迫る思い、それぞれの告白 一
孤児院へは、当麻とみつきで行くことになった。
櫻井は転勤に伴う支度があると言うので、当麻が
「じゃあ俺がいくよ」
と、言って男の子を預かった。当麻は背広を着て、普通の民間人の様に身支度を整える。
勿論当麻が抱くと泣くので、みつきが子供を抱いた。
家の主人に貰った大きな風呂敷を抱っこ紐のようにして体に巻き付けると、少し楽に子供を抱く事が出来るようになった。
そして、下宿で使っていた半纏を子供の体に被せるようにかければ寒さも凌げる。
「なんだかこうしていると俺達夫婦みたいだね」
駅のホームで列車を待っていると、当麻がにこにこしながらそんな事を言った。
「確かに、知らない人から見たら夫婦かも」
みつきは少し首を傾げながら言った。
男の子を膝の上に乗せて、横浜へ向かう列車に乗っていると、
「こういうのっていいよなぁ」
と、当麻が嬉しそうに言った。
「だってさ。ずっときな臭い男だらけの空間に毎日いるだろ? 俺には嫁子供とか縁遠いけど、やっぱりこうして見るとさ、子供って癒されるよ」
当麻はそう言って、すやすやと眠っている男の子の頭を撫でた。
そんな当麻の姿を櫻井に重ねて見ている自分と、
きっとこの人なら、私を──と一瞬でも考えている自分もいて、頭がおかしくなりそうだった。
それに、短い間とはいえこうして子供を抱いていて、男の子の重さと体温が空襲で荒んだ景色や心を少し和らげるような気さえする。
「……なあ。櫻井と何かあった?」
突然当麻に訊かれてみつきの肩がびくっと震えた。
当麻は表情を曇らせているみつきの顔を訝しげに覗く。
「いや、何も!」
みつきは慌てて顔を横に振った。
「いや、何かあるね。櫻井の事だろ? 女を泣かせるのは上手いからな、あいつは」
みつきはぎくりとした。何故当麻が櫻井の事だと断定したのかはわからない。櫻井と列車に乗ったあの時は自分が勝手に泣いたとはいえ、女を泣かせるのは確かに上手い人だと思った。
みつき的には、このまま何があったのかは隠していてもいいのだが、今はそんな気分じゃない。
「あの……私ね。櫻井さんに……ふられちゃったかなーみたいな? あはは」
と、少し明るく言ってみせた。すると、当麻は
「え?」
と、突然の事にポカンとしている。
「ごめん、どういう意味? ふられたって?」
当麻は明らかに戸惑っていた。いや、無理もない。まさか気軽に訊いた一言で、こんな話になるとは当麻自身も思わなかっただろうから。
「櫻井に傷つけられた?」
「いや、全然! その、そういうわけじゃなくて」
みつきは慌てて首を横に振るが、当麻は依然険しい表情をしたままだ。
「なんとなーく、拒絶された……気がして」
「拒絶?」
みつきは頷いた。
「櫻井さんはどこまでも自己犠牲が激しいんです。私や、未来の誰かが幸せになれる土台が作れたらそれでいいだなんて言うんですよ。私は櫻井さんにも幸せになってもらいたいのに──なんだか突き放された感じがして」
「ふん。櫻井らしいよ、そういうところ。俺は嫌いだけど」
当麻は、少し気に食わなそうな表情をして、ずげずげと言う。
胸のポケットから時刻表のメモとみつきのお守りのついた懐中時計を取り出して、それを照らし合わせながら、
「まあ、そういうヤツだから戦闘機乗りをやってられるんだろうけどね」
と言って、当麻は再び胸ポケットに時計を仕舞った。そして、風で揺れる窓の外に目線を移して腕を組んだ。
「戦闘機乗りの空は、思った以上に孤独で──自分と恐怖との極限の戦いだったりする。目先の自分の幸せなんてものを望んでいたら、あんな零戦、とても乗れないよ」
カタンカタンと、線路の音が響いている。みつきはそれを感じながら、窓に視線を向けてゆっくり話す当麻の眼をじっと見ていた。
「櫻井は強いよ、本当に。そう見せてるだけなのかもしれないけど」
当麻の視線は外にやったまま、揺らがなかった。
「俺は櫻井のようにはなれない。極限な時ほど愛しい人を思い出してしまうし、生きたい、会いたいと思ってしまう。櫻井のように、そんな気持ちを奥へ仕舞えるほど──俺は強くないんだ」
そして、
「だから俺は戦闘機乗りの適性がなかったのかもね」
と言って、偵察員である事を少し自虐しながら乾いた笑みを浮かべて、ちらりとみつきを見たのだった。
「なあ、みつき──」
当麻がそう言ったところで、ちょうど横浜到着のアナウンスが流れ、列車は横浜駅に着いた。話は途中だったがとりあえず席を立ち、地図を頼りに孤児院へ向かう。
一時間程歩いたところで、ようやく孤児院に辿り着いた。孤児院に着いた頃にはすっかり夕方になってしまっていて、冷たい風が頬を叩く。
孤児院の多くはキリスト教で、対応をしてくれた女性は年配のシスターだった。
「この子を、よろしくお願いします」
そう言って、当麻とみつきは頭を下げた。シスターはニコリと微笑みながら頷く。シスターに預けられた男の子は、みつきの元に戻りたそうにイヤイヤしている。そして、ぐずりだすのを見て、みつきは心が痛んだ。
本当の親では無いけれど、自分があのまま育てた方が良かったのかもしれない──そんな事が少し過ぎった。
そんなみつきを見て当麻は、
「大丈夫、ここならきっと子供達も安心だよ。孤児の仲間がいて、きっと寂しくない」
と言って、みつきの肩に触れた。
「そうですよね」
みつきはその孤児院から背を向けた。
その男の子の未来が明るいものである事を祈って──。
***
帰りの列車に乗り、列車に乗った頃にはすっかり辺りは暗くなって、時計は夜七時を指していた。この車両には自分達以外誰もいない。照明も灯火管制が行われていて薄暗かった。
「貸切列車かな」
当麻がそう言いながら適当な座席に着く。みつきも、その向かい側に腰を下ろした。
「なんだか、少し寂しくなっちゃったな」
当麻が、子供に着せていた半纏を座席の横に置きながら言う。その当麻の横顔は少し寂しげで、何かを心の奥に隠しているかのようだ。
心の奥に仕舞えるほど俺は強くないんだ──と言っていた当麻の言葉が蘇る。
「当麻さんも、何かを心の奥に仕舞っている……そんな気がする」
みつきがそう言うと、当麻の瞳が揺れた。そして、ゆっくりこちらを見ると
「そうかもね」
と、何だか含みのある言い方をするが、それ以上は何も言わなかった。
(飛行機乗りには隠し事が多いのかしら)
みつきは窓の外に目をやった。漆黒に包まれた外は窓からは何も見えない。けれどもただそれを、みつきはカタンカタンという音を聞きながらぼおっと見つめていた。
***
下宿に帰ると、服装は私服だったり草緑色の制服──三種軍装だったり様々な格好をした数名の櫻井の同期や後輩の搭乗員達が集っていて、居間には何本もの酒と、航空糧食の余りや何かの缶詰やらを持ち寄っての宴会を始めている。
「そうか、今日は櫻井の送別会か!」
当麻が思い出したように言った。
(満足に櫻井さんと話せるのも今日が最後……)
そう思うと、みつきの胸がざわついた。
(そうだ、いつか作ったあのお守り……絶対に渡さなきゃ)
みつきは階段を駆け上って、引き出しの中に入れていた櫻井に作ったお守りを取り出した。
ずっとずっと前に作って渡せなかったお守り。零戦のジュラルミンを中に入れ、十銭硬貨をお腹に縫い付けた猫の弾除けのお守りだ。
(わ……渡せるかな)
そう思うと手に汗が滲んできた。それを手に握って階段をゆっくりと降りると、
「白河さん、やっときた!」
と言って糸井が嬉しそうにみつきに声を掛け、手を引いて宴会の席に腰を下ろさせた。
狭い居間に水地、早川、入江、春日井、そして当麻のペアである水社、その他第一飛行隊(かつての零夜戦)の搭乗員数名でぎゅうぎゅうである。
皆既に顔が真っ赤で、ただ一人涼しい顔をしているのは櫻井のみ。
「君、工廠から出向してきた女なんだって? 俺は瀬戸伊佐冶上飛曹、よろしく」
「俺は間宮瑛二上飛曹だ、よろしく」
そう言って手を出してきたのは、最近転属してきた瀬戸と間宮だった。瀬戸や間宮はマリアナ沖海戦帰りで、櫻井に対戦闘機の空戦技術を教えているらしい。
「よろしくお願いします」
みつきも頭を下げ、手を出した。
「森岡分隊長や櫻井分隊士から常々噂は聞いているよ」
と言って、瀬戸はニコニコしている。特に瀬戸は普段はコワモテで近付きづらく、話しかける事も躊躇してしまう程だが、こうして酒が入るとそんなコワモテも少し優しく見えた気がした。
コワモテの瀬戸とは正反対なのが間宮だ。貫禄も残しつつ、少し愉快さのある明るい先任下士官である。
「給糧艦の間宮と同じ名前だからよくからかわれるんだよな〜。おい! 給糧艦! なんて呼ばれたりして」
はははと自虐的に笑うが、彼にとってはそれがいじりどころらしい。
間宮は軍服を着ており、
「俺、明日当直なんだよ。このまま行く予定」
と言って、あたかも朝まで飲むような発言をした。
「そうそう。今日は間宮の調理員だったヤツから貰った、間宮の羊羹を特別に持ってきてるから食え!」
みつきは半ば強引に、切り分けられた羊羹を楊枝に刺して間宮に渡された。
「あ、ありがとうございます」
と言ってみつきは羊羹を一口食べると、少しざらりとした甘さが口の中に広がった。けれども、まだなんだか胸がざわざわしていて上手く飲み込めなかった。
「美味いか?」
「は……はい」
調子よく訊いてくる間宮に、みつきは少し作り笑いをしながら答えた。決して不味いわけではなかったのだが、胸の内は櫻井の事でいっぱいだった。
みつきは傍にあったお酒で彼らにお酌をしながら目で櫻井を探すと、テーブルを挟んで向かいの斜め前に櫻井はいた。左隣には入江、右隣には水地がいる。
水地と楽しげに話している櫻井をちらりと見るが、全くみつきと目が合わない。
(いつ話そう……)
そんな風に思うと、胃がキリキリして痛むような気さえしてきた。
「櫻井分隊士が気になるのか?」
コワモテの瀬戸が、みつきを見てにやにやしている。
「櫻井分隊士は女にもてそうな顔も頭もしてるもんなぁ」
「色んな士官を見てきたけど、海軍士官てこういう感じって改めて思わされる、久々の人間だよな」
間宮もにやにやしながら話に加わってきた。女ばかりがこういう話をするものだと思っていたが、男も何だかんだこういう話が好きなようだ。
「いや、その……」
なんて言ってみつきが濁しているうちに、
「白河さんと櫻井、仲良いいもんね。話して来なよ!」
と言って、少し離れた位置にいた糸井が
「なあ櫻井!」
と言って、櫻井の横の席を空けるように促した。
(ええええ、ちょっと待ってよぉぉ!)




