厚木上空F6F来襲邀撃戦 二
『第二次邀撃戦』──
敵は鹿島灘に続き三浦半島、房総半島南部、九十九里浜に相次いで侵入してきていた。
荒木率いる零夜戦隊第一小隊は、厚木〜横須賀空域を一五〇〇メートル程の高度で索敵していると、下方で旋回している十数機のF6Fを発見した。
荒木はバンクを左右に大きく振って、突撃の合図をしながら、手前の四機編隊の中へ突っ込んだ。
二番機の川上務少尉が荒木の後ろを追うが、三番機と四番機は離れてしまった。
荒木がF6Fの後ろを追い、更にF6F二機が荒木の後ろを追う。そして川上がその後ろを追って、更にその後ろを敵機が追い、まるで、一本の糸のように数珠繋ぎの形でお互いがお互いの後ろを追躡している。
二月初旬に三〇二空に転属、着任したばかりの川上は、零夜戦隊の中での唯一の特務士官だった。
特務士官とは、下士官から叩き上げられた士官の事で、それなりに経験が豊富である。
零夜戦隊の中では作戦を問題なく遂行できる数少ない搭乗員だが、水上偵察機出身である為に戦闘経験は少なかった。
川上は荒木を追うF6Fの後ろを、背後に迫る敵機の気配を感じながら必死に追いかけた。
自分が後ろから銃弾を受けているのを川上は知っていたが、構うことなく前を追う。
荒木の後ろに追いていたF6Fの曳跟弾が、荒木に向かって無数の矢のように降り注いでいるのを、川上は目ではっきりと確認した。
荒木は滑るように蛇行しながらそれを避け、逃げるF6Fの後ろにピタリとついて射弾を浴びせる。
川上は、荒木の後ろを追躡するF6Fを照準器に入れ、スロットルレバーを握る手に力を込めながら十三ミリを撃ち放ったが、弾はあさっての方向へ飛んでいった。
「あー! 当たんねぇ!」
***
櫻井率いる第二小隊、入江率いる第三小隊が駿河湾沿岸上空を目指して離陸。櫻井第二小隊に少し遅れて入江第三小隊がそれを追う形で飛行する。
第二小隊一番機の櫻井は、厚木上空を飛行中、零戦が空戦に入っているのを視認した。零戦を追っているのは、角張った翼に青空に溶け込むような濃紺の色をした艦上戦闘機──グラマンF6Fヘルキャット。
これが櫻井にとって初めて目にするF6Fの姿だった。
いよいよきたな、と櫻井は思った。操縦桿とスロットルレバーを握る手に力が入る。
初めて経験するF6Fとの戦闘に、緊張と興奮が全身を駆け巡り、櫻井はそれを落ち着かせるように深呼吸しながら下方で空戦をしているF6F編隊を注意深く観察した。
僅かに見える零戦の尾翼の機体番号から、F6Fが追っているのは荒木率いる第一小隊のものだと判明。
荒木を追う二機のF6Fは、横並びで互いがS字に交差しながら旋回を繰り返しており、二機編隊を崩さない。
(さすが、敵は戦闘慣れしているな)
その計算された機動の良さに櫻井は関心した。
その時、厚木上空を低空飛行で旋回している別の編隊が目に入った。
櫻井はそれに目を付け、
「零夜戦第二小隊一番機、厚木基地上空にてF6Fと空戦に入る」
と、無線電話を使って厚木基地に報告した後、左右に大きくバンクを振って下方に広がるF6F四機編隊に突入した。
櫻井は機体を左へロールして突っ込むと、四機編隊だったF6Fは二機分隊に素早く分かれて左右に退避していく。櫻井第二小隊も二機分隊に分かれ、櫻井は左へ退避したF6F二機に目を付けた。
こういった空中戦では連携を崩さない事が勝敗を左右する。敵機の数が多いので、巴戦に持ち込もうものなら、敵機の格好の餌食だ。
櫻井はその高度差を生かして素早く敵機の後上方へつくと、三番機の糸井繁晴少尉が櫻井の後方を擁護する形になった。
一機が攻撃した場合他の一機がその擁護を受け持つ、空戦においての基本の戦術である。
──攻撃は一撃必墜。
櫻井は一気に急降下して、真下に厚木基地を見下ろしながら、照準を敵機より少し前へ見越して十三ミリ機銃を撃ち付けた。曳跟弾が目の前のF6Fに向かって飛んでいくのが見える──が、一向に当たらない。
再び急上昇して斉射―急降下―上昇―斉射──と、目まぐるしい程に急転換しながら反復攻撃を繰り返すが、F6Fにダメージがあるようには見受けられず、一向に当たらない弾に櫻井は苛立ちを覚えた。
「あー! 俺も下手だな!」
当たらない──いや、目を細めて良く見ればそれは有効弾だった。十三ミリの機銃はF6Fの翼根に吸い込まれるように当たっているのに、小さな火花を散らしながら破片が飛び散るだけで、火が出るどころか致命的なダメージにすらなっていない。
(つまり、もっと近付けって事ね……)
より有効的な弾を浴びせるには、もっと近付かなければ相手に穴すら空けられない。
櫻井はスロットルレバーの機銃を二十ミリに一瞬切り替えたが、すぐに十三ミリに戻した。
対B-29では有効だった二十ミリ機銃は、この戦闘では大して使いものにならない事を櫻井は知っている。
威力はあるが重く飛躍速度が遅い為、大きな目標である超重爆撃機には当てやすいのであるが、対戦闘機戦のように機敏な動きを必要とする戦闘には向かないのだ。
その時、突然左下方から別のF6Fが現れた。F6Fが零戦の翼の前縁を曳跟弾で赤く染め上げるように乱射する。
「おっと!」
櫻井は思い切り大きく右に切り返し射線を避けると、後ろに続いていた糸井も右に切り返した。
F6Fは反転して左下方へ離脱して行くが、
(逃がすかよ!)
櫻井はそれを追い、操縦桿を押し込んで急降下した。
マイナスGを示す白線を引きながら逃げていくF6Fを照準器に捉えて射撃体勢に入った次の瞬間──
後ろを見張れば、右後方からF6F二機がこちらに向け今、まさに射撃体勢に入ろうとしている。
「クソが!」
思わぬ邪魔が入り、ラダーペダルを思い切り踏み込んで機体を右に捻って射線をかわす。そして機首を上げ宙返りしながらインメルマンターンの要領で目の前を通り過ぎたF6F二機の後ろに素早くついた。
カウルフラップを全開に開け、ブースト計がゼロに近くなるまでエンジンをふかす。敵機胴体に描かれた撃墜を示す旭日のマークがはっきり見えたところで、
「撃ち殺す!」
と、怒りの感情に任せて目の前の敵機に素早く射弾を浴びせると、敵機は気持ち良さを感じる程一瞬にして翼根から黒炎を吹き上げ、高度を落とした。
機首を上げて上昇しながら、塵のように空中でバラバラに墜ちていく敵機の姿を見下ろし、櫻井は嘲りのような笑みを浮かべ
「撃墜確認」
と、呟いた。
水平飛行に入り後ろを見張ると、後ろにいるはずの糸井の姿は見えず、被弾して炎を上げて墜ちていくF6Fと共に黒煙を上げて空域を離脱していく零戦が見えた。
辺りを見回せば、零戦の編隊は戦闘にもまれバラバラに崩れている。
勝ち目は無いな、と櫻井は思った。
味方機がバラバラになっている一方、F6F編隊は二機分隊を維持しているものが多く、こちらの劣勢は火を見るよりも明らかであった。
一旦厚木基地へ退避し、仕切り直した方がいいだろう。
櫻井は頃合いをみながら空域を離脱、厚木基地への帰投を試みた。
***
一方、みつきは数名の整備員と非番の搭乗員とで、機銃掃射で割れた指揮所のガラスを掃除していた。
被害は掩体壕が焼夷弾を積んだF6Fによって破壊され、炎上したが一時間後には消し止められた。
撒き散らばったガラスをほうきで掃除していると、再び戦闘機のエンジン音が近くなり、思わず屈んで身をすくめると
「違う、零戦が帰ってきたんだよ」
と、整備員が指揮所の窓から空を指さした。
「櫻井少尉の零戦だ」
零夜戦の整備員が指揮所から飛び出して、こちらにタキシングしてくる櫻井の零戦に駆け寄って行くのを見、みつきも駆け寄った。
機体から降りるや否や、櫻井は
「小園司令は?」
「第一飛行隊指揮所です」
と、言う整備員の答えも待たずに第一飛行隊戦闘指揮所へ走り出して行ってしまった。
櫻井が指揮所に行っている間、ポツポツと零夜戦隊の零戦が帰投し、三番機の早川芳雄少尉と四番機の灘木葵少尉の二人と、そしてそれから二十分程遅れて糸井が翼にいくつもの被弾痕を作って降りてきた。
整備員はそれぞれの三人の機体へ走り出して行くが、みつきは櫻井の機体を点検しながらトラックで機銃の弾を運んで来た兵器整備員と共に機銃の弾の補充を行った。
そしてちょうど弾の補充を終えた頃、指揮所前で糸井、早川、灘木と打ち合わせをしていた櫻井が機体に戻って来た。
「機銃掃射に遭ったんだってな。怪我は?」
「私は幸い大丈夫でした。でも、凄く怖かった……」
機銃を乱射する音、太陽を背に爆音を轟かせながら近付くF6Fの姿が鮮明に目に焼き付いていて、みつきは思わず肩をすくめた。
「私、訳が分からなくなっちゃって、それで動けなくなっちゃって。誰かが腕を引っ張って防空壕へ連れてってくれたから良かったけど、もしそうじゃなかったら──」
そこまで言ってふと櫻井に目をやれば、不機嫌なのか硬いだけなのかわからない、いやに真剣な表情をしていたので
「はは。全く私ったら……馬鹿ですよね」
と、少し自虐的にてへへ、とみつきは笑って見せた。
櫻井は表情を変えずにみつきを真っ直ぐに見、
「俺は空からしか守れない。どんなに誰かを守りたいと思っても。時々それが、嫌になる事がある」
少し低い、静かな声で言った。
「え?」
突然の事に、みつきが思わず聞き返すと、櫻井は呆れた表情で溜息をついた。
「ほら、さっさとイナーシャ回せ」
「え、あ、はいっ!」




