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空の守り人

 今日、邀撃に出ていた当麻・水杜ペアの務める一番機は、東京湾上空で煙の尾を引いて離脱していくB-29を見ながら

「深追いはやめるか」

と、当麻が言った。


 とりあえず撃破の電信を入れるが、撃墜でない事に少し胸が痛む。


「今日は調子が出ないな」

「こんだけ多いと、三号爆弾使えば一網打尽なんでしょうが……市街地が近いから使えませんしね」

「そうなんだよなぁ」


 当麻は、参ったなぁという声をして言った。

 機銃を撃つにしろ、百を超えるこのB-29梯団を前に、爆撃機──しかも夜戦に改造された彗星では機敏性に欠ける。


 彗星は五機編隊で東京上空に展開していたが、いつの間にか編隊はばらけてしまった。

 そんな中、ようやく積んだ斜銃で撃破したものの、あの数のB-29相手に真昼間に斜銃で──ましてや通常よりも鈍重な夜戦改造爆撃機で腹部に回り込むには非常に危険を伴う。


 まるでその姿は魚の群れに放り込まれた餌のようだ。


 その時、他機の電信を次々に受信し、それを聞いて当麻は

「二番機、三番機、そして銀河も戦果なし。月光が交戦中……か」

と呟きながら、東京湾から煙の上がる市街地を双眼鏡で見下ろした。


「零戦がいたら、打ち零した敵機を潰せるんだけど」


 今日は生憎零戦はいない。陸軍の飛行244戦隊の『飛燕』が市街地上空で奮闘していたが、海と陸では連携など取れるわけがない。


「同じ國を守る者同士なんだから、上手くやれたら良かったんだけど──そう上手くいかないね」


 海と陸の仲の悪さを皮肉って、当麻は笑った。双眼鏡の向こうで、飛行244戦隊の濃緑と白のまだら模様に、赤の尾翼が一際目立つ飛燕が次々と撃ち落としていくB-29から、ぽつぽつと落下傘が開いているのを見て、機銃でそれを撃ち落としたい衝動に駆られるが、我慢した。


「俺たち出動する意味あったのかって言うくらい空気だったな」

「今回は仕方ないです。爆撃機だけじゃやっぱり厳しいですよ。大した戦果を持ち帰られなかったけど、飛燕が何とかしてくれたのは事実です。次頑張りましょう」

「……そうだな」


 納得いかないというか、後味の悪いというか──そんな気持ちだが、水杜は潔良かった。

 陸軍の事はなんだか気に入らないが、戦果を挙げられなかったのは事実であり、市街地を守ったのも紛れもなく陸軍の飛燕だ。


 当麻は厚木基地に帰投する事を打電しながら水杜に言った。

「仕方ない、厚木に帰投する。針路二四〇度、高度四五〇〇にせよ」

「了解」


 遠ざかる市街地から上がる煙を見ながら、当麻は秒時計の紐につけたみつきのお守りをぎゅっと握った。

 そのお守りを握りながら

(みつきが市街地にいなくて良かった)

と、都合のいい事を思って──それと同時に、そんな事を考えた自分に一瞬腹が立って

「おい、水杜。貴様の嫁さんは確か──故郷と同じ宮崎の女だろ。大丈夫か」

と訊いて、意識を逸らした。


「大丈夫ですよ、向こうの航空隊がきっと頑張ってくれます」

 水杜は明るい声で言った──いや、明るくみせてただけなのかもしれないが、水杜の言葉には迷いや戸惑いはなかった。


「ラバウルにいた時は内地の情報が全く入ってきませんでしたから、内地が心配でたまりませんでしたけど──今は情報に触れる事が出来るので、それだけでも感謝です」


 そういえば、水杜は丙種予科練の出身で、ラバウル海軍航空隊で彗星の前身である二式艦上偵察機の操縦員を経験してきている。以前戦死した、零夜戦隊の磐城上飛曹(当時)と同期で、飛行経験は当麻よりも櫻井よりも断然長く、ラバウルの戦火をくぐり抜けた猛者なのである。


「ところで水杜、貴様の嫁さんはどんな女なんだ」


 そういえば水杜の嫁とは会ったことがない、と当麻は思った。水杜が言うには、遥々宮崎から両親が持ってきた縁談で結婚することになったと言うが──


「実はまだよくわからないのです。面会で二度ほど会っただけで、殆ど母が進めていましたから」

「え、たった二回の面会でローソク立てる(結婚)の承諾したのか?」

「そうですよ。だから早くこの戦争を終えてきちんと会ってみたい。今は手紙のやりとりをしているだけです」


 水杜は胸のポケットから写真を一枚取り出して、座席と斜銃の隙間に差し込んで、当麻はそれを腕を伸ばして引っ張り出した。

 折れ目がいくつもついた手のひらより小さいその写真には、短めの髪を少し後ろで束ねた着物姿の──特別美人という訳では無いが、少し古風な顔立ちの優しそうな女性がいた。母親らしき人物と一緒に写っている。


「これが水杜の嫁かあ」


 そう言うと、水杜が伝声管の向こうで照れたように笑った。嫉妬にも似たような感情が少し湧き上がって、どんな形であれ思いが通じ合っている女がいるのは正直羨ましいと思った。


「てことは、まだやってないのか?」

 当麻はさらりとそんな事を言ってみたが、

「それは軍事機密ですのでお答えできません」

と、ふざけられて当麻はちっと舌打ちをした。


「当麻分隊士こそ、いい女性はいないんですか?」

「あ? 水杜、俺の軍機に触れたな? よし、軍法会議送りだ!」


 当麻が水杜に対抗して言うと、伝声管を通して水杜の笑い声が聞こえた。


(いい女性ねぇ……)

 当麻は、目の前に広がる曇天の灰色味がかった雲を見ながら溜息をついた。


 当麻は次男なせいか、親は特に縁談は持ってこない。海軍で好きにやってこい、と海軍に入ることは好意的だったが、まさかお陰様で縁談すらも持ってこないとは──。


「そういえば、当麻分隊士は白河さんが好きだって専らの噂ですよ」

と、不意に言われて当麻はぎくりとした。慌てて写真を水杜に返して平然を装うが、水杜は伝声管の向こうで肩を震わせて笑いを堪えている。


「なに、俺、有名なの?」

「いや、見てたら普通わかりますよ」

 水杜は、笑いを堪えて肩を震わせながら言った。


「時々、当麻分隊士が羨ましいって思う時がありますよ。俺は宮崎の空を守れないけど、当麻分隊士は、白河さんのいる空が守れるじゃないですか」


(それに比べたら、俺は贅沢……なのか)


「でも、俺も白河さんを守りたい。女性なのに彗星を整備できるのは凄いと思うし──何よりも可愛らしい。なんと言うか、航空隊の花ですからね」

「おい、それは」

「いやいや、不純な意味はないですたい! 決して、不純な意味! では! ない!」


 慌てて水杜が言葉に力を込めて、しかも咄嗟に出た九州訛りで訂正するのを、当麻は笑った。久々に慌てている姿は何とも面白いものだが、事の始まりは自分に女がいないという事だということを思い出して、当麻は再び気分が悪くなった。


「出動のたびに、頑張ってくださいなんて言われて微笑まれたらコロッといく人も多いでしょうから、きっと敵はいっぱいいますよ。頑張ってください、当麻分隊士」

と、言われて突然櫻井のいやな顔が浮かんで消えた。


 あいつが敵なら──そんな風に思って、当麻は諦めた声で言った。


「俺はね、なんだかんだ櫻井には勝てないんだよ」

「どういう意味です?」

「だーかーら! 櫻井には勝てないの!」




 三〇二空では戦果が撃破四機に留まり、彗星一機が被弾、墜落──操縦員・偵察員の戦死者二名が出た。陸軍が二十一機、撃破三十機に及び、うち二機が体当たりによる撃墜だった。


 米軍との力の差が、どんどん開いていくと同時に──三〇二空では痛ましい事件も起こっていた。


 ある日、カポック(救命胴衣)や飛行服、飛行帽、落下傘──ありとあらゆるものに味方識別用の『日章旗』を付ける事を徹底するようにとの達しがあった。


 搭乗員達は、飛行服に支給された手のひら程の大きさの日章旗を左上腕部に縫い付けたり、各々カポックや縛帯(落下傘ベルト)に、ペンキで日の丸を描いていたが、勿論みつきも落下傘やカポックにペンキで日の丸を描くのを手伝った。


 みつきには何も知らされていなかったのだが、傍にいた月光搭乗員に

「どうしてこんなに徹底する事になったんですか?」

と訊くと、月光搭乗員は少し気まずそうに口篭りながら言った。


「雷電乗りが、米兵と間違えられて──民間人に殺されたんです」


 F6Fと交戦し被弾した三〇二空の雷電が、日本の対空機銃に撃ち落とされたのである。


 それだけでは済まなかった。

 雷電乗りが命かながらに脱出、落下傘降下したところで現場に駆けつけた民間人が──斧や鍬などでそれを襲っているのである。


 みつきは思わず絶句した。


(日本の為に戦っている人を、例え間違いだとしても殺してしまうなんて事があるなんて……)



 みつきは、零夜戦の格納庫前に広げられたペンキを使って、カポックや飛行帽に日の丸を描いている櫻井を見つけて

「日の丸小さいです! 私が描き直します!」

と言って、カポックと飛行帽を櫻井から奪った。


 そして櫻井の描いた控え目な大きさの日の丸を、目の前で新たに白く大きく塗りつぶして、大きめの白の四角を描き始めた。


「おいおい、そんな大きくしなくとも」

「櫻井さんは、零戦です。今後被弾しないとも限りません。もしも、あんなことで櫻井さんが死んでしまったらと思うと──」

と、みつきはムキになって言ったが、櫻井はわけがわからないといった様子で、キョトンとした目でこちらを見ている。


(どうしてこう、この人は自覚が無いのかしら)


 みつきは櫻井の、包帯で分厚い肩と顔を交互に見た後、みつきはふん、と言って目線をカポックに戻した。


 そして、赤のペンキで大きく日の丸を描いてみたが──カポックの溝が邪魔をして上手く描けない。ちらりと横目で櫻井を見れば、みつきの描いた歪んだ日の丸を見て、櫻井は込み上げる笑いを押し殺すような顔をしている。


(む、むかつく……)

 それがなんともむかつく──むかつくはずなのに、それがなんだかとても幸せに感じてきて、胸が熱くなった。


 出来上がった日の丸は、結構いびつなもので、例えば溝のついたコッペパンのような──申し訳なさを感じるほどの出来だった。


 もっと豪快に笑われるかと思ったが、櫻井はそれを受け取って

「ははは、ありがとう。まるでお守りだな」

と目尻に皺を作って、意外にも穏やかな笑顔で言うものだから、その優しげな横顔に思わず見とれてしまった。

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