当麻要人の告白(みつき視点※削除予定)
みつき視点のものは散々語られているので、いずれ削除予定です。
桜花特別攻撃が発令された三月中旬〜下旬、その間米軍は関東を狙わず、警戒警報を発令するのみで厚木基地では空襲はなかった。
いずれも、昼間のF-13単機の関東上空侵入で、『雷電』数機が索敵哨戒に上がるものの大きな戦果は得られず、三〇二空は静かなもので、搭乗員は二日に一度の頻度で入湯上陸がかかっていた。
もちろんみつきも、毎日帰宅できる程度には仕事が落ち着いている。とはいえ、あと数日で第一飛行隊の整備分隊である第五分隊へ異動となると、なんだか心がざわめいた。
(櫻井さんに会えるかもしれないんだよね……)
とはいえ、部隊は違う。
櫻井は二〇三空というところにいるらしい事しかわからない。
姿を見かけることができるのかすらも分からないというのに、ドキドキと胸が高鳴って、落ち着かない。
過去の自分の無念を晴らす──といっても夢で見た事以外殆ど過去の記憶なんてないわけだが、彼を死の運命から救えるのならば救いたい。
あの人が生きてさえくれればいい。
そんな事を考えながら彗星の日日点検をしていると、ひょっこりとエプロンに顔を出した人物がいた。
「なあ、みつき。今夜話があるんだけど」
そんな風に声をかけてきたのは──当麻要人。
「下宿で話せないかな。今夜俺上陸できるから」
当麻は明るい口調で言うが、当麻の目はどことなくいつもと違っていたように感じた。
戸惑いがちに見る目。
少し、寂しげな表情──いや、勘違いかもしれない。
「いいですよ」
みつきがそう言うと、当麻は安心したように笑ってすぐに離れて行ってしまった。
(何の話があるんだろう……)
そんな風に何となくそわそわして一日落ち着かなかった。
みつきは退勤後、自室に座って当麻を待っていた。
当麻は爆弾投下時期訓練をしていたようで、あれから姿を見かける事が無かったから、結局当麻の様子を伺う事は出来なかった。
あんなに改まって何の話をするんだろう、と色々考えていたら段々と何か悪い事したかな、何かに怒ったのかな、気に触るような事しちゃったのかな──そんな風にネガティブな気持ちになってきた。
勿論そんな事をした覚えはないのだが、昼間の当麻の何かを隠しているような表情が頭から離れずにいる。
夜八時を回った頃、ようやく玄関の戸がガラリと開いて
「ただいま帰りました」
と、当麻の声が聞こえてどきっとした。
「当麻さん、お帰りなさい。遅かったですね」
みつきが階下へ出迎えると、当麻は
「ちょっとね」
と言って階段を登って来た。
「俺を待っててくれたの?」
「待ってましたよそりゃあ」
みつきは当麻の目をちらりと見ると、何を考えているのかわからない表情をして──そう、何も汲み取らせないのだ。
ずきん、と胸が痛んだ。
なんだかぎこちない空気が漂った気がして、慌てて
「あっ、お手伝いします」
と言って当麻が上衣を脱ぐのを手伝った。
当麻の上衣の裏に『當痲』と書かれていて
(あっ、当麻さんの苗字って本当は旧字体だったんだ……)
なんて思った。
当麻は上衣の裏面を見て固まっているみつきを見て
「ああ、画数多いから普段はそっちじゃないんだよね」
と言った。
「意外?」
「うん、びっくりした……かな」
「そっか」
ふふ、と当麻は笑った。少しぎこちなかった空気が一瞬緩んだ気がした。
当麻はネクタイを外すと、ここ、と畳の床に指をさして、みつきに座るように促す。みつきは促されるまま床に座った。すると当麻も床に腰を下ろして一息ついた。
(改まってなんだろう)
沈黙が流れる。当麻が言い出すのをみつきは待った。
どきどきと心臓の音が耳を煩くする。
緩んだ空気も束の間、再び空気はぎこちなくなっていって、何を言われるのか少し怖いとさえ思った。
あまりにも真剣な表情をしているから。
当麻はしばらくの間目を逸らしていたが、こちらを真っ直ぐに見て、そしてようやく口を開いたのだった。
「整備員を辞めてほしい」
みつきは一瞬何を言われたのかわからなかった。
当麻の表情は相変わらず何を考えているのか汲み取らせないまま、じっとこちらを見ている。
「それって……どういう……」
「ごめん。言い方を変えよう」
当麻は胡座をかいた膝に肘をついて、少し前屈みになった。
「整備員を辞めて俺と一緒になって欲しい」
そう言った当麻の目は、揺るぎない瞳をしていた。
いつも子犬のような笑顔を見せる童顔な人懐っこい顔つきも、今日ばかりは違う。
「俺はみつきが好きだ。出会った時からずっと、ずっと」
そう言った当麻の目は、覚悟を決めた男の目をしていた。それは櫻井が時折見せる真剣な眼差しによく似ていて、目を逸らせないでいる。
その告白はあまりにも唐突だった。
予想だにしていなかった事だから、頭の中が真っ白になってまるで吸い込まれるかのように当麻のその瞳を見る事しかできなかった。
(当麻さんが私を……?)
「みつきが櫻井と相思相愛な事は知ってる。でも、俺はもう自分に嘘はつけない」
眉を顰めて、苦しそうな表情をして当麻は言った。
「みつきが笠ノ原分遣隊に随伴する事を田万川から聞いた。櫻井が笠ノ原にいるんだろ、そんな事誰に聞かずともわかる。だけど俺はみつきをそんなところに行かせたくない。もうこんな危険な海軍で働いて欲しくない」
そして当麻はみつきの肩を両手で掴んだ。
「俺なら櫻井なんかよりずっと大切に、幸せにする。俺も飛行機乗りだから時には寂しい思いをさせるかもしれないけど──」
ぎゅっとみつきの肩を掴む当麻の手に、力が入るのがわかった。
「でも、俺は櫻井みたいにみつきを突き放したりなんてしない。絶対に」
真剣な声で、真剣な表情で言う当麻の言葉に嘘はなかった。
みつきは言葉に詰まって何も言えなかった。
ずきんずきんと痛む胸と気持ちが、ゆらゆらと揺れている。
この人なら幸せにしてくれるのかもしれない──そんな事を一瞬でも考えた。
きっと、一緒になったら大切にしてくれるのだろうなと。
追いかけるばかりで、前ばかり向いているあの人を追うよりも、こうして追いかけてくれる人を選ぶべきなのかもしれない。
ひたすらに前を向いて行ってしまう櫻井とは違うのだ。
──そう、私は彼の背中をただただ追っているだけ。
振り向いてくれた事なんて、幾度も無かった。
辛かった。こっちを向いて欲しくて。
それでも、私は──
『俺の原動力は、みつき──君だ』
そう言って、髪を撫でてくれた彼を忘れられなかった。たった一言そう言ってくれた思い出で胸がいっぱいに幸せで、何にも変えられないのだ。
「俺は、みつきが誰よりも好きだ。みつきはどうしても櫻井じゃないと駄目なのか!? 俺じゃあ、俺じゃ駄目なのか!?」
当麻は今にも泣き出しそうな表情をしてぎゅっとみつきを抱きしめた。当麻に抱きしめられると、ふわりと当麻の香りがしてみつきは思わず目を閉じた。
追いかけてばかりでは幸せになれないのに。
こんな風に手を差し伸べてくれる人がいる。
──私が一番欲しかったものを、この人は与えてくれる。
それなのに、私は──
「櫻井の何がいいんだよ……」
当麻のずっと隠していた気持ちが、小さく掠れた力ない声と共に溢れた。
ずきんずきんとみつきの痛む胸は、喉の奥を苦しくさせ、やがて涙を込み上げさせた。
「当麻さんの事は好きよ」
ようやく出した声でみつきは言った。
「でも、私は……櫻井さんを忘れられないの。あの人を死なせたくないの、一緒に生きたいの」
しばらく沈黙が流れた。
もうどうしようもなくて、喉の奥が痛くて、涙を堪えてみつきは俯いていた。
そして暫く沈黙が流れた後、みつきの髪を当麻はゆっくりと撫でた。
「……ごめん。わかってる」
みつきの言葉は当麻にとって十分すぎる言葉だった。
なぜならこんな風になる事はわかっていたから。
「知ってて聞いただけなんだ」
ただ、自分に嘘をこれ以上つけなかった。みつきを好きだという事実に、当麻はもう蓋をしておけなかった──ただ、それだけの事。
当麻はみつきを抱きしめていた体を離して
「今のは忘れてくれ。ただの俺の……我儘だから」
そう、力なく笑ったのだった。
「当麻……さん……」
胸が痛まないわけがなかった。
そんな風に切なく笑う彼の気持ちに答えられなかった事を。
「でも俺は櫻井抜きに、笠ノ原に行くのは反対。あんな前線にみつきを送りたくない」
そして一呼吸おいて
「──と言っても行くんだろ?」
と当麻は言った。
当麻の瞳を見ながら瞬きをすると、瞼の裏に櫻井の背中が見えた気がして、みつきは静かにうん、と頷いた。
「そっか」
当麻はなんとも言えない表情をした。
「笠ノ原は危険だからしっかり櫻井に守ってもらえよ?」
当麻はいつもの人懐っこい顔をして言った。
そして当麻はみつきの手を取り、みつきの目を真っ直ぐに見て微笑んだ。
「みつき、俺はずっとみつきが好きだ。俺は多分、これからもきっと──みつきが好きだ」
その眼差しはあたたかくて、優しい。
どうしてこんな目ができるのだろう──そんな風に思う程に。
「気が向いたら、俺のところにおいで──なんてね」
当麻は舌を出してにこりとした。
己の悲しみを隠して。




