名古屋地区昼間邀撃戦 二
「墜ちないしぶといやつがいるもんだな」
撃墜確実の二機以外に、噴き出していた黒煙が止まった機体がいた。編隊から遅れ気味に飛行している。
手負いの機は恰好の餌食だ。
「あれ、やっちゃいましょう」
そう言って、水杜は左旋回で斜め後方からの接敵を試みた。
「失速反転をうまく使えよ」
ストールターンとは、垂直上昇から失速反転、急降下することだ。斜銃一挺の彗星では攻撃力が少なく、撃破・撃墜に至るまでに時間がかかる。
そのため斜銃で一撃の後、急降下離脱──上昇を繰り返して撃破を目指すのだ。
「わかりました。突っ込みます!」
「よし、頑張ってくれ!」
水杜は操縦桿を押し込み、反転垂直急降下した。プラスにかかる重力が内臓を圧迫する。高度計や速度計が目まぐるしく動いて、機体はビリビリと音を立てた。
水杜はそこでエンジンを全開にして、今度は機首を上げた。敵機の腹部へ目掛けて、斜め上に取り付けられた手作りの斜銃用照準器を覗きながら、水杜は二十ミリの弾を敵機目がけて叩いた。
二十ミリの弾が火花を散らして銀色の機体から弾かれるのが間近に見える。
「失速! 速力六十五ノット!」
当麻の声を合図に水杜が操縦桿を押し倒すと、機首がガクンと下を向き、今度は垂直降下に入った。
垂直降下の姿勢になった瞬間、敵機の曳跟弾が彗星の尾翼を擦る。再び八〇〇メートルほど急降下して、水杜はエンジンを絞り反転して再び機首を引き起こした後、エンジンを全開にして上昇した。
「撃ち込め! 休むな!」
当麻の合図で水杜が二十ミリを撃ち込む。弾き返される機銃を休む事なく撃ち続けると、遂に二十ミリが主翼付け根にめり込んだ。
同時に、敵の下腹部にある銃座がこちらに向いているのを当麻が横目で確認した瞬間、まるでアイス棒のような曳跟弾の雨が目の前に降り迫ってくるのを見──
──来る!
そう思って、当麻が咄嗟に
「降下!」
と叫ぶと、水杜は咄嗟にラダーを踏みながら操縦桿を押し込んだ。
すると、機首が反転する勢いで彗星のジュラルミンが曳跟弾の弾を弾き返して目の前で火花が散った。
そして葉が舞うように回転しながら急降下していくと、やがて曳跟弾の雨は消えた。
「水杜、ストップ」
そう言って当麻が見上げると、腹部から再び黒煙を噴き出している。それは勢いを増していて、当麻は撃破を確信した。
「あれはもう墜ちるぞ」
そう言いながら当麻は厚木基地に打電した。体力を随分と消耗し、息切れを起こして汗もかいている。
「当麻分隊士の指示は難しいけど、上手くやれて良かったです」
と、言った水杜の声はやりきったという声をしていた。
「俺のその指示をこなせるのは水杜だけだ。きさまがペアで良かったよ」
と素直に言うと、水杜は伝声管の向こうで照れたように笑った。
「私も、当麻分隊士の指示をこなせるのは私だけだって自負していますから」
「調子のいいやつめ」
水杜の言葉は、当麻を心から信頼している証。当麻のペアは自分しかいないと──いや、自分のペアは当麻しかいないのだと、今もこれからもそのつもりでいる気持ちの表れだった。
***
厚木基地では、零夜戦隊の森岡大尉が陸軍浜松飛行場へ降着したとの情報と、水地機が海上に墜落したとの情報が入り慌ただしくなっていた。
それを聞いたみつきは、第二飛行隊指揮所の電信室へ走り
「二人とも無事は確認できているんですか!?」
と問うと、電信係の下士官兵は翳りのある渋い顔をした。
「森岡大尉は生存の確認ができていますが、水地少尉は未確認です。墜落の電信を受けたのが最後ですから、最悪の事態も考えられるでしょう」
「そんな……」
きつく締め付けられるような不安がみつきの胸を襲って、じっとしている事が出来なかった。
まだ他の零夜戦隊のメンバーは帰ってきていない。
他の皆は無事だろうか──鼓動に合わせて胸が刺さるように痛んだ。
みつきが指揮所から出ると、腕を組んで立っていた整備分隊長に呼び止められた。
「明日、森岡大尉の零戦を引き取りに行ってこい。白河と整備員数人と零夜戦の連中とで行ってもらうから準備しておけ」
整備分隊長はそう言うと、みつきが返事をする間も無く忙しそうに去って行った。
整備分隊長は事務的な態度だった。みつきはそれを凄いと思った。死に直面し過ぎて、感覚が麻痺しているのだろう。
日に日に増えていく遺影と骨箱に、また誰かが入るのかと思うと、狂ってる──そうとしか思えなかった。
「もう嫌だ、こんなの……」
***
零夜戦隊のメンバーが帰投したのは、日が暮れて辺りは暗闇に包まれた頃。痺れる寒さの中帰投したのは、櫻井、入江、春日井の三人だった。
燃料はほぼ空に近い状態で乗機は傷だらけ──それだけ空戦が激しかったのだという事は想像に難くない。
みつきは帰投した櫻井に、
「水地さんは」
と、問うと
「わからない」
と、答えが返ってきた。
櫻井は足をかけ、機体から降りる。みつきはその姿に目をやりながら、無数の曳跟弾の擦り傷がついている機体に目を移した。それはあまりにも生々しく、身を削ぐような恐怖を感じた。
「こんなに傷だらけ……。体は大丈夫ですか?」
「ああ、問題ない」
「よかった……です」
みつきは言葉に詰まって言葉の一文字一文字を区切るように言うと、櫻井は
「寧ろ、傷だらけにしてごめんな」
と、疲れた声で言った。
疲れきった様子の櫻井の顔を見て、みつきは思わず泣きだしそうになった。
──言いたかった。もう行って欲しくないって。
櫻井は背を向けて指揮所へ歩き出した。
その背中を見て、帰ってきて嬉しいと思う反面、いつかこの人は遠くへ行ってしまうのではないか──と疼くような不安が襲って、思わず手を伸ばしそうになった。
──私は、未だにこの戦争の意味を──知らない。