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みつきのいびつな手作りお守り

 二月十日、警戒警報が発令される少し前の事。

 指揮所で海図を見ていた当麻に、みつきは声をかけた。

 当麻は海図から少し目を離してこちらを見る。


「これ……」


 みつきが当麻に差し出したのは──手のひらに収まるくらいの、小さな猫の縫いぐるみだった。苦戦を乗り越えるようにと、十銭硬貨を縫いぐるみのお腹に縫い付けてある。


 この、着物のはぎれを模様として上手く作った(つもり)の三毛猫の縫いぐるみは、不器用で裁縫があまり得意でないみつきが数日を要して作ったものだった。

 あれやこれやと考えて、結局これになった。けれども、これはただの縫いぐるみではない。

 整備員として拘ったのは、縫いぐるみの中に彗星のジュラルミンの切れ端が入っているという事。

 故障中の彗星から引っぺがし、地下工場の切断機で小さく切ったのだ。


 こうして機体の一部をお守りに持つ事は、意外にも流行っていた。


「これを、俺に?」


 みつきは頷いた。形はいびつだし、縫い目はとても綺麗とは言えず、渡すのに少し躊躇った。


「ごめんなさい、下手くそで」

「本当に作ってくれたの!?」


「こんなんで、良かったかなって……」


 みつきが戸惑いがちに言うと、当麻は子供のような満面の笑顔にえくぼを見せながら

「言っただろ? みつきがくれるなら何でもいいって。ありがとう。ずっとずっと大事にするよ」

と、言いながら、縫いぐるみを早速懐中時計の紐に結んだ。


 虎の縫いぐるみの隣に猫が並び、当麻は満足そうにそれを揺らして眺めた。


「かわいいネズミだね!」

「それ、猫なんですけど」





 みつきが指揮所を出ると、指揮所横に置かれた長椅子に櫻井が座っていた。白い息を吐き、目の前のストーブで時折手を温めながら本を読んでいた。


 みつきはもんぺのポケットに手を入れた。そこにはもう一つ──縫いぐるみがあった。


 櫻井にも渡そうと作った、もう一つのお守りが。


 当麻と同じ猫の縫いぐるみだが、櫻井には零戦のジュラルミンを入れた弾除けのお守りになっている。


 櫻井さん──そう呼びかけそうになったが、みつきの声は出なかった。


(別に頼まれたわけじゃないし……)


 みつきはポケットの中で縫いぐるみを軽く握った。


(色んな人から貰ってるって聞くし……)


 そして縫いぐるみから手を離した。


(別にこんなのきっといらないよね)


 櫻井は、本に目線を落としたままでこちらに気付いていない様子。みつきは渡す勇気も無く、ただそこで突っ立っているだけ。


 それでも、声をかけるだけかけてみよう──そう思った時だった。


 突如厚木基地に警戒配備のサイレンが響き渡り、搭乗員達は機上で発進命令を待つ即時待機に入る。


 搭乗割に書かれていた搭乗員達が、乗機へ駆け足で向かっていった。櫻井も本を長椅子に置いたまま、乗機へ急ぐ。

 

 みつきも、警戒配備に伴い、整備員や搭乗割から漏れた搭乗員達と共に航空機の暖機運転を進めた。


 そしてエンジンが暖まった頃、指揮所前のZ旗が全揚になった。


 滑走路へ向かった機体は厚木基地に乾いた砂埃を巻き上げながら、冬の真っ青な快晴の空に飛び上がって行くのを、みつきと整備員、地上に残った搭乗員と共に帽振れで見送った。


 各航空機が飛び立ち、やがて基地が静かになった頃、みつきは冷たく乾燥した空気を思い切り吸い込んだ。


(結局、渡せなかったなぁ)



***



 東京上空へ櫻井を一番機として三機編隊で飛び上がったのは、零夜戦第二小隊。

 第二小隊に、「上空にて待機」の指示が地上から上がった。地上からの電話は感度が良好で、モールス符号ではなく会話が行われる。

 櫻井は試射を済ませ、指定高度の一万メートルで待機していたが、地上からの指示がなかなか入らなかった。


 列機にいた春日井一飛曹と蓮水少尉が手話で「弾が出ない」と言葉を残し、編隊から離脱して降りて行った。


「え、俺だけ?」


 離脱しなかったのは櫻井ただ一人。真っ青な空にただ一人ぽつんと指示を待ち、浮かんでいた。

 増槽燃料を使い切りメインタンクへ切り替えて間もなく、地上からようやく指示が入った。


『房総半島上空、B-29が北上中。空域を東京上空から変更』


 櫻井は指示通りに房総半島へ向かった。すると東岸からB-29編隊が突然目の前を横切るのが見えた。

 確認したのは九機編隊。この日の侵入進路は今までに無い関東東岸からであった。

 その為、敵機の位置を把握するのに時間がかかっていたようだ。


 櫻井の目の前を、B-29の曳跟弾があっと言う間に赤く染め上げた。櫻井は曳跟弾が自分の左右を擦るのを見ながら左旋回、背面飛行になり投弾前の動きの鈍いB-29の前上方に回り込む。

 そして、浅い角度から敵機のコクピット目掛けて突っ込みながら二十ミリと十三ミリを撃ち込み、前面ガラスを叩き割った。

 敵機のパイロットの顔がはっきり見えるギリギリまで撃ち続け、間一髪で操縦桿を右斜め前に勢い良く倒して下方へ離脱すると、頭上をB-29の超重爆の巨体が凄まじい風圧と共に通り過ぎた。


(パイロットは死んだか)


 通り過ぎる直前、櫻井はパイロットを撃ち殺したのを確認していた。櫻井は急降下しながらそのB-29の腹部を追いかけた。

 スロットルレバーを思い切り引いて、勢い良く上昇しながら再び二十ミリと十三ミリの機銃を腹部に休むことなく撃ち込む。


 銀色のジュラルミンがちぎれ、落ちていくのが見えた。そしてエンジンを絞り失速反転ストールターン、機首を垂直下に下げ再び急降下する。八〇〇メートル程降下した後、スロットルレバーと操縦桿を思い切り引いて急上昇した。


 腹部から煙を出しながら、敵機は編隊を右に逸れ、爆弾を投棄し始めた。恐らくこのまま編隊を抜け、洋上を抜けるつもりなのだろう。


(逃がさない!)


 櫻井は上昇しながら右旋回で洋上へ抜けようとする敵機を追い、主翼付け根に向かって再び機銃を斉射した。弾が弾き返されるのを見ながら、諦めずに櫻井は二十ミリと十三ミリを交互に撃ち続ける。


 B-29の腹部から放たれる曳跟弾が、大きな音を立てて櫻井の主翼に穴を開けていくが、櫻井はそれを気に止めなかった。

 

 そしてやがて、敵機の左エンジンから炎が噴き出したところで、弾が切れた。

 B-29はそのまま徐々に白煙を大きく引かせながら降下していく。櫻井は撃墜を確信した。


(一機落とすのに、前方銃を全弾使うとは……)


 穴の空いた主翼に目線をやりながら、緊張で額にかいた汗を腕で拭ったところで、とある事に気付いた。


「しまった。燃料足りねえ」



***



 午後三時半過ぎ、当麻・水杜ペアは茨城県筑波山周辺でB-29梯団と奮闘していた。失速反転ストールターンを繰り返しながら撃ち込み、ようやくB-29のエンジンに白煙を噴かせたところだ。


「くそ、なかなか墜ちねえなあ!」

 降下しながら当麻はイライラした口調で言う。


「もっと近付け!」

「無茶言わないで下さいよ!」

「大丈夫、みつきのお守りがあるから」

「ええ!?」


 水杜が素っ頓狂な声を上げる中、当麻は先程みつきから貰った猫の縫いぐるみがついた懐中時計を服の中から取り出し、ぎゅっとそれを握った。


 水杜は再び上昇し、ギリギリまで二十ミリ機銃を撃ち込む。彗星から放たれる榴弾が弾かれるのを、当麻と水杜は確認したが、水杜はそれでも機銃のボタンから指を離さなかった。


 そして銀色のジュラルミンを食い破って破裂していくのが見えたところで全弾撃ち尽くした。


 水杜は最後の機銃、斜銃に切り替えた。

 しかし斜銃は三発程撃つと、弾が詰まったのか出なくなった。


「げ!」


 水杜はこちらに向かってくる曳跟弾を横目で見ながら、フットバーを押し込んで再び急降下した。


「退避します!」

「ああ!」


 慌てて高度四五〇〇メートルまで下がったところで、当麻が後ろを振り仰ぐと


「あれ、一機足りない?」


 先程までいた敵編隊が欠けている事に気が付いた。指で何度も数えたが、確かに一機足りない。


「おい、水杜。墜としたか?」

「え、ちょっとわからないです」


 水杜もあまり覚えてないのか何なのか、不思議そうに首をかしげている。


「確かに足りないんだよな」


 偵察員である当麻は、B-29編隊の数を正確に記録していた。海図に記した会敵を示す×印に書き込まれた数から、確かに一機足りなかかった。

 記入漏れがあったわけではない事は明確だった。


 彗星が急降下している時に空中分解したのか、爆発したのか──。


「俺達いつのまにか、やったらしいぞ」

と、当麻が言うと、伝声管の向こうで笑う水杜の声が聞こえた。


 あの場所で突然姿を消すなら、分解か爆発かしかない。当麻は撃墜とみなし、厚木基地へ打電した。


「彗星第一小隊二番機、一機撃墜(ツイイチ)

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