南九州地区邀撃戦 一 運命の日、近付く
敵は二、三日前にウルシー島を出、現在は四国南方海一〇〇浬附近に到り、今朝敵艦上機の来襲必至でなり。敵機来襲せば全機撃滅せよ──
第五航空艦隊では、敵機動部隊の無電を傍受し、敵は既にウルシー島を抜錨し日本に向け出港している事を察し、敵艦上機の来襲は必至と判断した。
第五航空艦隊とは、沖縄戦の特攻作戦の前線基地として、陸海軍の全航空部隊の総称。
櫻井の所属する第七二一海軍航空隊は第五航空艦隊の所属だ。
時は三月十八日午前五時──『戦闘機隊全機即時待機別法』で 櫻井の所属する戦闘三〇六飛行隊と、戦闘三〇七飛行隊合わせて全六十六名が待機所で待機していた。
エンジンは既にかかっていて、いつでも出撃できる状態だ。
午前五時四十五分から三〇七飛行隊が哨戒に出、その後一時間交代で三〇六飛行隊が午前九時まで富高基地を中心とした延岡から宮崎間の哨戒にあたる事になっている。
櫻井は今日の哨戒区域を地図で確認しながら、ウルシー島から鹿屋までの南方海域を指でゆっくりとなぞった。
既に地図には今日の大凡の哨戒区域、時間、予定高度、気象情報が書き込まれている。
(敵はF6FかF4Uか……)
初めてF-13偵察機を見た時に感じたあの緊張感と同じものを久しぶりに覚えた。それはどこか、高揚感にも似ている。
このあまりにも有名な敵艦載機は、特徴、諸元は把握したものの、実際にどうなるか会敵してみないとわからない。
F6Fは前回会敵した時は歯が立たなかった。
(次こそは──)
櫻井がゆっくりと地図をなぞるのを、隣に座って横目で見ていた相馬が
「今日、特令来るかねぇ」
と、声を潜めて櫻井に耳打ちをした。特令とは桜花特攻攻撃命令のことだ。
「さあ。司令次第だな」
櫻井がさらりと言った。
「あ? んなもんわかっとるわ阿呆が。そうじゃなくて」
女のような顔をしているくせに乱暴な言葉を口から吐き出す相馬に、櫻井は溜息をついた。
「じゃあ言ってやろう。今朝にも敵艦上機の来襲が見込まれているわけだ。今後の気象予報も移動性高気圧の大部分が黄海方面にあり、晴、快晴となる見込みで視界良好。敵味方共に好条件──となれば今日明日にでも下されない方がおかしい。以上」
至極当たり前のように櫻井が言うと、相馬は急に弱気になって
「やっぱりあるよなぁ」
と、急に声が小さくなった。口だけはでかいのに、いまいち骨のない奴である。
そもそも、日本内外から集められた陸海軍の航空隊が特攻基地に集約している時点で普通じゃないのだ。
昨日大本営宛に硫黄島から訣別電もあったというから、沖縄上陸もあと指折り数えるだけ。
特別攻撃が背水の陣でしかない事は今更誰もが知っているとはいえ、ここまで追い込まれている以上特別攻撃投入は避けられないところまで来た。
その為に燃料、弾薬は日本本土中からかき集められ、その時を待っている。
「今日命が下されるのを前提とし、それまで哨戒、邀撃にあたると訓示があったばかりだろ」
「わかっとるけん。せからしか」
自分からあるかどうか訊いておきながら、方言で『うるさい』と返すとは──相馬という男は何とも失礼な奴である。
「こいつ……」
*
鹿屋基地に展開している偵察第一一飛行隊の彩雲が午前六時五十分、空母四群十五隻からなる敵機動部隊を発見したとする無電が、富高基地に入った。
それに呼応するように、哨戒から帰ってきた三〇七飛行隊(呼び出し符号『虎』)と交代して三〇六飛行隊(呼び出し符号『隼』)が午前七時に富高基地を飛び立った。
戦闘三〇六飛行隊 編成
戦闘三〇七飛行隊 編成
三〇六飛行隊の一大隊は二つに分かれ、神崎中隊『雲雀』と伊澤中隊『千鳥』に分かれて高度別に哨戒。
『雲雀』と呼ばれた神崎中隊は高度六〇〇〇メートルを飛行した。その二〇〇〇メートル下空を『千鳥』中隊が飛んでいる。
櫻井は千鳥中隊を下に見下ろしながら辺りを見回す。
海は広いものでなかなか敵影は見つからない。天気は雲一つない快晴。キラキラと光る朝日の海の反射光が目に刺さって眩しい。
目を細めながら辺りを見回して敵らしきものを探す。
富高基地を飛び上がったのが〇七〇〇──気付けば現在時刻は〇七四五。燃料は一時間相当分しか積んでいないから長居ができない。
そろそろ燃料補給を──そう思った時、千鳥中隊から『敵機動部隊約十六機、延岡方面進入中。空戦を開始す』と打電が入った。
櫻井は延岡方面下方を見ると、キラキラと光る海の反射の合間に小さな星の塗装がぽつぽつと見えた。まだ紫がかった朝の海に薄らと浮かび上がるのは、海に擬態した大きな機影。
(シコルスキーか!)
プロペラから操縦席まで機首が長くなった特徴的な形のそれはF4Uコルセア──通称シコルスキー。首都防空邀撃を主とし、主な敵がB-29爆撃機だった櫻井が会敵したのは初めてだ。
神崎の合図と共に櫻井は二番機と共に降下。三番と四番機はそれを挟むようにして降下した。
雲雀隊が千鳥隊と合流すれば三十機弱。人数は圧倒的にこちらが有利。
敵が千鳥隊に気を取られている隙に上から叩き込めば、一網打尽にできる。
燃料は残り少ない──時間はかけたくない。
櫻井は上方から降下しながら七・七ミリ機銃を叩きつけた。
敵からしてみたら、まさか上から十機以上もの零戦がけしかけて来るなんて思わないだろう。
敵機にとっては思わぬ上空からの奇襲──
櫻井とその列機が放つ七・七ミリの機銃はカツンカツンと情けない音が聞こえてきそうな程に火花を散らせて容易く弾かれていくのが見える。
「そうだよねぇ」
思わず櫻井は呟いた。
諸元は圧倒的にF4Uが上。
F4Uの十二・七ミリを打ち込まれたら容易く貫通してしまう零戦と違って、防弾性能に特化したその機体は、恐らく十三ミリでも貫通しない。唯一敵の機体に穴を空けられそうな二十ミリ機銃は、弾速が遅く勝負する場所を見極める必要がある。
F4Uの得意戦法は零戦の倍程あるその馬力と強度を生かした一撃離脱戦法と聞くから、時間との勝負だ。
逆に言えば、格闘戦は苦手であるという事。
ならば、速度の早い七・七ミリの弾幕を他方から浴びせる事によって精神的負荷をかけ、F4Uに逃げる余裕と隙を与えなければいい。
奇襲はこちらがかけているのだ。
今は細かい戦略などいらない。ただ、一方的に叩く! ──それだけ。
狙うは、狙って下さいと言わんばかりのその巨大エンジンとコクピットの間にある主燃料タンク。
目をつけたF4Uは、こちらの奇襲に気付いてエレメント*になって逃げようとする。
「はっ、逃がすかよ!」
櫻井は七・七ミリを撃つ手を止めなかった。
櫻井の二番機も、隙もない程に弾幕を浴びせ、その様はまるで雨のようだ。
千鳥隊にも囲まれた敵は、確実に混乱している。
叩くなら──今だ。
(この距離ならいける!)
パイロットの頭を視認出来る程の距離へ近付いたところで、櫻井は機銃を二十ミリに素早く切り替えた。
二十ミリ機銃を主燃料タンク目掛けて撃ちつけると、F4Uとすれ違った瞬間にドンと大きな音を立てた。
燃料タンクが爆発したのだ。
同時に圧力を感じて、炎を帯びた部品がガツンガツンと音を立てて櫻井の乗機に当たり、危うく自分も燃えそうになるのを、既の所で機体を翻して躱した。
(危ねえ、接近しすぎた)
気付けば三〇七飛行隊の『虎』大隊も合流し、計七〇機以上の大乱戦で辺り一面が焔と曳跟弾の煙で灰色に覆われている。
──この間約六分。
空域を離脱して見れば、炎と共に分解した機体がバラバラと海へ落ちていくのが見えた。
炎に包まれた青い海のような色の機体の一部を追うように、濃緑色の飛行機が焔と共にまるで玩具のように落ちていく。
敵の誰かが死ぬように、味方の誰かもまた、死んでいくのだ。
誰が堕ちたのか──考えたくはない。それなのに、目は自然と尾翼の機体番号を追っていた。
敵は一機、また一機と増えていくのが見え、兵力の余裕を感じる。
「いくらでも投入可能って事ね……」
敵はまるでこの日を待っていたかのようだ。
どうにも嫌な予感がする。
こちらも全力で応じなければ──確実に負けだ。
*アメリカ空軍での二機編隊の呼称
戦闘306飛行隊の櫻井小隊の零戦は52型乙です(超レア)
史実では全機52型丙です。
機銃7.7と13ミリと20ミリがあります。




