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南九州地区邀撃戦 二 反省と後悔

 午前八時四十分──

「富高上空、敵機侵入を視認。敵はF4U(シコルスキー)八機」


 富高基地に拡声伝達器が響いた。


「三〇七飛行隊第二区隊、配置に付け。準備出来次第緊急発進」


 燃料と弾薬を補給し終えた戦闘三〇七飛行隊の約十五機が緊急発進していった。

 その十分後には富高沖上空約四〇〇〇米のところで空戦が開始。


 三〇六飛行隊もその後を追うように、邀撃、哨戒任務に飛び上がってから間もなくの午後十時三十分──第七二一空の岡村基春司令は第五航空艦隊司令部へ

『本日桜花作戦可能ナリヤ状況知ラサレタク

と、問合せ電を発していたが返電が来ず。


 邀撃、哨戒から全機帰還した戦闘機隊はその返電を待ちつつ、全機即時待機に入る。


 全機即時待機別法が下る少し前、櫻井は指揮所で下士官から本日午前の報告を受けていた。


「今朝、〇七四五の邀撃戦は撃破にとどまりましたが、被弾は無しです。哨戒任務では会得しませんでした」

 そう言って悔しそうに報告するのは、今日が邀撃戦が初だという櫻井の直卒じきそつする第三小隊の第一区隊、三番機の水木一飛曹。


「初出撃なのに頑張ったな。良くやったよ」

  そう言いながら櫻井は下士官の報告を聞きながら帳面に記入する。


すると、突然

「小隊長。〇七四五の邀撃戦の戦果を報告をする」

と、背後で低い声がした。


 櫻井が後ろを振り返ると、第二区隊長の相馬がいた。いつも威勢のいい相馬が珍しく大人しい。


 報告に来ていた下士官達は相馬に気を使ってかその場から静かに離れた。


 相馬は櫻井の前まで来て、

「一番機、戦果なし、被弾なし。機銃異常有り現在修理中。三番機、戦果なし、被弾なし」

そこまで言った後、言いづらそうにしながら

「二番機と四番機は」

と、途中まで言いかけて止まった。


 相馬の表情が暗くなった。

 その顔を見て、大体何を言われるかわかる。


 櫻井は相馬が口を開くのを黙って待った。


 そして暫くして

「二人とも未帰還。二番機はこの目で堕ちるのを確認した」

と、震えた声で言ったのだった。


「戸田上飛曹と、林原二飛曹か」

 櫻井が言うと相馬は黙って頷く。


「特に戸田は三五二空時代からの仲間なんだ。俺の列機になれて嬉しいって、言ってくれてたのに。俺が一番機を務めたばかりに……こんなことに!」

 

 相馬の大きな目から涙がぼろぼろと落ちて、茶色の飛行服が涙で黒くなっていく。


 列機を一度に二人も失ったのだから無理は無い。同じ飛行隊の仲間、勿論櫻井自身も胸が痛まないはずはなかった。


「落ち着け。まずはきちんと状況の報告をしろ」


 相馬は、ごしごしと乱暴に腕で目を擦って震える声でゆっくりと話始めた。


「シコルスキーに奇襲をかけたあの時、突然弾が出なくなった。だから俺は空域を離脱する、とバンクしてその場から離れるつもりだった。わかるだろ。奇襲をかけたくせに弾も撃たずに現れた俺なんて、敵からしてみたら飛んで火に入る夏の虫だ」


 相馬の弾が出ない事は、敵にすぐばれた。

 相馬は敵の軸線に入らぬよう、機体を回転させてその場を離れるが、執拗に敵に目をつけられた。敵はエレメント(二機編隊)で追ってくる。


 相馬を追う敵を、戸田が追う形になった。敵は戸田に目もくれず相馬を追う。丸腰の相馬を、早く堕としてしまいたいのだろう。

 丸腰の相馬は、ただ必死に敵から逃がれる事しか出来なかった。曳跟弾が機体スレスレを通り過ぎて、いつそれが燃料タンクに当たるかとヒヤヒヤしながら。

 相馬は少し戸田に期待をしていた。まるで自分が囮になったような気分で、きっと戸田が撃破してくれるだろうって。


 でも、相馬が最後に見たのは、後ろにいたはずの戸田機が前にいて──その戸田の濃緑色の機体が火を吹き、傾いて為す術もなく落ちていく姿だった。


「俺は最低だ。自分だけまるで敵を引き付けているような気になっていただけなんだ。実際は、戸田が俺の動線に入って俺が攻撃されないように囮になってくれていたんだ。知らなかったのは……ただ俺一人だ」


 そして一呼吸置いて、相馬は

「三番機の綿引二飛曹から報告を受けたが、林原は戸田を殺したシコルスキーに殺られたそうだ」

と、言ったのだった。


「俺が戸田も林原も殺したんだ」


 櫻井は咄嗟にそれを否定した。

「おいやめろ、相馬のせいじゃない。元はと言えば機材不良だろ」


 櫻井がそう言うのを、相馬は首を横に振って否定する。

「いや、俺のせいだ。俺がもっと統率をとっていればこんな事にはならなかったんだ。俺がもっと余裕を持って囮になっていれば、俺だけ死んで済んだだけかもしれないのに。そうすれば──」


「黙れ!」

 櫻井が強い口調で言うと、相馬の瞳の動きがぴたりと止まった。


「くだらない妄想はやめろ。例え時間が元に戻せたって、行き着く未来はここだ」


「ああ!? どういう事だよ! 自分の列機が無事だからって、何様だ貴様は!」

 相馬は強い口調で櫻井に問いつめるが、櫻井はじっと相馬を睨み、これ以上の発言を許さなかった。


「反省は大事だ。でも、後悔はするなと誰からも教わらなかったのか」


 戦闘機乗りならば誰もが当たる壁。


「俺だって、大切な僚機を失った事がある。俺はその人から実戦を学んだ。階級上では後輩だが、俺の大切な先輩だった。俺が至らなかったのも──事実だ」


 かつて三〇二空で一緒に戦った、磐城上飛曹(当時)の事だ。後悔は櫻井自身何度もしている。


「教えてやる。後悔は怒りを生み、恐怖をも生む。動かせない現実を受け入れられず、責める事を積み重ね、追い込む先はどこか? それは敵じゃない」


「──自分だ」


 何故あんな事をしてしまったのか、しなければ良かった、あの時ああしていれば良かった──誰もが考える。  


 後悔とは、現実を受け入れられず、あったかもしれない未来を妄想し、ただ自分を責めているだけだという事に誰も気付かない。


 現実に"もし"はない。

 過ぎてしまったものは戻らない。


「後悔を重ねた人間は自分の選択を見誤る。いや、見誤っていると思い込む。矜恃を失い、選択に迷い、恐怖を覚える事を後悔から学ぶからだ」


 戦闘機乗りは常に冷静な選択、判断を求められる。迷いも、恐怖も許されない。


「じゃあなんだ。自分を正当化しろとでも言うのか!?」

「違う。相馬も三五二空で邀撃戦に出ていたならわかるだろ。これは弔い合戦じゃない、戦争だ。俺達は軍人で、敵を壊滅させるのが命だ。ならば今する事は反省で、これからどのように連携していくのか、どうしたら改善出来るかを考えるんだ。後悔は戦争が終わってからいくらでもすればいい」


 相馬は黙って聞いていた。


「反省した事はまた同じ場面が訪れた時、必ず次に活きてくる。もう充分泣いたろ。なぁ、相馬。後悔に呑まれず矜恃を持て。そうじゃなきゃ体を張ってまで守ってくれた二人が……可哀想だ」


 櫻井は優しく、相馬に言い聞かせるように言ったが、相馬は何も言わず腕で目を擦りながら櫻井に背を向けた。


 まだ心の整理がつかないのだろう。櫻井は何も言わず去っていく相馬の背中を黙って見送った。



 しばらくして二番機の大友上飛曹が

「小隊長、お話大丈夫ですか?」

と、こちらを心配してやってきた。大友は階級こそ下だが、かつての磐城と同じようにラバウル航空隊を経て七二一空へ転勤してきたから、戦闘経験は長い。


「ああ、大丈夫。心配かけたな」

 きっと、相馬とのやりとりを見ていたのだろう。気を使ってくれたのがわかる。


「いえ、我が事のように聞いていました。私も同じような経験をたくさんしてきて、後悔ならたくさんするのですが、反省していたかどうかと言われたら……わからないので」

「俺もそうだよ。人には立派な事を言ってみせたが、俺もそうかと言われると……わからない。だが、常に改善策を考えるようにしてる」


 仲間を失って、すぐに切り替えられるわけでも、反省出来るわけでもない事はわかっている。理性と感情は切り離せられないものだから。


 大友が握り飯を二つ持っていたうちの一つを櫻井に差し出して

「そうだ。これ、さっき整備分隊士から頂いた握り飯なんですが召し上がって下さい。これから神雷攻撃の直掩が予想されますから、英気を養って下さい」

と言った。


「いいのか? ありがとう」

 握り飯を受け取って、櫻井はその場で頬張った。

 櫻井が頬張るのを見て、大友も大きな口を開けて握り飯を頬張った。


 櫻井が横目で大友に目をやると、握り飯を頬張る大友の顔が、かつての磐城に重なった。


「なあ大友。俺は大友の思うように動けているか?」


「え?」


 大友は驚いたような顔をした。そしてニコニコとしながら

「私は動きやすいですよ。奇襲の時は私も少し自由に動いちゃいました。機銃が全く貫通しなくて硬いな、くそって思っていたら、小隊長が見事にやってくれたんで、やった! と思いました」 

と、あまりにも真剣に言うものだから、櫻井は驚いてしばらく大友に見入っていると、大友はハッとして

「あ、すみません。喋り過ぎましたね」

と、困ったような顔をして言うから思わず

「いや、いいよ。そんな真剣に言うのが面白くてつい見入ってしまった」

と、言うと大友は照れたような顔をした。


「私は小隊長の思うように動けてますかね?」


 そんな事を美味しそうに握り飯を食べながら言う大友がなんだか無性に可愛く感じて、思わず笑みがこぼれた。


「ああ、動けているよ。ありがとう」


 俺も、慢心せずに上手く連携をとっていかなければ──


「よし、大友。今から復習だな。三番機と四番機の水木と岩崎も読んでこい」

 櫻井がそう言うと、大友はご飯粒を顔につけたまま

「はい! 呼んできます!」

と言って慌てて立ち上がった。


「食ってからにしろ」

 櫻井がそう言うと、大友は顎に付いていたご飯粒を取って

「失礼しました!」

と言って、そのご飯粒を口に入れた。


──邀撃、直掩、どちらに転んでも絶対に撃墜してやる。

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― 新着の感想 ―
[一言] 更新お疲れ様です。 列機を失った焦燥と悔恨・・・・ 行き場のない思いは自らを蝕み、『靖国』への直行便へと誘う危険が(><) 本人も不幸だし、背中を預ける列機も不安ですね<`ヘ´> 何とか立…
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