第107話:ニチリの変化④~契約者~
──なにを、言っているのか……とアウラは思った。
麗奈の言葉と意味が分からず反応に遅れる。
しかし、彼女の表情は真剣であり、冗談を言っているようには見えなかった。
あぁ、自分にも真剣に取り組んだ事があったなと頭の隅で思った。麗奈の話を聞きつつ、アウラは昔の自分を思い出していた。
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ニチリの国に大精霊は存在するが、誰もその姿を見た事がなかった。ただ、国の守護を担う役割として緑色の水晶と蒼い水晶の2つを代々守るのは神子だと決められている。
神子。
神の声を聞き皆にそれらを示す役職であり、召喚士と同じ意味合いをニチリでは持つ。
召喚士との違いを上げるなら創造主、ディーオの声が聞こえるか否かという点。
「異世界からハルヒとゆきと言う2人……このまま何もしなければ助からないよ。耐えられるかな、君は」
いつものように、祈りを捧げていた時に聞こえた突然の内容。カタカタと体が震え出し、無意味に自身を抱き締めるようにして落ち着かせようとする。
「助からない……たす、からない……つまり、死ぬ……?」
その言葉はアウラにとっては恐怖でしかない。
生まれてすぐにずっと「助からない。なにもしなければ……君は死ぬよ」と耳元で囁かれ続けていた。言葉はまだ覚えていないまだ小さな命。
残酷とも言える内容を理解するのは意外に早かった。彼女が4歳の時、自分が気に入って父に無理に頼んで飼った子犬がいた。
その子犬は病で倒れ、治癒魔法を扱える者がいないニチリでの治療方法は薬草のみ。しかし、既に薬草での治療ではどうにも出来ない所までその子犬は弱り切っていた。
「っ、ぐずっ……ね、どうにか、できない……?」
「姫様……」
幼い彼女の願いに、世話役のウィルはフルフルと首を横に振った。
薬草がダメなら薬湯をとも思うが、あれはあくまで自分達人間用の物。動物用に作りかえるには、今のニチリでの環境では難しいのだ。
この所、頻繁に起きている荒れ狂うような波。
津波が起きていないそれらは安心出来るような物ではない。吹き荒れた潮風により、植物に異変をもたらす。潮風に晒されてもしおれること無く、元気な木々や薬草もあった。日常的な潮風も、毎日毎日荒れる波風に晒されてしまえば、耐えられる容量を超えてくるのか枯れ始めていく。
米を作る文化のあるニチリでは、その被害は深刻なものだ。
潮風から守る為の木々は、連日の波風と強く吹く風により枯れ始めていき防波堤としての役割がなくなった。
ニチリにある水晶の柱は外敵から身を守る為の力はあっても、自然を追い払うような力は無い。ベルスナントは頭を抱え、宰相を含め重鎮達に対策を促した。
「姫様……この子犬はもう助からないのよ」
「たす、からない……? なに、どういう……こと?」
弱り切っていた子犬は、苦しげに呼吸をしていた。しかし、それは少しずつ、少しずつ、音が小さくなりやがて聞こえなくなった。
「ね、ねぇ、なんで……? さっきまで、いきしてた。なのに」
「助からないって言うのはね……生きていたこの子の、歴史が終わる事なの」
「お、わる……?」
「生涯を終えると言えば、良いかな。……ほら、私達、鳥や牛、豚のお肉を食べるでしょ?」
自分達が生きる為に生き物を殺す。食べ物がないと自分達も、この子犬のように息をしなくなる。
命が終わるとはそう言う事だと言った。
子犬は苦しくも生涯を終え、天へと連れて行かれたとウィルは説明した。
「おわる………たす、からない………」
日々、自分にしか聞こえない声。
低く優しい声。しかし、幼いアウラにとって、助からないと言う言葉が自分に向けている言葉だと気付き――瞬間、理解した。
(……わたしは……たすからない………)
さっきまで苦しそうにしていた子犬のように、自分も糸が切れたようにパタリと倒れるのだと理解した。そこからアウラは興味を持つ事を止めた。
それらに影響されてか、荒れる波は静まり穏やかな海の姿に難を逃れたとベルスナントは思った。だが、同時にアウラから笑顔が見なくなったのも……この時からだった。
ずっと、自分は助からないと言う言葉が日々強く耳に残るのに自分は神子と言う立場。神子は声を聞くのと同時に国の守護に就く意味もある。その為の大精霊の水晶を代々2つ持ち今まで守って来た。
しかし、このニチリもラーグルングと同様に王族の命を奪う呪いが付与されておりそれは神子の命をも狙う事へと繋がっていた。
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「これを見て下さい、アウラ様」
確信を持って麗奈はアウラに見せる。
直径2センチ程の透明な水晶と何も書かれていない紙。しかし、次の瞬間にはそのどちらも反応を示した。
水晶には赤と青、緑色の光が変わり続ている。紙の方は見た事もない文字が浮かび上がり、鳥の姿になって下へと口ばしを突いている。
「……こ、れは……」
「私、ディルバーレル国で魔族に連れ去れた事があって……ハルちゃんに互いの居場所が分かるようにと渡されていた式神の札です。ゆきには精霊との契約をした時に扱う水晶にウォームさんの力を流し込んでいます。彼が言うには、探知も行えるし今も力を感じている、と言いました」
だから、2人は生きています。
アウラの手を握り「ゆきもハルちゃんも、生きてます。まだ、諦めたら早いです」と力強く言われた言葉に思わず涙が零れた。
「っ、間に、合う……のですか? ハルヒ様も、ゆき様も……まだ」
「諦めたらそこで終わりです。それに2人だってそんな簡単には諦めないです。だから、アウラ様……もう泣かないで下さい」
絶対に助けて見せます、と麗奈は約束をする。
それはとても真剣で、不思議と心に染みるような声にアウラは行動に移さなければいけないのだと思わされた。
(……守られる、のは……もう、嫌だ……私も、私も……)
出来る事なら戦いたい。
ハルヒが呪いを解いたあの時から……。自分は彼に色んな事を教わり、そして友達と言うのを知った。幼い時、全てを諦め死ぬことすら容易に受け入れていたものを彼はあっさりとぶち抜いた。
彼のように、自分も強くありたい、とそう願わずにはいられなかった。
「っ、水晶が……熱い?」
その時、アウラの首に下げていた青い水晶が光り輝く。そこから漏れる光は温かく太陽に包まれているような不思議な感覚。
≪私は……ウンディーネ。水の大精霊のウンディーネ≫
「っ……」
「精霊さん、もう片方の」
突然の声に驚くアウラとは対照的に麗奈の方は既に声の主を辿る。フワリ、と風が吹き視線を向ければアウラの真後ろには杖を持ち優し気な表情をした女性が立っていた。
杖の先端には大きな青い水晶があり、トライデントのような見た目の杖。その水晶が青い光を放ち、中からハルヒとゆきの姿が映し出される。
「ハルヒ様、ゆき様!!!」
無事でいる事に嬉しさが込み上げ、思わず大声で呼びかけた。しかし、2人からの反応はなく何かを必死で探る様に辺りを見渡すばかり。声は通らず一歩通行でもない。ウンディーネの言うようにただその姿を映し出しているだけだと、言った。
≪私の力はまだ完全ではない。お父様……貴方のお陰で十分な魔力を頂きました。ありがとうございます≫
≪気にするでない。子供を助けるのは親の義務だ≫
「……ウンディーネ様。……あの、貴方は今まで……」
≪アウラ。私の力を元に戻すのにはあの魔物を倒さないといけないの≫
貴方にその覚悟はある?
訴える視線からそう読み取れたアウラは、少しだけ間を置きすぐに「私で出来る事なら……!!!」と強い意志を持ってウンディーネに答えた。それを聞いて、彼女はクスリと優しい笑みを浮かび≪良かった……≫と安心したようにほっと胸を撫で下ろした。
《私の主……契約の元、貴方との力となりましょう》
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突然、膨大な魔力を感知し同時に目が焼けるような痛みにより苦痛に顔を歪ませる。
「っ、つぅ……いま、のは……」
起き上がりながらも、フワフワした頭で魔力を感知した方向へと目を向ける。今の感覚は身に覚えがキールにはあった。
(大精霊との契約……誰なんだ……)
大精霊の魔力は精霊の比では無く膨大な力を持っている。魔女の目を持つキールは魔力の流れが見える性質上、どうしても反応してしまい反動を少なからず受ける。
だから彼の場合、大精霊のインファルとエミナスとの契約を果たせた時に体力と魔力の消費だけでなく、力の流れが見える事で目の痛みに耐えなければならない。
だから一ヶ月はまともに動けずにおり、その間の世話をランセに任せる事になってしまった。
「誰かが、大精霊との契約に……成功、したのか……」
《シルフに続き、ウンディーネまでとは……。ラーグルング国同様に面白いな》
「くぅ、私は……今日で、2度もこの激痛に、見舞われる、のに」
呑気だな、と睨み付けられたインファルは気にした様子もなくふっと笑う。
《過去にない事だからな。自然と嬉しくなる》
「キールさん!!!」
インファルとキールの間に現れた麗奈とウォーム。すぐに麗奈から魔力を渡され、目の痛みも引いていく。それと同時に、尽きかけていた自身の魔力が回復していくのが分かり驚きで目を見開いた。
《よう持ち堪えたな。まっ、キールは歴代の大賢者の中でも抜きん出て天才だからのぅ。心配はあんまりしとらん》
「ウォームさんが心配しなくても私が心配です」
《むぅ……すまん》
むっとした表情の麗奈にウォームはすぐに謝り土下座する。インファルがクスッと笑い、それに気付いたウォームからは睨まれる。
しかし、土下座をしながらも睨むと言う器用な事をしている中もキールは呆然とし理解はしていない。
(どう、しよう……なんて言えば……)
彼女がここに来たと言う事はダリューセクでの戦闘は終えてた事をさし、ユリウスも来ているのは容易に想像がついた。主である麗奈の親友を守れなかった事を報告するべきだ、と。
頭では分かっているが、口が乾き上手く動かせない。思考がまとまらず何も言葉を発しないキールに麗奈は気付いた様子もなく話し掛けてきた。
「キールさん、無理してないですよね?」
「……え」
「ディルベルトさんから聞きました。津波に襲われた時に大精霊のシルフさんに助けられた事、ディルベルトさんがその精霊を扱える資格を得た事。キールさんが幾つもの魔法を同時に展開して、戦闘に参加した人達は全員無事だったって」
あの時みたいに無茶……してないですよね?
少し泣きそうな表情からは言葉がそう紡がれたような気がした。何とか大丈夫だと言えば、「良かった……」とほっとした様子の麗奈。そこからゆきとハルヒが生きている事、水の精霊ルネシーの力により2人は守られている事を聞き、これから対策を練ろうと色々と動いていると言う。
キールの様子を見に来たのも、ディルバーレルでのような魔力欠乏症になっていないかを心配して来たからだと言う。しかし、キールはその辺を心配した様子はなかった。
「主ちゃんがくれた物があるからね。……うん、君のお陰」
「え、きゃっ」
ゆっくりとした動作で、しかしごく自然に麗奈は抱き寄せられる。驚いている内にしっかりと抱き込まれ逃げ場をなくし、空いた両手で押し返そうとも簡単に封じられてしまう。
「私の、自慢の主だよ。君は」
「っ……」
真正面からそう言われるのが恥ずかしいのか、真っ赤になり抵抗しようともがく。耳元で不意打ちのように言えばさらに顔が赤くなるのを知っているが、こうして正面から言うのも効果があると分かり、思わず笑みが零れた。
(主ちゃんといると本当に飽きないな……)
そんな楽しい時間もすぐに終わりを告げた。
キールの腕を叩き麗奈はユリウスの方へと抱き寄せられていた。見るからに不機嫌な彼にキールは笑顔で「無事で良かったよ」と言えば「そうだな」と返って来るが、声色も怒りが滲み出ている。
「ユ、ユリィ……」
ぎこちなくユリウスを見る麗奈に、彼は見た事もないような蕩けるような甘い笑顔を向ける。瞬間、ゾクリと背筋が凍るような感覚に麗奈はまずいと悟った。
今まで見た事がない表情=怒っている、と言うのが麗奈の中で変換されすぐに誤解を解こうと動く。
「ご、ごご、ごめん……っ!!!」
キールのちょっかいだと言おうとして、言葉を発せなかった。ユリウスの顔が物凄く近く、息をするのも辛い至近距離。それにも関わらず彼は当然のように、麗奈を引き寄せ口付けをしてきた。
「わぁ、見せ付けるねぇ」
キールの声に麗奈はギクリとなる。人前だと気付き離れようとするも、ユリウスからは逃れる事が出来ないまま「充電中だ」と言う命令のような口調から解放されたのは5分後の事だった。
「うっ、うぅ……」
《安心していい。私は君の味方だ》
「インファル、さん……」
充電と言う名目のキスから解放されてすぐの事。麗奈はインファルの方へと逃げていた。黒い一角獣の彼も今は黒いローブを身に纏った人外めいた美しい男性へと姿を変え、子供をあやすような優しい手付きで頭を撫でていた。
《無理強いはよくない。そもそも貴方に非はないのに》
「うぅ、でも私が悪いみたいに……2人して……!!!」
「主ちゃんが可愛いのがいけない」
「キールが煽るからだろ」
「あれぇー、何かした?」
ニヤニヤと意地悪い笑顔にユリウスはキッと睨み付ける。そのやりとりを溜息交じりに見るインファル。麗奈は離れたくないのかぎゅっと裾を掴み、部屋から出たいと視線で訴えるが首を横に振られた。
拒否だと分かり、泣きそうな声で「なんでぇ!!!」と出したのがまずかった。キールから「主ちゃん?」と呼ばれるも振り向きたくないのかインファルに抱き付く。
「契約した精霊は一定範囲内に契約者が居ないと自由に具現化出来ないから。契約者から離れて行動出来るのはブルームとウォームだけだし、契約者から命令ない限りは自由には出来ないよ」
「そうなのか、ブルーム?」
《我に話を振るな、馬鹿者》
声だけが響き、姿がないのに何処に居るのかと麗奈はキョロキョロすると《我は小僧を通して見ている。そうでなくてもウォームとも共有しているからな》と頭の中に直接聞こえてきた。
《異界の女、あとで話がある。小僧を近寄らせるな》
「え……」
《声を出すな。インファル、誤魔化しとけ。……良いな?》
凄みのある声に麗奈とインファルは、小さく頷き《はいはい。怖かったねぇー》と全力で構う姿勢を貫かれ、困惑気味になりながらもその場はなんとか誤魔化した。
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《悪いな、異界の女》
ブルームは麗奈を乗せ空へと上がっていた。インファルとエミナスの協力でどうにかその場を抜け出しユリウスと別れた直後、麗奈はストンとブルームの背に転送されていた。
その鮮やか過ぎる行動に思わず「え、えっ……ブルームさん?」と慌てたように聞きズルリと下に落下していく。すぐに白虎が麗奈を抱えて結界を足場にして空中に留まる。
『落ちて来るからビックリしたよ』
「ご、ごめん………驚きすぎて、慌ててた」
人の姿でならすぐにでも主を撫でたい衝動に駆られるが、今は虎の姿でブルームに向き合っている為に後でモフモフとしようと考える。バサリ、と羽をはためかせゆっくりとした動作で向き直る。
≪準精霊がいるから安心していた。呼び出したのは我だ。……おい、これで良いんだろう≫
(準、精霊……?)
何だろう?と首を傾げれば「久しぶり」と言って麗奈の前にスゥと現れたのはサスティスだ。ヒラヒラと手を振り笑顔の彼に、麗奈の表情はすぐにぱあっと明るくなる。
「サスティスさん!!!」
「ふふっ、嬉しそうにしてくれるのは本当に気分が良いね。……寂しかった?」
「はい!!! ザジもサスティスさんも会えなくて、私すっごくすっごく寂しかったです!!!」
「………うわっ、直球」
思わず顔を逸らし、口に手を当てて参ったと言う表情のサスティスにブルームは≪貴様っ、本当に死神か……?≫と睨み付けている。白虎は黄龍と青龍と情報を交換していたから彼等の事も分かっている。
まず2人に言われたのは主が他に言わない限り、自分達からも情報を開示するなと言うものだった。死神の存在は彼等にとっては解釈が難しく、また麗奈だけ彼等の存在と触れ合えると言うこと自体が珍しい事。
それらの事から、下手に波風を立てるよりは黙っていた方が良いと言う事だと、2人から言われ風魔も含めて同意した。
『(主にしか触れ合えないって言うのが、なんか訳があるんだよね)』
「ザジはどうしてるんですか?」
「んー仕事中だよ。私達もこっちには仕事で用があったからね。あ、ダリューセクではお疲れ様」
「見てたんですか!?」
「ごめんね、仕事だから。前みたいに関わるのは難しくてね……上司が色々とうるさいから」
「お疲れ様です」
しみじみと言う中で、殺気が込められているのを感じた麗奈はなるべく笑顔で対応。そうしたら「ごめん、気を使わせたね」と頭を撫でられる。
「ねぇ、クラーケンの正体……知りたくない?」
「魔物……じゃないんですか?」
「それはね──」
耳打ちで告げられた内容に麗奈は驚愕の表情をし、思わずブルームを見た。彼もその意味を知っているのか、肯定するように首を振り《あそこまでなれば元に戻りはしない》と告げてくる。
《あれは魔物ではない。本来は大精霊クラーケン……それが本来の姿であり名前でもある》




