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整備員としてできること

 九州への航空基地を中心とした爆撃も多くなり、櫻井のいる富高基地をはじめ、九州各地の航空隊は緊迫した空気を漂わせているがその間関東への空襲はなく、厚木基地では整備班と飛行班の人間はここぞとばかりに皆でエンジンを分解、燃焼室や吸気系の洗浄に励んでいる。


 みつきは、カウリングを外した状態での可動機の規定点検を整備員の槙野一整曹と他数名の整備員と共に行っていた。

 槙野はみつきが一時整備指示書に沿って目視或いは手で確認しているその後ろで、整備点検記録簿の点検項目にレ点を入れる。


 みつきは丁寧に目視点検をするが、少し違和感を覚えた部分に手を伸ばすと、軍手にじわっと何かが染み込んだ。


「あー……。オイル漏れかな?」

 漏れたと思われるその付近を、確認するように触れて、

「犯人はどこだ? あー、うーん……オイル漏れというより、インジェクションポンプからの燃料漏れっぽいなあ」

と言うと、槙野も手を伸ばして疑わしい箇所に触れると燃料が軍手に付着した。薄らと燃料が滲み出している。


「槙野さん。インジェクションポンプ交換です。多分これ、バラさないとダメかも」

「そこまでですか?」

「ちょっと規定点検はここまでにして、整備斑の方に引き渡してもういっそ、中を全て確認してもらいましょう。状態区分をZ(ズールー)に変更して下さい。私も地下工場で一緒にやります。続きの点検記録簿も不具合記録票も私がつけておきますから」


 みつきがそう言うと、槙野が

「了解しました。おい、三上、飯田! 運搬台持ってこい!」

と言って、他の整備員達に指示をした。


「カップリング、冷却水ポンプも出来れば交換したい。重要だから赤で書いてもらえますか? 補給班の方に、計画外整備に移行する事を通報して下さい、私は請求票を起票します」


 みつきがそう言うと、槙野は困惑した表情を見せながら

「これはまだ規定の半分も使用していないじゃないですか。劣化が見られたら交換、でいいと思います」

と言う。


 彗星は空技廠から極力部品を温存せよと言われている。エンジンの製作会社である愛知航空機からの部品供給が滞っており、現在ある部品でしか対応出来ないからだ。その上、部品が粗悪故に整備実施要領書にある耐用命数など全くあてにならない。


「インジェクションポンプから燃料が漏れているということは、冷却水ポンプも何らかのダメージがある場合が多いと思います。どうせ粗悪な部品なんだから冷却水ポンプもダメージあるでしょう、交換は必須だと思うので」


 物がないなら温存するほか無いのかもしれないが、 騙し騙し飛ばす事は効率的とは言えない。


 この時代の国産品なんか、粗悪に決まっている。部品が無くなった時に考えればいい。


「私はもう、エンジントラブルで誰かを死なせたくないんですよ」


 彗星は整備不良で死亡者を出している。

 あの日、爆発した彗星の機内から、熱いと言って這いずり出てきた搭乗員は、本来なら今頃日本の空を一緒に守るはずだった。

 

「私は空襲で死んでしまう人も、搭乗員の方も守りたい。その為には、少しでも戦力になれるように機体を整備して、搭乗員の方々が思い切り戦えるようにしたいんです」


 すると、槙野は何かを察したかのような表情をして

「わかりました。補給班に通報し、『重要』と記載しておきます」

と、点検項目に『重要 カップリング及冷却水ポンプ交換』と赤で書き足したのだった。


「槙野さん、ありがとうございます」

「いえ、白河さんの言う通りだと──俺も思いましたので」

 そう言った槙野の表情はどこか曇っていて、みつきとちらりと目が合うと、槙野は素早く目を逸らすのだった。


(槙野さん?)


 そんな事を思っていると、三上と共に飯田がエンジンの運搬台をガラガラと押して運んで来た。


「空冷の金星エンジンに換装した彗星三三型が厚木に納入されてから、1Pも出番があまり無くなっちゃいましたね」

 飯田が言った。


 1Pとは、AE1P──熱田エンジン三二型の海軍記号で、整備員からは1Pと呼ばれている。


 みつきは

「やっぱり慣れ親しんだ空冷の方が信用があるんでしょうね。1Pは部品もあまりないし、やっぱりモノが粗悪。でも、急降下爆撃機にはやっぱり1Pがいいと思うんだけどなぁ」

と言った。


 今まで三〇二空で主力だった彗星一二型のエンジンには機械式燃料噴射装置が採用されており、この時代にはなかなか難しかった、どんな姿勢でも強制的に燃料を噴射する事が可能で、マイナスG機動や突っ込み時の急な機首を下げる機動をしてもエンジンが正常に作動するのが強みなのに。


 でも、空冷の金星エンジンの方が部品も調達しやすいし何より整備もしやすい。しかも純国産だから勝手もわかるし、こちらの方が馬力も機動力も上ときたら──ますます1Pを使う理由がなくなる。


「知ってます? このエンジン、本当はかなり優秀で、車のエンジンや色々な航空機のエンジンの基礎になっていってるんですよ」

 みつきがそう言うと、飯田が

「うへえ、そりゃぁ凄い──って、え? 基礎になっていってるって。まだこれ、海軍と陸軍にしかないですよね? これからの話ですか?」

と、顔を顰めた。


(あ!)

 久々に未来人のような発言をしてしまったと思った。


「いや、私の願望ですよ。あはは……」

 必死にその場で取り繕っていると

「白河さんはよっぽど1P──いや、DB601Aがお好きなんですねぇ」

と、整備員の会話らしいようなよくわからない返事が返ってきて思わず

「そうそう! そうなの!」

と、みつきは苦笑いをした。


 DB601Aとはダイムラーベンツのエンジンをライセンス契約した熱田エンジンの正式名称の事だ。


 よっぽど好き──というのはあながち嘘じゃない。

 なんたって音がいい。零戦の栄エンジンはバリバリとした震わせる乾いた音に対して、それよりは潤いのあるスマートな音がする。


 まあ、個人的にはお隣の部隊、第一飛行隊の雷電の火星エンジンの方が、キーンとした高音とゴオーンとした重音の重なる、まるで二重奏のような音が好きなのだが──っていうのはまた別の話。


(この彗星一二型が出番なくなっちゃったら、私もお役御免なのかな)


 ふと、そんな不安も感じた。零戦の整備も出来るけど──でも、零戦の整備ができる人はここには大勢いる。


 そう、私じゃなくても──


「そういえば、一昨日士官だけ集められて何やら話があったみたいだけど何だろう? 白河さん何か聞いてます?」


 槙野がみつきに言った。


「いや、何も……。何かあったんですか?」


 何やら士官だけ集められた──そんな話は噂には聞いていたが、重大発表が何なのか末端には知らされていな かった。


「先日士官だけ集められて何か話があったみたいなんですけど、下士官オレらには何にも話がないんですよねえ」

 飯田がうーんと顔を悩ませて言った。


 整備分隊長の田万川も何も言ってこないあたり、末端まで知らせるようなものではないのかもしれない。


 とはいえ、下士官達はもうすぐ本土上陸があるだとか連合軍が来るだとか皆それぞれ噂していて、あまり空気が良くはないのも事実。


(今夜当麻さん帰ってきたら聞いてみようかなあ)

 


***



 午後六時半──辺りも暗くなった頃、整備指揮所でみつきは一人で整備日誌、その他帳票を書いていた。


 点検記録簿に今日の処置を記載するのだが、あれこれ交換に出した為に記録を()()()()()している。部品の温存という方針に背いているからだ。最終的に帳票は審査されるわけだが、そこで厳しく言われるのである。この時期、部品の管理はだいぶいい加減だったから、補給班とは口裏を合わて記録をメイキング出来ればバレる事はない。


 日誌を書きながら、地下工場で中身をバラして良かったとみつきは思った。やはり冷却水ポンプも劣化していて交換する羽目になったが、明日にはきっと地下から地上へ戻し、試運転、架装、試験飛行までいけるだろう。


 それにしても、整備日誌を書くにもインクをペン先につけるいわゆる付けペンで書くのもようやく慣れたわけだが、誰か筆圧が強い人がいたのかペン先が潰れてダメになっていて上手く書けずに

「ったく誰よ、強く書いたヤツ」

ぶつぶつと文句を言いながら書いていると、背後から突然

「白河さん」

と、 話しかけられた。


 振り向くとそこには槙野が立っていた。まだ若く、少し大人しめの顔立ちをした槙野は、怒りっぽい整備分隊長の田万川に『腰のないやつ』と言われていたりするのだが、低オクタン臭い整備分隊の空気をふわりと和ませてくれる人だ。


「整備日誌お疲れ様です」

「いえ、槙野さんこそお疲れ様です」


 みつきが少し会釈すると、槙野が

「白河さんて、ちょっと独特な漢字とか言い回しの文を書きますよね。もう慣れましたけど、最初はびっくりしましたよ」

と、少し笑って言った。


 恐らく新字体、現代仮名遣いの事だ。昭和二十年では世間は旧字体が使われていたから、槙野が驚くのも無理はない。


 みつきは戦後の生まれだから旧字体も歴史的仮名遣いも書けないのだ。しかもデジタル世代なので変換に頼っていたものだから、漢字が苦手だ。


 その上、この時代『公文法』というものがあり、こうした日誌もカタカナで書かねばならなかった為に最初は慣れるのに苦労した。


 今も気を抜くと平仮名で書いてしまうから、時々何枚も紙をダメにするけども。


「私外国にいましたからね……」


 "外国"とは、みつきが自分の出自を誤魔化す時に言うセリフだが、外国語は海軍士官、ひいては大学で外国語を専攻していた予備士官の方がよっぽど話せるので、有名どころの国をこれといって挙げられず、国名も現代と違うので曖昧に答える事しかできないでいるのだが、今のところ特に追求がないので助かっている。


「ところで、俺、白河さんにお礼が言いたくて来たんです」


「お礼?」


 みつきが聞き返すと、槙野は頷いた。


(お礼されるような事したっけ?)


 みつきがキョトンとしていると、槙野が

「実は俺、母が昨年機銃掃射に遭って亡くなってるんです」

と言った。


「えっ」

  みつきは言葉に詰まった。


「白河さんが空襲で死ぬ人を増やしたくない、事故をもう起こしたくないという気持ち、見習わなければと思った。俺は母を失ったと知った時、あんなに後悔して敵をも恨んでいたはずなのに、結局今の俺はただ毎日淡々と仕事をこなしているだけだ。俺だって元々は誰かの役に立ったり、守りたくて海軍に入ったはずなのに、それを忘れて俺は一体何をしているんだろうって──情けなくなった」


 泣き出しそうな、震えた声で槙野は言った。

 それはまるで、自分を責めているかのように。


 昼間、槙野の表情が曇った意味がわかったような気がして、みつきは何も言えずにいた。

 

「俺も、もう一度初心にかえって今まで以上に仕事を頑張ろうって思えた。そんな風に思えたのは白河さんのおかげです」


 槙野はそう言って、悲しげな目をして言うのだった。


「いえ、私は……」


(私はあの人に恥じない生き方をしたいだけ)


 目を閉じれば、あの涼しげでまっすぐな瞳と、芯の通ったあたたかい声が聞こえる。


『原動力は──みつき。君だ』


 何度も思い出されるあの言葉。そして、いつも何よりも自分を守ろうとしてくれたあの人の姿が。


「私はただ、零夜戦隊だった櫻井さんにたくさん守ってもらったんです。それと同時に、私は彼の原動力にもなりたかった。だから、恥じないような人になりたいと思っただけ。何も特別な事はないですよ」


 そう言ってみつきが笑うと、槙野も少し笑った。


「白河さんは櫻井中尉がよっぽどお好きなんですね」

「あっ、そういうんじゃ……!」


 咄嗟に否定したけれども、槙野はそんな事構いもせずに

「櫻井中尉は帰って来ると信じていますが──このご時世ですから……そうとも限りません。だから白河さんも悔いのないように」

と言う。


 みつきは口ごもった。


「でも、ほら……。もう櫻井さんはここにはいないから……」


 みつきがそう言うと、槙野は少し考えた様子で

「うーん。お手紙とか送ってみたらどうですか? 海軍軍用郵便局が各地にあるので、郵便局気付で送れば、大きな作戦がなければ一週間程度で届きますよ」


 槙野は頭を下げ、

「それでは俺は失礼します。白河さんも遅くならないように」

と言って背を向けた。


 槙野の背中を見ながら

(悔いのないように……かあ)

と、心の中で思いながら再び先の潰れたペンを持ったのだった。

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