南九州地区邀撃戦 五 櫻井の苦悩
富高基地では上がった報告や偵察の結果、敵機の集計等がなされ、今日の敵機の来襲数は午前の第一波で約一〇〇機、第二波〜第六波まで約三〇〇機の来襲があった事がわかった。
我が日本海軍ではそれを九〇機弱の零戦で邀撃していた。
戦闘三〇六、三〇七飛行隊合わせて二十五機を撃墜。うち、櫻井は四機撃墜、二機撃破、一機不確実という大挙な戦果だったが──それと同時に戦死者は二十名、負傷者四名、機体の中破、大破も予備機含めて四十機以上。そのうち体当たりによる自爆は六名にも上っている。
桜花隊特攻隊員によって結成された制空隊、戦闘三〇五飛行隊に至っては、第一波で七機未帰還、第二波では出撃した十一機全員が還って来なかった。
彼らは敵戦闘機に体当たりして死んだのだ。元々は特攻隊員であるから、その"肩書き"が彼らをそうさせたのかもしれない。
相馬機を巻き込み体当たりした機体が誰だったのかは未だにはっきりとはわかっていないが、偵察第一一飛行隊の偵察機からの報告によると、恐らく神崎率いる小隊の第一区隊四番機の松田一飛曹である可能性が高い事もわかった。遺体は上がっていない。
彼が何故自爆したのかは釈然としないが、ここ神雷部隊は『特攻部隊』である事を考えれば、『特攻』という行為自体そのものが戦局を救うと考えられているのかもしれない。
他の搭乗員が今日死んだ仲間の遺品を桐箱に詰め、食堂の長机に並べていく作業を行っている傍ら、櫻井は今日の飛行作業記録を確認しながら指揮所で相馬が到着するのを待っていた。
(七〇一空は今日、特攻があったと聞いた)
七〇一空は、以前三〇二空にいた同期の蓮水少尉が転属していったところだ。七〇一空の状況は、七二一空と同じ第五航空艦隊の所属であるから逐一情報が入ってくる。
七二一空と違うのは、七〇一空では特攻兵器ではなく零戦や彩雲、彗星といった航空機で特別攻撃を積極的に行う部隊であるということ。
──俺が特攻時は、全力で護れよな
退隊の時の蓮水の強い目が忘れられなかった。
蓮水はどうなったのだろうかと、ふとそんな事が過ぎる。
「護る……か」
蓮水と『桜花』を重ねて櫻井は呟いた。
今も、他部隊の陸上攻撃機の『一式陸攻』、爆撃機の『彗星』と『銀河』、索敵機の『彩雲』が夜間索敵と接触を行っている。
勝てる見込みのないこの『桜花特別攻撃』を是とすべきか非とすべきかの答えは相変わらず出ていない。恐らく今後も出ることはないだろう。
國や愛する人の為に死ぬ事に、疑問を持たなかったはずなのに。今でも、自分の死生観については何も変わっていないはずなのに──『桜花』をこの目で見てから、どうしようもない気持ちに襲われる事がある。
(父ならなんて言うだろうか)
いつかどこかで、諦めないで良かったと日本國民が一瞬でも感じる事が出来るなら、きっと無駄ではないのかもしれない。
これで、本土上陸を免れるのなら──
そんな事を考えていた時、
「綿引一飛曹、入ります」
と言って綿引が指揮所に入ってきた。
「櫻井中尉。こちらが漁業協同組合の方にお渡しするお礼の羊羹とフルーツ缶です。司令と飛行隊長がご用意して下さいました」
綿引は紙袋に入れた羊羹を櫻井に渡した。
「それと、司令が車の燃料も満タンにして差し上げてくれとの事でしたが、まだご到着はされてないですよね?」
「まだ到着はしていない。燃料の手配は既に済ませているから心配ない。わざわざありがとな」
櫻井と綿引がそんな会話をした、午後九時を過ぎた頃──見張りの男が「相馬中尉を載せた漁業共同組合の方がみえました」と電話を寄越したので、櫻井は側車付きの輸送車に乗って、燃料車を引き連れて隊門へ向かう。
遠くに車のヘッドライト、そして懐中電灯の光がチラチラしているのが見え、近付くに連れて年配の男性と当直員、そして相馬がいるのが見えた。
靴は失ったのか、草履と少し湿った色をした飛行服を着ている。
櫻井はバイクを停めて
「私、櫻井紀中尉と申します。相馬を救助し送り届けて頂きまして、感謝とお礼を申し上げます」
と、漁業組合の人に丁寧に挨拶をすると、漁業協同組合の男性が
「海軍さん、こちらこそいつも感謝しております。今日は大混戦でしたのを地上から見ておりました。たくさんの海軍さんが亡くなられた事でしょう。私はそんな中、相馬様をお助け出来て良かったです」
と、深々と頭を下げた。
「私達は皆様をお守りする事が役目ですから、どうぞお顔を上げて下さい」
と言って櫻井は男の顔を上げさせたが、顔を上げたその男性の表情を見て何だか胸が傷んだ。
やはりどんな手を使ってでも、この國を護らねばと強く思う。普通の生活を取り戻してあげたい、そんな風に思わずにはいられなかった。
***
櫻井が男性にお礼の品を渡した後、整備員に車の燃料を補給させている一方、相馬はというと櫻井の運転するバイクの側車に乗り込んでいた。
無事の報告を済ませる為に飛行隊長である神崎の士官私室まで行く事になるのだが、司令や副官といった上層部は、明日の作戦の為に一足先に鹿屋基地へ移動している為、相馬が後で電話を入れる事になっている。
「なあなあ聞いてくれよ、起きたら女がおって ! しかも裸で──」
今日起きた珍事件を、側車に乗りながら相馬は意気揚々と身振り手振りを交えながら喋った。櫻井はハイハイと空返事をしながら、過去の空襲でデコボコになった道をガタガタと震わせながらバイクを走らせる。
「裸がそんなに嬉しかったか」
「嬉しかも何も、青ざめたったい! 俺、何かやらかしたかて──っておい、櫻井! 笑い事じゃなかとよ! 打ちどころが悪うて、本当は妻がおるとに独身ん記憶に塗り替えられたんかて思うたんやぞ!」
興奮して九州の方言が炸裂する相馬に笑いを堪えながら
「俺もされた事あるけどな、整備員に」
と言うと、ぴたりと相馬の手が止まった。
「民間療法としてよくある事。相馬は興奮しすぎだ」
「よくある事だあ?」
相馬はそこまで言って、はたと言葉を止めた。
「おい。今さらっと流しちゃったけど整備員って、あの例の整備員か。女の」
「ああ」
「ああって……その整備員が好きなんっちゃろ? そがん事されて何も思わんかったと?」
「起きた時は既に医務室だったから殆ど記憶にない」
櫻井がそう言った時、
「ん。待てよ、記憶にないのにどうしてされた事知っとると?」
と言うので、櫻井は
(いちいちうるさい男だなあ)と思った。
「殆どと言った。全く記憶に無いとは言ってない」
「やっぱ記憶にあるんやん!」
「だからそう言ってるだろ」
本当は色々と覚えてはいるけれども、相馬に話すと好奇心で色々探られるので言いたくない。
「ええなあ。俺今そういうのないけんねー。見知らぬ素人女性ですらめちゃくちゃ緊張したけん、好きな人やったらどがん気持ちなんやろなあ」
「まあ、悪くはないよ」
そう言った時、相馬の目がジトッとした目付きに変わった。
「櫻井って本当、普通の顔して何か苛つく事言うよな」
「はあ?」
(ただの嫉妬では……)
と櫻井は思ったが、言うのはやめた。
「なあ。それにしてもさ、俺もまさか敵に後ろば取られとるて思わんだった。まさか翼端がもげる程に被弾するとは。俺は機体ばわやにした罰金ばいくら払わんばならんとか、怖くて堪らんばい」
三五二空では、機体を損傷すると罰金があったそうだ。
脚を折ったらギザ二枚。片舷折ったらギザ四枚。
十銭硬貨の側面がギザギザである事から、ギザと言われている。
「今回はやむを得ない被弾やし、ギザは免れっちゃろか」
などと言うので、
「……知らないのか?」
と櫻井が訊くと、相馬はえっという顔をした。
「ほら、松田いただろ。恐らく松田だと思われる機が相馬を巻き込み自爆した。まだ確証は取れていないが」
櫻井がそう言うと、相馬ははっとした様子で
「もしかして、721-55? それだとしたら体当たりしたの見たかもしれん」
と言った。
「なら、松田で間違いないな」
松田の機体番号は『721-55』であるから、恐らく一致。
「午後の敵機の来襲はおよそ三〇〇機だった。勝ち目が無いと思ったら、自爆を試みてしまう者もいるだろうな」
櫻井が言うと、相馬は感心したような顔をして
「俺は死が怖いけん体当たりなんてしきらん。俺は絶対に生きると決めとるったいね。だってよ? 自爆って痛そうだし肉片は散らばるし、すげえ恐怖じゃね?」
と言って頭を抑えた。
相馬は怖い、痛そうだ、だなんて軍人らしからぬ事を言うが、邀撃戦に限ってはその気持ちは案外大事なのかもしれない。
「俺は、彼らが邀撃戦で敢えて死を選ぶ理由がわからない」
櫻井がそう言うと、相馬が顔を覆っていた手を下ろした。
「一殺必中の『桜花』を直掩する為ならいざ知らず、邀撃は何度も出てこそ意味があると俺は考える。理由なんて何でもいい。死が怖くてもいい。落下傘で何度も降下して戻り、戦力を減らさない事が数で畳み掛けてくる敵との戦い方なのだと俺は思う」
櫻井は続けて言った。
「自分の命と引き換えに体当たりをしたとて、敵が死ぬとも限らない。米軍は我が軍と違ってどんな手を使ってでも救出する。例えそこが日本の領海であってもだ。だから今は死ぬべきではないと思う」
相馬はしばらくぽかんとこちらを見て
「櫻井は体当たりする派かと思っとった」
と言った。
「必要とあらばする。けど、俺は無駄な事に時間は費やさない」
と言うと、相馬は
「へー。さすが櫻井は合理的だよなあ」
と言った。
「その場で感情的になってしまっては敵の思う壷になる。そもそもなあ、相馬は感情的すぎるんだ──」
と、そこまで言ったところで
「そうだ。ついでだから言うが、貴様も海軍士官ならその感情的な言葉と態度を慎めよ。今日の兵器整備員への態度、軍規が乱れると飛行隊長がカンカンだったぞ」
と言うと、相馬はぎょっとした顔をした。
「いや、だってあれはさあ!」
「だって? 飛行隊長にもそうやって言い訳するつもりか?」
「いや……」
──その後、相馬は神崎からこっぴどく叱られたのは言うまでもない。




