訓練中の事故を目の当たりにして 一
九月も末に差し掛かった頃、隊内では大きな問題を抱えていた。訓練時の、航空機での事故が多発していたのだ。
まず一つは第一飛行隊の「雷電隊」だ。雷電という戦闘機はバランスを取るのが難しく、墜落事故が多発している。
また、第二飛行隊では、零戦の機体トラブルが続いており、油圧が切れるほか燃料漏れ、危うく大火災になりかけたりとエンジントラブルによる不時着で、殉職者が出たりした。
カラスが鳴かない日があっても、事故がない日は無いと言われ、海軍省総出でお祓いまでする騒ぎだ。
そんな中、櫻井は試験飛行を任された。相模湾を周回、特殊飛行をするという仕事だった。
いつもなら二つ返事で了承するのだが、今日はなんだか違っていた。
いきたくないなあ、それが率直な感想だった。
嫌な予感というものは的中するもので、相模湾上空を周回したあと、「スタントに入る」と無線電話を入れた時の事だった。
スロットルを一杯に引き上げ、操縦桿を倒して急降下に入った時、突然バチッという激しい音が響いた。
「え?」
急降下の姿勢でエンジンが急停止した。エンジンを何度かけ直そうと試みるも、全く動く気配が無い。
鼻をつく焦げ臭いにおいと視界を遮る程の真っ白な煙で、どこかの電気系統がショートしたのだと思った。
まずい──なんて思う暇すらない。急降下速度が速すぎて不時着水は不可能だ。しかも試飛行だから落下傘を積んでいないので、空中離脱もできない。
これが水平飛行中であればまだ不時着水は可能だったのに運が悪すぎる。
速度を少しでも落とすために、フラップを降ろした。もう何かを考えるには時間がない。
一か八か──
櫻井は風防を全開に開けた後、体を少し乗り出して、海面の波がはっきり見えるくらいに近づいたその一瞬で、思い切り海へと飛び出すと、爆弾のような轟音が轟いて同時に意識が一瞬にして途切れたのだった。
***
相模湾で航空機が墜落したと農作業をしていた老人から連絡が入ったのはそれから一時間も経ってからの事だった。
休憩していたみつきは手隙要員として呼び出され、その他手隙の整備兵、衛生兵と一緒に軍用救急車とトラックで現場へと駆けつけた。
相模湾に墜落した機体は、ペシャンコに潰れていて原型を留めておらず、エンジンから煙が出ている。海に流れ出た油が虹色に鈍く反射していた。
櫻井は、折れた翼にひっかかって海面に浮かんでいた所を、舟に乗っていた二人組の男性に助けられた。
相模湾の沿岸で、飛行服とその下に着ていた軍服を脱がされ、半裸の状態で布団をかけられ横たわっていた。
「櫻井さん!」
駆け寄ると、長い間海面に浸かっていたのか、顔は血の気がなく、唇が紫色になっている。
農民の男性二人が櫻井の首や足を、手や布で摩擦して温めていた。
整備兵が事故機の状態を確認しに舟に乗っていくが、整備兵の一人が
「零戦の状態は我々が確認するので白河さんは衛生兵と櫻井少尉の介抱して下さい」
と言うので、みつきは衛生兵の指示に従う事にした。
衛生兵が手際よく櫻井に酸素を吸入させながら
「白河さん。今、櫻井少尉を担架に乗せますから、救急車の中で北山と一緒に櫻井少尉をとにかく温めてください。時は一刻を争います」
と、北山と呼ばれた男を顎で差しながら言った。
「わかりました」
みつきは救急車に乗り込み、櫻井にかけられた毛布の中で北山と一緒に櫻井を二人で両側から抱くのだが、北山は上半身の衣服を脱いで裸になっている。
なんとも奇妙な光景だが、低体温になってしまった場合の対処としてこのように温めるのが一般的だ。
「私も脱ぐべきですか?」
「え!? あ、いや、白河さんは大丈夫です。肌の面積が多いに越した事はないんですが……まあ、あの。女性ですので、ただ下半身だけ裾を捲りあげるとかしてできるだけ肌の面積を多くしてくれれば……」
北山は少し戸惑いを見せながら言った。
みつきは裾を捲りあげて太腿まで露出させて、毛布の中で櫻井に触れた。
(凄く冷たい)
櫻井の身体は信じられない程冷たくて、本当に死んでしまうのではないかと思った。
一番初めに出会って、助けてくれた人が死んでしまうかもしれない。
そう思ったら、やるせなくて悲しくて辛くなった。
「北山、点滴入れろ」
別の衛生兵から北山が声を掛けられて北山が
「はい!」
と、起き上がった。
みつきは毛布の中で櫻井と二人きり取り残されている。
「白河さんは引き続きお願いします」
北山はそう言って、毛布の中から櫻井の腕だけを出して点滴の管を手際よく入れていく。
みつきは引き続き温めるが、櫻井は依然反応がない。
(女だからとかで躊躇ってる場合じゃない! どうせ毛布にくるまってるわけだから、見えないわけだし!)
みつきは上半身のボタンを開けて、少し肩を出して、できるだけ肌を多く触れられるようにして、少し摩ったりしながら身体を温めた。
そしてまたふと、過去に見た夢の中の青年を思い出したのだった。
この人を失いたくない──そういえば、あの日みた夢の中でも同じ事を強く思った気がする。