厚木上空F6F来襲邀撃戦 一
櫻井はそんな重圧の中、第二飛行隊戦闘指揮所で三週間ぶりに部隊へ戻った森岡と共に朝食を摂っていた。
食事が優遇される搭乗員。しかしそれは決して豪華なものでは無く、正直に言えば下士官よりも少し貧相な食事であるが、櫻井が横目で森岡を見れば、部隊の飯は最高だと言わんばかりの表情でスプーンいっぱいにすくった米を頬張っている。
それがなんだか可笑しくてふと、櫻井が笑みを含ませると、森岡と突然目が合って
「なんだよ?」
櫻井は、含んだ笑顔をそのままに
「いや、なんでもないです」
と、顔を戻した。
朝食を済ませた後、指揮所で碁を打ち始めた荒木を見ながら櫻井は第一飛行隊の戦闘指揮所へ出向いた。
敵艦載機が日本へ向かっている──そんな情報が出たのはつい先程の話。零夜戦隊には対戦闘機の空戦経験者が皆無である為、櫻井はベテランの空戦経験者の指導を受けようとした次第である。
雷電、零戦を乗りこなす雷電隊のベテラン搭乗員、『松ちゃん』こと赤松貞明少尉が快くそれを引き受けてくれた。
櫻井と同じ少尉ではあるが、赤松の場合は下士官からの叩き上げの特務少尉で、本当の意味でのベテラン。
雷電隊とはあまり面識が無いにも関わらず、赤松は櫻井を知っており、「腕が立つが故に変なあだ名をつけられた予備士官」と言って櫻井をからかった。
基本的な戦法としては、二機編隊を組み、高度差を活かして後上方攻撃を加える事。空中戦に零戦側にとって必要なのは高度差である。
常に高度を維持し、急降下-捕捉-射撃-余力上昇-急降下捕捉-射撃-余力上昇これの繰り返しが必須条件。
「編隊は──乱戦が長くなれば崩れるものだが、崩しては駄目だ。敵機は複数で追わない。いいか、これらを守らなければこちらが絶対に不利だ。対抗する術は無いと思え」
赤松は手にとった零戦の模型を動かしながら言った。
「あともう少し──そんな思いを断ち切って引き上げ、絶対に深追いしてはならない。母艦へ帰らねばという敵の心理負担を上手くついて余裕を見せなければ駄目だ。余裕のある所を見せながらヒョイと離脱するんだ」
櫻井は赤松の言葉に黙って頷いた。
「貴様は教練の頃から教官に後ろを取らせなかったと聞くから、期待している。しっかりやれよ」
少し土佐訛りのある声調で、少し髭が残った頬をにこりと上げながら赤松は櫻井の肩をポンと叩いた。
***
零夜戦隊では、櫻井を含めた数名の十三期の予備学生が搭乗割に入っていた。今日が初邀撃戦になる櫻井の同期が多く、零夜戦隊にはピリピリした緊張感が漂っている。
その頃、鹿島灘から房総半島にかけて敵艦載機『グラマンF6Fヘルキャット』、『ヴォートF4Uコルセア』が日本へ向けて迫ってきていた。
午前七時には横須賀方面へ侵入し、茂原上空より横須賀方面へ向かうとの情報が三〇二空に入り、直ちに出動命令が下された。
二月十六日の各飛行隊の編成は以下の通りである。
第一飛行隊
雷電隊
零戦隊
第二飛行隊
零夜戦隊 櫻井紀少尉
第二飛行隊の月光隊、第三飛行隊の彗星夜戦隊、銀河隊は群馬県前橋、館林、山梨県甲府の各飛行場へ退避する事となった。
間もなくして、厚木基地に航空機始動の爆音が轟く。
第二飛行隊戦闘指揮所で碁を打っていた荒木が
「チクショー、続きは帰ったらだ。覚悟しとけよ」
と、碁盤をそのままにして搭乗機へ走って行くのを櫻井は見た。荒木がどうやら負け気味らしい。
櫻井が操縦席に乗り込み、照準器のスイッチを入れて確認をしていると
「櫻井さん、機体の整備は万全です。頑張って下さい」
と、零夜戦の暖気運転を進めていたみつきが操縦席を覗き込むようにして声をかけてきた。
「ああ、ありがとう」
何となくいつものようにポケットから菓子を出し、みつきに渡した。時々、みつきを贔屓している──と整備員から苦情が来るが、女には優しくになるに決まっている。
「ありがとうございます」
照れたように笑うみつきに笑い返したが、迫り来るF6Fの気配を感じて自然と櫻井の表情は強ばった。
──きっと、今日は苦戦を強いられるだろう。
***
午前七時十五分、指揮所のZ旗が全揚になった。第二飛行隊戦闘指揮所の屋上へ上った森岡は、帽振れで零夜戦隊を見送る。整備員のみつきも、帽子の代わりに手を振って戦闘機隊を見送った。
零夜戦隊 編成
第一小隊
一番機 荒木俊士大尉
二番機 川上務少尉
三番機 春原梢少尉
四番機 美濃太治二飛曹
第二小隊
一番機 櫻井紀少尉
二番機 早川芳雄上飛曹
三番機 糸井繁晴少尉
四番機 灘木葵少尉
第三小隊
一番機 入江准一飛曹
二番機 友部主悦少尉
三番機 蓮水昭仁少尉
四番機 陸奥和成一飛曹
第四小隊
一番機 春日井碧一飛曹
二番機 岡崎悠少尉
三番機 渥田峰雄一飛曹
四番機 川崎千紘少尉
大半は邀撃戦未経験者の少尉の予備士官である為、第三・第四小隊は先任下士官が一番機を務めている。
鹿島灘、三浦半島、房総半島南部、九十九里浜に相次いで侵入したF6FとF4Uは、千葉県、茨城県の沿岸部にある館山、茂原、香取、鹿島、神ノ池、木更津、水戸の各基地を襲った。
雷電隊、零夜戦隊共に、第一波の敵戦闘機群、第二波の敵戦爆連合の来襲地区は沿岸部が大半だった為、会敵せず。
『第一次邀撃戦』──戦果無し
***
午前十一時頃、燃料補給の為に厚木基地に荒木が帰ってきた。
みつきが数人の整備員と共に燃料車に乗って急いで荒木機に駆け寄ると、
「エンジンから異音がする」
と、言って操縦席から降りて言った。
「シリンダー計が異常に上がっていて、※カウルフラップを全開にして冷却をしているんだが下がらないんだよ」
みつきが整備員と二人がかりで急いで※カウリングを外すと、中からもくもくした黒煙が吹き出し、二人で咳き込んだ。
「あちゃあ、ノッキングしてますね」
ノッキングとは、エンジンの燃焼室内の圧力や温度が高すぎて、異常燃焼を起こしてシリンダやピストンを破壊してしまう現象である。
材質がアルミニウム合金である為、ある一定の温度を超えると『鈍る』という減少が起こり、急激に素材が軟化する等、最悪エンジンが使い物にならなくなってしまう。
「一時的な異常燃焼ならいいんですが……」
ここ最近は燃料不足の為、更にオクタン価の低い粗悪な燃料で発動させているせいかこういったエンジントラブルが多くなってきた。こればかりは燃料の問題である為に、手の施しようがないのが現状。
「エンジンが焼き付いてしまうので、この機体はもう発動させないで下さい」
みつきがそう言うと、
「いい、俺はこのまま出る。燃料補給したら、カウリングつけないまま発動させてくれ」
と、荒木はこちらの気をよそにそんな事を言った。
「駄目ですよ! 何かあったらどうするんですか」
「こんな時に俺が行かなくてどうすんだよ。何かあったら、そん時はそん時だ」
「でも……」
「行くと言ったら行く」
零夜戦分隊長である荒木には、どうしても行かなければならない理由があった。
敵艦載機の来襲、零夜戦隊の熟練操縦員不足──そして分隊長として、列機を誘導せねばならないのだ。
その為には、何としてでも空に戻る必要がある。
みつきはしばらく黙っていた。
ここは現代ではなく戦時中。敵機は待っても手加減もしてくれない──
「……わかりました」
みつきが渋々許可すると、荒木は特徴的な眉毛を少し動かしながら
「悪いな」
と、それだけ言った。
※カウリング──エンジンカバー
※カウルフラップ──カウリングについているエンジンの熱を逃がす為の調節蓋
***
午後零時半、計五百機の敵戦闘機隊が内陸部へと侵入。それの一部は厚木基地にも来襲し、みつきは初めて機銃掃射というものを目にするのであった。
空襲警報を受け、地上員と非番の搭乗員総出で可動可・整備中の航空機をコンクリートで作られた掩体壕(機体を空襲から守り、カモフラージュする為の壕)へ、牽引していると、
「F6Fだ! 伏せろ!」
誰かのそんな声で、皆が一斉に地面に突っ伏す。
みつきは少し遅れてしゃがんで頭を伏せた。
耳を劈くような轟音が厚木基地上空に響いてそっと上を見上げれば、敵戦闘機の機体に描かれた変な絵がはっきり見える程に近付いていて、重い銃声が基地に響くと同時に赤い曳跟弾の光が雨の様にほとばしった。
F6F戦闘機四機による奇襲だった。
爆撃、機銃掃射が一旦止み轟音が遠退いた頃、搭乗員、地上員は起き上がって近場にあった手頃な防空壕へと駆け出した。
その様子を間近に目の当たりにして、みつきはその場に立ち尽くしたまま動けなかった。
身体が硬直して頭が真っ白になって、何が何だかわからない。
「白河! 何を突っ立っている! 第二波が来るぞ、早く逃げろ!」
零夜戦隊の整備員に腕を捕まれて、やっと事態を把握した。
──これが空襲だ
F6F戦闘機の轟音が再び近くなった。
──来る!
みつきは整備員に腕を引かれながら無我夢中で防空壕へ走った。
F6Fで打ち付けられた機銃で地面から砂埃が高く舞い上がっている。
どのくらい走ったかは覚えていない。気が付けば、地面に掘られた防空壕で、すし詰めの中誰かの背中にのしかかっていた。
更に上から誰かが防空壕に滑り込み、みつきの背中にドスンと体重がかかって、一瞬息が出来なくなった。
──どこかで、何かが爆発する音が聞こえる。
(怖い!)
みつきは地面に打ち付けられる鈍い弾の音をすぐそばで感じながら、地獄のような爆音が過ぎ去るのをただ目を瞑って耐えていた。




