桜花特別攻撃、発令 四 桜花隊全滅
『第二区隊長相馬! 敵戦闘機接近! 後ろだ! 奇襲をかけられとる! 敵は──わからん、多分F6F! とにかく数十機、いやもっとおる!』
隊内無線電話を受信した櫻井は
(やはりか!)
と思った。
「やはりレーダーで動向を探られ、後上方に回り込んで待ち伏せしていやがったか!」
敵戦闘機隊は上空で二手に別れて、左上方後部から覆い被さるように陸攻隊、直掩隊に襲いかかる。
──陸攻を守らねば!
そんな事を考える間もなく、ヒュンヒュンと重い弾が風防を掠める。櫻井は増槽燃料を棄て、すんでのところで翼をバンクをとり弾を躱した。
後方から、そしてこちらが劣位での奇襲である。真後ろにぴたりと敵機につけられ、逃げるには速度が足りない。
櫻井はブースト計がゼロになるほどにエンジンを吹かし、バレルロールで敵の軸線に入らぬよう逃げの姿勢をとった。
敵機は更に増えた。何機増えたかなんてわからない。ただ、とにかく劣位から離脱する事だけを考えた。
「くそ! 数が多い!」
逃げた先にも優位に敵機がいる。機動力は圧倒的に敵が上だ。休む間もなく弾が飛んできて、僚機を気にかける暇も、陸攻を気にかける暇もない。
「降下!」
櫻井は大きく反転降下した。降下した先で、途中断雲に入った。それを抜けると雨が降って来た。
降りしきる雨の中、ふと横を見れば桜花を懸吊した一式陸攻が、機首の引き上げに失敗しそのまま海面に突入していくのを見た。
「……っ!」
言葉を失っている場合じゃない──櫻井は操縦桿を思い切り引いて機首を引き上げると、ビリビリとプラスGが身体を襲うのを歯を食いしばり、できる限りの力を尽くして上昇した。
降りしきる雨の中を上昇し、雲を抜けると快晴の空へ抜け翼端から雲を引きながら櫻井はF6Fの背中をとった。その瞬間に十三ミリを思い切り斉射した。
メチルプロパミン(覚醒剤)がよく効いているのか、敵機の翼に十三ミリの機銃が当たって、火花が散っているのがよく見えた。
──今!
敵の機動がまるでスローモーションのように見えた。二十ミリ機銃に切り替えて、櫻井は一気に撃ち込むと、敵の翼から燃料が思い切り吹き出した。そしてやがて炎を吹いた。
「一機撃破!」
ギラギラと光る敵機がよく見える。今ならやれると思った。それなのに──
陸攻は焔に包まれていた。
陸攻は、降下して急速離脱を図っていたが、重い桜花を抱いては回避運動も出来ないまま、F6Fの餌になるかの如く次々と被弾していく。
陸攻を守らなければ──
それなのに、直掩隊にはぴたりと張り付くF6F編隊がいる。まずこちらをなんとかしなければ陸攻に近付く事すら出来ない。
これが八方塞がりというものなのだと身をもって知らされた気がする。
そんな事を思っていると、また一つ、また一つと陸攻が炎に包まれて堕ちていく。
そんな姿を見、怒りで何かが自分の中で切れた気がした。
「畜生! どけえええ!」
櫻井は無我夢中で敵機の後ろを取り、躊躇なく二十ミリを撃ち放つ。敵機は気持ちがいい程に炎上していくのを、誇らしく思った。
直掩隊を狙う敵機は、自分の力で撃破できるのに──それなのに、陸攻を狙う敵機に近付く事すら出来ない事に苛立ちしか覚えなかった。
俺は野中少佐との約束を守れないのか──
櫻井は歯が折れそうになるほどに、歯を食いしばった。
翼が折れ、霧もみになって堕ちていく陸攻を目の端に入れながら無我夢中でF6Fに火を吹かせた。途中何度か被弾もした。けれどもそんな事、気にもしなかった。
「ぶっ殺してやる! 一人残らず!」
櫻井は目の前で落下傘で降下するF6Fのパイロットを躊躇なく撃ち殺した。
直掩隊の零戦も炎に包まれて堕ちていくのを横目に入れながら、怒りに任せて敵を撃ち堕とした。
もうすぐ弾も尽きる。弾が無くなったら俺が桜花の代わりに突っ込むだけ──そう思ったその時、
──俺は前にも同じ事を思った気がする
突然視界が暗転し、目の前で炎上爆発する空母が見えた。
いつ、どこでしたものかわからないけれど、成功した特攻を誇らしく思った気がする。
『どうして死んでしまったの?』
女性の声が脳内で響いた。
操縦桿を握る右手と、スロットルを握る左手に力が入るのに、視界には目の前で何かを抱いて泣いている人が現れた。
抱いているそれは俺の遺品だ。
何故だかすぐにわかった。
──君は誰だ?
俺は彼女をとても良く知っている。
それなのに、名前が出てこない。
彼女は膝を崩して泣いていた。
でも俺はそんな彼女に、まるでよく知った仲であるように声をかけていた。
──何故泣く? 俺は、何一つ悔いはない
俺は泣き崩れる彼女の背中に言った。
──敵の戦力を一つでも減らす事が出来た事を、俺は無駄だとは思っていないよ
すると、彼女は振り向かないまま
『私は紀さんに生きていて欲しかった。どんな事があっても、生きて帰ってきて欲しかった。一緒に生きたかった』
と言って軍服を抱きしめ、俯いていた。
こちらの存在には気付いていないようだった。
涙声で言うその声はとても良く聞いた声。
それなのに俺は彼女を思い出せないのだ。
なあ、泣かないでくれ──彼女へそう言ったその時、
『第一小隊第二区隊長屋代中尉、陸攻隊の全滅を確認』
と、屋代からの無線電話が入り、視界が一気に零戦の操縦席に引き戻された。
(今のは……?)
零戦のエンジンの音、体全体に感じる重力──これは現実だ。無線電話に入った屋代の報告は、櫻井にとっては残酷なもので、意識を現実に引き戻すには十分だった。
──俺なら出来る
櫻井は咄嗟に
『第三小隊第一区隊長櫻井、突撃する』
と答えた。
『やめろ! 爆装もしていないのに大した成果が出るかよ!』
櫻井は屋代の言葉に苛立ちを覚え、櫻井は思わず
『俺なら出来る。絶対に命中させられる、仇を取れる』
そう言ってはみたが、燃料計を見れば、燃料は極わずかを指していた。
この燃料では突撃したところで大した炎上は期待出来ない。
屋代の言う通り、爆装でもしていたら良かっただろうが、これではすぐ消し止められてしまうだろう。
「合理的では……ないか」
櫻井は呟いた。
『確かに貴様なら確実にできる。けど……考え直せ』
屋代が言った。
──あなたを救える私になって、もう一度出逢い直すの
再び女性の声が聞こえた。それはとてもよく知った声で、胸を締め付けさせる。
「……みつき?」
ふと、彼女を思い出した。
あの日、弾除けにと、ジュラルミンを入れた猫のぬいぐるみのお守りを泣きそうな顔をしながら手渡す彼女を。
俺は何か大切な事を忘れている気がする──……
櫻井は
『帰投するよ。今突入するのは合理的じゃないからな』
と言った。
変な幻覚を見た、と思った。
「覚醒剤、量が多かったかな」
と、櫻井は苦笑した。
気付けば汗を大量にかいていて手の先が冷たくなっていた。
十四時四十五分──桜花隊、陸攻隊全滅。
***
櫻井は南大東島へ着陸し、燃料を補給後、夕刻十七時半を過ぎた頃に鹿屋基地に帰投した。
櫻井の機体は被弾の弾痕だらけで激闘の跡が伺え、兵器整備員は唾を飲み込んだ。
神雷部隊壊滅の知らせは当日十九時には戦闘速報として各部門に報告された。
桜花隊、陸攻隊は全機未帰還。戦闘三〇六、三〇七飛行隊は出撃した三十二機のうち離陸時に二機が巻き込み事故で大破、その後燃料吸い込み不良で十一機が引き返し、十七機中、七機が未帰還だった。
櫻井の戦果は撃墜六機、撃破八機──直掩隊としては前代未聞の撃墜・撃破数であったが、それでも陸攻は一機も守れなかった。
その日のうちに鹿屋に帰投出来たのは僅か四人、その他は南大東島で機体の応急処置をし、翌二十二日に鹿屋へ帰投した。
相馬は落下傘降下で水艇に救助され、仲間の零戦の胴体に乗って帰投した。
この桜花特別攻撃での死者は、桜花隊百五十一名、陸攻隊百三十五名、直掩機隊十名──総勢二百九六名が戦死したのだった。




