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皇國の英雄―それは、私が見た零戦パイロットの記憶―  作者: ケイ
昭和二十年、一番長い年が始まる
28/90

途切れた電信、彼らの行方

 一月十四日、この日の午後、B-29梯団が相模湾に向かっているとの情報が入った。

 厚木基地では邀撃体制を整え、雷電隊・月光隊・零夜戦隊・銀河夜戦隊が発進準備に入る。


 この日の三〇二空の主力は航続距離の長い夜間戦闘機『月光』と、無理矢理斜銃を装備させられ夜戦型へと改造された『銀河夜戦』だった。


 零夜戦隊は、飛行隊長の荒木大尉の気まぐれで当日朝に搭乗割が決まるのだが──


「俺の名がない」


と、櫻井は搭乗割の黒板の前でがっくりと頭を落として落胆していた。

 櫻井の代わりに須崎少尉、蓮水少尉が森岡大尉を一番機として邀撃にあたるようだ。須崎は何気に初の邀撃戦である。

 前日の夜に搭乗割が発表される彗星夜戦隊は、この日は彗星夜戦隊の編成がなく、当麻は草緑色の軍服(第三種軍装)を着て不満気な顔で指揮所にいた。



 第三種の軍服に着替えた櫻井は、滑走路の奥までぶらぶらと出歩いて

「おい、お前ちょっと旗貸せ」

と、気怠そうに旗振り番をしている下士官兵にちょっかいを出した。


 旗振り番とは、紅白の旗を持ち手旗信号で離陸指示を出す番の事で若年者や技術に難のある搭乗員が行っているのだが、お構いなしに櫻井は旗を取り上げた。


「あ、ちょっ! 困ります、櫻井少尉!」

「困る? その割には随分と気怠そうだったじゃないか。俺が少しやってやる、いいから貸せ」

 旗を奪った櫻井は、にやりと悪戯な表情を浮かべた。

 立派な理由を言って見せたが、この男はただ単にやりたいだけだ。


 櫻井の着用している第三種軍装という軍服は、元は陸戦隊の服である。そのため草緑色なのだが──そんな色もあってか、海軍というより陸軍のような雰囲気で、外よりも机で勉強していそうな櫻井の顔立ちは今やチャンバラ遊びが好きそうな悪ガキのようだ。


──とはいえ日々の出撃のおかげか何なのか、随分とタチの悪そうな顔立ちになってきているのだが。


 櫻井は指揮所の屋上に中途位置で掲げられたZ旗が全揚になった事を確認すると、待機中の月光隊に向かって離陸よしの白旗を上げた。


 離陸していく月光を見送りながら、櫻井は目尻の皺を思い切り作って笑顔で下士官兵を見た。

 櫻井に笑顔を向けられた下士官兵は、反応に困り思わず固まった。


「なんだ、仕切ってるみたいで意外と面白いじゃないか」

「すぐに飽きますよ」



 指揮所の屋上で、対空用高角双眼鏡を覗きながら各航空機へ指示を出す対空警戒任務係へ回っていた当麻は、滑走路の奥の芝生で旗を上げている櫻井を見つけた。


「まーたなんかやってるよアイツ」

 当麻は双眼鏡を覗き、溜息をついた。

 ああやって下士官兵にちょっかいを出すのは櫻井の得意技である。



 一方、厚木上空を哨戒に出る零夜戦隊を帽振れで見送る地上員に混じって手を振って見送ったみつきは、当分の間作業がないため、当麻のいる指揮所屋上へ向かった。

 指揮所屋上は、柱や手すりに布が張り巡らされており、寒風を凌げるようになっている。

  みつきは痺れるような寒さの屋上で、風除けに身を隠しながら当麻の後ろ姿を見ていた。


 第三種の軍服姿の当麻は耳にレシーバー、口元にマイクを付け、いつになく真剣な面持ちで航空機と交信している。

 偵察員である当麻は、こういった任務は得意なのだ。


 厚木基地の外れにある八木式電探(レーダー)基地と、父島哨戒基地から、レーダーの結果が分刻みで無線電話で入る。


 当麻はそれを

「敵B-29約六十機、相模湾沖より進路を中京地区へ変針、進行方向南西、高度八千メートルで前進中」

と、透った声でテキパキと航空機と交信していた。

 当麻はだいたい邀撃戦に出ているので、こうして指揮所で飛行作業以外の業務をみつきが見るのは初めてだった。

 そんな当麻を、みつきは素直にかっこいいと思った。


「あれ、みつき。どうしたの?」

 後ろにみつきがいる事に気がついて、交信を終えた当麻が振り向いた。


「いや。なんか当麻さんてかっこいいなぁって」

「えっ」

 当麻が一瞬固まった。困った顔をして、瞳を右や左に泳がせている。


「お。随分と褒めるねえ」

 そう言って、当麻の隣にいた飛行服の男性が振り向いた。その男性は荒木大尉。

 彼も今日は非番であるが、飛行服姿のまま双眼鏡片手に空を見ていた。


「責任持てよ、当麻はそういうの慣れてないから」

「は、どういう意味ですかそれ!」

 荒木はにやにやしている。当麻は悔しさを顔に広げてむっとしていた。

 みつきにとってはからかっていたわけでもないのだが、どうやらこの時代の男はあまりこういう言葉には慣れていないようだ。


 そしてふと、荒木の視線がみつきの背後へ向かった。


「なんだ、旗番もうやめたのか」

と、にやにやしながら言う荒木の視線を追ってみつきが振り向くと、下士官にちょっかい出していたはずの櫻井がいつの間にかそこへ立っていた。


「飽きたもので」

「ああ!? 早すぎだろ!」



***



 邀撃隊が発ってからしばらく、基地は静かだった。

 

 階下の指揮所では、記録係の入江が「航空記録」に搭乗記録を記入していた。搭乗員の飛行時間・出撃時間・要務内容といった全ての記録は、この記録係によって記入される。


 みつきがその様子を見ていると、

「櫻井分隊士の記録見れますよ」

と、頼んでもいないのに入江が櫻井の航空記録を持ってきた。


「わ! 直近の記録、殆ど赤ペンじゃないですか」

 みつきが航空記録を開けると、直近の記録は殆ど赤ペンで記入されている。


「試験飛行、作戦飛行、夜間飛行や危険を伴う飛行は、赤で記入する決まりなんですよ」


 備考欄に何やら色々書いてあったのだが──


(げっ、読めない)


 漢字は旧字体のせいで難しく、おまけに仮名はカタカナなので読みづらく殆ど読むことができなかった。まるで漢文のようである。


 とりあえず赤文字は特別なのだろう──と、みつきはそう思いながらパラパラとページをめくった。


「この記録を基に、主計係が航空加俸を算出するんですが──こんだけ赤いと主計係じゃなくても給料いいことが見てわかりますねェ」

 入江は櫻井の航空記録を覗き込みながら、人差し指と親指で顎を擦った。


「だーれの給料がいいだって?」


 いつの間にか櫻井が入江の背後に立っていて、

「わああ! 櫻井分隊士! ごめんなさい!」

 そう叫びながら頭を伏せる入江の頭を、櫻井は手のひらでぐりぐりとかき混ぜた。

 今日の櫻井は神出鬼没である。


「飯はお前らの方がいいの食ってんじゃないか、知ってんだぞ」

「ごめんなさい! 櫻井分隊士の今日の朝食が猫飯みたいだったなんてとても言えません!」

「あ? 言ったな。罰として隠し持ってる菓子をよこせっ!」

 櫻井は入江の背後から両手で入江のポケットをまさぐった。入江も本気で嫌がってるわけではないらしく、笑いながら嫌がっている。


(二人とも、仲がいいなぁ)

 みつきはじゃれあう二人をぼけっと見ながら少し嫉妬した。



***



 名古屋上空では、当時撃墜王と呼ばれ新聞を賑わせていた遠藤幸男えんどうさちお大尉率いる月光隊が、B-29と奮闘していた。


 発進から三時間後、指揮所の無線機に月光隊から電信が届いた。

 ノイズ混じりのトトツートトという電信音が鳴り響いて、指揮所は急激に慌しくなる。


『敵一機撃墜、第二小隊一番機』

『敵一機撃墜、二機撃破、第一小隊二番機』──

と、次々と月光隊から入電した。

 記録係の入江が、電信を聞き取りながら時刻・電信内容を記録帳に記している。


「今どんな感じですか?」

 腕を組みながら真剣な眼で電信音をじっと聞いていた櫻井にみつきが訊くと

「今のところ二機撃墜、二機撃破だそうだ」

と、言った。しかしその眼は──どこか不安げでもあった。


 再び月光隊から電信が入ったのはそれから三十分後。


「敵十一機発見、我これに突撃す」


 名古屋市南部の三菱重工航空機製作所を爆撃していたB-29第二梯団を狙い、月光隊の第一小隊一番機の遠藤機の偵察員、西尾上飛曹が指揮所に電信をよこした。


「我交戦中、一機撃墜、突……続……」


 他の電信と混ざり、やがて聞こえなくなった。

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