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幻想なんてない、死ぬ時はいつも独りだ

 薄暮の頃、他隊へ退避していた『月光』、『銀河』、『彗星』が厚木基地へポツポツと戻ってきた。

 彼らは、敵戦闘機の銃爆撃を避けるために関東各地の航空基地に居候していたのだった。


 今日一日当麻の姿を見かけないと思ったら、当麻は前橋の陸軍の飛行場に退避していたそうで、噂を聞きつけるなりバタバタと走ってきた。


「櫻井! 撃たれたって聞いてびっくりしたよ。らしくないな、どうしたんだよ」


「一から話さなきゃ駄目か?」

と疲れたように言うと

「あ、ごめん。もう聞いてたわ」

と当麻が笑った。


 櫻井が痛む腕を服の上から摩っていると、当麻がそれをまじまじと見てくる。


「痛い?」

「あのなあ。そんな当たり前な事を訊いてどうする。痛いに決まってるだろ」

 こいつは阿呆なのか。櫻井は呆れた顔をして言った。


「ところで、今日の空襲みつきは大丈夫だった? 話によると、空襲二回もあったんだろ」

 当麻が櫻井の隣に座った。


「一回目は俺が連れていった。二回目は会ってないからわからないけど、鉄筋の屋内にいたようで無事だよ」

 櫻井がそう言うと、当麻は安心したように

「よかった」

と、呟いた。


 やたらみつきを気にして、安堵の表情をする当麻に何となく違和を抱いて

「なあ、当麻。……もしかして、みつきが好きなのか?」

なんて、そんなことを思わず櫻井は問いかけた。


「ああ、好きだよ」


 当麻は恥ずかしげもなくさらりと──いや、自信を持ってと言うべきか、そんな風に答えるものだから櫻井は言葉に詰まった。


「今更気付いたの?」

 じっと子供のような目で見てくる当麻の目を、櫻井は関心のないふりをして目を逸らした。


 当麻は、飛行服の中から首にかけていた飛行秒時計を出した。そこには、二つの小さなぬいぐるみがぶら下がっていて

「これ、彗星の外板ジュラルミンが中に入っててさ──みつきに縫ってもらったんだ」

と言って、十錢硬貨の縫い付けられた方の猫のぬいぐるみを大事そうに触った。


「死ぬ時寂しくないんだ。みつきと一緒に死ねるから」

 当麻がその小さな猫のぬいぐるみを、愛しそうにぎゅっと握ったのを見て、櫻井はなんだか苛立ちを覚えた。


「爆撃機乗りは寂しくないだろ。俺はいつも空では独りだし、そもそも目の前の事に忙しくて寂しいなんて思う暇もないのだが?」


 いつもなら、そうか──くらいで済ませられるような会話でも、なんだか虫の居所が悪くて思わず難癖を付けずにはいられなくて、櫻井は更に難癖を続けた。


「それに、死ぬ時は皆独りだろ。寂しくないとか変な幻想を抱くなよ、馬鹿馬鹿しい」

「そういう意味じゃない。俺は死ぬ時くらいは誰かを想って死にたいんだよ」

「はあ? そんな事を思う間もなく死んでるよ」


 そんな櫻井の屁理屈にも似た態度に、当麻は呆れた様子でため息をついた。

「櫻井。貴様のそういう理詰めなところは嫌われるぞ」

「どうせ死ぬんだし、今更誰に嫌われようが俺には関係ないね」


「へえ、じゃあみつきにも?」

 不意打ちのように当麻に言われて櫻井は言葉に詰まった。

 そして、少し考えて

「整備員には嫌われたら困る」

とだけ言ったが、当麻は気に食わない様子で不機嫌な顔をした。そして、腕を組んで櫻井の顔を覗き込んでくる。


「ふーん、整備員として?」

「はあ?」

 櫻井はぎょっとした。嫌味ったらしい言い方で当麻が詰め寄ってくるわけだが、櫻井は返答に困って眉を顰めた。


「へえ、じゃあ俺がとってもいいのかな」


 流した目でまるで勝ち誇ったように見てくる当麻に、櫻井は何と言っていいかわからず固まった。

 当麻は女の事──ひいてはみつきに関する事になるとやけに挑発的な態度を取るのだが、何の意図があるのかわからずいまいち釈然としない。


「櫻井は戦闘機乗りのくせにはっきりしないよね」


 実に不満だ──とでも言いたげな顔をして当麻は立ち上がると

「さっさと白状しちゃえばいいのに」

と、言い残してそのまま去っていった。


「なんだ? あいつ」



***



 今回の三〇二空では、F6Fと交戦した零戦二機とその搭乗員が帰還せず、灘木を含めた七人が戦死した。


 今夜も戦死者を弔う葬儀が執り行われたが、その葬儀の後──戦闘機隊、爆撃機隊全員が食堂に集められ、飛行隊長の山田少佐によって、現在の日本の戦況を知らされた。


 この二日間の戦いで日本陸海軍の損失は二百機を超えたが、米軍の損失はたったの五十機程度──それを聞いた全員の表情に、緊張が走ったのは言うまでもない。


(やはり、日本近海に既に多くの米空母群が展開していたか……)

 櫻井は、思った通りだと思った。


 硫黄島奪取の為に動き出していた米空母群に対してかすり傷も与えられなかった。ましてや、F6Fが関東を目指して発艦した頃には、敵戦艦群による艦砲射撃──続いて空襲が始まった中、硫黄島に何一つ航空支援を成し遂げる事も出来なかったと聞けば──

 

(硫黄島が陥ちるのは、もはや時間の問題……ということか)


 櫻井がちらりと横目で辺りを見回せば、表情は変えなくとも、皆の顔に諦めの色が出ている事を櫻井は見逃さなかった。


 何故なら、自分自身も同じであるから。


 しかし、この國に仕えると決めて海軍に入った以上、諦めるわけにはいかない。あれこれ憂いたところでこの國を決めるのは大本営であり、操舵するのは軍令部。


 そう、実戦部隊である自分達が出来ることはただ一つ──敵艦載機、爆撃機を一機でも多く撃ち落とすことだ。


 櫻井は固く拳を握って目を閉じた。


 一人でもいい、一人でも多くの國民が助かるのなら、俺は最後まで戦い続ける──櫻井は、そう心に誓った。

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