その9 竜の池
当時、うちは敷地内にある平家を人に貸していた。
父は何というか「家を建てるのが趣味」な人で、今の土地を買ってから同じ場所に四回家を建て替えたのだ。
平屋の洋館→平屋の普通の家→その南側に二階建て→平屋をつぶして二世帯住宅。わたしが小中のころは、平屋の家を人に貸し、二階建ての家に家族で住んでいた。
古いとはいえ結構な広さの家で、家賃もあまり安いものではなかった。だから店子も吟味していた。家をお貸しすることにしたY家も、夫婦に子ども二人に夫の母、という構成の、羽振りのいい実業家、のはすだった。
けれど、あの「金色のお地蔵騒ぎ」のあったころ。
Y家は資金繰りに失敗し、家賃を納められなくなってしまっていたのだ。
家賃滞納が始まってから毎週、一家の主がうちに顔を出しては「家賃を払えない事情について」父に説明し続けていた。父が要求したのだが、申し訳ないというよりも開き直りに来るといった塩梅で、居間のドアが閉まって五分ぐらいするといつも怒鳴りあう声が聞こえた。それが本当に嫌で、娘としてもこのいざこざが早くおさまってくれないかと願っていたものだ。
けれど事業は好転しなかった。三か月たっても四か月たっても家賃は払われない。払いもせず出ても行かないまま半年を迎えるころ、父の怒りもピークに達していた。これでは収入源の家が乗っ取りにあったも同然だと。
ある週末、例によって「家賃が払えないことの言い訳」に訪れたYさんが、妙な事を言い出したのだ。
ここまで何をやってもうまくいかないのはおかしいと思い、運気を見てもらおうとよく当たる占い師に相談したのだという。そうしたら、霊視の結果、この土地はその昔、竜神さまの住む池であったのがわかったというのだ。
そしてこの家の庭には、古いお地蔵さまが二体、埋まったままだと。
それは竜神さまに返すべきものなので、掘り起し、近くにある大きな池に沈めてきなさいといわれたという。その池はかつてもっと巨大であった竜神池の名残だと。
うちのすぐそばには井の頭公園があり、中央には、ここで恋人同士ボートに乗ると破局するという噂で有名な井の頭池を抱えている。
そうして、なんとYさんは、占い師に言われた通り、夜中にこっそりと庭を掘ったというのだ。
父は晩酌のビールで顔を赤くしながら愚痴った。
「金も払わんうえに他人の土地を勝手に掘りやがって、とんでもない話だ。けど、堀ったら出てきたっていうんだよ、その地蔵が。それも二つ」
「ほんとに出てきたの? 嘘でしょうよ」母は仰天していた。
「わからんよ、とにかく出てきたっていうんだよ。で、さっそく井の頭池に二体とも奉納してきたと。真夜中に、橋の上からどぼんどぼんっと。だからじきに事業もうまくいくはずですと」
父は怒るというより打ちのめされていた。
「ありゃ頭の病気だ。もう今迄の金は払わんでいいから出ていってくれと頼んだんだが、じきに全額払えますからとそれしか言わない」
「それじゃこのまま家を乗っ取られっぱなしなんですか」母は憤懣はやる方なしという風にたたみかけた。
「知り合いの弁護士に相談したんだが、裁判所も結局、持たざる者の味方だというんだ。幼い子や年老いた親のいる一家を、無一物のまま路頭に放り出すのは無情だから、金も土地もあるものがもう少し我慢しなさいとそういう話になるだろうと。強制執行してもそう金になる家具があるじゃなし、腕ずくで路上に放り出すわけにもいかないし、世間体もある。
何が地蔵だ、竜神の池だ。ふざけやがって」
両親の頭に、あの夜の出来事は浮かんでいないようだった。
母が信頼を置いている姉の方が、お地蔵様を「大仏の小さいの」という風に当時表現していたこともあるだろう。だが、わたしは、雷に打たれたような思いがした。
その二体のお地蔵さまこそ、あの夜、わたしたちを訪れた金色のお地蔵さまではないのか。
この土地に埋まっていて、掘り起こしてほしくて、それでわたしたちのもとを訪れたのではないか?
それならば合点がいく、いろんな点が符合する。
では、お地蔵様を竜神さまに奉納した成果はどうだったかというと……
残念ながら、Y家の事業はその後も好転することはなかった。結局七か月も家賃をためっぱなしで、一円も払わないまま家を出ていってしまった。
追い出さずにいてくれた御恩は忘れません、必ず金を払いに来ますからと、それだけ言って。
もちろん、その後Yさんがうちに顔を出すことはなかった。
そもそも、井の頭池に竜が棲んでいたなどという伝説など聞いたことがない。父もそんな話はないと言っていた。それとも、わたしたちが知らないだけなのだろうか?
当時はまだ子どもがネットで検索などできる時代でもなく、図書館等で調べるしかなかったのだけれど、どうもそういう話は出てこなかった。当時は、である。
何年もたってネット環境が整い、ふたたび調べてみたら……
これが、ちゃんと出てきたのだ。竜の池の伝説が。
なんと、井の頭公園の池にはその昔竜が住んでいて、竜を祭った寺も存在しているという。
池の西の端っこには井の頭弁財天があり、この弁天様の嫉妬によって恋人がデートすると別れることになるといわれているが、ここは関係ない。
井の頭池を源として都内を流れる神田川のほとりにある、龍光寺がそれだという。開創は承安2年、本尊の薬師如来立像は平安時代末期に造立されたものだそうだ。
いわれはこうだ。その昔、井の頭池には巨大な竜が住んでいた。あるときその竜が神田川を下ってきて、寺の付近で雷鳴をとどろかせ、光を放って昇天した。その伝説に由来して、この寺は龍光寺と名付けられたそうだ。
近くには、雨をつかさどる竜神がまつられている貴船神社がある。貴船神社境内には“御手洗の小池”があり、どんな日照りにも涸れたことがなかったという。
さて、伝説が実際にあったのはわかったけれど、せっかくの切なる願いに従ってお地蔵様をもとの池に戻して差し上げたのに、その成果はなかったわけだ。
にしても、お地蔵さまが地に埋められその上にさまざまな家が建ってから、当然なん百年とたっているのに、どうしていまになって少女二人に姿を見せて呼びかけたのだろうか。
それとも今までにも、こういう風に人前に姿をあらわしたことはあるのだろうか。
今でも姉と会ったとき、たまに話すことがある。あのとき見た地蔵菩薩の姿を。
今もお互い、はっきり覚えている。そして隅々まで一致している。
金色に輝き、背後にまぶしい光輪があり、そして羽衣のような布がひらりひらりと特徴的な動き方をしていたこと。ほんのりと微笑み優しそうなお顔なのに、見ている間の金縛りがものすごく、芯から恐ろしかったこと。
実体のない幽霊のような姿なのに、まるで電球を部屋の中で動かすように、動きにつれて壁や天井がその光で照らし出されていたこと。ものにあたると跳ね返っていたこと。
こういうもの(ものと言っては失礼だが)を見た人はほかにいないのだろうか。もしいらっしゃるなら、ぜひその姿とどういう条件で出現したかを教えていただきたい。
ところでこの姉とは、母がなくなって一週間後、真夜中に壊れた電話が突然鳴る、という経験を同時にした、あの姉である。
こちらは東京、あちらは茨城だった。
わたしと姉はそれほど付き合いが濃いわけでも特に仲がいい訳でもないのだけれど、姉妹というつながりの深さをときに感じることがある。
さて、お地蔵様の怪、の話からいったん離れて。
この項の最初に戻って、じゃあ壁のばりばりばりばりとはなんだったかというと、別に地蔵菩薩出現とつながっているわけではないかもしれない。あるいは何かの予兆だったのかもしれない。
それでも、音源のわからない音やモノの移動という奇妙な現象は、この家にその後も起き続けた。そしてある時点から、無視できないぐらいの異様さになってしまったのだ。
それは話し出すと大変長くなるので、次回以降に。
わたしとしては、まだ何か、一番大切なものがこの地に埋まっているような気がしてしかたないのだけれど……