第91話:夢の中なら
それは突然の事だった。
「っ、はっ、はぁ、うくぅ………はぁっ、はぁっ」
体に走った激痛。何かを強く抉られたような、なんとも言えない不快感。そして、直前まで頭の中に流れてきたもの。
それが一層、ユリウスを不快にさせた。目覚めの悪さにもう一度寝ようと試みるも出来なかった。少しフラつきながらも、確実に一歩一歩とゆっくり歩きバルコニーまで辿り着き空を見上げる。
「まだ、夜………か」
やっとの思いで絞り出した言葉。夜空が広がり、灯りが所々に点いたディルバーレル国。ふぅ、と息を吐き直前まで流れてきた事を思い出すとぞっとする。
(何で……俺は刺されたんだ………)
鎌を振り下ろした謎の男。顔は分からず声も聞こえない上に、妙にリアルな光景。何よりやられたのが、今、まさに自分が眠っていた寝室。
その壁に大量の血痕が飛んでいた。暗がりで分からず確かめるのも怖かったが、夢と現実がごっちゃになっているのは最悪だ。そして、あれが夢でないとかなり困るのだ。
「何も、ない………はあー」
安心して床にへたり込む。
どっと疲れたようなダルさに、妙な気持ち悪さは抜けないがやはり疑問は残る。
(あれを夢で片付けるには……難しすぎる)
実際に抉られたような感触も、血が大量に飛び散ったのもまた頭の中にこびり付いている。部屋の明かりを点け、もう一度グルリと周囲を見渡す。
(バルコニー、ベッド、薄紫色の壁紙。最低限の家具や日用品はある……あっ!!)
麗奈から貰ったペアリングを慌てて取り出す。チャリ、と鎖に繋がれた音が首元から聞こえリングがしっかりとある証拠だと告げられる。
ほっとしまた肩の力が抜けたように、ヘナヘナと床に沈む。貸し出された部屋の中は代わり映えもなく、最初に紹介されたものと同じ。安心して良いはずなのに、安心してはいけないと体は訴えていた。
「何が、どうなっているんだ………」
拭いたくても出来ない不安。どうしても頭の中で繰り返される自分が殺される瞬間が映像として、ユリウスを苦しめる。思わず胸に手を置き、目を閉じ心臓の音を確かめる。
ドクンッ、ドクンッ、ドクンッ。
気息正し音が聞こえ安堵する。
生きている、これは夢ではなく実感だ。幽霊でも何でもない、現実に物は触れるし風を感じ、夜空を見て綺麗と思う感情は……正しい。その、はずだ。
「…………これも、呪いの所為なのか」
自分が麗奈を襲って傷付けた。一歩間違えば、彼女を殺している。
その恐怖は今もユリウスを蝕み、確実に、その事が頭を占める。だから、麗奈が居ないのは不安に思うし探し回ってしまう。
何も言わずに居なくなってしまうのが、どうしようもなく恐ろしい。でも、麗奈に会ったらそんな事は全部吹っ飛んで。全部風がかき消すように不安が消える。その実感が、それが勘違いでないと確かめたくて麗奈を強く抱きしめる。居なくなって欲しくないと、そんなささやかな願いは叶えてはいけないのかと言われてるようで嫌な気分だと怒りが込み上げる。
「あの男………」
振り下ろされた鎌を手に持っていた男。
あの風貌には見覚えがある。ハルヒが魔族のユウトに捕まった時、見えない力に遠ざかれ引っ張られるようにして麗奈の元へと導かれたあの時。そっちではない、と注意をし案内もされていないのに、彼女の元へと連れて行かれたあの時の声と一瞬だけ見えた黒い髪の男。
それが、全て一致するようにピタリと合わさる。
(あの時、俺を麗奈の所に導いた男と振り下ろした時の目は……同じだった。アイツは………何者なんだ)
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「あー、あー。彼、可哀想だな」
そんなユリウスの様子を見て、笑みを浮かべながらも言葉は心配すると言うアンバランスな表現をするのは死神のサスティス。彼の隣では鎖で今だに手足と口を、封じられているブルームが不機嫌そうにしていた。
「あっ、ごめんね。今、外すよ」
気付いているだろうに芝居がかったように声を掛けられ、口に縛られた鎖を消し去る。すると、ブルームの怒声が響き渡る。
≪どういうつもりだ!!!!≫
ビリビリと空気が振動し耳を抑えても頭が、ガンガンと響き渡り近所迷惑だと思った。すぐに防御魔法を幾重にも張り、少しでも音を抑えようとする。一方のブルームは睨み付けた、一連の行動を起こしたザジに疑問を投げかける。
≪お前達は死神だ!!死者の魂を回収し、恨みや妬みで残った魂が魔物へと変化させるのを防ぐ処置の運び屋だろうが≫
「そうだね。でも、ちゃんとその仕事もしてるよ」
≪だったら――≫
「ザジのお願いだから叶えてるだけだよ」
≪なっ………に≫
「そんなに驚かないでよ。彼の中の魔王サスクールの魔力は、あれで全部消し去ったんだ。むしろ感謝してよ、死神がここまで協力してるんだし」
≪魔王か、お前………≫
「元だよ。死んで死神になったんだ」
片目の朱色が何よりの証拠だろ?と言えば、ゾクリと背が凍るような気配を知っている。この世界が出来た時、精霊としてこの世界に産み落とされた時にあの人から言われた言葉。
「良い?君等は、この世界をよく見ておくんだ。これから起きる事、起こそうとする事。変化は大事だよ?変化するのは見ていて楽しいよ。だから君達も、私の代わりにこの世界をよく見て行動を起こして欲しい」
管理はするけど、監視をするのは君達の仕事だ。と優しくも、その言葉の意味が分からないままだったブルームはその目で思い出す。その目を通して、全てを見ている創造主の事を。
「………アイツ、やっぱり創造主だったか」
ちっ、と舌打ちしたサスティス。
しかし、その事よりもブルームは疑問が出て来た。今回の事、死神がここまで関わってくる事に。何故、今なのか。今まで世を見てきたブルームはただ疑問しかなかった。
世界を自分の代わりに見ろと言う創造主の言葉。
人と関りを持つことが無かった死神が、個人的に干渉してきた事。
全てがこんなにも急速な変化を与え、そして今。周囲に起きている異変も、それ等に連動するようにして起きている。
≪原因は………あの異界の女か≫
「引き金は……ね。でも私はそれと関係なく彼女と関りを持つよ。だって、興味があるし」
≪は?≫
「だって今まで話しかける事も無かったのに、いきなり話しかけて私達と手を取る彼女の事」
興味が尽きないし、そそられるじゃない?と楽しそうに語られた内容に愕然とした。そんな個人的な感情で関わったのかと驚きを示し、そしてザジの目的はなんなのかと問うた。
「ん?ザジの事………まぁ、彼は彼女を優先したに過ぎないよ。ただ、守りたいだけなんだよ。今度こそ、ね」
≪どういう事だ、それは≫
「ねぇ。これで彼の中にあった不安も原因もこっちが取り除いたわけだし……良いよね?」
≪何が……条件だ≫
やっぱりかと思った。
諦めたように溜息を吐き、サスティスの提示される内容を待つ。彼は楽しそうに空中散歩を始めているのか、なかなかこちらに戻って来ず≪おい、戻れ≫と思わず言ってしまった。
「君、彼と本契約してよ。それでこっちは万事オーケーだから」
≪…………≫
「ちょっと、どんな疑りぶかい視線送らないでよ。君だって必要でしょ?力を振るうのに仲介役が必要なんだから」
サスティスの言う事はもっともだった。
大精霊の頂点に立つブルームとアシュプ。彼等は直接を行うのには、それ等を担える仲介役が必要となる。現にアシュプは麗奈と言う契約者を得て、魔法を駆使しあらゆる外敵を守る力を振るっている。
精霊の力は魔力の純度が高いゆえに通常の魔法よりも威力が高い。
純度が高ければそれだけで人間が扱える力を超え、暴走を引き起こすスイッチも含まれる。だから召喚士は精霊と契約し、純度を人間にまたはエルフに扱えるようにと力を抑え、現実での力を振るう時には威力が抑えつけられる。
逆に言えば契約者が居れば、精霊はその力をいかんなく発揮できる。その威力は精霊と契約者の信頼関係に左右され、供給を行う精霊と力を発動させる者との絆が必要とされた。
「貴方をここまでコケにした魔王サスクールを許す気はない。でも、力を振るうには貴方が全開で行うと世界が半壊させるだけの威力がある。………嫌でも人間に合せないとね」
≪………現状、我は異界の女と小僧にしかコンタクトを取っていないのだから、必然的に我は小僧と契約を結ばざる負えない、か≫
「今まで貴方の声と力を感知した召喚士もエルフの居ないんでしょう?だったら良いじゃない。彼は貴方が関りを持った事で、契約をするのに基準も条件も揃ってる。しかも、彼から貰ったんでしょ?仮契約状態でも、動けるだけの魔力を……さ」
そこまで見ていたのかと思わず睨んだ。サスティスは「わっ、怖い怖い」とまったく怖がるような素振りを見えていない。
≪分かった……いくら我でもお前達に攻撃を加えようとすれば跳ね返されるらかな≫
「そうそう。この世界では創造主が絶対的に上、死神の私とザジはちょっとだけ創造主の力を貰っただけでも、力はこの世の存在よりは上……かな」
逆らえないよねー?と首を傾げながら聞いてくる。それに≪分かった、分かった。小僧以外と組むなと言うんだろう≫と観念したように言えば、満足した事を示す為に「うん♪」と大きく頷いた。
「じゃ、一応………これね」
パチン、と指を鳴らせばブルームの首に死神と同じ赤い首輪が取り付けられる。驚愕し≪ど、どういう事だ!!!≫と暴れようとするも、拘束している鎖の所為で暴れる事が出来ない。
サスティスは表情を消し「枷だよ」と冷たい怖い色で言い放つ。
「言わないとも限らないけど、彼以外に彼女にも言わないで。それは言ったら………うん、首が飛ぶ」
≪はあああ!?≫
「今、思いついた。無論、アシュプにも………ね」
≪ぐうぅ、何故だ!?≫
「これは私と秘密の契約だよ。見張りも兼ねてるんだから、今は見えなくしてるけど………私と話す時には見えるようにしておくから。そうしたら、嫌でも意識するでしょう?」
まるで悪魔の囁きだ、とブルームは慌てた。大精霊に条件を突きつけ、そして従わせるのは神とうたわれる創造主だけ。彼等はその創造主から作られたのだから逆らうだけ無駄だと思うも、このままでは良い様に言いくるめられてしまうと焦る。
「あ、ちなみに、今の貴方の慌てようもバッチリ聞こえてるから~」
≪チィ!!!≫
今のブルームに出来る事はせいぜい死神の彼に対して舌打ちをするしか、方法がない事だと突き付けられてしまった。頂点にして世界の二柱の1つであるブルームは強制的にユリウスと契約をさせられる事となった。
サスティスの手首には鎖に巻かれたエメラルド色のひし形のペンダント。彼はそれを腕輪として使い、またお守り代わりとして笑みを零す。
(ふふっ、彼女から貰ったからテンション上がったなぁ。意地悪し過ぎた、かな)
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チリーン、チリーン、と鈴の音が鳴り響く。この音は幼い時にも聞いたし、最近でも聞いたから分かる。
夢だと。
そう感じた麗奈は閉じていた目を開ける。真っ暗な空間は自分がよく知るものであり、ここには先祖の優菜が来るのだろうと思っていたが………今回が違った。
「よう」
「えっ!?……ザジ!?」
そこにはあり得ない人物が居た。死神のザジだ。思わず開いた口が塞がらずザジに言われるまで、口が閉じる事はなく恥ずかしさで後ろを向く。
「ふーん。お前、夢を見る時はこういう空間なんだな」
「ど、どうしたの?……と言うか、死神は………夢の中に、入れるの?」
「んーー。今回だけって言うか、多分これのお陰だな」
見せてきたのは麗奈がザジにとプレゼントしたペンダント。
黒猫のガラス細工をした特殊な物で、父親と首都を回っていた時に一目見て買ったもの。
魔石をアクセサリーに付与させる作業をしていく内に、ザジとサスティスの分の買おうとなり似合う物はと探し回った。
ユリウス達に渡し終え、今度は神出鬼没な死神の捜索から入った。なんせ、彼等の姿を見る事は出来るのは麗奈だけであり、人目に付く所で渡せば不審者に見られてしまう。
どうしようかと考えていたら、ザジとサスティスがひょっこりと現れたのだ。現実なのかと頬をつねる位に信じられず、ザジが止める入るまででやっと痛みを感じた事で現実だと認識した。
「ペンダントに、願いを込めたの?」
「まぁ、確かに夢でも会えればなぁ……とは思ったな」
「ふふっ、何で夢でもなんて思ったの?今でも時々会ってるのに」
そう言えば乱暴に髪を撫でられる。なかなか止めて貰えず、やっと離れた時にはかなりボサボサだ。
むくれていると「悪かった」と言いながらも、頬を突く事が楽しいのか反省の様子は無い。
「疲れて夢が見れない時以外だったら、夢の中でも会えるんだ。ついでだから、情報交換でもしようじゃねぇか」
「交換………?」
「あぁ、俺は仕事で魂の回収を行っている。それを怠る事はしない。代わりに俺が見聞きしてきた事で、何か役に立てそうなものがあれば答えられる」
ここならアイツは干渉できないだろうしな、と言葉を言うもそれが誰を指しているか分からない麗奈はキョトンとする。再び頭を乱暴に撫でまわされ「何でもねーよ」と完結される。
「あ、なら言っておく。あの小僧の中に居た魔王の魔力は斬って置いた。ウダウダ悩んでるなら一発叩いてやれ」
「えっ………ど、どういう事!?」
思わずザジの胸倉を掴んでしまった。麗奈にとっても無視は出来ないものだった。そこからザジは話した。
ユリウスには魔王サスクールにより監視されていると。今も、魔王は彼の様子を見ており情報が向こうに筒抜けになっている事も話した。ベールがエフルである事、ハーフエルフのワクナリが居る事、そして自分の力を見られていたと考え顔面が蒼白し震えた。
(っ、あれで、まだ呪いが……解けてなかったの?)
ユリウス自身も気付けなかったが、皆の協力でなんとか解く事が出来た事が実際は違った。そのショックが大きくてザジの言葉が全然頭に入らなかった。
「だから、もう安心しろ。不安は取り除いた。………アイツも、苦しめられる事はない」
むしろ今度はパワーアップして役に立てるんだから、と言う言葉は飲み込んで言わない。安心させるようにポンポンとあやす様に、優しく撫でられ思わず顔を上げた。
「っ、ザジィ~~」
「俺はお前に協力する。魔王退治も、何でもやってやる。だから、1人で抱え込むな」
夢の中なら誰にも見られない。弱音を吐いても誰にも気付かれる事もないのだから、安心しろ支えてやると言ってくれるザジに思わず麗奈は泣いた。
小さい時のように、泣き叫び抱きしめてきたザジに……その優しさにすり寄った。
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バキン、と水晶が割れる音が響きそのまま床に落ちる。
粒子となり跡形もなく消えた水晶の示す意味。それはユリウスに施した呪いが完全に解かれた事を意味していた。
「壊れた、か。………なんだ、意外にやるなユリウス」
どんな魔法でも見付けられないようにと施した。魔法を扱う者達の多くは生命の維持の為の心臓とその近くに、魔力を生み第二の心臓として発達をしている。それは人間でも魔族でも同じ構造であり、魔族を倒すのなら心臓と言う急所を最低でも2回は殺さないといけいない。
1度心臓を壊しても、すぐに魔力のタンクとなる第二の心臓を貫かれないと再生を始める魔族には勝てないからだ。
「サスクール様。出そろいましたよ、魔族の軍勢が」
「そう。じゃ、行くか。………人間を滅ぼしに、さ」
立ち上がり、目標を定める。狙う物は初めから決めているし、それ等には万全であるようにと用意してきた。だから、各地に散らばる上級魔族達を呼び寄せたのだ。
戦争をすると言い、戦闘好きが続々と集まってくる。それらが揃うのに時間を有し、その間に下級魔物を強化し上級の魔物を多く生み出した。
「さて、平穏は終わりだ」
ここからは絶望と絶叫が入り混じる地獄絵図となるだろう。
人間はそれに対して何処まで抵抗出来るのか、そして何処まで刃向かえるのか。笑みを浮かべたサスクールは集まった魔族達に高らかに告げた。
「待たせて悪かったね。殺戮と奪略を始めようじゃないか」
「オオオオオオッ!!!!!!」
魔王との戦いは、もうすぐと迫っていた。
それらに準備する者、迎え撃つ者、大精霊との契約を果たしたユリウス達は拭えない不安を抱えながら朝を迎えた。




