エピローグ 「まだまだ、ゆうれいといっしょ」
◇1
――約二か月半後。
「……それで、その後そっちはどうなのかしら?」
ファミレスの二人掛けの席で、正面に座った米倉さんが僕に訊ねてきた。
俺たちの間にはたくさんの料理が並んでいる。もちろんこれは全部米倉さんのものである。
「ええ、まあ、もう一週間になりますからね。それなりにうまくはやっていますよ。家事も分担するようになりましたし」
俺がそう答えると、米倉さんは安心したように息を吐いて、
「そう、それならよかったわ」
と言うと料理に手を着け始めた。彼女の相変わらずの食べっぷりに圧倒されていると、見られていることに気が付いたのか、少し食べるペースを緩めて話題を振ってきた。
「それにしても、よくあなたのご両親が女子中学生の居候を許してくれたわね。よほど信頼されているのかしら?」
言うまでもなく、女子中学生とは、常盤優麗のことである。あれから、優麗は、日向大学のある学園都市の中学校に転校してきたのだ。そのため、平日の間だけであるが、彼女は俺の家への居候を続行することになったのである。
俺が優麗をもう少し預かろうと思ったのは、子供の成長には誰かがいっしょにいることが必要だと思ったからだ。親でも兄弟でも幽霊でも、とにかく誰かが傍にいてあげることが。昔の俺ならば、そんなこと絶対に考えなかっただろう。そう思うとちょっと不思議な気持ちになり、微かに笑みがこぼれた。
米倉さんとの会話を続ける。
「だとしたら嫌な信頼ですね……。ともかく、その件については両親とちゃんと話しましたから」
米倉さんは変な笑みを浮かべた。
「意外ね。あなたはご両親と仲が良くないものだと思っていたわ」
ご明察。俺は両親との仲が良くなかった。幼い頃からずっと放っておかれた俺が、愛されていないと思っていたからだ。だが、それは思い込みだと思い知らされた。それを教えてくれたのは米倉さん自身であるということを彼女は知らないが、彼女が優麗のために頑張る姿を見て、考えを改めるきっかけになったのである。
「よくなかったですよ。ただ……」
優麗の両親との再会を見ていて思ったのだ。会えるうちにちゃんと言いたいこと言って、やりたいことはやっておくべきだな、と。
俺は言葉を続けた。
「……まあ、家族ですから。深かった溝だって、すぐにってわけじゃないですけど、塞ごうと思えばゆっくりと塞ぐことができます。どちらかが幽霊になってからじゃ、遅い時だってあるんですから」
「そう」
米倉さんは興味なさげにそう言って、食べるのに集中しだした。食事もとい、大食いが終わると、米倉さんは口の周りを拭いて姿勢を正した。
「川島光輝君、このお話を受けてくれて、アタシは本当に感謝しているわ」
米倉さんの声は凛としていて格好良く、その姿はいつもとは違って立派に見えた。ああ、これが大人なんだ。親なんだな。と思い知らされる。
「平日はどうしてもアタシの仕事が忙しくてあの子に接してあげられないから、寂しい思いをさせてしまう。だから、休みの日以外はあなたの家で誰かといっしょに過ごさせてことができて、本当によかったと思っている。ありがとう」
お礼を言って、塔が傾くようにまっすぐと頭を下げる米倉さん。
俺はどうにも照れくさくなり、顔を逸らしてはぐらかすような声を上げた。
「米倉さんらしくもない。改まんないでくださいよ」
すると米倉さんはくすりと笑った。
「そう、そうね」
そして、いつものように、涼しくて上から目線の声で言う。
「これから、あの子をよろしく頼むわ」
「こちらこそ、大事なお子さんを預かります」
俺たちは顔を見合わせて笑い合った。変な大人との変な関係も、意外と楽しいものである。
◇2
「光輝ー! ちゃんと食べなさいってば!」
「これを!? これを食えと言うのか!? どう見てもダークマターだろ!」
朝食。居間のちゃぶ台に並べられた食卓を挟んで、俺と優麗は言い合いをしていた。今日は優麗が朝食当番だったのだが、出来上がったのはどれも炭のような黒いものばかりだったのだ。食べるのは好きでも作るのは苦手だったんだな、優麗……。
優麗は皿の上に乗った黒墨を指差して言う。
「失礼ね! これは歴とした目玉焼きよ!」
「目玉を焼いたのか!? だからこんな……」
「そんなわけないでしょ!」
優麗はすっかり呆れたというように大きくため息を吐いて、皿を手に立ち上がった。
「もういいわ、食べないなら捨てる」
優麗は台所の流し台の方へと苛立ちを露わにした足取りで向かった。そのまま三角コーナーに捨てようとするので、俺はその寸前でダークマターをつまんで口に放り込んだ。
じゃりぼり、と異様な音を立てて咀嚼して飲み込む。うん、苦くて固くて、予想通りのまずさだ。
優麗は少し驚いたように口を開けてその光景を見ていたかと思うと、緩む顔を隠すようにして背を向けてしまった。その耳は赤い。でも、怒っているわけではなさそうだ。
「結局食べるんじゃない……」
「いいだろ、別に」
と、格好付けたはいいものの、食道を通過した暗黒物質が体内で暴走を始めるのを感じ始めた。
「やべ、お腹痛くなってきた……」
急いで廊下に飛び出して、トイレへと向かう俺の背中に、優麗の心配するような声がかかる。
「えっ、ちょっと光輝!」
「先に学校行ってろ! 中学生が遅刻したら大変だ!」
そう言い残してトイレに入り、落ち着いたところで居間に戻ると、胃薬と白湯を用意した優麗がそこには待っていた。
「結局最後まで面倒見るのかよ……」
自分のせいで俺が腹を壊したと思い、責任を感じて待っていたのだろう。
しかし、それを悟られたくないと思ったのか、優麗は顔を逸らしてそっけなく言う。
「いいでしょ、別に」
本当に素直じゃないな、なんて思いつつ、つい頬が緩むのを感じていた。普段は見慣れない中学校の制服を着た彼女は、いつもよりも子供っぽく見え、なんとなく可愛く見えた。
だが、ゆったりもしていられない。予定よりかなりロスしてしまった。急いで優麗を学校へ連れていかなければ。俺は身支度を整え、優麗といっしょに玄関の戸を開けた。
「おい、おせーぞ! 光輝! 今日は優麗ちゃんと学校行こうって約束だったじゃんかよー! はやくしろよー」
開口一番、そんな元気な声と共に清隆が出迎えてくれた。その隣には沖野もいて、なぜか申し訳なさそうに苦笑している。
「ごめんね、川島くん! 焦らなくて大丈夫だよ」
ふたりとは、今日、優麗といっしょに学校へ行こうと約束をしていたのだった。何もそんな大人数で行くことはないだろうし、ふたりは遠回りになるから断ろうと思ったのだが、たまにはいっしょに学校へ行ってみたいという物好きな願いを言われたので、こうして我が家に集合しているという次第である。
しかし、待ち合わせ時間をだいぶ過ぎてしまった気がする。ふたりには悪いことをした。
「すまん、ふたりとも。待たせたな。朝から毒物処理に追われていたせいで遅くなった」
優麗に流し目を送りつつ謝罪すると、彼女はいじけたように口を尖らせていた。
「毒物で悪かったわね……」
優麗は気を取り直したように、大きく一歩踏み出すとくるりと振り向いて訊ねる。
「あ、今日は演劇サークルあるわよね?」
あれから、優麗がこの学園都市に転校してきてから、彼女は正式に日向大学の演劇サークルに所属することとなった。外部の人間も入ることができるというのは、サークル活動のいいところでもある。
「おう、今日も練習だ」
「じゃあ、また五時に大学に行くわ。いってきまーす」
「あ、こら待て、優麗!」
とっとと清隆たちと学校へ向かってしまう優麗を追いかけようとして、足を止めた。
誰もいない玄関を振り返り、挨拶をする。
「いってきます」
俺たちは、これからも、理想を見て、現実を見て、生きていかなければならない。理想とは時に自分を縛ることになり、現実とは頻繁に苦痛を与えてくるものである。けれど、それらからちゃんと目を逸らさずに生きていかなければならないのだ。でなければ、彼女が俺たちのためにしたことは、無駄になってしまう。
だから、俺は――歩みだすのだ。
「いってらっしゃいです、ミーくん」
お日様の形をした花を彷彿とさせるような、温かい声が俺の身体を包み込んだ。
俺は、その声に振り返る。
どうやら俺の人生は――これからも、ゆうれいといっしょのようである。
『ゆうれいといっしょ』FIN
◇あとがきです◇
こんにちは、からすがわさいか、です。
まず、お詫びを申し上げます。
最後の方を駆け足で仕上げたため、訴えたいことの首尾一貫性が感じられない作品となってしまったと思われます。内容やストーリーこそ変わりませんが、近々第一話から大々的な改稿をしたいと思います。本当、申し訳ありません。
さて、ゆうれいといっしょですが、ついに完結です。完結なのに……エピローグがあるにもかかわらず、完結として投稿しなかったのにはわけがあります。
この「ゆうれいといっしょ」ですが、(おそらく誰も望んでいないでしょうが)第二部に突入したいと思います!
更新スピードは落ちることになりますが、お付き合いいただければ幸いです。
少なくとも、現在書いている短編だけでも上げてから終わりたいな、と思っております。本当、自己満足ですが。
最後に、この場をお借りしてお礼を申し上げたいと思います。
まず、演劇部に関する資料を提供してくださいました〈うみんちゅ〉さん。あなたのおかげでこの作品を手掛けることができたと言っても過言ではありません。本当に感謝しております。
また、表紙(今後は挿絵)を描いてくださった木端微塵子先生。先生の描いてくださった表紙のおかげで興味を持っていただいた方もいたほどに影響力のあるものでした。これからは挿絵を描いてくださるということでして、大変楽しみにしております。ありがとうございました。
そして、この作品をここまで読んでくださった読者の皆様。皆さんのおかげで、私の執筆意欲が何十倍にも膨れ上がりました。Twitterなどでお声をかけていただいたり、おもしろいと呟いていただいたりすると、飛び跳ねたくなるほど嬉しかったです。本当にありがとうございました!
ではでは、これからも烏川彩霞をよろしくお願いします。
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(6月1日挿絵追加)
この挿絵は烏川本人が描いたものであり、表紙の木端微塵子先生が描いたものではありません。