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指揮官不在の零夜戦隊 二

 十七日──昨晩の暗澹とした雪模様とは打って変わって澄み渡る快晴の中、「房総半島南方五十キロ付近を北上中の目標あり」との情報と共に、敵艦載機は再び日本本土へ来襲した。


 地上員が航空機を掩体壕に運び、または雪かきに励んでいる中、まだ薄暗さの残る第二飛行隊戦闘指揮所前では、司令・小園を囲み、櫻井をはじめとする零夜戦隊のメンバーが整列していた。


 横須賀鎮守府では早朝から空襲警報を出していたが、零夜戦隊へ下った命令は──退避。


 今日の出撃は第一飛行隊の雷電隊、零戦隊の十数名のみだというのだ。退避という選択に、零夜戦隊の搭乗員は戸惑いの色を隠せない。

 こうしている間も敵は関東を目指して北上している。今日も国民の犠牲はまた多くなるだろうというのに、どうしてそんな選択が出来るのだろうかと皆が思いを募らせたその時──


「出動させて下さい」


 そう名乗り出たのは櫻井だった。それに触発されてか、久々の飛行服に身を包んだ水地、入江、そして糸井、早川──他数名の搭乗員が、櫻井の後に続いて名乗り出た。


 邀撃は三〇二空だけでないとしても、迎え撃つなら分母はより多い方がいいに決まっている。民間人への犠牲を出すなら自分達が──そう思うのは、海軍戦闘機隊であるなら当然の想いだった。


「駄目だ」


 しかし小園は首を縦には振らなかった。指揮官である分隊長荒木の死、そして分隊長次席の森岡は左手を失い搭乗割から外れており、指揮力の失った零夜戦隊を退避させるのは当然の成り行きだった。


「私に上空での指揮を執る事を許して頂けるのであれば、森岡大尉の地上指揮の下に私が指揮を執ります。それでは……いけませんか」


 櫻井の発したその言葉に小園はハッとした表情で櫻井の目を見たが、しばらくの沈黙の後、小園は首を横に小さく振った。


 櫻井を信用していない訳では無い。寧ろ、櫻井の能力を小園は評価している。可能であるならば、櫻井に指揮を執ってもらいたい気持ちは山々なのである。

 指揮官は海兵出身者か特務士官でなければならないという決まりがある事を抜きにしても、まともに作戦可能な搭乗員が数名しかいない事によって、無駄に戦死者を出すような事はしたくなかった。


「これ以上、貴重な人材を無駄にしたくない。わかってくれ、櫻井」


 櫻井はしばらく沈黙した後、目を細めて仕方なく

「……わかりました」

と、低い声で言った。


 零夜戦隊の零戦を全て駆り出して、雷電隊という名の零戦隊、そして第一飛行隊の零戦隊の二隊が飛行作業に入る傍ら、零夜戦隊の隊員達はひたすら雪かき或いは除氷液を撒くといった作業をしながら退避に甘んじる事となったのだった。


 雪かきに参加せずにいた櫻井は、第二飛行隊戦闘指揮所屋上に上り、火の入ったドラム缶の前に飛行服のまま椅子に座って、濡れた足跡のついた床をじっと見ていた。


 指揮官として尊敬していた荒木の死をはじめ同期の死、そして退避令──やり切れない悲しみと苛立ちが、この何もない時間をやり過ごすにはあまりにも耐え難い疲労感となって櫻井に圧しかかる。

 そして、思い出したようにポケットからビタミン剤の入った箱を取り出して気休め程度に一つ、二つと口に入れて、そのまま噛み潰して飲み込んだ。



***



 戦闘指揮所屋上に上った森岡が、対空警戒任務に当たっている電測員の後ろで、小さな零戦の模型を両手で動かしながらぶつぶつと独り言を言っている櫻井を見つけた。


(全く呆れたやつだ)


 模型に目線をやる櫻井の眼は、やつれていると一目で分かるほど据わっている。そんな櫻井を、森岡は馬鹿だと思った。

 森岡は黙って近づき、失っていない方の手で櫻井の肩を叩いた。


「おい、櫻井。今日は帰れ、もう」


 帰れ、と言う森岡の言葉に、櫻井は驚いた表情をしてこちらを見た。何故だ、と言わんばかりに。


「さっさと寝てこい! じゃないと今後の搭乗割から外すぞ! 航空衛生法をもう一回勉強し直せ。自己管理すらまともに出来ない奴に、零戦乗る資格はねえぞ」


 森岡は敢えてきつい言葉を投げた。連日の作戦で櫻井が殆ど休息をとっていない事を、森岡は知っている。

 現在の日本の戦況を思えば、休んではいられないことはわかっていた。櫻井の気持ちも痛いほどわかるだけに、本当は気軽に『休め』と言えるわけがなかったはずなのだが、零夜戦隊の地上指揮官として、どうしても忠告せねばならなかった。


「いいか櫻井、貴様は零夜戦隊の最後の砦だということを自覚しろ」


 自分への厳しさがあるからこそ、櫻井はその天才的な能力に秀でているのかもしれない。しかしそれは時に命取りになる事を、森岡は痛い程知っている。



「もし貴様が死ねば、零夜戦隊は今度こそ本当に終わりだ」



***


 

 みつきは格納庫で飛行前点検を行っていた。飛行前点検を終えた機体は、次々と牽引車或いは人力でエプロンまで牽引されていく。

 牽引された航空機は、クランクを回しエンジンがかけられ、やがて、地面を震わせるようなエンジン音が辺り一面を飲み込んでいった。

 

 いつもと違う顔ぶれの搭乗員達が、次々と乗り込んでいく。みつきの整備した零戦に乗り込んだのは、雷電隊の村上義美むらかみよしみ一飛曹だ。

 まだ若そうな顔つきの彼は、

「今日初めて搭乗割に入ったんですよ!」

と、とても嬉しそうに言うが、みつきは素直に喜べなかった。

 最近の空戦は以前の対爆撃機ではなく対戦闘機が多く、腕が立つと言われていた人間ですらも命を落としはじめているのだから。


 みつきは、彼が戻ってくる事を切に願いながら、照準器(OPL)の電源を入れ、時計合わせをする村上を見ていた。


午前七時三分、

「小型十八機の編隊、房総半島白浜付近を北進中。なお、後続編隊あり」

の、東部軍管区情報が入るとすぐに零戦は東京湾──千葉県上空を目指し、発進した。



***



 基地が静かになった頃、みつきが空襲に備えて指揮所に炭酸ガス消火器を設置していると、櫻井が指揮所から離れて行くのが見えた。向かっている方角からして、士官私室だろう。

 酷く疲れた様子で、ゆっくりと歩いていく姿をぼおっと見ていると、突然耳を劈くようなサイレンが響き渡った。

 対空警戒任務で高角望遠鏡を覗いていた下士官が、「グラマンだ!」と叫んだ。指揮所には「空襲中」を意味する黄色の旗が揚げられた。

 そして、「空襲がくるぞ!」と、次々に叫んで皆防空壕へ全速力で向かっていく。


 後ろを向いていた櫻井が踵を返したと思ったその時、

「おい! 何やってる、行くぞ!」

と、櫻井に痛いほどの力で腕を捕まれ、全速力で走る櫻井に引きずられ、指揮所裏にただ地面に穴を掘られただけの防空壕に乱暴に突き落とされた。


「ぎゃあ!」

 穴には既に先客がいたが、突き落とされた衝撃で下敷きになった人とみつきは同時に悲鳴を上げた。


「みつき、悪いな!」


 そう言って櫻井が勢い良く覆いかぶさってきて、その重さに肺が潰れそうになり、みつきの下敷きになった人とみつきは再び悲鳴をあげたが、櫻井はお構いなくその覆いかぶさった勢いで、みつきの顔を

「耳、しっかり塞いどけ!」

と、腕で力強く覆った。


 鳴り響くサイレンの中、地響きを起こす低音と、空気を震わせるような独特の甲高い音が混じりあったエンジン音が真上に聞こえて来たかと思うと、それと同時に地面に勢い良く叩きつけられるような振動と鼓膜が破れんばかりの轟音が、まるで土砂降りの雨のように降ってきた。

 間近で聞こえる機銃を叩きつける音に恐怖を感じないわけではなかったが、呼吸をするたびに櫻井の匂いがふわりと香ってきて、それが守られている安心感に繋がって、不思議と怖くなかった。


 戦闘機の轟音は、指揮所の窓ガラスを割れてしまうのではないかと思う程に激しく揺らして、やがて止んだ。幸い炎上や爆発はなく、しばらく沈黙が訪れた後、

「重かったろ、ごめんな」

と、櫻井が身体をどけた。苦しかったところを解放され楽になったと同時に、その櫻井の重さが無くなったことに少し寂しさも感じた。


 顔を上げると、櫻井が手を差し伸べていて、みつきはその手を取ってゆっくり立ち上がった。


「結構苦しかっただろ」

 申し訳なさそうに言う櫻井にみつきは、寧ろもうしばらくこうしていたかったな──なんて思いながら

「ううん、大丈夫です」

と言った。


 すると、櫻井とみつきの下敷きになっていた人──零夜戦隊整備分隊の、田万川少尉がよろよろと立ち上がって、

「櫻井、貴様のせいで俺はアバラが折れた気がするわー」

と、胸のあたりをさすりながら冗談を言った。

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