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皇國の英雄―それは、私が見た零戦パイロットの記憶―  作者: ケイ
昭和二十年、一番長い年が始まる
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日本の未来を担う、男の約束

 翌日、櫻井は磐城少尉の遺品を遺族に届ける事となった。

 磐城が死んだのは先月末だったが、戦死の通知は作戦の動向や結果秘匿のためすぐには出されなかった。

 この頃、戦死が公報されるのに三ヶ月はかかっており、また、公報前に遺族に個人的に言うことも禁止されていたのだが、その決まりはあまり守られていない。


「あれ、櫻井さん。外出ですか?」

 油まみれになりながら整備をしていたみつきが、軍服に身を包んでいる櫻井に声をかけた。


「ああ、磐城のご家族のところへ行く」


 そう言って、櫻井は遺骨の代わりに遺品が詰められた骨箱を持ち基地を出た。

 大東急線(小田急)、西武線を乗り継いで約二時間半──ようやく辿り着いたのは埼玉県入間郡所沢町。

 磐城の家は、駅から約三十分歩いた所の静かな畑の中にひっそりと佇んでいた。



***



「──そうですか」


 櫻井が戦死の旨を伝えると、磐城の戦死を聞いた磐城の両親は特に何を言うでもなくそう言った。

 静かな部屋は、掛け時計の規則的な針の音のみが聞こえて、それはまるで遺族の心の中を表しているかのようだった。


「磐城少尉の死には、私にも責任があります。私の撃ち放った弾がもう少し早ければ、磐城少尉を助けられたかもしれないと思うと、後悔しても悔やみ切れない気持ちでいっぱいです」


 目を瞑れば、あの日の空戦が甦る。櫻井が敵機へ弾を撃ち放った瞬間、敵機の銃座も磐城機を狙って弾を撃ち放った。


 生きるか死ぬかの一瞬の判断を磐城は見誤ったが、助けられるかもしれない一瞬の判断を見誤ったのは自分の方だったのだ──と、櫻井はずっと後悔していた。


「申し訳……ありません」

 櫻井が深々と頭を下げると、磐城の母の息遣いが聞こえて涙を堪えているのがわかった。


「息子は、家に帰ってくるといつも櫻井少尉の話を聞かせてくれました。お話通りの、責任感が強い優しいお方。息子が櫻井少尉のお人柄に惚れ、慕っていた気持ちがよくわかりました。恨む気持ちなど……毛頭ございません」

 顔を上げると、磐城の母は机の上に飾られた小さな磐城の写真に目線をやっていた。


 涙は流していなかった。


「息子は死んでしまいましたが、櫻井少尉。どうか貴方様だけは生きてお戻りになって下さい」



***



 櫻井の帰り際、磐城佳祐の弟──磐城祐介いわきゆうすけが櫻井の背中に声をかけた。

 祐介は眉を少し下げながら櫻井の後姿を恐る恐る覗き込んでいた。

 兄である佳祐の話に聞いていた通り、櫻井は凛とした高貴な出で立ちをしていると祐介は思った。

 一見近づきにくそうな人であったが、振り向いた櫻井は「いいですよ」と、柔らかな物腰で微笑んだ。


 祐介は足が不自由だった。松葉杖をつきながら、櫻井を自室に招き入れた。祐介の机の上は、本が山積みになっている。それらはどれも学問に関する本だった。

 櫻井の目線が山積みにされた本へある事に気が付いて、祐介が

「兄が給料をはたいて買ってくれたんです。技術者になれるようにと」

と、言うと櫻井は

「いい兄さんを持ったな」

と、微笑んだ。


「足の不自由な僕は技術者になる事が夢でした。兄は僕を応援してくれましたが、きっと──内心兄は悲しんでいるでしょう。兄はお國の為に身を呈して死んでいったというのに、僕はそんな状況にあっても何もできる事がないのですから」


 世間ではこういった障害をもつ人間は、「ごくつぶし」や「非国民」と言われさげすまれていた。特に男に対しての風当たりは悪かった。


──男であるのに戦地へ行けないお荷物である、と。


 海軍航空兵である兄に対し、役立たずな自分の身体を祐介は何度も呪った。


「何も出来ない自分が恥ずかしい。僕は本当に非国民です」


 涙を堪えながら祐介が言うと、櫻井は腰を下ろして祐介の目線に立った。


「兄さんが技術者になれるようにと、本を買ってくれたんだろ? だったら、兄さんの気持ちを蔑ろにするような事は言うな」

 

 櫻井は内ポケットから黒い万年筆を取り出し

「勉強が出来るようになるお守りだ」

と言って、それを祐介の手に握らせた。

 その万年筆は高級感のある美しい光沢を輝かせており、祐介は驚いて返そうとすると、櫻井はそれを手で止めた。


「俺と約束してくれ、立派な技術者になると」

 そう言った櫻井の瞳は軍人の眼をしていた。


「戦争に行く事だけが國の為じゃない。君には君の出来ることをすればいい。堂々と自信を持って、技術者を目指すんだ。君がつけた知識は必ず役に立ち、後の日本の為になるだろう」


 優しくも芯の強い透き通った櫻井の瞳は、祐介の──自分の負い目を優しく包んでくれるようだった。

 落ち着いた声はどこか心地よく、胸の奥からさざ波のように何かがこみ上げてきてばらばらと涙が溢れた。


「二度と自分の事を恥ずかしいと言うな。何があっても動じない、強い心を持った大人になりなさい」

 櫻井の口にする一つ一つの言葉が、祐介の心の奥底へ沈みこんでいく。

 優しさと強さを兼ね揃えた凄い人だ、と祐介は思った。


「……はい」


 この人を信じよう、この人のように強い人になろう──祐介は技術者になる事を誓い、万年筆を握る手に、力を込めた。



 祐介は、玄関を出て歩いていく櫻井の後ろ姿に、

「櫻井少尉!」

 玄関から思い切り呼びかけた。


「僕は、絶対に技術者になってみせます! 兄の生き様に恥じないように、立派な技術者になって見せますから!」


 振り返った櫻井の笑顔は、まるで子供のように無邪気な笑顔をしていた。




 

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