ガイア
実際に向かってみると、その女性の店は遠かった。あのときはマリレナと一緒にはしゃぎながら向かっていたので、そう遠く感じなかったのだろう。
思ったより遠くて、スゥはため息をついた。
今日は学校から歩いて帰ってきたから、余計に遠く感じるのかもしれない。 昨日はマリレナの箒で帰ってきたのだから。
「あった……」
しばらくして、やっと目の前にあの店が現れた。見た目はあの時とほぼ変わらず、キラキラしたお洒落な髪飾りが棚に並んでいる。煉瓦でできた建物で、1階がお店、二階が家になっている。様々な色の花の咲いたプランターが店の入り口に置かれていた。
「あら、スゥちゃんじゃない。こんにちは。どうかしたの?」
「……っ?!」
スゥが、店のドアを開けようとしたときだった。突然背後から誰かに話しかけられ、スゥはびくりと肩を震わせた。そっと後ろを振り向くと、目に赤い星形の泣きぼくろが飛び込んできた。
「あ、あの時の……」
「覚えててくれたの!? お姉さん、嬉しいわぁ!」
後ろにいたのは、お姉さんとは言い難い、母よりも少し年上の女の人だった。真っ赤な瞳と髪色がスゥの目を奪う。昔会ったときは特に何も思わなかったが、今では気付ける。この女の人の髪色は、スゥ達の学校で言う、最上位クラスに価するものだ。きっと様々な魔法を使えるに違いない。
「そうそう、今もちゃんと髪留めは持っているの?」
女の人は、唐突にスゥにそう聞く。スゥはにこりとして、ポケットから髪留めを取り出した。女の人は、スゥから髪留めを受け取ると、ほぅっと溜め息をつく。まるで安心したように。
「大切に持っていてくれたのね。長く持ち歩いていたにしては、傷が少ないわ」
「宝物なんです」
「そう。こんなに大切に持っていてくれるなんて思わなかったから、お姉さん、とっても嬉しい! 良かったら、お姉さん家あがっていかない? この間姉から美味しい茶葉をもらったのよ」
「あっ……いえ。今日はお願いしたいことがあって……」
「……? 何かしら。お姉さんが出来ることなら任せて!」
女の人は、そういってガッツポーズを決めて見せる。
忘れていたわけではない。女の人と話している間、ずっと心の中に錘のようにあった。彼女を思うと、早く早くと焦りを感じる。だが、急いだって事がスムーズに進むとは限らない。いきなり、昔会っただけのただの顔見知りの人にお願いされたって、女の人も戸惑ってしまうであろう。
スゥは、女の人に今日起きたことを全て話した。
「そんなことが……」
女の人は、スゥの話にショックを受けたように絶句していた。しかし、言葉を続ける。
「でも。……任せて、お姉さんがそのマリレナちゃんって子を探す手助けをしてあげる!」
「えっ、本当ですか?!」
「ええ、もちろん! お姉さん、これでも大魔法使いなのよ? 最上級レベルの魔法は流石に使えないけど、普通の人が難しいと言うような魔法は難なく使えるわ」
「ありがとうございます……!」
女の人は、そういって赤い瞳を細め、不適な笑みを浮かべる。
そして、不気味とも言えるような、少し長めな詠唱をし、それと同時に右手を宙に優雅に舞わせた。蝶が舞うようなその動きに、スゥの目は釘付けになる。女の人の指の爪には赤色のマニキュアが施されていたが、白く長い指が、まるで宙を舞う紋白蝶の羽を思わせた。
「……マリレナちゃんのいる場所が分かったわ。スゥちゃん、長い旅になりそうよ。覚悟は出来てる?」
「覚悟、ですか?」
「そう、覚悟よ」
スゥは、黙って頷く。さっきのは、マリレナのいる場所を探すための魔法だったのか。
覚悟など出来ているに決まっているではないか。大切なマリレナを一人知らない土地に放っておけるはずがない。スゥにはマリレナが必要で、今マリレナにはスゥが必要なんだから。マリレナを連れ戻したいスゥの覚悟は固く、その表情に、諦めるの文字は見当たらない。
「分かったわ。スゥちゃんの覚悟を信じる。……マリレナちゃんがいる場所は、闇の国アスディーよ。そこの国は、大魔法使いの立ち入りを禁じているから、私は入国出来ないの。本当は一緒に行って案内したいところだけど、ごめんね」
スゥは、申し訳なさそうな女の人の言葉に首を振る。
元々場所が分かれば一人でいく予定であったし、これ以上女の人に迷惑はかけられない。
「大丈夫。一人で行きます」
「そう? お姉さんはあなたのような子をあの国に一人で行かせるのは心配なのだけど。そうね……、もう一人連れていきましょうか。前にアスディーに行ったことがある子を連れさせるわ」
そう言って女の人は、再び詠唱を始める。
しばらくしてやって来たのは、女の人と同じ、赤い髪と瞳を持つ少女だった。そう、スゥと同じくらいの背丈の。
「……って、アタナさん!?」
「ズ、ズゥさん!? って、なんなの?! ガイア叔母さん。勝手に呼び出さないでって、いつもいってるじゃん!」
「フフフ、別に良いじゃない。どうせあなたのことだから、家に帰ってのんびりしてただけなんでしょ?」
「い、いや、間違ってはないけど!」
んで、何の用?! と突然魔法によって呼び出されたアタナは噛み付くように女の人──ガイアを見る。ガイアは、自分を睨み付けているアタナの頭を可愛くて仕方ないといった風にわしゃわしゃ撫でた。アタナからしたら、突然呼び出された上に、綺麗に整えた髪までくしゃくしゃにされて、とても迷惑であろう。
「そうね……。この子にアスディーを案内して欲しいの。あそこの国、一人じゃ危ないでしょ?」
「それは危ないけど……、でもなに? 私なら大丈夫だと? 私、この子と同級生なんですが」
アタナの鋭い目がスゥに向く。スゥは、そんなアタナが苦手なので、ついつい目を反らした。
それにしても、アスディーという国は、そんなに危ないのか。スゥは、そんなことを考える。危ない場所に飛び込んで行きたいかと言われたら、絶対に行きたくはないが、今はそんなことは言っていられない。マリレナが、そのような危ない国に一人でいるのだ。助けないという選択肢はないに決まっている。
「ま、まぁ、あなたがスゥちゃんに付き添ってくれるなら、安心だわ。この子、結構魔法使えるのよ。頼りにしてやって? じゃあ今からアスディーに飛ばすわね。いくわよー?」
「えっ、ちょっ、待って?!」
家の人に相談どころか、行くとも言っていないアタナは、慌てて声をあげる。スゥもいきなり飛ばすなどと言われて、目を丸くした。
「髪留め、なくさないでね」
その場で最後に聞いたのは、ガイアの言葉だった。