B-29来襲、戦争への実感
十一月下旬になると、中島飛行機武蔵製作所を目標とされる東京空襲が相次いだ。
三〇二空にとっては、悪天候やB-29編隊の突然の航路変針により会敵の機会が少なかったのだが、陸海軍の無線機の性能が非常に悪く、連携の取れない出撃でもあった。
曇天の中の飛行は非常に難しく、機位を失いやすい。B-29は曇天の中、武蔵製作所に直接的な投爆をする事は出来なかったのだが、レーダー照準爆撃により東京各所に爆弾を落とす事には成功したのだった。
無線電話すらも確実でない日本陸海軍側からしてみれば、電波兵器の技術の格差に唖然とする思いだ。
無線機の質の悪さを改善する為に、一斉にアンテナ線の改造が行われた。
(航空管制塔の技術って、凄かったんだなぁ)
零夜戦のアンテナ線を張り替えながら、みつきは呑気にもかつて民間機の航空整備士だった時に従事していた事のある、羽田空港を思い出したのだった。
***
十二月三日、陸軍の東部軍に小笠原諸島・母島監視哨より敵北上中の第一報が入った。
午後一時過ぎ、第一警戒配備、第一航空戦配備を発令し、第一飛行隊の雷電隊、零戦隊、第二飛行隊の零夜戦隊、月光隊が勝浦上空へ、彗星夜戦隊、銀河隊が伊豆半島上空へ向けて発進した。
これは首都防空内陸部の陸軍と重複しない為の配置であるが、交戦が始まれば敵を追い東京〜茨城上空へと移動していく事になるだろう。
先日のF-13との戦闘で櫻井は、B-29のような大型爆撃機とはマトモに向き合っては勝てないと思った。
櫻井は編隊から遅れた手負いの機を狙う事に決め、磐城上飛曹を一番機として偏西風に乗って銚子沖へ向かった。
すると既に約千メートル下方で第一飛行隊の雷電隊がB-29編隊と交戦していた。
雷電の放った機銃でB-29のエンジン部から火を噴いているのを確認、撃墜を確信した櫻井と磐城は、その波に乗ろうと少し遅れて飛行する別機を捉えた。
磐城が先に直上方攻撃をしかけた。これは、敵機より約千メートルほど上空から背転し、垂直下に急降下して斉射して敵機の前方に抜けるというもの。
衝突の可能性と恐怖に打ち勝つ精神力が必要とされる、対大型爆撃機の直上方攻撃の最も際どい作戦である。
磐城の斉射した弾は、外側エンジン部に吸い込まれるように命中したのだが、確かに当たっているのに落ちない──それほどまでにB-29は硬かった。
櫻井も磐城に続いて背転し、その姿勢で真っ逆さまに急降下した。ビリビリと音を立てながら、自分の体重の何倍にもなる重力が櫻井の首を襲って思わず目を細めたが、息を止めて死角となる真上から敵機の前半部に十三ミリと二十ミリの制裁を浴びせて敵機首の直前を下方に抜けると、B-29は火達磨になっていた。
すると突然、
「うおっと! 危ねえ!」
ヒュン! と空気を切り裂くような音が聞こえたと同時に櫻井がバンクをとると、左翼に切り裂くような痕がついていた。
間一髪だった。
やりやがったな──なんて思いながら、今度は敵機の前方に回り込み、前下方攻撃を試みた。直上方攻撃をするには時間が足りない。
前部胴体に照準を合わせ、再び斉射させ右へ勢い良く抜けると、敵機右翼全体から燃料が噴き出したと同時に炎が上がった。
やがてB-29は四つ程に空中分解して、五つの落下傘と共に太平洋に墜ちていくのを見届けた。
「B-29、二機撃墜確認」
※バンク……機体を左右に傾けること
***
十二月三日の三〇二空B-29邀撃戦の戦果は、撃墜九機、撃破八機だった。そのうちの撃墜二機は櫻井の戦果である。
「さすが櫻井だな!」
「『変人』っぷりを見事に発揮してくれた!」
なんて言われて、第二飛行隊ではお祭騒ぎであった。変なあだ名も定着している。
そんな中、みつきは各種報告を済ませた櫻井に「左翼を被弾した」と報告されて見にいくと、左翼に切り傷のような被弾痕があった。
(本当に戦争しているんだ……)
みつきの背中にぞくっと冷たいものが走った。被弾痕は、一の字に減り込まれるようについていて、生々しくそれを語るには十分であった。
「今度こそB-29に制裁を加えてやった」
櫻井は嬉しそうに言うが、みつきにはその気持ちがわからなかった。
「……怖くないんですか?」
「え?」
櫻井は目を丸くしてあっけらかんとしていたが、少し間をおいて
「ああ。怖くはないよ」
そう言った櫻井の表情は実に普通、まるでそんなもの取るに足らないとでも言うかのように。
「死んじゃうかもしれないのに?」
「ああ」
櫻井は何ともない表情で頷く。
「今日は民間人の死傷者が四百人程出たというが、彼らの恐怖と比べたら、俺が感じる死への恐怖なんて大したことじゃない。俺は訓練も受けているし、武器も覚悟も、使命もある」
西日を浴びて逆光にうつる櫻井の瞳は、さっきまでのあっけらかんとした彼の瞳ではない。一人の軍人として誇りと使命を持った、力強い瞳。
「なあ、俺は一番何を恐れていると思う?」
小さな子供に言い聞かせるように優しい口調で語りかける櫻井に、みつきはわからない、と顔を横に振った。
「俺が最も恐れているのは、海軍に入った以上、軍人として使命を果たせない事だ」
櫻井はゆっくりとみつきに近づいて語りかけた。
「天皇陛下の愛するこの空を、この国民を、守る事」
「──勿論、白河さん。君の事もだ」
櫻井に真っ直ぐに見つめられて、どきりとした。一瞬、変な意味で勘違いしそうになって、しばらくその瞳から目を逸らせないでいた。
すると急にいつもの櫻井の表情に戻って、
「まあ。ここにいる連中なんて、こんなもんだよ」
そう言って、にっこりと笑った。
その場を立ち去る櫻井の背中を見ながら、みつきはまだあの真っ直ぐな瞳を忘れられないでいる。
(私は、貴方を失う方がよっぽど怖い)
櫻井の背中が、いつか夢で見たあの青年の背中とかぶって見えた。