三〇二空の笠ノ原分遣隊
神雷部隊では野中少佐の戦死に伴い、幹部の異動と再編が行われた。会議の終わった二十四日、神雷部隊では五十番爆弾(五〇〇キロ爆弾)を積んで零戦で突入させる計画が成された。爆装零戦──所謂『爆戦』である。
生き残った戦闘三〇六、三〇七飛行隊は先の作戦方針の転換に伴い、笠ノ原基地の第二〇三航空隊へ機材ごと異動をすることになった。
三月二十二日に硫黄島が陥落、二十三日には沖縄と南大東島が三百機近くの敵艦上機の空襲を受けた。沖縄方面への空襲は想定よりも早く、翌二十四日には一挙に激しさを増して来襲機は千機以上、敵戦艦、駆逐艦等三十五隻による艦砲射撃が始まった。
二十五日には沖縄上陸用艦船が侵入する前に予め機雷や障害物を撤去する掃海作業が開始され、上陸の時が刻一刻と迫ってきている。
三月二十六日、『天一号作戦』発動下令──
連合艦隊は南西諸島方面に来寇する米艦隊に対抗する航空作戦が発動した。沖縄以北が主戦場である本土決戦を最終戦としている陸軍と違い、海軍では沖縄戦を最終決戦として全軍投入する方針だ。
主戦力として望みを託したのはおびただしい数の『特攻』──
この特攻の制空任務の為、第五航空艦隊は櫻井の前所属基地の三〇二空、相馬の前所属基地である三五二空を隷下に持つ第三航空艦隊と合同し、隷下部隊を九州に展開する事となった。
三月二十六日付けで異動となった戦闘三〇六飛行隊、三〇七飛行隊は、第二〇三海軍航空隊戦闘三一二飛行隊と名前を変え、沖縄戦での邀撃任務、制空戦闘に参加する事になる。
一方厚木基地では──
『第三〇二海軍航空隊の零戦を特攻機の掩護、進路の制空任務に笠ノ原基地へ進出を命ず』
「遂に特攻掩護かあ」
と、第一飛行隊の搭乗員達がざわついていた。
「そういや櫻井は特攻の直掩だろ? どうなったんだろうな?」
「さあ、全く報道も無いし何も聞いてないな」
「噂だけど特攻部隊は惨敗、全滅って聞いたぞ」
「どこ情報だよそれ」
「電信員が言ってた。電報傍受したってウワサ」
「うえっ! まじかよ」
「しーっ! 極秘だぞ!」
噂をしているのは水地、糸井、早川といった第一飛行隊、第三分隊(零夜戦)の搭乗員達。
そんな噂話が搭乗員の中でなされている最中、みつきは突然整備分隊長の田万川に呼び出されていた。
(なんだろう、突然呼び出して……)
そんな風に思いながら、整備分隊指揮所二階にある田万川の席にみつきは足を運んだ。
何やら事務作業のようなものをしていて忙しそうだが、みつきが来たのを確認するなり田万川は
「異動だ」
と言った。
「へ? 異動?」
「そうだ。零戦隊が笠ノ原へ分遣隊として進出するに伴い、整備も随伴する事になるわけだ。そこで、貴様に行ってもらう事になった。一時的に第五分隊(零戦整備分隊)に異動だ。四月三日からだ。詳しい事は第五分隊の分隊長の赤井大尉に聞いてくれ」
田万川は早口でまくし立てるように言った。
「えっ、どういう事ですか?」
あまりにも唐突で、そして早口で一瞬何を言われたのかわからなかった。
みつきがぽかんとしていると、田万川は
「俺に感謝しろよ? 俺の計らいだからな」
と、何やら意味深な事を言った。
何の計らいだと言うのだろうか。零戦の整備には既に十分の人手がいる。なぜ今更異動を命じられたのかがわからず不思議な顔をしていると、田万川は何か思い出したような顔をして
「そうか、知らないのか」
と、言った。
「えっ、何がですか?」
みつきが目を丸くして言うと田万川はみつきにそっと耳打ちをした。
「笠ノ原に櫻井がいる」
──櫻井さんが?
時間が止まったかのような、心臓が止まりそうな感覚に陥った。
「櫻井は七二一空から二〇三空に異動した事を聞いてね。すぐに貴様を分遣隊のメンバーに、と推薦した」
そして田万川は続けて
「貴様、櫻井が好きなんだろ?」
と言った。
「えっ!?」
急に胸の奥が痛くなってきて、脈が早くなってきた。
「なっなぜそれを……」
慌ててみつきが否定しようとすると
「もう二度と会えるかもわからんご時世だ。俺がなぁ、貴様が櫻井を好きだろうと思って気を利かせて便宜を図ったんだぞ。この俺がだ。赤井大尉を説得するの大変だったんだぞ? 女だし貴様はただの嘱託員だし。それにここで櫻井との関係を否定されたら俺が頑張って推薦した意味が無くなるだろうが」
と言ったのだった。
──紀さん
一瞬脳内で、誰かが言った。
それは、過去に死んだもう一人の自分なのかそれとも──……
「おい、白河。正直に答えろ。どうなんだ」
いつもならば愛想のないつっけんどんな田万川が、初めて真剣な眼差しでこちらを見ている。
高鳴る心臓を抑えるようにして、みつきは大きく深呼吸をした。
きっとこれを逃したら、櫻井さんに会える機会も、もう一度想いを伝えることも無くなってしまう──
「……はい。櫻井さんが好きです」
恥じらいとかそんな事はもう、どうでもよかった。
ただ、あの人の死を止められるかもしれないと思ったから。
もう一度、想いを伝えられると思ったから。
束の間でもいい。
愛されたいから──
みつきが真っ直ぐな目で田万川を見ると、田万川は安心したような顔をして
「じゃあ行ってこい。悔いのないように」
と言ってみつきの肩を叩いたのだ。
その田万川の表情がなんだか嬉しくて、全身の力が抜けるような感覚に陥った。気付いたらぽろぽろと涙が溢れていて
「おい、こんなところで泣くなよ! まるで俺が泣かしたみたいじゃねぇか」
と、辺りを見回しながら田万川はポケットから少し汚れた手拭いを出してみつきに渡した。
「汗拭いたふりしろよ!」
そう言って、田万川は腕を組んでそっぽを向いた。まだ三月下旬、汗というには無理があるのだが、突然泣き出して田万川を困らせてしまった事は申し訳ないと思った。
「ご、ごめんなさい……急に涙が出て」
少し汚い手拭いで、涙を拭くと
「ああもう、わかってるよ」
と言って、田万川は再びそっぽを向いたまま言った。
「でも、どうして……こんな事してくれたんですか」
みつきがすすりながら訊くと田万川はちらりとこちらを向いて、少し悲しそうな顔をした。
そして暫く黙った後、田万川は
「……我々に残された道は特攻しかないからだ。櫻井は制空隊とはいえ特攻の部隊だろ。死んだら悔いもクソもねえからな。死ぬか生きるかって時に融通利かせないでどうする。それに貴様、最近変だったからな」
と言った。
(ああ、過去の私が死ぬ夢見たからね……)
「まあ、笠ノ原も広い。櫻井に会えるかどうかはあとは貴様の努力次第だ頑張れよ」
「ありがとうございます」
なんだか嬉しかった。
(私の為にこんな風にしてくれるなんて)
あんなに自分を邪険に扱っていたはずなのに、気を遣ってくれている。それが嬉しくてたまらなかった。
(このチャンスは無駄にしたくない)
過去の記憶はあれ以上何か進展があったわけではない。
あの夢を見たきり、何の進展も変化もない。
過去の記憶が戻り、記憶と私が一体化することも無かった。
ただ一つ思う事。
もう二度とないと思っていた再会の機会。
このチャンスはきっと、神様が特別にくれた彼の死を止める為に与えてくれた最後の機会なのかもしれないから──




