第91.5話∶手を伸ばした先は異世界
一度目の魔族による侵攻は虹の魔法により魔物の大軍を消滅し、被害を抑えた。その後の復興と虹の魔法の再来により人々は神の使いだと騒ぎ始めた。
(最初に出来た魔法は虹の魔法。全ての属性の結晶であり全ての頂点。………そしてフェンリル様の言葉)
王女殿下たるセレーネは毎朝祈りを捧げていた。それは精剣のフェンリルに託す思い、精霊を扱う者としての最低限の義務だと教わった事。彼女がそれを教えられたのは14歳の時。
蒼い色の髪に、緑の瞳を宿している筈の彼女の姿は今は違う。黒髪に茶色の瞳を宿した日本人の顔立ち、西洋系に近いこの世界の彼等とは完全にその風貌を違えていた。
(この世界に来て………既に4年。もう、向こうに戻る気などない)
麗奈やゆきがこの世界に転移されたのと同じ、弓川 咲はこの世界に転移されこのダリューセクへと導かれた。
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ー4年前ー
「……………」
見渡す限り、自分と同じ容姿の者は居ない。黒髪はおらず外国人の様な金髪や色を染めた様な髪が多く言葉を失った。
いつものように学校と家を行き来する毎日。家に帰れば待っているのはいわれのない暴力。毎日毎日、神経がすり減るような思いで1日を過ごす。
母親は居ない。幼い時、買い物に行くと言って行ったきり戻って来なくなり母親が居ないとずっと泣いていた。夜遅くに帰って来た父親は仕事を止めて来たのか、帰っても酒に飲まれ続け娘の咲に暴力を振るった。
(何も、何も……考えなければ、なにも………何も怖くない。怖く、ない………)
学んだ防衛本能。泣き叫んでも誰も助けてくれない。だったら言葉を出さず我慢するしかない。家を出た母親はあれから帰って来ず、完全に縁を切ったと分かるのに10歳も満たない咲には理解してしまった。
だから、家事も幼い時に母親がやっていたのをうろ覚えで行い何度も失敗した。家庭内での虐待が日々騒がれる中、役所の人間が何度か訪問に訪れた。
縁を切った母親の行方を追う事は考えない。出て行った人の事など考えていても意味がない。なのに、その母親からなのか家に差出人不明の茶封筒に入った現金が送られてくるようになった。
来る時間も決まって学校帰りの時間帯。中学生になった咲はそれを受け取り、中身を見て数十万円の大金を見て驚いた。よく見ればメモ用紙でごめんねと書かれた字があり………母親だと気付いた。
(………何で、何でなの………)
出て行ったきり戻らず、そのまま蒸発し次に現れたのはお金。
既に崩壊に近い状態の咲の心はそこで、完全に壊れた。酒に飲まれる父親を見て、すぐに自分の部屋に閉じ籠る。目を合わさなければ暴力を振るわれる事もない、酒が切れた時に怒る位なら届いたお金は全て酒代に消えれば良いと思った。
彼女は、その中の数万円だけを抜き取り自分の生活費にあてた。最低限、自分の生命を保てるだけの食料と日用品は買わなければと考えたからだ。部活なんてものは入らずにいた。お金が掛かるし、遅く帰っただけでも暴力を振るうのだ。
入りたくても入れない。周りが笑顔で学校生活を送る中……自分は生きていて良いのだろうか?とさえ思った。
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自分は生きている価値はない。
14歳になった咲は毎日変化のない日常を歩んでいた。生きていても死んでいるような感じならいっその事……と、暗くなる気持ち。いつもの学校帰りに、不意に感じたゾクリとした悪寒。振り向いても誰も居ない。ただ、人が急に居なくなり自分だけが違う空間に囚われたような感じに、知らず知らずの内に体が震えていた。
(に、逃げなきゃ………)
何処へ?
家に帰っても、誰も居ない。
(それでも、逃げなきゃ!!!!)
帰れば待っているのは父親からの暴力。
誰も助けてくれない、人々。
テレビもスマートフォンもない自分に、機器の使い方など分かるはずもない。
(怖い………怖い!!!!)
誰か、誰か………と暗闇に潜む何かに追われる感じ。
死んでも良いと思ったけど、でも自分はその死が怖い。
「誰か………誰か助けて!!!!!」
その時、足元から光が浮かび上がった。
その光は見えない敵を排除し、自分を包む様な光。そして誰も居ないはずなのに、声が聞こえてきたのだ。
「君は、変化を求めるかい?」
「っ、え………」
声色的に男性であり、その声は優しくそして包まれているような不思議な感覚。突然聞こえた声に咲はただ困惑を示していた。
「求めるなら、君を………この世界とは違う所へと誘おう」
「し、死ぬんですか………」
思わず出た言葉。
違う世界と言われて、その直前まで死にかけていたのだ。自分がこれから向かうのは死後の世界かと、何故か納得してしまった。しかし、その声は笑い出したのだ。お腹を抱えているような、ずっとずっと笑っていてバカにされてたように思い空虚を睨んだ。
「ごめんごめん。そんな事言うなんて思わなかったんだ。死にたいなら、お望み通り死なせてあげるけど?」
「…………」
「違うなら願いを込めて。こことは違う所へ、こことは違う場所へと行きたいと言う願いを込めるんだ。願いは万能だからね」
言われるまま願った。
変化のない日々には飽きた。今の日常ではない場所なら、何処へでも良い。何処へでもこことは違うのならなんだっていいと、こんな世界は嫌だと願った彼女はその日この世から姿を消した。
創造主、ディーオの導きにより異世界の人間が呼ばれた瞬間だった。
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「あ………」
光に包まれ目を開ければ、自分とは違う容姿の人達。制服を着ている自分とは違い、何だか突き刺さるような視線に居心地の悪さを覚える。座り込んでいる場所は円卓のど真ん中。
周りはといえば突然の事に皆、反応が遅れそしてはっとなり動いたのは男性の怒声だった。
「何者だ、お前は!!!!」
「!!!」
右側から聞こえてきた声に思わずビクリとなる。
学校帰りに持っていたカバンを握りしめれば、腰に下げた剣を手に取る動作が目に入った。
それが、竹刀を持って自分に振り下ろす父親と、被った。
「い、いやあああああああっ!!!!!」
カバンを投げ付け慌てて走った。何もない所につまずくが、それよりも自分が殴られる恐怖の方が強かった。
「ごめんなさい、ごめんなさい!!!!!」
彼女はその場にしゃがみ込んだ。今まで暴力を受けてきた事が一気にフラッシュバックし、そして学校帰りに何かに襲われかけていた死の恐怖。混乱し、錯乱し知らない世界にポツンと置いて行かれた。
知らない世界へと望んだが、心の準備もなく前触れもなくいきなりの出来事。整理をしたくても今の咲は泣き叫び、ずっと謝罪を述べていた。
「殴らないで!!!!何でもします、言う事聞きます!!!!!だから、だから……」
「な、なんなんだ、いきなり」
「待ちなさい、フィンネル」
フィンネルは剣を抜く間もなく謝り続ける咲に困惑を示し、訳が分からないと言う表情を浮かべていた。それは他の騎士団達と同じ反応を示し、宰相はいきなりの来訪者に警戒を強めていた。
そんな中、蒼い髪を肩まで伸ばし緑色の瞳を宿した少女のセレーネは剣を抜くのは待つようにと命令を下した。
「しっ、しかし、殿下っ!!!」
「良いんです、フィンネル」
コツン、コツン、とヒールのある靴が鳴る。
体を縮め、ガタガタと震える咲にセレーネは同じ目線になるようにと自身もしゃがみ込んだ。
「貴方のお名前は何て言いますか?」
「え………」
いつまでも来ない衝撃。
そして今までとは違う声に、咲はゆっくりと顔を上げた。上げた先では緑色のドレスに身を包んだ自分と同じような年齢の、可愛らしい少女が微笑みかけていた。
「私はセレーネ・ウィル・ダリューセクと言います。この国を治める王族で、水の都ダリューセクを守護する人間です。変わった髪の色をしていますね」
何処から来ましたか?と質問してくる彼女。咲はズズズッと垂れていた鼻水を吸い泣き顔を見せないようにと制服の袖を使い顔を拭いた。いきなり絶世の美女が現れたのだ、思わず数歩下がればセレーネも同じように近付いてくる。
「うっ、あ、あのっ……」
「安心して下さい。危害を加えません。………怖い思いをしたのでしょう?」
フワリ、と風が吹いたような感じがした。
セレーネが咲の頭を撫で「ヨシヨシ、もう平気ですよ~」と、妹が出来た様な感じで頭を撫でまくられる。思わず周りの者達は「ひっ、姫様!?」と驚愕の声を上げるも、宰相は頭を抱え「すぐに別室を用意するように」と命令を下し、会議を切り上げる。
「咲………可愛い名前ですね♪」
「王女殿下」
「あれはもうだめですね。ふふふふっ」
「笑い事ではないんだがな………」
その後。
別国の密偵、盗賊、暗殺者、魔族とあらゆる可能性を捨てきれていない咲の処遇は………セレーネが見た目可愛さ、同い年保護と言う自分の欲求に素直に実行し、周りを黙らせた。
宰相のファルディールは睨み、傍に控え王女殿下の護衛を任された騎士団長のナタールは笑いながら言い放った。
一方の咲は侍女達に連れて行かれ、お風呂に入れられあれよと言う間に髪を綺麗に仕上げられ、服も制服ではなく白いワンピースを着せ淡い水色のカーディアンが着せられていた。困惑の表情を浮かべながらも、セレーネからのヨシヨシと撫でられペットのような扱いを受けていた。
(ど、どうなっているの……この状況は)
「コホン。時に咲嬢……貴方、魔力をお持ちか?」
「魔力………?」
「ダメですよ、ファルディール!!!怖い顔は咲に近付かないで下さい!!!!」
「これは尋問です、殿下」
「お断りです!!!!!」
「あ、あの、魔力って……」
「大体、貴方は顔に皺が寄り過ぎです!!!そんなんだから周りから怖がれるのですよ」
「それは大いに良かったです。誉め言葉として受け取ります」
「頑固者!!!!」
「それも受け取りましょう」
「あの………」
セレーネと宰相の口喧嘩はヒートアップし、咲を置いてけぼりにされる。どうしようかと傍に居たナタールに思わず、助けて欲しいと視線を送れば彼はニコリは笑い咲の近くに膝まついた。
「魔力は魔法を扱う時に使うエネルギーの様なものです。見た所、貴方はかなりの魔力量をお持ちの様ですよ」
「えっ………」
淡い水色の髪を短く後ろに結んだナタール。水色の瞳はとても綺麗であり、人形染みた美しさも含んでいたからか咲は少しだけ、怖いとも思ったが質問に答えてくれた人にそう思ってしまうのは……とちょっとだけ距離を取った。
(魔法……魔力………じゃあ、あの人は一体……)
自分を導いた謎の男の声。
変化を求めるなら連れて行ってあげると言われ、そのままの勢いで来てしまった。しかし、咲はこれで自分の居る世界に戻らなくて済むと言う方の気持ちが強く、それだけで心が軽くなった。
ほっと、息をつき自然と笑みを浮かべていた。
「あーーー、ナタール!!!!ズルいです、咲と話をしているのは私ですよ!!!!」
「これは失礼いたしました、女王陛下」
「待って下さい話はまだ」
「出て行きなさい、男達!!!!」
「何故そうなるのですか!!!!」
「ふっ、ふふふっ………あははははっ」
その言い合いに咲は笑ってしまった。
今まで思い切り笑った事が無かった彼女は、セレーネ達のやり取りに笑ってはいないと分かっているのにと、そう思えば思う程に咲は笑い続けた。初めはキョトンとしていたセレーネ達もつられ笑い、収まるまでにかなりの時間を有した。
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「異世界人………では咲嬢は此方とは縁を持たない者である、と言う事ですね」
「えぇ。声に導かれたから伸ばした先が……ここ、ダリューセクと言うことです」
早く咲を撫でたい!!!と、ワガママを言うセレーネを睨みで黙らせ話をまとめた報告書を今一度読み直す。
名前は弓川 咲。
年齢は14歳、自分の居た世界とは全くの違う事は分かりつつも命の危機に際して導かれた声によりダリューセクへと引き寄せられた少女。
問題はその容姿と保有する魔力量だった。
文献や王族の書物には度々、異世界から人を呼び寄せ危機に瀕した国を救う物語が残されている。各国でそれらは広まり異世界人の保護と言う名目で、様々な小国達が大国に対して恩を売ったり、取り込む材料として彼等を悪用としている所は少ない。
共通して魔力量が多く、数多の奇跡と対戦を終結に導き同盟を増やしてきたのは今での語り継がれている夢物語としている。が、現実に起きている。
このダリューセクで、咲が呼ばれた事がその証明であり容姿が違う事。少し前に起きた魔物の大量発生。ちょっとした変化だが、宰相のファルディールは嫌な予感を覚えた。
「どうみますかセレーネ様」
「そうですね。………彼女の魔力はどの程度のものなのですか?」
「魔道隊の者達に聞けば、計れないと……言われてしまいました」
「それ程の魔力量を持っているのですか」
「恐らく………大賢者クラスかと」
「それは不味いですね」
この国にある魔力測定器では咲の力を完全に計る事は出来ず、彼等を悩ませ今は魔法に関する書物を読んで貰っているとの事だ。セレーネの心配する点は転移されて来た彼女の扱い方だ。
大賢者も英雄視されその力を求める国は多い。大国のダリューセクで転移されてきたのはある意味では幸運だったのだ。魔法国家のラーグルング国なら、それだけの力を持った者を隠す力に長けているかもしれないが、ダリューセクは魔法よりも騎士の防御力と魔道具との連携で成り立っている国だ。
魔法の専門分野となるとどうしてもラーグルング国より劣る。しかも、大賢者程の魔力量を有する事を意味するのは……大戦が開かれる予兆と言わざる負えない。
「咲を………守ります。彼女は自分の世界には帰りたくないと言っていました。事情があるのはあの怯えようで分かります」
「………暴力、でしょうね」
「フィンネルが剣を手に取った姿を見た時の怯えよう……日常的に振るわれていたのでしょう。侍女達からの報告から所々に痣があると聞いています」
「両親から、でしょうね」
「聞く気はありません。貴方も聞かないで下さい。………彼女から言って来るまでは静観を貫きなさい」
「承知しました」
その夜、王女殿下セレーネは襲われた。
空間を利用した攻撃方法から、魔法を巧みに操れる人物だと推定し城中を駆け回り捜索を開始したが空間を利用するなら既に逃げられているだろうとなり、断念せざる負えなかった。
彼女は幸いにも無事で済んだが、毒の作用により植物状態へと追い込まれていた。
「………っ、わ、私!!!!私、彼女の代わりになる」
「なっ、何を」
驚きの声を上げたのはナタール。
集められた中に咲もおり、団長達は思わず咲を睨んだ。まだ来て数時間しか経っていない見ず知らずの者が何を言っているのか、と。
「咲嬢、気持ちは分かるが……」
「セレーネ様は私に手を伸ばしたんです。……私、役に立ちたい。背格好も似ています、声も近いですし身代わりにならなんとか」
「髪はどうなさるのです」
はっ、となる。
自分と彼女とでは埋められない。衣装を着ても声を真似ても、顔を近付けても髪の色までは変えられないと言っているのだ。本来、部外者をここに置くなどと誰もが思ったが、宰相が許可をしたのであれば誰も口を挟む真似は出来なかった。
「ま、魔法で………あの人は言ってました!!!!願いは万能だと」
強い思いと強い意志が力となり願いを叶える役割を担う。
その時、咲の足元から白い光が溢れ出した。それらが粒子となり、黒から蒼い髪へと茶色の瞳から緑色の透き通るような色を映し出す。
「!!!!」
その場に居た者達は息を飲んだ。
確かに背格好は同じで声も似ていた。違うのは髪と瞳の色だけだったのだ。
「わ、私に作法を教えて下さい。セレーネ様の仕草、身の振り方。何でも良いです………協力したいんです!!!!!」
この日、ダリューセクは覚悟を決めた。
転移して来たばかりの常識も知らぬ彼女を使い、真の王セレーネが目覚めるまでの時間稼ぎにと。宰相は苦渋の選択をしたのだ。
「……ご命令とあらば、このファルディール。貴方様のご命令に従うまでですセレーネ王女殿下」
国民を騙す事になろうとも、平穏を担う為に何も知らない少女を王女と仕立てる事に心を痛めない訳ではない。が、ここは心を鬼にして行わなければならない。
セレーネが言う大戦の予感。それが現実のものになるのにまる4年程掛かる。
咲が転移されて4年が経ち、王族としての振る舞いを必死で学び言葉使いを学んだ。そんな彼女が転移されて来た麗奈達と出会うのも時間の問題だった。
世界を震わす戦いの準備は着々と進んでいた。
知らず知らずの内、今を大事に暮らす平穏の中で静かに行われていた。




