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目覚めたら昭和十九年でした

 唸るような低いエンジンの音、暴れるようなプロペラの音が耳につく。

 私は目を薄っすらと開けた。少し古い時代の戦闘機が二機、三機と並んでいるのが見える。

  そのうちの一つの戦闘機の前で、飛行服を身に纏った青年が一人、こちらに背を向けて立っていた。


 ──私はこの人を、とても良く知っている。


「みつき」


 私の名を呼び、青年はゆっくりと振り向くと、落ち着いた声で私に語りかけた。


「必ず守る。この命に代えても」


 そう言った青年の表情は、逆光で見えなかった。

  再び背を向け、去っていこうとする青年に

「待って、行かないで!」

と、私は咄嗟に手を伸ばした。


 青年は振り向かなかった。目の前の戦闘機の翼に足をかけ、操縦席に乗り込む。

 吹き荒れるプロペラの風に目を細めると、間も無くして機体が前方に進んでいく。


「あっ! 待って!」


 そう叫んだ瞬間、突然辺り一面が炎に包まれ、熱く蒸せるような風が吹き荒れた。

 遠くでサイレンの音が響き、何処からともなく逃げ惑う人々が現れ、私はその波に逆らうようにして届くはずのない空へ手を伸ばしていた。


「嫌、行かないで!」


 炎で赤く染まる空に消える戦闘機に向かって、私は力の限り叫んだ。


「お願い! 私を一人にしないで! 」


  そう叫んだ瞬間、目の前が真っ暗になった。


 闇に包まれた静寂の中で、速くなった自分の心臓の鼓動だけが今、耳に響いている。

 一面に広がっていた炎や人混みが消え、暗闇の中で僅かに目に入った天井が、私は夢を見ていたのだと気づかせた。


 体をゆっくりと起こすと、真夏でもないのに汗をびっしょりとかいているのがわかった。

 まるで戦争のようだった。目を閉じれば、まだあの青年の後ろ姿を思い出す。

 夢の中の私は、あの人を失うのが怖かった。怖くて怖くて、必死に叫んだ。


 とても良く知っているはずの青年に、本当は身に覚えなど無いと言うのに。


 久々に後味の悪い夢を見たと思った。

 ふと時計を見れば、まだ午前四時である。起きるにはまだ早い時間であった。





***





 夜が明けて、白河みつきは少し早めに職場へ足を運んだ。あれからダラダラと寝返りを繰り返して、遂に眠る事は出来なかった。

 夢は普段すぐに忘れてしまうのに、今日に限ってなかなか忘れる事が出来ない。


(毎日、飛行機を整備してるからあんな夢を見たのかな)


 ふとそんな事を思ったのは、自分が特殊航空整備士という身だったからだ。

 この資格は復元師のようなもので、現在では扱われていない歴史的な航空機を復元及び整備し、飛べるように維持させていく特殊な仕事。


 みつきは、作業用のツナギに着替えた後、始業時間までの間を利用して、同じ敷地内にある航空図書館に行く事にした。


 歴史的な航空機には興味があったが、戦争に特に関心は無く、歴史には疎かった。

 関心がないというより当時の日本人に、戦争に対する異常な狂気を感じて、あまり好きではないというのが本音。


 けれども、今こうして戦闘機搭乗員に関連した本を手にとっているのは、夢に現れたあの青年のせいだ。


 ──みつき


 何となく心地いい、暖かく落ち着いた声。


 ──必ず守る。この命に代えても


 あの良く知ったはずの声を、未だ思い出せずにいる。

 パラパラとめくった本には、昨日の青年と同じ服を着たたくさんの男性が、飛行機と共に写っている。

 彼はきっと軍人だ。


 活字が頭に入らず、そばにあった椅子に腰を下ろしてとりあえず写真だけに目を通していると、早起きのツケがまわってきたのか、段々と眠くなってきた。

 うつらうつらと意識が遠のいたり戻ったりを繰り返した後、はっと我に帰った。


「しまった! 今何時!?」


 時計を確認しようと壁に目をやるも、掛け時計はおろか圧迫する迷路のような本棚もなく、吹きぬけるように明るい光が広がっていた。

 よく見ればここはどこか閑散とした駅。まるで時代を倒錯したかのような。


「ここは一体……」

 辺りを見回すと、座っているのは草臥れた木でできたベンチだった。蒸し暑く、夏のような陽射しが照りつけて思わず目を細めた。


 ひと昔もふた昔も昔にありそうなこの古びた駅は意外にも人が多く、時代を錯誤した暗い色の着物を着た女性たちや草緑色の詰襟の洋服を着た男性たちが電車を待っていた。


「ここは一体?」


 みつきは辺りを確認するように見回した後、自分自身を確認するように手で腕や腹を触り、服を確かめた。

 そんなみつき自身は草臥れた白のブラウスに、紺のズボン──いや、モンペとでも言うべきか、お世辞にも普通の格好とは言えなかった。


(何なのこの格好……)


 なんだか汚らしいと思いながら目線を膝の上に移すと、あり合わせの布で作られた小さなポーチがあって、中を開けるとがま口の財布と何かの書類と藁半紙が入っていた。


  藁半紙には「東京急行電鐵片道切符」と小難しい字が薄く印刷されており、今にも破れそうである。


(なんで切符なんか?)

  切符を呆然と眺めていると電車が到着した。深緑色の二両編成の電車──正しくはこれはディーゼル車だろう。


  夢ならどうにかなるだろうという気持ちがあったのか、吸い込まれるようにみつきはその電車に乗り込んだ。

 その瞬間、突然誰かに左肩を叩かれ振り向くと、浅黒い顔の見知らぬ男がぎょろっとした目でみつきの顔を覗き込んでいた。


「来い!」


 突然強引に腕を引っ張られ、駅の中程に連れて行かれた。


「わわわわ! ちょっと!」


 腕を力強く引っ張られて後ろにひっくり返りそうになるのを必死に片足で止め、なんとか体勢を整えた。


「耳元のそれは贅沢品のはずだ。没収させてもらう」

「は、はあ?」

「渡せ!」

 威圧的な態度で男は言った。


「ちょ、そんなの知らないんですけど! あなた、突然何なんですか!」


 手で押し退けるように抵抗するも、力強い腕で肩を掴まれた。


「無礼な口を利く女だ! 問答無用!」


 男はみつきの耳のピアスを思い切り引き抜いた。


「痛い!」


 咄嗟に耳をおさえたが、反動でよろけて地面に尻餅をついてしまった。

 耳がジンジンと熱く、脈打っている。


「没取する!」

「ちょっと何、返して!」

「返せだと? よくも口答えを! 片耳も外せ、さもないと──」

 男は腕を大きく振りかぶった。


 殴られる──みつきは思わず目を瞑った。



 ──が、男の腕は降ってこなかった。



 恐る恐る目を開けると、真っ白な制帽と詰襟の服を身に纏った青年が、「憲兵」と右から書かれた腕章をつけた男の腕を掴んでいた。



挿絵(By みてみん)



「暴力的行為は、倫理に反することではありませんか?」


 青年は冷静な態度で男に言う。憲兵は青年の姿を見、眉を目一杯に顰めて蛇のような目付きで青年を睨んだ。


「何の用だ。私は私の任務をこなしているまで。この女が従わないのがいけない」

「どのような理由であれ、憲兵たるお方が公共の場で暴力的行為とは笑わせる」


 憲兵は青年の手を乱暴に振り払った。青年は動じる様子もなくただじっとしている。まるでこんなもの、取るに足らないとでも思っているかのように。


「暴力など奮っていない!」

「ああ。私は暴力的、と言っている」


 静かに言う青年に、憲兵の不機嫌な顔がより一層不機嫌になった。


 青年は、憲兵が手に持っていた血混じりのピアスをちらりと見た。それは花を模った小指の爪ほどの小さなもの。


「樹脂……ね」

 青年が言った。


「こんな小さな樹脂でできた物を、強引に取り立るとは憲兵も余程暇らしいな」

「黙れ。贅沢品だ、これは」

「ああそうだな。これ一つで戦況が変わるなら、立派な贅沢品だ」


 落ち着き且つ挑発じみた青年の言葉に、憲兵の眉間に深い皺が寄った。


「ったく、海軍てのはこれだからいけ好かねぇよ!」


 海軍の男はどこか見下したような態度を取りやがる──とでも言いたげに。


 憲兵はピアスを青年に乱暴に押し付けると、舌打ちをして不貞腐れた様子で去っていった。


「大丈夫ですか?」


 青年はそっとみつきに手を差し伸べた。一糸乱れぬその白の軍服は、この青年が高貴な人であるという事を語るには十分であった。


「あ……ありがとうございます」

 みつきは差し伸べられた手を取り、ゆっくりと立ち上がった。

 この青年の眼を見た瞬間、なんだかみつきは違和感を覚えた。


(この人、どこかで……)

 

「……血が。これを使ってください」

 青年は白いハンカチを取り出し、みつきに差し出した。


「いえ、大丈夫です。すぐ治りますから」

 みつきは遠慮してみせたが、耳は未だにジンジンとしている。それを知ってか知らずか、青年はそっとハンカチをみつきの耳に当て、

「人の親切は素直に受け取るものですよ」

 まるで心の裡を読んだかのように、青年は落ち着いた声で言った。

 今の青年は、冷たい表情を持ち合わせているとは思えないほど穏やかな目をしている。


(私は、この人をどこかで見た事があるような気がする)


「ありがとう……ございます」

 そんな彼の瞳に目を奪われながら躊躇いがちにハンカチを受け取ると、青年は満足そうに頷いた。


「今日はどこかへお出かけになるご予定でしたか?」


 みつきは返答に困った。行くあても無ければ、そもそもここがどこなのかもわからず、電車に適当に乗ろうとしていた矢先だったからだ。

 ふと、ポーチの中に切符があった気がして、破らないよう慎重に切符を差し出した。


「実は……こんな切符が入ってて」

「そこまで行かれるんですね」

「あ、いや、実はわからないんです……」

「わからない、とは?」

「その……私何でここにいるのか、その切符もどうしてあるのかわからないし、ここがどこだかもわからないんです。気付いたら、そこのベンチに座ってて……」

「全て忘れてしまった、と?」


 みつきは頷いた。

 青年はしばらく困ったような顔をしていたが、何かを見つけたのか「あ、それ見せてください」と、開いたままのポーチの中の紙を指差した。

 みつきがそれを渡すと青年はああ、という顔をした。


「高座の海軍工廠に召集された方だったんですね、私もちょうど近くまで行くので、ご一緒しましょう」

 そう言って、青年は駅のホームを指差した。


 みつきはわけがわからずポカンとしていたが、間もなくして電車がホームに入線した。その電車に乗り込み席に着くと、電車はゆっくりと発車した。


「すみません、あの……ここは一体どこなのですか?」

「ここは新宿駅ですよ」

「え!? ここが!?」


 新宿駅──と言うが、知っている新宿駅とは程遠いものであった。あの立派なルミネの駅ビルもなければ小田急百貨店も無く、あの高層ビル群はどこへいったのだろうかと疑うほど空が広い。

 ちらほらと見える背の低い建物は、あまりにも見窄らしくて寧ろ都会化に失敗して廃れたような田舎のような雰囲気さえ感じられた。


(いやちょっと、そんなはずは……そっか、きっと夢よね。夢としか考えられない)


  窓から目を離してそう自分に言い聞かせた。ジンジンといまだに痛む耳の傷は、現実そのものなのだが。


「これ、お返ししますね」


 青年が、みつきの手を引き寄せた。

「こういう物は、人目につかない所でこっそり隠し持っておくものですよ。貴金属供出や贅沢品の規制が厳しくなって、皆何かとピリピリしている」

 そう言って、青年は手のひらにそっとピアスを乗せた。


「あ……没収しないんですか?」

「ええ、しませんよ。確かにこれは規定に定められた贅沢品ですが、この素材は爆弾や弾には変わらない。そんな無意味な物を、暴力的に没収する事に私は賛成できないのでね」


「ありがとう……ございます」

 みつきはピアスをポーチに入れた。

 

「新宿駅周辺は本土空襲に備えて建物疎開が行われている関係で、殆どの建物を取り壊してしまいましたから、かつての賑わいも無くなってしまいましたね」

 青年は、風が吹き付ける窓の外を見ながら言った。


 その言葉に、みつきはどきりとした。この人は何を言っているんだろう──そんな不快感を覚えた。いや、その不快感はまるで何かを予期するようにいやに真実味があって、胸の中をざわざわとさせた。


「あの、それって一体どういう事ですか……?」

「駅周辺は、米軍の爆撃機による爆撃で類焼しないように、建物を壊して広場にしているんです」


「ば、ばくげき!?」


 大きな声を出してしまったせいで、乗客の冷ややかな視線が一斉にこちらに向かって、みつきは急いで顔を伏せた。


(もしかしてこの夢、戦争真っ只中なの!?)

 頬をつねっても叩いてみても、ただ痛いだけ。


(やめてやめて、なによこれ! 昔の日本みたいじゃない! 早く目よ覚めて!)


 そう念じながらみつきはひたすら頬を叩いたりつねったりを繰り返していたが、開けた窓から入る風が前髪を鬱陶しくばたばたとさせているだけで、覚める様子など微塵も感じられなかった。


 夢と言うものは、自分自身が持っている知識以上の体験はできないものだそうだ。

 戦争時代の知識などあまり無いと言うのに、やれ憲兵だの海軍工廠だの贅沢品事情だの、聞きなれない単語や話題が次々と出てきて、まさかタイムスリップでもしてしまったのではないか──そんな事が頭を過ぎった。


「はは、まさかね……」


 なんて独り言を言いながら横に目線を動かすと新聞を読んでいる男性が視界に入って、一瞬違和感を覚えてその新聞を二度見した。


 その新聞の一面には見慣れない異体字と右から読む横文字で、『ベララベラ島敵輸送船五隻を屠る』なんていう見出しがデカデカと書かれていて、体から血の気が引いた。


(ほ……本当に……?)


「あの、大丈夫ですか?」

 いきなり耳元で声をかけられて、心臓が飛び跳ねるかと思うほど驚いた。ちらりと横目をやると、青年が心配そうに覗き込んでいて、みつきは目のやり場に困った。


「だ、大丈夫です!」

「それなら良かった」


 よく見ると少し薄い青年の茶の瞳が揺れた。

 そして、その青年の眼を見てやっぱりどこかで見た事があるとみつきは思ったのだった。


「申し遅れました。大日本帝國海軍第三〇二(さんまるふた)海軍航空隊の櫻井紀さくらいもとい少尉と申します」


(よくわかんないけど軍人さんなのかな)


「私は白河みつきです」

「そうですか、よろしく」


 その時、背後から「切符を拝見」と声がした。

 振り向くと車掌らしき人物が立っている。みつきがポーチから切符を出そうとすると、櫻井が手でそれを止めた。

 櫻井は自分の切符を差し出しながら

「彼女は切符は所持していないのですが同じ車両に乗せてあげて下さい」

 と、もう一枚の切符分のお金を渡した。


「わかりました」


 車掌はお金を受け取ると、新しい切符を櫻井に渡した。そして、何事もなかったかのようにその場を離れた。


「あの……、私……」

「私が勝手に二等車にお連れしただけなので、何も気にする事はありませんよ」


 みつきはここで初めて車両に等級があった事を知った。みつきの持っていた切符は三等車のもので、現在乗っている車両は二等車というものだったのだ。現代で言う、グリーン車である。


「なんかすみません……」

「謝る事はありませんよ」

「なんか……優しいんですね」

「はは、残念ながら私は意外とそうでもないんですよ」

 櫻井は切れ長の目尻に皺を作って人懐こい笑顔でそんな冗談を言った。

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