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皇國の英雄―それは、私が見た零戦パイロットの記憶―  作者: ケイ
昭和二十年、一番長い年が始まる
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櫻井と当麻の相容れないもの

 一月一日午前四時、横須賀鎮守府は正月早々警戒警報を発令し、三〇二空では第二警戒配備甲が発令した。

 当直の搭乗員達が、まだ太陽が昇らぬ暗闇の中、真っ白な息を吐きながら待機所で震えながら待機している。

 例年までは正月は休暇なのであるが、戦争が激化している今、休暇などあって無いようなものだ。


「しっかしアメさんも正月早々張り切るよな」

 亡くなった磐城少尉(殉職の為二階級特進)にかわって櫻井の直属についた零夜戦隊下士官兵の入江准いりえじゅん一飛曹が、同じ零夜戦隊の春日井一飛曹に震えながら言った。


「ニューイヤーはあいつら祝わないのかねぇ」

 春日井も下を向いてガタガタと震えている。


「あー餅食いたいぃ……」

 入江がマフラーに顔を埋めて言った。

「今日、遥拝ようはい式が終わったら餅食えるぞ。雑煮かな?」

 春日井が言った。遥拝式はまだまだ先──二人とも雑煮が待ちきれずに腹の虫を鳴かせていた。


 そんな彼らが他愛の無い話をしていた

午前五時四十五分には、横須賀鎮守府警戒令は解除された。



***



 その頃、櫻井と当麻は士官私室へ出勤していた。

 こじんまりとした二段ベッドのある四人部屋。士官といえど、少し庶民的な質素な部屋である。控えめにヒーターがついていて、ほんの少しだけ暖かい。


 つい先日までは一本だったはずの水地の日本酒の一升瓶が三本、櫻井のベッドの横に遠慮なく置かれていて、櫻井は思わず舌打ちをした。

 櫻井は、ベッドの上段にいる水地を叩き起こそうとしたが、どうやら当直であるらしくベッドの中はもぬけの殻だった。


 それを見ていた同室の当麻が苦笑した。

「水地は相変わらずだよね」


 クリーニングに出していた上襦袢ワイシャツが綺麗に重ねられて櫻井のベッドの上に置かれている。

 櫻井が上襦袢を整理していると、他に封筒が一通置かれている事に気がついた。差出人は遠野妙子とおのたえこ──櫻井の親代りである伯母からだった。


 櫻井はそれをペーパーナイフで開ける。それをざっと流し読みして私物箱に入れようとしたその時、

「なあ、櫻井」

 椅子に腰掛けていた当麻がそれを呼び止めた。


「そこまでして結婚を拒む理由は何?」

 

 思わず櫻井の手が止まり、暫く沈黙が当麻と櫻井の間に流れた。


「……そんな事、聞いてどうする?」

 櫻井は振り向かないまま言った。


「どうってワケじゃないけど──婚約者の夏子さん綺麗だし、櫻井を気遣う手紙だって毎回送ってきて、凄く素敵な人じゃないか。伯母さんだって、早い結婚を望んでいるからそうやって手紙を送ってくるわけだろ? 夏子さんとの結婚に、何がそんなに気に喰わないの? 女を一人に絞りたくない理由でもあるわけ?」


 当麻こそ、何かが気に食わないという様子で、挑発的な言い方をした。

 当麻の目線は櫻井の手元を追い、その手元の先の私物箱には、婚約者からの手紙と彼女から送られたであろうマスコット人形やらが、まるで封印されているかの如く詰められている。


「未亡人にさせたくないって理由じゃ不満か?」


「ああ、不満だね」

 冷静な声や態度で言う櫻井に、苛立った声で当麻は言った。


「俺は櫻井のその態度が気に食わない。さっさと本当の事を言えばいいだろ?」

「本当の事? だから言っただろ」


 とぼける様子もなく大真面目に言う櫻井に、当麻は更に苛ついた。


「あれが本当の事だって? 笑わせるなよ。じゃあ今戦争が終わったら夏子さんと結婚するのか? しないんだろ?」


 意味不明な発言を繰り返す当麻に、呆れた声で櫻井が言った。


「当麻、貴様何が言いたい」


「──俺さ。好きな女がいるんだ」

 当麻が椅子から立ち上がりながら言った。当麻の童顔な顔つきが鋭く、覚悟を決めた男の顔になった瞬間だった。


「俺はその子と何があっても結婚したい。彼女を守りたい。例え俺が死んだとしても、生きている限り、彼女の笑顔を、幸せを守るのは俺だ」


 櫻井は何も言わなかった。


「俺には覚悟がある。俺は櫻井には負けない。絶対にだ」


 櫻井への宣戦布告とも受け取れる言葉を当麻は言い残し、部屋を去っていった。



***



「明けましておめでとうございます、櫻井分隊士」


 あの後しばらくして、一礼して士官私室にやってきたのは櫻井の従兵だった。従兵が遥拝式に向かう櫻井の身嗜みを整えるのを手伝う。


「ああ、おめでとう」


  櫻井は鏡を見、剣帯に短剣を吊り下げながら力なく返答した。当麻の言葉も頭から離れずにいる。櫻井は窓の外に目をやった。


 当麻に色々と言われてから、見て見ぬふりをして閉じていたものが開いたと思った。


 目を閉じれば、婚約者である夏子の両親が土下座をしている姿が、未だに昨日のことのように再生させる。


──どうか、どうかうちの娘を貰ってください!

 

 夏子が、夏子の両親と櫻井の伯母を連れて正式面会に来たあの日、櫻井は土下座して言う夏子の両親に、こう返答した。


──申し訳ありません。


 結婚なんてものはだいたいこうして親族が決めてくるし、家柄に問題さえなければ特に断る理由もないのが普通であるのに。


 夏子は泣いていた。そんな彼らの姿に、胸が痛まない訳では無かった。勿論、こうして我儘をしている事を申し訳ないとさえ思っているのに、だ。


──軍隊は結婚を断るほど、そんなにいいところなのかい! あんたはやっぱり軍人の……櫻井の穢れた血だ!


 伯母がそう言って泣き崩れるのを、櫻井はただただ見ていることしか出来なかった。


 両親を十四歳の時に亡くした櫻井紀は、母方の伯母夫婦に引き取られ、弟三人のうち二人が養子に出された。


 伯母夫婦の夫の家系──遠野家に引き取られたが、子供はいなかった。


 櫻井の父、櫻井和己さくらいかずみは陸軍大佐で、櫻井家は代々生粋の軍人家系であった。勿論、櫻井紀自身も、父と同じように陸軍の軍人になるのは必然で、十四歳の頃に陸軍幼年学校へ入学していた。


 しかし、そんな櫻井の人生を変えたのは、 帝都不祥事件──二・二六事件が勃発したあの日からだった。


 二・二六事件は『尊王討奸そんのうとうかん』という思想のもと勃発した。この時、日本経済は都市部と農村部の経済格差が激しく、この貧富の差に疑問を持ち始めたのが、地方出身者が多かった若い陸軍の将校達だった。

 父、櫻井和己は、自身は都市部出身且つエリートでありながらもそんな青年将校達の声に耳を傾け、日本の現状を変えるには、政治を変えなければならない──そう強く改革を望んでいた一人だった。


 直接的な首謀者では無く、無派閥を貫いていたが、青年将校達へ日本の政治改革を説いていた事もあり、二・二六事件の責任を取り自害。


 その後、櫻井家は『國賊』というレッテルを貼られたのだった。そして母が寝室で首を吊って死んだのが、二・二六事件からそんなに時は経っていなかった。


 櫻井紀が遠野家に引き取られたのは母が自殺してすぐだった。


 伯母は『國賊』とされた櫻井紀を嫌な顔をせずに引き取ってくれたが、母が死んだのは夫の櫻井和己、更には陸軍のせいだとし、父と同じ道を歩む事は許さなかった。

 その頃、陸軍幼年学校を退学になっていたわけだが、伯母はそれを心底喜んでいた。

 

 國賊──そんな風に言われた父だったが、櫻井は父の考えを間違いだとは思わなかった。


 伯母に世話になっている事もあり、伯母の希望通り職業軍人の道からは外れて東京帝國大学法学部へと進学した。


 戦争に対して学問の志が高い人程この戦争を負け戦だと言い否定的であったし、勿論自分も米国に勝てる程の国力があると思える程馬鹿じゃない。

 

 それでも、海軍予備学生制度を利用して伯母に何も言わずに志願したのはどんな形であれ、父の姿を追いたかったからだ。


 伯母は櫻井に家庭を作り、子を設け──櫻井家としてではなく、遠野家の跡取りとなってほしいと思っている。


 だからこそ、この縁談を持ち込み、早く結婚して欲しいのだ。


 それをわかっていても、櫻井は冷静に断りを言うだけ。



──私はもう、國に身を捧げた。大切な娘さんを未亡人にさせるわけにはいかない。何度足をお運び頂いても結論が変わる事はございません。


 櫻井は土下座する彼らに、膝まづいて言った。


 未亡人にさせたくない──確かにそれは決して嘘ではなかった。あの場で彼らに言った言葉にも、当麻に言った言葉にも。


 しかし、その言葉は櫻井にとって単なる建前にすぎない事を、当麻は知っている。そう、この結婚を承諾できない理由がどこかにあったことを。


──俺は櫻井には負けない。絶対にだ。


 だからこそ、宣戦布告のように当麻は言ったのだ。


 櫻井は閉じていた目をゆっくりと開け、従兵がこちらに一礼して部屋を去っていく姿を目で追いながら、櫻井は深くため息をついた。



***



 三〇二空では皇居の方向に向かって遥拝式が行われた。おめでたい日なはずなのであるが、この頃新聞では神風特別攻撃隊の話題が一面を飾っており、戦果に喜ぶ半面先行きに不安も覚える者も少なくなかった。


 本土決戦──そんなことにならなければ良いのだが──小園安名司令は、そんな皆に陰る思いをまるて吹き飛ばすかのように訓示を読み上げた。


 第一種軍装に身を包み短剣を吊り下げていた搭乗員達は、遥拝式が終わると一斉に飛行服に着替えて、各部隊ごとに分かれて記念写真を撮る事になる。


 みつきは彗星夜戦隊整備員として記念撮影に写る事になった。彗星夜戦隊整備員は、三〇二空では『第十二分隊』という名前で存在しているのだが、零夜戦整備と兼業している者が多く、零夜戦整備員も第十二分隊として存在している。

 そのおかげで、彗星夜戦隊搭乗員と彗星・零夜戦整備員を合わせると百名以上という膨大な人数で、写ったところで顔が識別できるかどうかすらわからない状況だった。


 一方零夜戦隊搭乗員は転出者が多く、四十名近くいた搭乗員も二十名程に減り、彗星に比べて随分と寂しい。

 整備分隊長が「零夜戦に行きたい奴は零夜戦隊で写ってもいいぞ」と言うので、みつきは零夜戦隊として写る事になった。


 零夜戦隊では

「みつきちゃん! 俺の隣にきなよ!」

「いや、こっちだ」

 など言いながら、零夜戦隊搭乗員達がこぞってみつきの隣を争った。水地も負けじとみつきを引っ張っている。櫻井は呆れた顔でそれを傍観していた。


「この馬鹿野郎! みっともないことはやめんか!」


 森岡寛大尉が一喝。争っていた搭乗員達に腕立て伏せ百回の刑が科せられ、記念撮影の後、真冬だというのに汗だくで腕立て伏せをしている零夜戦隊搭乗員達が目撃されたのだった。


 その後は、殺風景な指揮所で正月料理や屠蘇を皆で食べた後は特に警戒警報が発令されることもなく、意外にも穏やかな元日であった。

 

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