼を怒らせるのか分かったものではないからだ。
「父親はこのまま苦しむだけだ。なら最後に、息子である君達と過ごす方をおススメしよう。平気だよ。彼は恨んだりなんてしない。ただ……残していく君達の事だけが、心配なだけなんだ」
「……とう、さまぁ……」
フラフラになりながら、何かを求める父の手を2人はギュッと固く握り返した。
死期が近いのは分かっていた。ただ、まだ先だろうと思っていただけだった。
「わるい、な……」
泣いている2人の息子に、父親としてかけらやれる言葉が見付からない。
ただ、自分よりも置いていく息子達の方がなによりも心配だ。だから、謝ったのだ。
何も残せなくてすまない。父親らしいことは出来ていないだろうと、色々と言葉としてはあったが――彼が最後に残したのは、泣いている息子達に対する謝罪だった。




