みつきのB-29邀撃戦空撮任務 二
彩雲はゆっくりとB-29へ近付いていった。近付くにつれ、小さく見えたB-29は迫り来る迫力を持つ要塞のような機体へと姿を変える。
(あいつが憎きB-29……)
日本各地を空爆してたくさんの命を奪った、超重爆撃機。日本人でその名前を知らない人間はいないだろう。
みつきはカメラに手をかけ、B-29へレンズを向けながらピントを手動で合わせた。
このムービーカメラはクランクキーを回すとフィルムが回る、所謂手動カメラだ。撮れる時間は一フィルムで約四十秒。それを四つ渡されている。
現代の物と違って、全て手動で慎重に行わなければならない。タイミング、光、ピント合わせ──全てみつきの手にかかっている。
みつきがクランクキーに手をかけようとした瞬間、突撃開始の「ト」連送が彩雲に届き、西の空から零夜戦隊がB-29の上空から次々と急降下していった。
急降下した零戦は、B-29のコクピット目掛けて勢い良く落ちていく。
(──ぶつかる!)
みつきは思わず目を細めた。──が、その零戦は敵機のコクピットのぶつかるかぶつからないかの瀬戸際を通り過ぎ、光る曳跟弾の雨の中を敵機後下方面へ抜けて行った時には、敵機の主翼からは煙が噴き出していた。
そのほんの僅か一瞬の出来事に、何が起きたのかわからずみつきはカメラに手をかけたままただ呆然としている事しか出来なかった。
まるで曲芸飛行のようだとみつきは思った。現実離れしすぎていて、映画の空戦シーンを見ているようで未だにこれが戦争──という実感が湧かない。
みつきは慌てて乗り出しながら離脱したその零戦を目で追う。一瞬尾翼の『ヨD-150』の文字がちらりと見え、
(今の櫻井さん?)
そう思う間もなく他のB-29編隊による銃撃が、再び近付こうとするその零戦を執拗に追い回して尾翼が見えなくなった。
B-29の腹部銃座は遠隔銃座システムで、自動計算照準器を搭載している。その為、零戦を正確に追従する事が出来る。
赤い曳跟弾が零戦の主翼を左右に流れていき、当たってしまうのではないか──と心臓が潰れてしまうような痛みを感じさせた。
緊張でカメラを握る手に、じんわりと冷や汗が滲む。
しかし、その零戦目掛けて放たれた曳跟弾は、零戦に届く前に弧を描いて落ちていき、やがて曳跟弾は止んだ。
その時、敵機編隊上空で覆い被さるように飛行していた他の零戦が、直上方からコクピット目掛けて落ちた。
(速い……!)
先程の零戦と同じようにコクピットの前を目にも止まらぬ速さですり抜けると、今度こそ機体は炎に包まれた。
零戦の空戦を間近で見るのは初めてだった。
みつきが目をB-29編隊上空へ目を移すと、細い飛行機雲を作りながら、他の零夜戦編隊がB-29上方にぴたりとついている。
(いけない、しっかり撮影しなきゃ)
みつきはその中の一つの零戦に目を付け、クランクキーに手をかけゆっくりとカメラを回し始めた。
レンズは三〇〇ミリの望遠レンズ。ファインダーを覗くと、そこには先程のB-29に初弾を打ち込んだ零戦がいた。
はっきりと尾翼の『ヨD-150』の文字が見えたその瞬間、みつきの胸が高鳴って
「……櫻井さん」
と、気付くと呟いていた。
櫻井の零戦は、二機編隊に分かれて敵機の前上部十一時と十四時の方向にぴたりとついた。
その二機は、背面飛行になりながら敵機前上方から機銃を撃ち放つ。二機がすれ違った瞬間、敵機のコクピットのガラスが勢い良く弾け飛んだ。
「すごい!」
「多分今ので操縦士はやられたな」
偵察席でその瞬間を見ていた当麻が伝声管を通して言った。
そこでフィルムが切れ、慌ててみつきはフィルムを交換する。そして再びカメラを構えると、その二機は空域を離脱していた。
先程の櫻井の機動が目に焼き付いて、何度も脳内で再生される。敵機に躊躇せず突っ込み、敵機の銃撃を振り払うように飛行するその姿を、素直に格好いいと思った。
B-29編隊の斜め後方上空から別の二機編隊の零戦が近付いてきた。零戦が放つ曳跟弾はたちまち敵機の尾部を破壊するが、煙を噴いても敵機はまだ墜ちないでいる。
「あいつも相当しぶとい」
戦いたくてうずうずとした逸る口調で当麻が言う。
「当麻分隊士、やりたくてたまらないんじゃないですか?」
操縦席から水杜が言った。水杜は当麻の気持ちはお見通しのようだ。
「今日は空撮が任務だから我慢」
基本的に攻撃は行わないが、彩雲の翼下に七十センチ九キロの二十八号ロケット爆弾がちゃっかりとぶら下がっているのは、自衛の為なのか参加する為なのか──本人も良く分かっていなかったりする。
そんな会話をしながら、彩雲は敵機編隊後方に近付き、後下方からB-29の腹部に潜り込んでいく零夜戦編隊を追った。
尾翼の機体ナンバーから、それは須崎少尉・春日井一飛曹の二機編隊だという事がわかった。
須崎機と春日井機の二機は、零夜戦尾翼付近から上へ飛び出した斜銃で、敵機機首部目掛けてそれぞれ攻撃を加える。
「早く離脱しないとやられる」
当麻が声色を変えて言った。
後下方からの斜銃攻撃は接敵が比較的容易な為、場数を踏んでいない者にはやりやすい。しかし、それは速度差の無い同航戦なので敵機の銃撃の恰好の餌食になる。
少しでも離脱のタイミングを見誤ると──命を失い兼ねない。
「あっ! 零戦が!」
みつきの目の前で一機の零夜戦が被弾し、煙を上げながら急激に高度を下げていく。みつきはそこでやっとこれは戦争なのだ──と、ゾッとするような寒気を感じた。
「あれは、須崎のだ」
当麻が身を乗り出し双眼鏡を覗きながらその機体を確認すると、冷静な口調で言った。
みつきはカメラを回しながら須崎機を追う。こんなもの、撮りたくは無いけれどこれも大切な記録である。任せられた任務はやり遂げなければならない。
「助かる?」
訊いても無駄だとわかっているのに、そんな質問を当麻に投げかけたところでフィルムが切れた。
「それは……わからないな」
当麻は率直に言った。
助かるか助からないかは須崎本人にしかわからないのだから──。
「うわっ!」
突然、水杜が声を上げた。
それと同時に機体に衝撃音が走り、みつきは撃たれているのだとわかった。
敵機の尾部から放たれる曳跟弾がこちらに無数の矢のように流れ、左右に光っている。
「くそ、鬱陶しい!」
尾部の銃座がしつこく弾を撃ち放ち、空撮の邪魔をしてくる。水杜はそれを左右に機体を滑らせながら避けた。
「あいつやっちゃいましょう!」
水杜は怒りを込めた口調で当麻に言った。当麻は水杜が言い終わらないうちに
「ああ!」
と、返事をした。
「みつき、よーく撮っておけよ」
当麻はそう言いながら厚木基地へ打電する。
「えっ、まさかの戦闘ですか!?」
「あったりまえだろ!」
飛行機乗りは飛行機に乗ると性格が変わるとよく言われている。そう、よくある車のドライバーのように。
当麻・水杜はまさにその典型だった。いつもの温厚な当麻、丁寧で少し口数の少ない水杜は、今では被弾した怒りに任せて空撮の任務を忘れているのかいないのかはわからないが、既にやる気満々である。
二人はみつきの事などお構い無しに戦闘体制に入る。こうなったらもはや誰にも──止められない。
「二十八号、打ち込みます!」
「よーし頑張ってくれ!」
「ちょ、ちょっと! 待ってくださいよお!」




