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桜花特別攻撃、発令 五 夢と現実が呼ぶ記憶

 翌二十二日──鹿屋基地では九州沖航空戦『桜花特別攻撃』が終結した二日間、戦訓研究会が開かれ、軍令部、連合艦隊参謀等が出席している。


 二十二日午前に仲間の零戦の胴体に乗せられ帰ってきた相馬を櫻井は

「相馬、無事で良かったよ」

と言って迎えた。


 白熱電球が一灯だけ灯った防空壕の部屋。ここは櫻井と相馬、屋代、渡の部屋だ。櫻井は防空壕の壁際に設置された机に腰を寄りかからせて腕を組んでいた。


 屋代は雑魚寝の状態で救命胴衣カポックを枕にして寝ている。渡はまだ帰って来ていない。


「俺、また何もせんで終わったけんね……。尾翼ば折られて蜂の巣なって落下傘で助かっただけやけん……」

 相馬は疲れたようにどかっと地面に座った。


「敵が来たこと教えてくれたろ」

「それ、何かした事に入るんかね」

「まあ……一応は」

 櫻井がそう言うと、相馬はやれやれといった様子で溜息をついた。


「まあでも、良く死ななかったな。不幸中の幸いだよ」

 櫻井は笑って言った。


 そしてすぐに真顔で

「どちらにせよ陸攻は守れなかった。相馬がいたとしてもいなかったとしても変わらないよ」

と言うと、相馬は

「なんやそれ……い、イヤミか?」

ムッとした顔をした。


「いや、いい事だよ」

「は? よかねーたい。戦力外通達されたようなもんやけん」

と相馬は気に食わなそうに言う。


「誰がいようがもう少し直掩隊が多かろうが、きっと結果は同じだ。奴らはレーダーでこちらの動向を把握していた。その時点で負けていたんだよ」


 相馬は驚いたような顔をして

「それまじなのか?」

と言った。


「いや、推測だ。が、あの奇襲のかけ方はレーダーで俺達の動向を探っていなければ出来ない芸当だからな」


 手のひらで転がされに行く──そう言ったが、本当にその通りの結果になってしまった。


 全軍の輿望よぼうを担って出撃したはずの桜花隊、陸攻隊は一人残らず死んだ。


 何の戦果も、一つの抵抗さえも出来ずに。


 軍令部は甘かった。陸攻は桜花を切り離したら帰ってくるものだとすっかり思い込んでいたのだから──


 陸攻隊の野中少佐と酒を交わしたあの日、生還を期待せず全滅を覚悟での出撃する思いを酒と共に吐露していたが、あんな作戦は無謀だと、現場の人間はとうの昔にわかっていたんだ。


「惨敗だ。ただ、直掩隊が一人でも多く帰ってきてくれて良かった。それだけだよ」


 そう言って櫻井は微笑むと、相馬はなんだか気まずそうな顔をして目を泳がせる。まるで女のようだと思った。


「俺はね。本当は桜花の代わりに突入して死ぬつもりだった」

 櫻井がそう言うと相馬の表情が変わった。


「はあ!? 何言うとっと!? 貴様が死んだら戦闘機隊は完全に終わりよるぞ」

「でも俺なら絶対に突入できる。だから、陸攻隊を守れなかった代わりに、少しでも米軍に痛手を残したかった」

「そがん、そやろうけど……」

「でも俺はしなかった。燃料を補給してからやろうと思えばいくらでも出来たけど」


 櫻井は飛行服の中から紐を抜き出した。

 長い紐の先には認識票がついていて、そこには小さな猫のぬいぐるみがぶら下がっている。

 櫻井はその猫のぬいぐるみに目をやった。


「ただ、何故か、前に同じ事をしたような──いや、思ったような気がしたんだ」

 そう言って、櫻井はぬいぐるみに手を触れた。


 まるで過去に一度経験した事があるような不思議な感覚だった。

 そして、誰か大切な人が泣いているような──不思議な幻覚を見たのだ。


──紀さん


 自分をそう呼んだ女性がいた。その声はとてもよく知った声だった。その記憶は懐かしくてあたたかい、心から守りたいと思っていた──そんな気がした。


 何か大切な事を忘れている気がして、未だに心に何かが引っかかっている。


「そんな事を考えているうちにふと、このお守りをみつきに貰った事を思い出してね。その記憶が俺を引き止めたんだ」


 櫻井は目線をぬいぐるみにやったまま、情けなく笑った。そんな事を言っているうちに、涙が出てきた。


 相馬は驚いたような表情をして櫻井を見た。

 何故なら櫻井が人前で涙を見せたのは初めてだったから。


 櫻井は

「なあ、相馬」

と、声をかけた。


「俺はそんな幻覚を見て還って来てしまった。その選択は間違っていたんじゃないかと、俺はあそこで死ぬべきだったんじゃないかと──そう思えて仕方がないよ」


 どんな事があっても強く心を持ち続けていたが、無力感が胸を支配して蓋をしていた何かが壊れたのだった。


 驚いた表情で暫く櫻井を見ていた相馬は

「櫻井が『直掩隊が一人でも多く帰って来てくれて良かった』言ってくれたん……嬉しかった。俺は怒られると思ったけん」

と言った。


「櫻井! 貴様はなあ!? 自分を粗末にしすぎやけん! 俺が突入する言うたら多分櫻井は止めるっちゃろ? そがん言うくせに自分は突入する言うけん、おかしかよ」


「だから! 俺なら正確に突入できるって言っただろ!」


 相馬は立ち上がって櫻井に向かって拳を投げたかと思うと、その拳は櫻井の頬を掠めて防空壕の壁に当たったのだった。


「アホか貴様、まだわからんとね!? 櫻井は今までもこれからも、直掩隊に必要な人間やけん! 俺より上手くて成績良くて、飛行学生の頃から憧れやった……って言わすなアホ! 他人ば気ぃ遣う前にまず自分大切にしい言うとるん、いい加減わかれやボケ!」

と言った。


 そして続けて相馬は

「白河さんを本当の意味で泣かせんくて良かったやんか。アホの帝大、幻覚に感謝たい。覚醒剤毎回打っとけ」


 相馬にそう言われて一瞬イラついたが、確かに幻覚を見ていなかったら確実に突入していたのは事実。


「六機撃墜、八機撃破のくせに、何もしとらん俺よりよっぽど仕事しとるたい! ったく自慢かよ」


 そして、相馬に突然手を掴まれて何かを握らされた。


 手の中を見ると、『ミルクケーキ』と書かれた長方形の板状のミルク飴の入った小包だった。

 小包を開くと少し割れていて端が粉々になっているが、相馬は

「それ食ってちっとばカルシウムでも摂っとけバーカ」

 そう言って相馬は櫻井に背を向けて、茣蓙の上にどかっと横になってふて寝し始めたのだった。


 櫻井はもらったそのミルクケーキを1枚取り出して噛じると、パリッと音がしてそれはとても甘かった。


 その甘さが妙に優しくてなんだか笑えてきた。


「相馬、ありがとな」

 櫻井が相馬の背中に声をかけると、相馬は黙ったまま寝たふりをしていた。


 本当の意味で悲しませる、か──


 まだ正直わからなかった。

 自分自身の価値は、この戦争で少しでも敵を殺す事なんだと思っていたから。

 そして、死んでもいいと思っていたから。


 自分の死の上で誰かが幸せになれればそれでいいと思っていたから──


 櫻井は胸の中にしまったお守りを、服の上から握って

「もう少し生きてみるよ」

と呟いた。

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