飛行隊の再編成!航空隊の大掃除
二月も下旬になると、手薄になっていた各分隊に、兵学校卒業したばかりの新人や、ベテラン衆がどっと転属してきて、顔ぶれが随分と変わった。
特に戦地帰り(マリアナ戦、フィリピン戦等)の経験豊富な搭乗員が次々と着任してきて、彼らはみつきよりも若いはずなのに、まるでずっと年上のような貫禄さえある。
「航空隊に女?」
「海軍省の人事局がよく許したよなぁ」
そう言って、色んな分隊の人間がみつきに興味津々に近づいてきて、訝しげな顔をしてこちらを見るのだ。
みつきは海軍工廠から航空隊への技術者の出向ということで、小園司令が特別に許可したものである──と言う話を、整備分隊長の田万川が質問を受ける度に説明している。
やっと三〇二空自体がみつきの存在に慣れたというのに──どっと人が入れ替わってまた人間関係を構築したり事情を説明するところからまた始めなければならないのは非常に面倒臭い。
入れ替わったのは、人間だけではなかった。
同時に飛行隊の再編成も行われ、零夜戦隊は第一飛行隊に移行し、雷電隊の補助機材だった夜戦仕様ではない零戦を零夜戦隊に編入。 第二飛行隊は月光隊と銀河隊で構成し、彩雲を含む彗星夜戦隊は、新たに第三飛行隊を形成した。
零夜戦隊の区分は第一飛行隊の第三分隊──手首を失った森岡大尉を、地上指揮官として正式に迎えたのだった。
第一飛行隊
第一分隊:雷電隊
第二分隊:雷電隊
第三分隊:零夜戦隊(分隊長:森岡寛大尉)
第四分隊:雷電整備分隊
第五分隊:零夜戦整備分隊
第六分隊:雷電・零夜戦兵器整備分隊
第二飛行隊
月光分隊
銀河分隊
月光整備分隊
銀河整備分隊
月光・銀河兵器整備分隊
第三飛行隊
彗星夜戦分隊
彩雲分隊
彗星夜戦・彩雲整備分隊
彗星夜戦・彩雲兵器整備分隊
みつきは、今まで兼任していた零夜戦整備分隊を離れ、彗星夜戦分隊の整備分隊が主な仕事場となった。
それぞれの指揮所では、搭乗員総出で大掃除が行われている。
第一飛行隊の新しい指揮所は一番北、その隣が第三飛行隊、一番南が第二飛行隊──と、少し変わった並びだ。
「なんだか間違えそうな並びね」
みつきは新しく掛け直された指揮所の看板を見て言うと、後ろに立っていた春日井が
「俺もまだ慣れないから、つい第二飛行隊に行ってしまいます。第二飛行隊に行くと、銀河の搭乗員がいるからそこで、あっ! となって戻るんです」
と笑った。
「第三分隊って名前も本当──これといって特徴もないし、覚えられるか不安ですよ」
指揮所に貼られた分隊区分の書かれた紙を見ながら、春日井が困ったように言った。
第三分隊──結局のところ、搭乗員の間では『零夜戦隊』と呼び合っていて、第三分隊という言葉はしばらく定着はしなそうだ。
*
一方、その頃櫻井は第一飛行隊指揮所の屋上にいた。手すりに風除けの布が張り巡らされているのだが、風で布がバタバタと音を立てている。
「第三分隊の分隊長として、またお世話になれるのかと思うと……万感の思いです」
櫻井は、煙草を吸う森岡の隣に腰掛けてゆっくりとした声色で言うと、森岡はああ、と小さく頷いた。
「実は司令に兵学校の教官にならないかと言われていたんだが、俺は空に戻るつもりだからお断りしますと言ったんだ。そしたら、そうか──ってあっさり零夜戦の地上指揮官になる事を認めて下さった」
片手の無い、地上指揮官という異例の配置は、小園司令が搭乗員をただの駒ではなく──一人一人認めている証拠。森岡の人間性や指導力、今後の可能性に懸けているのだ。
多分、こんな異例な配置が認められるのは三〇二空だけなんじゃないか──櫻井はそんな風に思うと、司令や上官に恵まれた自分が凄く贅沢だと思った。
「それにしても、だ」
森岡がふうっと煙を吐いて、煙草の灰を落としながら
「貴様が腕をやられたと聞いた時は、切断か? と焦ったよ。どうだ、腕の調子は」
と言った。
「だいぶ良くなりました」
そう言って櫻井は腕を動かして見せると、森岡が櫻井の腕をふざけて叩いた。それは芯に残る深い傷に響いてさすがに痛かったが、櫻井は表情には出さなかった。
「俺はなあ、櫻井。まだ零戦に乗るの、諦めてないぜ」
森岡は失った手首を宙にかざして、太陽と重ねるようにその腕を見て言ったが──その目は、腕ではなくその向こうを見ている。
浜松の陸軍病院に入院していた頃の、何もかもを諦めたような表情をした森岡はそこにはいなかった。
あの頃より少し肉付きを取り戻して、今は希望を捨てない──そう言った力強い意思さえ感じる眼。
「ええ、空に戻るって約束しましたからね」
以前森岡が陸軍病院にいた時にしたこの約束は、櫻井──いや、森岡でさえまだその糸口が見つからないでいるのに、口約束だけは進んでいく。
「ただの地上指揮官で終わらせたくはない。櫻井を二番機にして、もう一度編隊組むんだ」
森岡だって、両手が無ければ戦闘機は操縦できない──そんな事は重々わかっているし、解決の糸口だってすぐに見つかるなんて思っちゃいない。
それでも、なんとかして空に戻る手段を考え、國民の為に戦いたいと思っている。
「それにしても、手がなくなると背中すらも上手く掻けねえ。孫の手でも欲しい気分だ」
痒そうに背中をもぞもぞと動かして森岡が自虐的に笑うのを、櫻井は表情を固くしたまま黙って見ていた。
(孫の手──か)
孫の手という言葉に、櫻井は何か引っ掛かりを覚えた。何か解決の糸口に近くなるような──何かそんな違和を感じて。
「分隊長。今少し考えた事があって。何かこう、補助というか……」
そこまで言いかけて、櫻井は言葉に詰まった。喉元まで何か答えのようなものが出ているのに──あと少しのところで出てこない。
(あと少し……何か、糸口があれば──)
「孫の手のように、こう、腕の代わりに──」
そこまで言うと、突然森岡の目の色が変わった。真剣な面持ちで森岡が
「義手か」
と言った瞬間、喉につかえていた何かがすっと取り出されたような感覚になって、櫻井はさすがだ、と思った。
この人は頭の回転が早い。
「思いもつかなかったな。なるほどな。さすが──貴様はいつも思いもよらない発想をしてくる」
森岡は、でかしたと言わんばかりに声を出して笑って、櫻井の左肩を何度も叩いた。
櫻井はそれを歯を食いしばって左肩奥に走る鈍痛に耐えた。
(さ、さすがなのは森岡分隊長なんだけど)
櫻井だけでは義手の発想まで辿り着かなかった。櫻井の、あと少し──というところを的確に引き出したのは森岡だ。
「思い立ったらまず行動だ。どうせ今日はもう何もないだろ、俺は義手を作って貰うために海軍病院にでも行ってくるかな」
森岡はそう言って、吸い終わった煙草を靴で潰すと早速立ち上がって
「すぐに空に戻るからな俺は」
と言って、右手で櫻井の頭をぐしゃぐしゃにかき混ぜて、従兵に車を出させた。
「無茶苦茶な人だなぁ」




