当麻要人の告白(当麻視点)
みつきは散々語っているので、当麻要人視点の方を書きました。いずれみつき視点は削除する予定です。
桜花特別攻撃が発令された三月中旬〜下旬、その間米軍は関東を狙わず、警戒警報を発令するのみで厚木基地では空襲はなかった。
いずれも、昼間のF-13単機の関東上空侵入で、『雷電』数機が索敵哨戒に上がるものの大きな戦果は得られず、三〇二空は静かなもので、搭乗員は二日に一度の頻度で入湯上陸がかかっていた。
そんな中、当麻は田万川から「白河が一時的に飛行班から離れる」と聞いて、胸がざわついて落ち着かないでいた。
気が付いたら当麻は、整備指揮所二階の田万川の席まで足を運んでいた。
「田万川。何であんな危険なところにみつきを行かせるんだよ」
当麻がそう言うと、田万川がやれやれといった様子で顔を上げた。
「こちらも事情があるんだよ、色々と」
ぶっきらぼうに田万川は言う。田万川は、はぐらかして詳細を語ろうとしないが、それが何だか言われなくともわかる。
──櫻井がいるんだろ
直感がそう言っていた。
苛立ちのようなものが込み上げてくるのを抑え、ぐっと我慢をしながら当麻は
「笠ノ原みたいな前線にみつきを送るのはどういうつもりなんだ? 彼女は嘱託員だろ、何かあったらどう責任を取るつもりなんだよ」
と言うと、田万川は顔色ひとつ変えずに
「前線だからこそ送る。優秀な人間は嘱託だろうが何だろうが関係ない」
と言った。
嘘だな、と思った。
そんなものは建前でしかない。
田万川は意地でも言わないつもりだ。口ぶりからわかる。
「そもそも当麻。貴様には関係の無い話だろ」
田万川にそう言われて、うるさい──そう言いそうになったが、すんでのところで怒鳴るのをやめた。
分隊長の仕事に追われ、すっかりデスクワークとなった田万川。熱くなりやすかった性格もすっかりと落ち着いていて、こうして当麻に詰め寄られても平然としている。
(よくも偉そうに)
嘱託員が分遣隊に随伴するなんて、通常では有り得ない。
田万川が便宜を図ったのだろう事は容易に理解出来た。
それを言わないからタチが悪い。
「いいや関係あるね。みつきは俺の機体の整備員だ。優秀だからと前線に送るだって? わざわざ彗星の整備嘱託員、ましてや女が、零戦の?」
「何を今更。彼女は零戦の機側もしてただろうが」
「ああ、知ってるよ。優秀──それが、彗星の機側を離れてまで、あんな危険な場所での零戦の機側になる大層な理由か? 零戦の整備には優秀な人間は他にもたくさんいるはずだよなあ? それとも何だ。言えない理由が他にあるって言うのかよ」
当麻に早口で詰め寄られた田万川は、綺麗に剃られた顎を触って怪訝な表情をしながらこちらを見ている。
「なぜそんなに熱くなる? 貴様……どうかしてるぞ」
──そう、熱くなっているのは自分だけ
「そうだね、どうかしてるのかもな」
当麻は苛立ちを抑えながら言った。
そして一呼吸おいて
「どうかしてるから訊きに来たんだ」
と言ったのだった。
「他に笠ノ原に行く理由があるんだろ?」
当麻がそう言うと、田万川が一瞬驚いた様子でこちらを見た。
しばらく二人の間で沈黙が流れた。田万川はなんだか気まずそうな顔をしている。そしてやがて田万川が重い口を開いて
「悪いが、貴様に言える事はない」
と言うのだった。
「ああそうか。彗星の搭乗員である俺にも言えないのか。さぞかし大層な理由があるんだろうなあ」
櫻井を追わせるんだろ──そう乱暴に言いかけたのに、言葉が出なかった。言ってしまえばいいのに、言ってしまって楽になりたいのに。
自分の知らないところで、二人をお膳立てしている人間がいるという事実に傷つきたくなかった──それだけだ。
たまに海軍──いや、部隊や個人レベルの話だが、海軍は余計な計らいをする。
戦時も最中、いつ死んでもおかしくない状況だからなのか、男と女の関係となると妙に融通をきかせてくれるようになった。
通常は結婚や交際ですらも厳しく、一つ一つ上長の許可が必要だというのにこの計らいようだ。
「とにかく! 俺は反対だからな!」
声を荒らげて言うと指揮所の人間の視線が一気にこちらに向いた。居心地が悪いことこの上ない。
当麻は田万川に背を向け、指揮所を出た。
「当麻、貴様は白河が……」
そう、田万川が当麻の背中に小さな声で言ったが、それは当麻には聞こえていなかった。
***
当麻は爆弾発射時期訓練の合間を縫って、みつきのいる彗星のエプロンへ赴いた。
「なあ、みつき。今日少し時間ある? 下宿で話せないかな。俺、今夜上陸できるから」
彗星の日日点検をするみつきに声をかけると、みつきは振り向いて
「いいですよ」
と、柔らかい声で言う。そのふんわりとした表情に、胸が痛んだ。
「……よかった。ありがとう」
当麻はやっとの思いでそう言って、訓練に戻った。あのふんわりとした表情や笑顔が心の支えだ。
心の支えだったけれども──……
そんな事を思いながら、ペアの水杜と共に爆弾発射時期訓練に取り掛かる。
最近の彗星には三号爆弾に加え、翼下に細いレールが装着されており、三秒〜五秒の時限信管、空対空用二十八号ロケット爆弾が装備されている。
長い角材の片端にB-29の模型、反対側に照準器を付けた射距離訓練器で、ストップウォッチを使いながら二発同時発射を想定した時限信管の適切な発射距離、また自機の速度等を算出するわけだが──
「分隊士、大丈夫ですか?」
水杜が心配そうに声をかけてきた。
「ストップウォッチ……」
水杜が当麻のストップウォッチに指をさす。
「あ……ああ」
当麻は動いたままの針を慌てて止めた。
今日、みつきに声をかけてしまったせいで何かこう、一日中落ち着かないでいるのを水杜に見抜かれていたようだ。
「ごめん、なんだか今日調子悪くて」
「だと思いましたよ。何か考え事しているような様子でしたけど」
「大した……事ではないんだ。ごめん、もう一度やろう」
当麻はそう言って、ストップウォッチの針を0に戻した。
(訓練にまで支障をきたすとは)
──あいつならきっと、こんな風に気持ちが乱れる事もないんだろうな
そんな風につい、櫻井と比べてしまう自分がいた。
櫻井は頭の切り替えが早いヤツだった。
悩み事があったとしても顔にも出ないし、それを感じさせるような態度も取らない。
切り替えが早いのか、それともそれを感じさせないのが上手いのか、結局わからなかったっけ。
大学時代から仲は良かったけど、表情がわからないから何を考えているのか、何を思い、感じているのか──正直今でもわからない。
(……俺は一番軍人には向かない性格だな)
櫻井は強い。いつだってそうだ。
多分今、この瞬間でさえも。
俺はどんなに集中していたとしても、結局ざわざわとした胸の居心地の悪さは消えないのだから──
なんだか諦めにも似た笑いが漏れた。
***
爆弾発射時期訓練はその後実機でも行われ、ようやく帰路についたのは八時を過ぎた頃だった。
(随分遅くなっちゃったな)
そんな事を思いながら下宿の扉を開け、
「ただいま帰りました」
と声をかけるとみつきが
「あ! 当麻さんお帰りなさい」
と言って二階から顔を出した。
「随分と遅かったんですね」
「ちょっとね」
階段を登りきって当麻は
「俺を待っててくれたの?」
と言うと、みつきは
「待ってましたよ。そりゃあ」
と言ってにこりと笑うのだ。
──あんな危険な場所へ、櫻井の為に行く事を受け入れたのか
こちらに向ける笑顔に、当麻はそんな事を思った。
それと同時に苛立ちのようなものを覚えて、手にぎゅっと力を入れた。
なんだかぎこちない空気が漂っている。
それを感じぬふりをして当麻は上衣を脱ぐと、そのぎこちない空気を察したのか
「あっ、お手伝いします」
と言って、みつきが当麻の服に手をかけた。
するとふと目が合って、当麻は思わず目を逸らした。
居心地が悪い。
自分でみつきを呼びつけたくせにそんな事を思っている。
再びみつきに目をやると、『當痲』と書かれた上衣の裏を見てみつきは固まっていた。
(ああ、教えてなかったんだっけか)
「画数多いから普段はそっちじゃないんだよね」
と言うと、驚いた表情をしてこちらを見た。
「意外?」
「うん。びっくりした……かな」
「そっか」
会話はそこで途切れた。しん、と静まりかえる。
ずっと黙っているわけにはいかない。みつきを呼び出したのは自分なのだから。
当麻はここ、と畳の床に指をさして、みつきに座るように促すと、みつきはぎこちない、落ち着かないような表情をして畳に腰を下ろした。
ネクタイを外して衣紋掛けにかけた後、当麻もみつきと向かい合わせに腰を下ろして胡座をかいた。
みつきが緊張しているのを肌で感じる。
悪いことをしたと思った。
けれども、どうしても嫌だった。
櫻井を追って笠ノ原に行くという事実が。
わかっている。
みつきは櫻井が好きだ。
そんな事はとうの昔からわかっている。
それなのに──……
「みつき。整備員を辞めてほしい」
自分で作ったこのぎこちない空気。
この居心地の悪さを払拭するようにようやく出た言葉。
みつきと目が合った。
みつきはこちらを見て黙ったまま。
合った目を逸らさずにじっと見つめていると、みつきは
「それって……どういう……」
と、戸惑いを混じえた小さな声で言った。
「ごめん。言い方を変えようか」
当麻は胡座をかいた膝に肘をついて少し前屈みになった。
「整備員を辞めて俺と一緒になって欲しい」
みつきと櫻井に幸せになって欲しいと思うのは本当だ。
みつきが櫻井がいいと言うのなら、その為に彼女を守るつもりだった。
「俺はみつきが好きだ。出会った時からずっと、ずっと」
口から出た言葉は、自分の信念とは裏腹に本音をさらけ出していく。
告白するつもりなんてなかった。
櫻井が帰ってくるまでみつきを守るって約束していたから。
それを受け入れて納得していたはずだった。
──それなのに俺は何をやっているんだろう
みつきを想う気持ちが、まるで刃物で胸を削がれるかのように痛んで、それに耐えるように当麻は眉を顰めた。
(櫻井はこんな思いをしないんだろうな)
と、そんな嫌味さえ出るほどに。
「みつきが笠ノ原分遣隊に随伴する事を田万川から聞いた。櫻井が笠ノ原にいるんだろ、そんな事誰に聞かずともわかる。だけど俺はみつきをそんなところに行かせたくない。もうこんな危険な海軍で働いて欲しくない」
当麻はみつきの肩を両手で掴んだ。
「俺なら櫻井なんかよりずっと大切に、幸せにする。俺も飛行機乗りだから時には寂しい思いをさせるかもしれないけど──」
みつきの見せる、時折見せる寂しげな表情を自分ならば包めると思った。
「俺は櫻井みたいにみつきを突き放したりなんてしない。絶対に」
もし俺が櫻井だったなら──みつきが悲しそうな表情をする度に、いつもいつも、そんな風に思っていた。
(櫻井の何がいいんだ?)
櫻井が腹立たしかった。
ろくに手も触れてやらず、気持ちを伝えてもやらずにいるくせに、彼女にこんなに想われていることが。
ふとみつきの目をみれば、困ったような、悲しそうな、そんな顔をしてこちらを見ている。
そんな顔をさせたかったわけじゃないのに、それなのに、出てきた言葉は──
「俺は、みつきが誰よりも好きだ。みつきはどうしても櫻井じゃないと駄目なのか!? 俺じゃあ、俺じゃ駄目なのか!? なあ!」
言ってしまったら止まらなかった。何もかもがどうでもよくなるくらい、彼女が欲しくてたまらなかった。
みつきは黙っている。
どうしたらいいかわからない、そんな顔をして。
当麻はみつきを抱きしめた。目を閉じれば、ふんわりと柔らかいみつきの香りがして、緊張したこの張り詰めた心を和らげる。
──わかっている。この香りも、この柔らかい身体も俺のものにならない事くらい
「なあ、櫻井の何がいいんだよ……」
掠れた、力ない声と共に想いが溢れた。
櫻井の何がそんなに人を惹きつけるのか。
かく言う自分も、好みも考え方も性格もまるで正反対の櫻井と、気付けば一緒にいた一人だ。櫻井は誰に対しても平等で、弱音等吐かなかったし、ああ見えて同期や後輩への面倒見も良かった。
その上、休日には学校に通えない子供達に勉強を教えていたっけ。
いつしか櫻井は、友人であり自分の目標になっていたんだ。
悔しいけれど、櫻井には人として惹きつける何かがあるのは紛れもない事実。
──そう、俺なんかより
「……当麻さん」
みつきがゆっくりとした口調で言った。耳元で聞くその声は凄く優しくて、柔らかい。
「私──」
「わかってる」
当麻はみつきの言葉を遮った。
みつきは櫻井を選ぶ。
そんな事は、言われなくともわかる。
何度もこの想いに気付いてもらいたくて、そんな素振りは見せていたけれど、その度にこの気持ちは叶わないんだなとわかっていた。
だからこそ、櫻井と約束した。
櫻井が帰るまでみつきを守るって。
「わかってるんだ。みつきが櫻井を選ぶ事くらい」
当麻はみつきの髪をゆっくりと撫でた。
触れたかったからだ。
本当なら、櫻井がこうして髪を撫でる。
──そう、俺じゃない
「知ってて……聞いただけなんだ」
自分に嘘をこれ以上つけなかった──ただ、それだけだ。
当麻はみつきを抱きしめていた体を離して
「今のは忘れてくれ。ただの俺の……我儘だから」
そう、力なく笑った。
「でも俺は本当に笠ノ原に行って欲しくない。俺達の目の届かない所に行かないで欲しい。櫻井に会えるかどうかだってわからないのに」
当麻がそう言うと、みつきはまっすぐこちらを見て
「平気。私は大丈夫だから」
と言ったのだった。例え会えなくても笠ノ原へ行く。みつきの心はそう決めているのだろう。
認めたくないけれど認めざるを得ない、このどうしようもない気持ちを振り払うように
「なあ、みつき。俺はずっとみつきが好きだ。俺は多分、これからもきっと──みつきが好きだ」
そう、諦めの悪いことを言った。
そして、
「俺は絶対に櫻井に負けないから」
そんな言葉も同時に口をついて出てきた。
みつきが驚いたような顔をしているのを見ながら当麻は
「ごめんな。諦めが悪くて」
そう言ってふっと笑った。




