1.転生 リインカーネーション
夜道を歩く。
彼の名前は鷲谷武雄。彼は、いわゆるダメ人間であった。
ニートであった。学歴もなく、親のコネもない人間が、まともな仕事に就けるはずもなかった。
救いようのないことに、ニートの上に童貞であった。イケメンじゃないせいである。金がない上にイケメンでない人間がモテるなんてことはなかった。
孤独であった。言いようのない孤独感を敵意と憎悪に変え、それを糧に、ただ生きていた。夢や目標もない。そんなものは、勝ち組の贅沢でしかなかった。
虐げられて生きる者特有の、ひねくれて痩せた考えにとりつかれている。
この世はどうしようもなく腐ってやがる、常々そう思っていた。
歩きながらスマホを開く。探すまでもなく、この世が腐っている証明が目に飛び込んでくる。
埼玉県では24歳無職の父親が息子を虐待した疑いで逮捕された。福井県では、22歳無職の父親が娘を虐待した疑いで逮捕された。奈良県でも、何かがあったらしい。25歳無職の父親が逮捕されていた。
目を世界に転じてみれば、ウクライナやタイ王国の情勢が不安定になっていることが分かる。
これらは、どれもおぞましいニュース。武雄は感じた。
さっとスマホを眺めただけで、これだけ病んだニュースが引っかかってくる。そして、どれほど酷い事件であろうと、陳腐なイベントとして忘れ去られていくのだ。
とことん腐ってやがる。この世の腐り具合に、吐き気を感じた。もはや、この世界はどうしようもないレベルにまで墜ちてしまっているのだ。
そして、武雄はニートで、この腐った世にすら必要とされていない。これは、冷酷な事実であった。
武雄はトボトボ歩きながら、スマホを見つめていた。
夜はただただ暗く、空気は途轍もなく冷たかった。
はっと顔を上げる。歩きスマホをしていたせいで気づかなかったが、武雄は歩いているうちに歩道を外れてしまい、今は八車線幹線道路の真ん中に突っ立っていた。
何か、途轍もない脅威が迫ってきている予感があった。
武雄の濁った瞳に、トラックのヘッドランプが反射する。巨大なトラックが、エンジンを猛り狂わせて突進してくる。排気口から劫火を吐きつつ、トラックが迫る。
ヘビに睨まれたカエルのように、武雄は硬直した。もう、何をしたところで、トラックを避ける事ができないのは明らかだった。
それでも、僅かな希望を頼りに、武雄は迫るトラックのバンパーを見つめる。素晴らしいハンドル捌きで、自分を避けてくれないものか。
だが、現実は無慈悲であった。
トラックは、むしろ、武雄など目に入らないかのように、更にスピードを上げる。
そして、次の瞬間、トラックは時速九十六キロで武雄を挽き潰した。
武雄はバラバラになって、即死した。まるで、この世に必要ないクズを、羽根ボウキで一掃するような、鮮やかな蹂躙であった。
トラックは何事もなかったかのように、走り去っていった。
武雄は死亡した。
新聞の片隅にも載らないような、実につまらない交通事故であった。
だが、ともかくとして、武雄の人生は終結した。
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武雄は目を開く。音を立てて空気を貪った。勢いづくあまり、激しく咳き込む。武雄の拡散していた瞳孔が、音を立てて収縮した。停止してた心臓が、今では激しく荒れ狂っている。
生きて……いる……? 暗い夜道でトラックに挽かれて死んだはずなのだが。
武雄は、黄金の羊毛を思わす柔らかい草むらの中に倒れていた。
仰向けに倒れたまま、頭上に広がる空を見上げる。見たこともないラズベリー色の空をバックに、月が二つ浮かんでいた。赤い月と青い月だ。
ここは、異世界だ。武雄は悟る。
武雄は異世界に転生してしまったのである。