タマ無し破壊王 VS 肥後もっこすクソ野郎
三月十九日──第五航空艦隊では夜間接触が引き続き行われていた。夜間接触の結果、呉、阪神地区を空襲するものと予測され、それを包囲するべく黎明攻撃として鹿屋、築城、大分から陸軍機、海軍機の攻撃隊が順次出撃。
黎明午前五時には索敵の為に偵察第一一の彩雲が鹿屋基地を発進した。
その後、蓮水の所属する第一国分基地及び第二国分基地からは特別攻撃令が出される事となる。
午前六時五十分、第三航空艦隊の指揮下にある松山基地の三四三空が偵察機『彩雲』を飛ばし、その後『紫電』『紫電改』が邀撃を開始。
その頃──富高基地に展開していた戦闘三〇六飛行隊、三〇七飛行隊は富高基地から鹿屋基地へ移動展開する事となった。
準備の出来た零戦から順に鹿屋へ移動していくわけなのだが──
「相馬中尉って荒っぽいから、相馬中尉のには乗りたくないなぁ」
ぽつりとそう呟いた整備員がいた。
そう、鹿屋への移動展開に伴い、今日は整備員を零戦の胴体の中に入れて笠ノ原基地と鹿屋基地の間にある整備基地に連れて行くのだ。
零戦の機体三十機程度、零戦と共に随伴移転命令を出された数十人が零戦で空輸される。
その他整備分隊の本隊は、整備機材を持って鉄道を乗り継いで後を追う。
基本的に空いてる者、準備が出来た者から乗っていくわけだが、誰が誰の搭乗機に乗るか、密かに整備員の中であみだくじが始まった。
「うわあ! 俺かよお!」
整備分隊指揮所で悲鳴が響いた。
「おめでとさーん!」
皮肉めいた祝福を浴びせられた整備員が頭を抱えて膝をガックリとついた。
相馬は機体の扱いが荒っぽい事で有名で、特に三五二空時代では機体を壊しすぎて『破壊王』と呼ばれていたという。
給料の殆どが罰金に充てられる為に、常に金欠で食べ物をくすねる事を繰り返していたとか。しかも三五二空で罰金制がとられたのは相馬のせいだというから笑えない。
三五二空から転勤して来た整備員からの口伝で九州の機体整備員の間で有名となる。
実際のところは相馬が壊しているわけではなく、相馬が乗る機体は何故か故障が多いというジンクスを抱えているだけなのだが、そんな事は整備員達は知る由もなく──普段の行いが悪いせいも相俟って言われなき"破壊王"の名を轟かせ、罰金を払っているという本人すらも知らない事情があったりする。
相馬が七二一空に来てからは幸いまだ機体を壊してはいないのだが(相馬が乗ると何故か起きる不具合は多々ある)、性格故のその荒っぽさは整備員をいつもヒヤヒヤさせているのだ。
その"破壊王"たる相馬の零戦の胴体になんて乗ったらどんな目に遭わされるかわからないから、わざわざあみだくじを作ってまで相馬機に乗る人間を決めているわけで。
「聞いたか? 相馬中尉"タマ無し"らしいよ」
「あーね。女っぽい顔しよる癖にあの態度、おかしいと思っとったたい。テストステロンば足りんのやろ」
「テストステロン足りんかったらあんな荒っぽくなかよ」
「いんや、女特有のヒステリーってやつたい」
とまあ、本人がいない事をいい事に言いたい放題である。
事の発端は櫻井の"タマ無し"発言が発端なのだが、その噂はすっかり整備員──いや、地上勤務員の間で話題だ。
「タマ無し破壊王にアップグレードやなあ。相馬も出世しよったもんやなー」
そんな風に大きな声で悪口を言っているのは海軍機関学校出身の整備員なわけだが、特攻作戦部隊である神雷部隊ではそんな言葉でも大きな喧嘩を招く。
制空隊とはいえ、桜花隊という特攻兵器部隊を抱えているという重圧が搭乗員に伸し掛かっていて神経質になっているから、お互い発言には大いに気を付けなければならない。
しかも、神雷部隊は過去部隊内で士官と下士官の間で乱闘騒ぎを起こし、大いに軍規が乱れた事もあったのだから。
「なあ、お前。俺ん事"タマ無し破壊王"とか言っとったらしいな? くらされてぇのかこの野郎」
飛行服のポケットに手を突っ込んで、目をギラつかせながら『お前』呼ばわりをして整備員を脅嚇しているのは──相馬知英。
海軍での『お前』呼ばわりは目下の者をさすが、相馬が脅嚇している相手は海軍機関学校出身の豊田という男。
噂というものは回るのはとても早いものだ。櫻井のつけた"タマ無し"から、"タマ無し破壊王"と尾ひれをつけたと思ったら、あっという間に本人の耳に渡るのだから。
「予備士官の分際ででかい口を叩くなや。方言丸出しでみっともねーぞタマ無し破壊王。タマなくしてヒステリーか」
「兵学校の行き損ないが偉そうに。いっぺん痛か目ば合わせんば分からんごたなあ?」
空気は一触即発。騒ぎを聞きつけた整備員、搭乗員が二人を囲むようにして野次馬を作っていた。誰も止める事はせず、黙って見ているだけ。
飛行隊長の神崎から叱られたばかりだというのに、相変わらず血の気の多さが引くことがないのが相馬という男。これが九州男児というものなのかそれとも相馬の性格なのか。
相馬の拳がぎゅっと握られて、遂に殴る──そんな風に皆が思った時だった。
「お前。俺の零戦に乗れや!」
相馬が豊田に指をさして言った。
「はあ? なぜ? 断る!」
「ほお。俺がえすか?」
「は? 馬鹿にしなすな! えずかなんて事あるわけがなかやろ!」
相馬につられて豊田も方言丸出しで熱くなった。
「そぎゃん言うんなら乗ってやらあ!」
豊田が叫ぶと、何故か野次馬していた整備員、搭乗員から歓声と拍手が沸いた。ただ、整備員を零戦の胴体に乗せて運ぶというだけなのに。
「事の発端は貴様じゃ、櫻井!」
相馬が飛行前点検をしている櫻井に文句を言いに行くと
「はあ?」
と、前日に変なあだ名を付けた事すらも忘れた様子で、こちらに振り向いた。
そして、なんだこいつと言わんばかりに眉を顰めたかと思うと、さっさと飛行前点検に戻るものだから、もう一回文句を言ってやろうかと思ったが、神崎にまた叱られるので黙ることにした。
その後、豊田を乗せて飛び立った相馬機の中は荒れていた。胴体の中から背中あたりをバンバンと叩く音がする。
「あーもう! やぐらしか! 大人しくしとれやクソが!」
「そぎゃん俺のセリフじゃ、タマ無し破壊王! ぬしこそ丁寧に操縦ばせーや! わざとやっとるやろ、毎回こぎゃん乱暴な操縦しとっと!? 零戦が可哀想やろが!」
「はァ? 俺は真面目に操縦しとうばい! 運んでもろうとる分際で肥後もっこす熊本クソ野郎はそぎゃんこぎゃんとぎゅーらしか! スタントされたかと!?」
「その零戦ば飛べるように整備しとっとは誰やろうなあ? スタントしたら許さんぞ佐賀県民!」
「あ!? 俺ぁ長崎県出身じゃ失礼な──あーもう! だから! 後ろ! 背中叩くなや、気が散るわ!」
「おい、タマ無し! 今ピッチ角変えやがったな! 下手くそ!」
「テメェが図体デケェくせに暴れよるけんがアホ! 肥後野郎、着いたら覚えてろ!」
恐らく今、日本一うるさい零戦である。
*
ああだこうだガタガタと零戦を揺らしながら飛行しているとようやく遠くに薄らと鹿屋基地とそれに程近い笠ノ原基地の滑走路が見えてきた。三〇六飛行隊は鹿屋基地へ着陸する。
相馬は無線電話の周波数を鹿屋基地に合わせて
「三〇六飛行隊177機。鹿屋基地に着陸許可を要請する! 宮崎より二十八度二十五浬、速力一〇〇ノット針路三十三度! 一二二五! うるせえ荷物を早く下ろしたいから空域待機の指示は受けない!」
と無線電話で言うと、座席の背中部分を強く叩かれた。
「鹿屋基地管制。177機、静かに」
ノイズ混じりの真面目な無線電話が入って
「肥後野郎のせいやぞ!」
とちらりと後方に目をやった。
そしてしばらくして
「177機、滑走路左への着陸を許可する。北東の風八キロメートル、横からの風に注意せよ」
と、無線電話が入った。
「177機、了解」
「おい! 風向き注意しろよ! 早くフラップ下げろよ、傷つけんなよ!」
「今日はちゃんとやるけん黙っとれ!」
背中の座席をバカバカ叩かれ、昨日風向きお構いなしで着陸した事をチクチク言われている。
うるさいなあ、そう思いながら機体の脚を出そうと油圧ポンプのセレクターを一つ一つ切り替えていった時だった。
脚下げのランプが点灯しない。スロットルレバーの下に小さなランプがあるのだが、ランプが赤のまま青にならない。
本来は脚を下げたら青にならなくてはならないのだが、油圧に異常は見当たらないので電気系統の故障だろう。
仕方なく外観を確認すると、主翼上に脚が降りている事を表す突起が出ていて、脚が無事に降りている事を確認した。
相馬は後部胴体にいる豊田に向かって
「おい! 脚下げランプが青にならん。電気系統壊れてんぞ!」
と言うと、
「まーた壊したんか? タマ無し破壊王のお得意芸やなあ!」
と威勢よく返事が返ってきた。
「は!? なして俺のせいにすると!? 肥後野郎の整備不良やろが!」
「ランプは電気工作員の仕事やけん、俺じゃないんやなあ」
残念でしたと言わんばかりの嫌味が帰ってきて、相馬は舌打ちをした。喧嘩をしていようが着陸はしなくてはならない。
飛行眼鏡をかけ、風防を開けた後、座席の高さを上げて飛行場の位置を確認した。
「速度! 守れよ!」
後ろから教官並に煽られ、相馬はこんな男を乗せた事を心底後悔した。実は何故こいつを指名して零戦に乗せたか、相馬本人もいまいちわかっていない。
(厄介な荷物がおるせいで、えらくせからしか……)
自分から豊田に乗れと言っておいてこの言い様である。
「速度は七十ノットか!? 厳守だぞ!」
「んなもん守っとるわ! 少しは黙っとれ!」
地上で吹き流しの代わりに黄色の発煙筒が焚かれていて、東の風がやや強いのが伺える。
滑走路を左手に見、手前で手旗信号が見えた。進入よし、このまま最終進入経路をとる。
白の旗が地面に刺さっているだけの簡単な着陸指示旗を見ながら、相馬はスロットルを開いて操縦桿を引き付けると機体が左に振られた。
風の影響もあり、ラダーペダルをしつこく踏んで機首を右に強く傾けながら進入する。
『お客様』がいるおかげで重くて上手く調節が出来ないのを
「下手くそ!」
と、見てもいないくせに零戦胴体後部からけたたましい声が聞こえてきた。
このまま地面を擦って尾輪をぶち折ってやりたい衝動に駆られたがぐっと我慢する。
相馬は、高度が下がったら操縦桿を引き機首を上げて、また再び高度を下げて機首を引き、それを慎重に繰り返した。
そして勘で操縦桿を更に引き付けると、ガタガタと翼が振動して、やがてガタンと全体に大きな振動と共にタイヤが地面に着地した。
「痛え! 頭ぶつけたぞ! 失速高度高すぎんだアホ!」
「肥後野郎が暴れなきゃ上手くいったわ!」
ブレーキを慎重に踏んでゆっくりと速度を落とすと滑走路中程で機体は停止した。そしてゆっくりと予め指定された方角へタキシングして行くと、先に到着していた搭乗員が旗を降って掩体壕へと誘導しに来た。
誘導の合図に従って、相馬は掩体壕の前までタキシングした。そして、誘導員の停止の合図で相馬はスロットルレバーを停止位置に戻して、ガソリンコックを閉め、電源を切ってようやくエンジンを停止させるとどっと疲れがのしかかってきた。
「はあ……終わった」
相馬はベルトを外して溜息をついた。しかしこれで終わりではない。まだあのうるさい荷物を降ろさねばならないのだ。
座席を取り外すと
「タマ無し! 下手すぎて、よくまあ戦闘機乗りになれたなあと感心するばい」
と嫌味を言いながら豊田が出てきた。
(いっぺん殴りてぇ……!)
相馬はそんな苛立ちを覚えながら翼から降りる。すると掩体壕へ格納する為に搭乗員や整備員が集まってきて、機体を押し始めた。そこに櫻井もいて、一緒に機体を押している。
そんな姿を尻目に、相馬は
「肥後野郎! 一発くらさせろ! もー我慢ならん!」
と、拳を握りながら相馬は豊田に詰め寄ると
「煽り耐性くらいつけろや。そぎゃん事やといずれ死ぬぞ?」
と、豊田はやれやれといった様子で言った。
そして
「意外と貴様も面白いやつやなあ。そうそう、177機は機首が左に振れすぎとるけん、トリムタブ強めに調節しとかんといかんな。じゃ、タマ無し破壊王またな!」
と言って、爽やかに去っていったのだった。
あまりにも突然に、そして爽やかさぶりに思わず棒立ちしてしまい、気付いたら豊田は既に遠くに行ってしまっていた。
「相馬、悪かったな」
突然話しかけられて、後ろを振り向くとそこには櫻井がいた。そして腕を小突かれた後、手に何かを握らされた。
握らされたものに目をやると、それは竹の葉で包まれた羊羹だった。
「なんやこれ」
「羊羹だよ」
櫻井はさも当たり前かと言わんばかりに即答した。
「そがん事みりゃわかるばい!」
何故羊羹を握らされたのか、それを聞きたかったのだが質問が悪かった。
「まあ、半分は俺にも責任があるからなあ」
櫻井は眉毛を少し上げながら、唇に親指を当てて言う。
"タマ無し"と名付けたのは櫻井だ。
今朝はそんなあだ名を名付けた事を忘れたかのような顔をしていたが、今は少し責任を感じているようである。
「それやるから機嫌直せって、タマ無し」
「全然悪かったと思っとるように見えんのやが?」
※相馬は佐世保弁のつもりです。
当方九州ネイティブではないため方言が所々違和感あるところがあります。




