厚木上空F6F来襲邀撃戦 三
荒木率いる第一小隊。片方だけ白く濁った青空の中に荒木はいた。
白く濁るのは青空ではなく、視界。
爆音であるはずのエンジンの音は僅か。青空を飛ぶ荒木機は、まるで朦朧とした意識の中を泳ぐかのようにおぼつかない。
F6Fを一機撃墜。そして今、まさかの被弾──荒木は、照準器に赤い血がべったりと飛び散っているのを、まだ見える方の片目で見ながら、降りれそうな近場の飛行場を探した。生暖かい液体がマフラーと飛行服の袂を濡らして、気持ちが悪い。
アドレナリンが出ているのか、不思議と痛みはない。
血圧が急激に低下するのがわかる。ガタガタと体が震え、体中に寒気と吐き気が襲ってくるのを感じながら、無我夢中で右手で操縦桿を、左手でスロットルレバーを動かした。
後ろについたF6Fの曳跟弾を辛うじてバンクで交わし、やっとの事で戦域周辺から大きく離脱すると、F6Fは深追いはして来なかった。
片目だけでも見えるものは見えるもので、藤沢上空まで来たところで、遠くで櫻井第二小隊が空戦しているのが見えた。
(櫻井なら、心配はないな)
不思議と希望が湧いてくるような気がして、荒木はふっと笑った。
眼下に藤沢海軍航空隊の藤沢飛行場を望み、着陸を決意するが着陸するには少々横風が強い。とはいえ、このまま空中で死に、墜落炎上させて迷惑かけるわけにもいかない。
荒木は朦朧とした意識の中、操縦桿を右に傾けエルロンを上げながら左のラダーペダルを踏み込んで、ゆっくりと着陸を試みた──が、もう機体を持ち堪える余裕も意識ももたなかった。
(俺はここで死ぬ)
そう思ったのが最後だった。
機体が左右に大きくバンクしてバランスを崩した。
そして機体は藤沢飛行場の格納庫の屋根に激突し、痛みを感じる間もなく目の前は真っ暗になった。
***
『第三次邀撃戦』──
午後二時──厚木基地を飛び上がった櫻井第二小隊は、藤沢上空を約一五〇〇メートルを飛行していた。
その姿は親指を除く、右手の指を手の甲側から見下ろしたような陣形。
先程の空戦から、短い間ではあったが得た物は大きかった。僚機が目の前の敵に囚われるあまり、いつの間にか巴戦になっていた事を教訓とし、四機編隊から二機分隊に分かれてからの戦法を見直す事にした。
二人の同期──糸井、灘木と櫻井との射撃練度の差があまりにも大きく、本来ならば櫻井に続き三番機が攻撃を行い叩き墜とす連携プレーであるのだが、その連携をこなすにはまだ搭乗経験の浅い彼らにとってはあまりにも荷が大きかった。
同期の技量は期待出来ない──とはいえ、負け戦をするわけにはいかない。自分が誘導し、彼らが今出来る事だけに専念する事が出来れば、きっと上手くいくはずだと櫻井は思った。
──まずは、編隊長機を潰す。
一番厄介となるものは、リーダーである編隊長機である。作戦や指示は、リーダーによって行われており、僚機はリーダーの擁護が基本的な仕事。
隊長機を失えば、僚機はどうせ長くはもたない。
櫻井は注意深く辺りを見回して、左下方で四機編隊で飛行しているF6Fを視野に入れた。
攻撃開始と共に櫻井(一番機)・糸井(三番機)分隊、早川(二番機)・灘木(四番機)分隊に分かれ、櫻井分隊はF6F編隊・編隊長機目掛けて一直線に降下した。早川・灘木分隊は櫻井分隊よりもやや上空で哨戒にあたる。
F6F編隊も二機分隊に分かれた。二機分隊に分かれたうちの一機──編隊長機が、左に急旋回を図った。
(作戦通り!)
敵は作戦に乗った──と櫻井は思った。
櫻井は口角を上げ、笑みを含みながら操縦桿を左へ傾けながらラダーを踏む。左旋回で、急旋回をする隊長機を櫻井は追い込みにかけた。
旋回上昇で高度を上げて速度を落とし、敵機に沿うように旋回した後、櫻井は機首を敵機に向け速度を稼ぎながら一気に降下して編隊長機の後ろにつく。しかし、それを敵機は再び左へ急旋回して櫻井から逃れた。
糸井は櫻井の動きを見、降下して速度を稼ぎながら敵機の正面を挟めるように、右に大きく開いて旋回した。櫻井の後ろを取ろうと哨戒する編隊長機の僚機のF6Fを牽制して重圧をかける。
その間、櫻井は旋回上昇機動で敵機に重圧をかけるようにピタリとつき、それを敵機は再び左へ急旋回した。
櫻井が追い込めば追い込むほど敵機が左へ急旋回するのは、敵機が左へのブレイクを余儀なくされているから。
こうして何度もブレイクさせ回避行動に専念させる事で敵機に攻撃させる余地を与えない。更に機体は次第に運動エネルギーを失い失速するので、勝負は勝ったも同然。
櫻井は敵機が失速し、無防備になった頃合を見計らって編隊長機へ向かって機銃を撃つ。
何発もの弾が機体の破片を撒き散らしながら穴を開けていくのが見え、撃墜を確信したが、既に命が無くなったであろうパイロットの血で汚れたキャノピーがはっきり見える程接近するまで、撃つのを止めなかった。
パイロットを失ったF6Fは炎に包まれ玩具のように落ちていく。
櫻井はそれを見る事なく次の目標を定めた。
次の目標は──第二分隊長。
二機分隊にわかれたもう一つの分隊、その分隊長機だ。
辺りを哨戒していた敵の編隊長機の僚機のF6Fが櫻井に目を付け攻撃の機会を伺うように旋回しているが、そんなものは大して問題ではない。
櫻井は後ろを見張った。F6F分隊長機が今まさに櫻井の後ろにつこうと、右上後方から旋回してきている。
空気が光り、敵機から放たれる機銃が櫻井の予測地目掛けて飛んでくる。櫻井はヨー(x,y,zでいうz軸機動)を入れてひらりとそれをかわしながら糸井を探した。
糸井は遥か後方を飛行しており、櫻井は思わず舌打ちをした。苛立っても仕方がない──櫻井は敵機に後ろを取らせ、オーバーシュートさせる事を狙った。
敵機が優位である状態から形勢を逆転させて自分が優位になる事だ。
敵機から休まずに撃ち放たれるアイス棒のような曳跟弾を背後に、櫻井は操縦桿を大きく引いて機首を上げながら左のラダーペダルを思い切り踏み込んだ。
左翼が急激に失速し、力任せに気流を引き剥がすように急横転する。
遠心力で体が剥がれそうな感覚に陥り、櫻井は歯を食いしばった。
櫻井に向かって放たれた曳跟弾は、櫻井機に擦る事なく通り過ぎ、やがて花火の糸のように落ちていく。
櫻井が右のラダーペダルを踏み込み回転を止めると、敵機が前、櫻井が後ろに入れ替わる形になって一気に形勢が逆転した。
敵機は櫻井を振り切るように旋回を始めるが、
「逃がすか!」
櫻井はギリギリまで近付き、敵機よりも少し前に照準を合わせて二十ミリ機銃を撃ち込むと、機銃は敵機に見事な赤い火花を散らして食い込んでいく。
そして間もなくして火が出た。二十ミリは十三ミリよりも少ない弾数で敵を炎に包む事が出来るのは、やはり魅力である。
F6Fの強力な消化装置もろくに効かないまま、敵機は高度を落として町中へ墜落していった。
二機だけになった敵編隊はそのまま戦闘空域を離脱していくが、櫻井小隊も深追いをせずに厚木へ引き上げた。
用語が多く、難しい&つまらなくて申し訳ありません。




