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桜花特別攻撃、発令 一 交わした別盃

 鹿屋基地は眠らなかった。

 二十一日午前一時には、二〇三空が間接掩護を行う為に神雷部隊の指揮下に入ることとなり、午前五時半には南九州への空襲の可能性ありとの判断から第一警戒配備が発令され、六時には偵察第一一の彩雲が索敵に発進した。


 午前七時には、戦闘三〇六、三〇七飛行隊に神雷攻撃一時間待機が命ぜられ、整備員と共に、搭乗員達が掩体壕に隠蔽されていた零戦を押し出して列線に並べる。


 神雷部隊決死の作戦だというのに直掩機はたったの三十八機。二〇三空が間接掩護に入るとはいえ──恐らく、南九州邀撃戦以上の苦戦を強いられるだろう。


 整備員が試運転、出撃準備に忙しくしている。櫻井はその様子を見て、何とも言えない気持ちを払拭しようと、地図を広げた。


──絶対に失敗は出来ない


 それはどんな立ち回りすらも無駄を作れないという事。

 それを持ってしても、厳しいものになる事は現場にいる人間ならわかるのだ。


 櫻井が今日の予定航路を地図を出しながら僚機の搭乗員と話をしていると、桜花の搭乗員のインタビューをしていた報道班員が駆け寄ってきて、写真を撮ってきた。


「櫻井中尉ですよね!? お目にかかれて光栄です」

『報道』と書かれた緑の腕章をつけた報道員の記者が嬉しそうに駆け寄って来た。


「さすが有名人櫻井。ファンが多かねぇ」

 隣にいた相馬が苦笑いをした。


 記者は

「桜花隊の下に、"期待のエースパイロット櫻井紀中尉、特攻直援へ"という記事を書きますから、何か意気込みを頂きたい」

と、言って鉛筆を舐めた。


(意気込みと言われても……)


 櫻井は機体の整備が間に合っていない事を知っている。増槽燃料の工作が間に合わず、十分な吸い込み試験を終えられていないまま列線に並べられている事を──知っている。


 櫻井は少し黙って

「私には私の、やれる事をやるだけですから」

と、簡潔に言った。

 記者はもう少し言葉が欲しそうな顔をしている。


「だって、特攻機でドカーンでしょ! 一・二トンの爆弾。ドンピシャ行けば敵空母なんぞイチコロでしょ」

 記者はそんな風に言うが、この作戦は報道班が思うほど簡単な事じゃない。


 整備員の中にも、桜花の千二百キロもの爆弾の威力を信じ、桜花さえあれば勝てると思い込んでいる者もいたが、そもそも当たればの話である。

 戦艦同士の大砲ですら、十に一つの確率なのだというのに。


「私は何も言う事はありません」

 櫻井がそう言うと記者は

「エースパイロットともあろうお方が、随分と弱気ですなあ」

と言った。


「そもそも私はエースでも何でもない。何と言われようと私は構いませんよ。ただ、これから命を投げ打って特攻に向かう桜花隊や攻撃隊の仲間を、ドンピシャだのイチコロだの──安く言わないで頂きたい」


 櫻井がそう言うと、記者は黙り込んだ。軍属として身近にいるとはいえ、彼らは挙げた戦果にしか興味が無い。軍令部の連中と同じなのだ。


 報道班は黙り込んでそのまま去って行ったが

「櫻井、言い過ぎじゃね? さすがに機動部隊も距離が近かけん、何機かは突破出来ると思うけどなぁ」

と、相馬が言った。


「本気で言ってるのか? 一式陸攻の脆弱性について無知がすぎるな相馬は」

 櫻井が少し睨んで言うと、相馬は少し困ったような顔をした。


「米軍も馬鹿じゃない。敵はその脆弱性は十分すぎる程に熟知しているだろう。俺達はあいつらの手のひらで転がされているんだよ」

「櫻井……」

 相馬は気まずそうに、これ以上言うな、そんな顔をした。まあ、当然だ。これからわざわざ手のひらで転がされに行くのは自分達なのだから。


 飛んで火に入る夏の虫とはよく言ったものだ。


「とにかく。報道にはあれくらい言わないと、彼らは国民を特攻で煽るからね」

「まあ確かに、最近の新聞は特攻ば煽る記事ばかりやけん、いつの間にか硫黄島の記事なんてどこにも無くなったけんな」

「な? 報道なんてそんなもんだよ。都合のいい事しか報道しない」


 そんな話をしていると、一式陸攻には桜花が懸吊され、指揮所前には慌ただしく別盃の支度が整えられた。


 しかし──まるで今後の行く末が厳しいものである事を暗喩するかのように、懸吊した桜花の加速ロケットが誤発で爆発。


「おいおい! こんな時に!」

「縁起悪ぃ!」


 そんな声が上がったと同時に一式陸攻が勢いよく燃え上がった。

 地上員、搭乗員総出でポンプ車を出し、消火にあたり一式陸攻と桜花の交換を急ぐ。


 悪い事は立て続けに起こるもので、桜花隊隊員一名が陸攻のプロペラに巻き込まれて殉職する惨事まで起き、別盃どころではなくなってしまった。


「桜花に乗らずにこんなところで死んでどうすんだよ!」


 身体を真っ二つにされ、横たわる搭乗員を抱き抱え、桜花隊の搭乗員が泣きながら叫んだ。


 先が思いやられる──誰もがそう思ったに違いない。


 嫌な予感は大体当たるものだ。



***



 午前九時五十分──第五航空艦隊司令部から攻撃命令が出てまもなく総員整列がかかった。


 飛行隊指揮所の斜め左前に小さな立台が用意され、格納庫の前右側に桜花二分隊十五名、続いて戦闘三〇六、三〇七飛行隊の隊員が並び、九十度折れ曲がって立台を囲む形で陸攻隊の第一、第二、第三分隊、兵器分隊、整備分隊の順で並び総勢五百数十名が並んだ。


 陸攻隊の野中は列の最前列にいる。櫻井は野中と目が合った。野中は目配せをして微笑む。

 櫻井はそれをじっと見ていた。


 七二一空の岡村司令が台に上がり

「敵状を伝える。偵察機の報告によれば、敵機動部隊は敵空母四隻よりなり、足摺岬南方三〇〇浬を南東に向け航行中である。うち一隻は先日来の我が攻撃により損傷受けたるものの如く、約五〇浬遅れて本体に続行中。本日の攻撃目標はこの続行中の一隻である。戦場付近の天候は南西の風、風力三、雲高三〇〇〇、雲量二、視界三〇浬の快晴である。敵空母上空に掩護戦闘機の姿はない。諸子の武運を祈る」

と、達示を行った。


 そして、次いで攻撃隊飛行隊長の野中が台に上がり

「敵状、目標は司令の話の通りだ。俺達は敵機動部隊壊滅に向かう。当基地を出たならば中隊ごとの編隊により敵地に向かう。高度は三〇〇〇、速度は一二〇ノット、進路一六〇度、攻撃開始時刻は一四〇〇、ただいまより攻撃開始まで無線を封止する。どんな微弱電波も出しちゃならん、わかったな」

そう言って、野中は台を降りた。


 続いて直掩隊飛行隊長の神崎が台に上がり、

「本日の直掩は陸攻隊の後方一〇〇〇メートル、上方七〇〇〜八〇〇メートルに占位し高度は三〇〇〇、我々は左右を蛇行、言わばバリカン運動を行う。更に後方を二〇三空が護る事になっている。自分の腕で防げない時は身をもって防げ。攻撃終了後燃料不足の場合は南大東島に着陸し、燃料補給の後鹿屋に帰投せよ」

そう、訓辞した。


 報道班がその様子を写真に撮っているのを横目に別盃を交した。

 そして皆で思い切り地面に叩きつけて盃を割ったのだった。


 割れた盃を見ながら、櫻井は何とも言えない気持ちを押さえつけるかのようにその盃の欠片を踏み潰すと、ジャリと音を立てる。

 

 それをただ、じっと見ながらただひたすらに欠片を粉々に潰した。何かを考えたわけじゃない。ただ、無心だった。



***



 本日の編成は戦闘三〇六飛行隊、三〇七飛行隊混合編成である。

挿絵(By みてみん)


 残留隊員達が見送りの為に、思い思いに

「ぶっ潰してきてくれ!」

「太平洋を守り抜け!」

と絶叫しながら帽振れをしている。誰かが用意したのであろう、寄せ書きをした大きな日の丸の旗を大きく振っている者もいた。


 搭乗員達はそれに応じながら乗機に乗り込んでいく。櫻井も帽振れに応じながら乗機に乗り込んだ。

 既にエンジンはかかっている。一通り計器のチェックをして問題がないことを確認し、午前十一時二十分──指揮所から発進の合図が送られ、Z旗が全揚になった。


 桜花を懸吊した過荷重状態の一式陸攻は、滑走路を目いっぱいに使って重そうにユラユラと揺れながら離陸していくのを、櫻井は誘導路で待機しながら見ていた。


(あれを護るのか……)


 思ったよりも鈍足な陸攻を見て一瞬そんな事を思ったが、櫻井は頭を横に振って雑念を消した。


 そして櫻井は胸ポケットから一枚の写真を出して

「行くよ」

そう、写真の中のみつきに呼びかけた。

当時のノートと鉛筆は書きづらく、鉛筆を舐めることによって書き味が少し増します。

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