第164話:苦い記憶
ハルヒがまだ6歳になる少し前の事。
その日も児童養護施設で父親の帰りを待っていた。仕事が立て込みしばらくは暮らせない。だから仕事を終えたら、また共に暮らそう。
そう言った父親の顔は笑顔でいた。ハルヒは、父親の笑顔が好きで寂しくても平気だった。
また、迎えに来てくれる。
今度は自分が元気いっぱいの笑顔で出迎え、2人暮らしをする。
そう思って次に父親と会ったのは――目が覚めず動かない姿。
棺の中に納められている父親を見て、ハルヒは笑顔を消した。
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本家の人間と言った人物から、説明のないまま父親と対面。広い敷地に大きな屋敷。その門構えも重く、ハルヒにはどこか別の世界にも思えたのを覚えている。中を観察する間もなく、いきなり父親が眠っている棺に案内をされていかれる。
太陽のような明るい笑顔だった。
本当に動かないのか。確かめようとしたハルヒは駆け寄る。だが――。
「触るな!!!」
突然の大声に、体全体がビクついた。
恐る恐る振り返れば、ハルヒの事を見る目が視線が怖い。
汚いものを見るような、近寄るなと言わんばかりの態度を見て、幼い彼は理解した。
必要とされていないのだと。
肌で感じ、冷たい空気が幼い彼の心を苦しめる。今すぐにでも父親と話したい。どこか遠くに行くのだとしても、きちんと話したかったのだ。
「っ……!!!」
気付いたら走っていた。知らない家はただ広く廊下が冷たい。
まるで自分の心のようだ。こんなのはいやだと走っていたら、何かに引っ掛かったのかベシャと転ぶ。
「……ふっ……ふうっ……」
冷たい床。知らない天井。
全てがハルヒには怖い。でも1つだけ分かった事がある。
「おと、う……さん……!!!」
対面した時に本当なら泣きたかった。何で1人にしたのか、何で置いて行ったのか。
仕事の内容はよく分からない。でも、人の為に戦っているというのは何となく分かっていた。生まれてすぐにハルヒは見えない何かの存在を感じていた。
その事を父親に言えば「大丈夫だよ。味方だ」と言われ、不安だった気持ちがすっきりした。
もし、本当にお父さんの言う様に味方なのだとしたら……。
今の自分の気持ちを分かってくるのだろうか。
一緒に寄り添って来るのだろうか。
自分1人しか居ないのだ。母親も生んですぐに亡くなり、育ててくれた父親はもう居ない。
連れて来られたこの家で、どうにかやっていくしかない。そして、暫くして高い霊力が備わっている事が、分かり説明もなくいきなり修行を開始された。
「はぁ……はぁ、はっ……」
術の構成や霊力の流れなど知らない言葉ばかり。
そして目に見えない存在が、死んだ人間の魂であること。自分達がその魂の中で、害のある存在を倒す事を仕事としているのも分かった。
朝から晩まで修行をさせられ、疲れ切った体を誰も構う様子はなかった。決まって、食事は提供されるも冷めているものばかり。幼い彼の心がすり減っていくのに、そう時間は掛からなかった。
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「こんにちは」
「……」
いつからか自分に話しかけて来る女性がいた。
笑顔で話しかけ、縁側で座り遠くを見るハルヒに決まって話しかけている。
土御門家の人間でないのは気付いていた。
冷遇されているのに、霊力が高いばかりに分家であろうと育てる必要がある。ハルヒの父親が本家の人間だったのなら、もっと厳しく修行をさせられていただろう。
分家であったからこそ、修行は厳しくともハルヒに関心を寄せる人間は居ない。だからか時々こうして修行を抜け出して、縁側でぼーっとしてる。
「いつも1人なの?」
「……」
声を掛けて来る女性は黒髪で、瞳も同じ真っ黒だ。そして彼女の横には決まって白い犬がいた。尻尾を左右に振りハルヒにニコリと笑っているのが見える。
そう、見えるのだ。
その白い犬が霊的存在であるのは分かっている。見ていたらいつの間にか傍に寄って来ていた。
「……なに」
『名前は?』
「言いたくない」
『……うぅ。そんな悲しい顔しているのに?』
「うるさい」
もう話したくないとばかりに横を向く。そうしたら、その横には話しかけて来る女性が座っていた。何故だか八方塞がりだと感じた。逃れられないと思うのはそう時間は掛からず、ポツリと自分の名前を言っていた。
土御門 ハルヒ。そう名乗れば、その白い犬と女性は笑顔で自分を見ている。
それを見てポタリと泣いていた。それを見て、その女性は決意を固めたように、すっと立ち上がる。
「ちょっと待ってて。あ、そうだ……!!!」
彼女はそこでハルヒに聞いたのだ。
家に来る気はある? と。
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それからどういう経緯になったのかは分からない。
気付いたら彼は、その女性と共に土御門家を出ていた。これから何処に行くのかと言う不安に駆られる中、女性は何故か鼻歌交じりで手を握ってくれていた。
「あの……」
「ん?」
何処に行くのか。そう聞こうとして、口を閉じた。
どうせ環境が変わっても自分の待遇は変わらない。何でもないように首を振れば、フワリと浮遊感に襲われる。
「!?」
「こーら。ハッキリ言いなさい。何でも言って♪ 甘えて良いんだから!!!」
ふにゅ、と頬を軽く引っ張られる。
それに戸惑っていたら分家で、暮らしていたような門構えが見えた。苦い思い出しかないハルヒは、自然と体が震えていた。
安心するように頭を撫でられ「大丈夫」と繰り返し言われる。怖いものを見たくない気持ちで、ギュッと目を閉じた。
「おかえりなさい!!!」
元気な声が聞こえ、目を開ければ光が視界を埋める。
眩しくて何度か瞬きを繰り返し、やっと目が慣れた先には自分と同じ歳の女の子がいた。
その子の隣には赤毛の狐がぶすっと不機嫌そうにしていた。
「……」
「おかあさん、おかえりなさい!!!」
「ただいま、麗奈ぁ!!!」
ハルヒも抱き抱えているのに、娘と共にギュウギュウに抱きしめられる。娘の方は嬉しそうに「ギュー!!」と言い、ハルヒは分からずに同じように言葉を発していた。
「由佳里、おかえ……ちょっと待て」
奥から出てきた男性。彼はハルヒの父親と同じく着物を着ていた。ただその顔がどんどん怖くなっていくのが分かる。
「あ、の……」
「ん? あぁ、ただいま、誠一さん」
「……何を、拾って来たんだ?」
優しい口調なのにハルヒにはそう見えない。
麗奈は父親と母親を交互に見てやがてハルヒに気付き「だれ?」と一言。
「えと……」
「土御門 ハルヒ君だよ。麗奈、彼に家の中を案内してね」
「はーーい!!」
あっという間にハルヒの手を握り、楽しそうに家を駆けていく麗奈。九尾は誠一に向けて『頑張れ』と口パクで言い、麗奈とハルヒの後を追っていく。
その日、屋敷中に聞こえる程の怒声が響き、案内をしていた2人はゴツンと頭をぶつけ怪我を負う。すぐに裕二が頭を冷やしたり、祖父の武彦が誠一と由佳里を注意するだけでなく、正座をさせて反省をさせた。
「はい。今日はすき焼きだよ」
「わーーい!!!」
「……」
それからはあっという間だった。
簡単に家の中を教わったハルヒは、住み込みで働いている裕二と共にお風呂へと入りパジャマを着る。それら全てが終わった後、ハルヒを驚かせたのは温かい鍋を皆で囲うというものだった。
すき焼きを喜ぶ麗奈と違い、ハルヒは戸惑いを覚えた。
自分は居るべきでないと思い静かに抜け出す。ズシリと背中に体重がかかる。
なんだと思って振り返ると、麗奈が必死にしがみついていた。
「……」
「うぅ、どこいくの」
「……」
「どこ、いくの」
麗奈は全体重を乗せてハルヒを止めに掛かる。一方のハルヒは抜け出す為にと必死で力を出すも、途中で力尽きてしまう。そして気付いたら由佳里の膝の上に乗せられていた。
左側には麗奈は乗り、右側にハルヒと言う風に乗る形。どうなっているのかと思っていると目の前に出されたのは、ご飯とすき焼きの具。
牛肉、白菜、しらたき、きのこ。
器は温かく湯気が見え、ご飯もみそ汁も同様に暖かいのが分かる。
「はい。麗奈に捕まったんだから、ハルヒ君は諦める。良いね? それじゃあいただきます!!!」
「いただきます!!!」
当たり前のように言われる言葉に、ハルヒは戸惑いつつも小さく「いただきます」と言い食事に手を付ける。
「!!!」
温かい食事を父親と食べた時の事を思い出す。
分家で食べていた時は冷めたご飯で、味は合っても楽しくはなかった。だけど朝霧家に連れて来られ、当たり前のように食事が用意されている事に驚いた。
そして、それを誰も不思議がったりせずにいた事。
美味しい食事と温かさを知った彼は静かに泣いた。父親と2人暮らしをしていたのを思い出し、ここでの生活を始める事になる。
それは、ハルヒが求めていた当たり前の日常と家族風景そのものだった。




